世界の終わりとメメントモリ(破)

「頭が弱点」


 並走しながら、カズハが僕の言葉を繰り返して言った。


「……ユウ、一年前の事、思い出したの?」

「それは……」


 そうだ、と答えたい一方で、これまで夢で見たことが全てとも思えなかった。


「少しだけ。……あの時と同じなんだな。何かが僕らの頭を喰って、あの化け物たちを生み出してる」

「そう。だから見つけ出して、止めないと」


 カズハは深く納得したような、だけど同時に酷く失望したような、形容しにくい表情を作っていた。


「ユウ、覚えてる? ヤギの頭をした黒い悪魔」


 山羊頭やぎあたまのことだ。


「ああ、もちろん」

「あの悪魔が、人を本当の怪物に作り変えてしまう。その人は凶悪な姿に変貌して、人の頭を喰って、また別の怪物を生み出していく」


 ゾクリと戦慄が走るようだ。違う汗が噴き出てくる。

 ちょうど警察署での遭遇を思い出していた。


「悪魔が人を怪物に、それはどうやって?」

「それも結局は食べること。この世界で、食べるという行為は特別な意味を持つみたい」


 あの時、一歩間違えれば僕は化け物の仲間入りをしていたのかもしれない。


「悪魔に喰われるのか。ぞっとしないな」


 だけど次の瞬間、僕は大きな勘違いをしていたことを思い知る。


「いいえ、逆」

「逆?」

「人が、悪魔を、食べるのよ」


 心臓が一度、大きく跳ねた。


「あの悪魔には人の憎しみが見えるのかもしれない。憎悪に満ちた人に、自らの肉を与え、怪物へと作り変える。怪物は憎しみを爆発させて、他の人を喰う。それによって世界が混ざる。世界の浸蝕しんしょくをさらに進めて、最終的には、この世界全てを飲み込んでしまう」

「世界の……終わり」

「ええ、人がいつか死ぬように、世界にだって終わりはある」

「なあ、カズハ……」


 黒い瞳が僕を見た。


「あいつの腕が、僕の口の中に……警察署で」

「食べたの!?」

「い、いや、すぐに吐き出した。でも、学校で、たぶん血を飲んだ」


 黒い瞳が揺れる。


「飲ん……じゃった」


 むしろそうでないと、死にかけた身体が無事だった説明がつかない。


「ユウ、身体に異変は? 違和感は? 吐き出したなら、大丈夫なはず――」


 だけど、僕らの会話はそこまでだった。


「うおおおっ!!」


 怒声がして前に目を向けると、奥山おくやまのどでかい図体が間近に迫っていた。なぜかこちらを向いて、右腕を振り上げて、金槌を握りしめて、殺意をむき出しにして。おい、やめろよ。


 ブン――


 金槌が振るわれる。


「危ないっ!」


 僕らはなんとか左右に飛びずさって避ける。


「お前! なんのつもり――」


 振り返るとカズハが地面に倒れていた。が、金槌をくらったわけではなかった。すぐに顔を上げて、


「ユウ、行って!」


 と叫ぶ。

 転んだカズハの足首を奥山の太い手ががっしりと掴んでいた。


「だ、だって。俺、足、遅いんだもん。このままじゃ追いつかれちゃう。お願いだあ、置いて行か……ぷぎゃあ!!」


 奥山が豚のような悲鳴を上げた。カズハの足裏が顔面にめり込んでいる。だけど執念深くも足を掴んだ手を離さない。


「へへ、つかまえたあ」


 潰れた鼻から二筋の血を流して、奥山はニタニタと笑っていた。


「ユウ!」


 カズハに鬼のような形相で怒鳴りつけられて、僕はモールへ向けて走り出す。何度も、何度も、振り返りながら。


 カズハ達の奥では、ダイチが瀬尾せおさんをかばいながらバールを構えていた。そこに後藤ごとうの顔をした化け物が飛びかかる。ダイチがバールでなんとかそれを受け流すと、後藤が今度は瀬尾さんに飛びついた。ダイチがそれを蹴り飛ばして寸前でなんとか阻止する。

 その二人に化け物の黒い波がじわじわと近づいてきていた。


「ああああああああっ!!」


 突如として、奥山が鋭い悲鳴を上げた


「手が、手があ」


 膝立ちになって、その右手からはドロドロと血が流れ落ちている。まさか、カズハ、ナイフで……。


 そこへダイチが叫んだ。


「後藤がそっち行ったぞ!」


 その言葉の通り、後藤が飛び跳ねた。奥山の方へ。

 あっ、と思った。時間がゆっくりと進み、雨の音が消えた。だけど僕らには何もできることはなかった。


「酷いことす……ごぼぉあ……」


 奥山の胸に風穴があいた。背中から後藤の右腕が、贅肉だらけの胸を悠々と突き破っている。口から血がどろどろと吐き出されて自らのシャツを真っ赤に染めていった。


「奥山ああああああああ!!」


 ダイチが追い付いて、後藤の後頭部めがけてバールをフルスイングする。


 ゴッ――


 骨が砕ける音がして、後藤の身体が真横にふっとんだ。天然パーマが穴だらけの凧のように広がってコンクリートに墜落する。


「おい、しっかりしろ!」


 壊れた蛇口と化した奥山をダイチが揺さぶるも、生存の見込みがないのは誰の目にも明らかだった。

 それをあざ笑うかのように、後藤の身体がビクンビクンと電気的な痙攣を繰り返し、むくりと頭をもたげた。


「あ、あれで死なねえのかよ」


 ダイチがギリと歯を食いしばるも、


伊東いとう君、走らないと。大群が近づいてる」


 瀬尾せおさんに促されて二人は逃げる方を優先させた。

 カズハも必死に走り続けている。


 僕は前を見た。モールまでは本当にあと少しで、先を行くハヤトとモミジがようやく駐車場の縁にたどり着こうとしている。


「ハヤトオオオオ!」


 腹いっぱいに僕は叫んだ。


「手を貸してくれ! このままじゃみんな死ぬ!」

「はぁっ!?」


 なんで俺が! そう言いたい気持ちは山ほどわかる。だけど化け物は、後藤は、こっちの事情なんてお構いなしなんだ。


 ハヤトは金属バットを持ったまま、モールの方や隣のモミジ、僕、そしてダイチを順々に見やった。表情に苦渋が満ちる。


 向こうではダイチがまた後藤の襲撃を受けて必死に応戦していた。後藤の動きは先ほどの一撃で多少鈍っているような気もしたが、それでも人を一撃でほふれる力を持つ相手だ。打ち合うたび気が気じゃない。


「ああくそっ、モミジになんかあったら本当にぶっ殺すからな」


 とうとうハヤトはそう吐き捨てて、足早にダイチの加勢に向かっていった。


「た、助かる。ありがとう」


 その勇気に、本当に今までのことは脇に置いて、感謝の念しかでてこなかったけれど、


「ハヤト! やだ、やだよ!」


 とモミジが一人、癇癪かんしゃくを起していた。見ると、歩き方がおかしい。右足を捻っていたようだ。

 肩を貸そうとした僕の親切を彼女は、


「触んないでよ!」


 とはねつけて、びっこを引きながらも無理矢理モールまで走っていく。確かにゴールまでは無理がきく距離ではあるけれど……。

 その背中を追って、駐車スペースの車列を一つ、二つ、三つ、四つとすり抜ける。向かうのは『B』と書かれた一番近い入口だ。透明な自動ドアに僕らはほぼ同時にたどり着いて、そして思い出した。


 バン!


「開かない。……なんで!?」


 この世界では電気が通っていないことを。


 バン、バン!


 モミジがドアを何度も叩いた。開けゴマとはいかない。おそらく強化ガラスでできているこのドアを素手でこじ開けるのは不可能だ。道具があればいいのか。バールやバットは今まさに交戦中だ。いや、仮に壊せたとしても、その後やつらの侵入を防げない。


「やだ! 誰か! 誰か入れてよ! 死にたくない!」


 モミジが何度もドアを叩きながら泣きじゃくっている。するとドアの向こうから人影が現れた。委員長の金久保かなくぼだった。共用スペースにおいてありそうな椅子を一つ、脚をこちらに向けて抱えている。そしてこっちに走り寄って、勢いをつけてこのドアをぶち破る……のではなく、ポンと静かにその椅子を床に置いた。


「……は?」


 モミジが唖然とする。


 その後も矢継ぎ早に色んな人が交代交代に現れて、机や棚をドアの裏に重ねていった。加賀美かがみ刑事が奥の方で指示を出している様子が見て取れる。つまりこれはバリケードだ。やつらを侵入させないための。僕らは同じく閉め出されたのだ。


「はあ? ふ、ふざっけんな! 早く開けてよ! 開けなきゃ殺す! 殺してやる! あんたら全員!」


 モミジは何度もドアを叩きながら狂ったように叫んでいた。

 僕も頭に血がのぼりかけて、しかし必死にそれを制御していた。

 冷静に考えろ。金久保達はもう中にいるんだ。だから、ここじゃなくて他に入れるところがあるに違いない。


「ユウ! こっち!」


 振り返るとカズハが、瀬尾せおさんを連れながら僕らの右手の方へ向かっていく。この建物でいえば飾り気のない領域だ。大型のトラックが何台か止まっている。……ああそうか、搬入口だ。


「ダイチ! ハヤトも!」


 ハヤトがバットを掲げてカズハに応えた。

 見ればまだ二人は後藤とやりあっている。どうやら今は、停まっている車を上手く使いながら後藤の襲撃をしのいでいるようだった。ただ、無事とはいかないようで、ダイチのシャツはすでに至る所が赤くにじんでいる。ハヤトのバットも少し折れ曲がっているようだ。


「ほら、モミジも」


 そう促すと、彼女は少々バツの悪そうにしながらも、やはり僕の腕を掴もうとはしなかった。足を引きずりながらカズハの背中を追いかけていく。


「ここから入れる!」


 搬入口へたどり着いてバックヤードに入り込むと、奥でカズハがルートを既に見つけていた。その言葉に、生存の希望がぐっと広がる。前後に開閉する大きなパネル式のドアが僕らを受け入れてくれた。カズハの手招きで瀬尾さんが入り、モミジが入り、そして僕。

 よく見るとカズハの足元にはアルミ製か何かの薄汚れた四角い容器が置かれている。周りのトラックから拝借してきたものだろうか。


「なんだ、これ」


 くと、カズハは答えた。決意を込めて。


「これで仕留める」

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