◆砂漠王子の愛は∞(むげんだい)!~風の魔法のアラヴィアン・ラブ~

天秤アリエス

~風の魔法のアラヴィアン・ラブ~

◆◆◆Arabian・prologue◆◆◆

0-0 ツンデレ王女とハレム王子の魔法による奴隷契約?!


 アイラ・ラルフ・ヴィーリビアは遠くから胸に響いてきた声に耳を傾けた。



 ――ねえ、アイラ。世界は、誰かが誰かを愛することで、成り立ってる。意味わかる? そう思うと、この世界も悪くないと思う。



 かつて訊かれた親友レシュロン・バードからの問いの答を、あたしはずっと探している――……



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砂漠王子の愛は∞!

~唇から風の魔法の溺愛アラヴィアン・ラブ~


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 眼の前には大きな虎の置物。随を凝らして神々が彫られた寝台の存在感。

 色とりどりのクッション数個に寄り掛かり、怪しげな煙管を銜えている男はラヴィアン王国、第二王子アル・ラティーク・ラヴィアン。

 砂漠の王子らしく、乾燥気味の髪が優しく夜風に揺蕩っている。


 くゆらせた煙管の香油がやけに甘ったるく、アイラの鼻に悪戯をした。


(なに、この、香り……)


 ふー、と煙管のような吸い口から、緩い紫煙が立ち上る。立ち尽くすアイラの前で、砂漠王子はくっと笑った。


「僕のハレムへようこそ、奴隷。怖がらなくていいよ。ちょっとの辛抱だ」


 頬を撫でられた刹那、視界に桃色の靄が立ち篭めた。


(え? 魔法? ……これ、魔法だ……)


 アイラの国にも、魔法はある。この世界は魔法と精霊でできていて、精霊を使役させて、魔法を使う。ということは。どこかに精霊がいるのだろう――。


 しかし、見当たらない。


『いいんだよ、気持ちを解き放って何もかも忘れて、幸せな気分に浸れ』


 隠された双眸の向こう。子供をあやすような優しい口調にほっとした。


「よし、僕の魔法にかかったな。さて、手を離そう。風景をよく見るんだ」


(魔法? ああ、あたしのチッパイが高鳴って来た……)


 矢先、声音がグッと低くなった。

 アイラ自身がささやかな胸に、愛を込めて呼ぶ〝チッパイ〟が少しだけ膨らんだ気がする。

 ラティークの手が離されると、アイラの前の風景は一気に鮮やかになった。


 ――ここはラヴィアン王国、砂漠の風が通り過ぎる、熱砂の王国。


 時刻は夕暮れ、砂漠の夜は穏やかで、少しだけエキゾチックで気分が高揚する。

 ニヤ、と笑ったラティークの顔が眩しい。

 アイラはラティークの両肩に腕をしなだれかけ、色っぽく、夢うつつに囁いた。


「ねえ、あたしを奪って、滅茶苦茶にして」

「さすがは、〝どんな夜でもお手の物〟の娼婦だ」


 ラティークの乾いた茶色の髪が光に透けた。深い色に包まれた金と緑の瞳、砂漠育ちの割りには焼けていない肌。綺麗な唇が少し開くと、揃った真っ白い歯が見える。


 着用している服は変形させたトーブ。腰にぶら下げているランプも値打ちモノだ。首に提げた鈍い光の石は歴史を感じさせる如く厳かに光っている。肉体も、ハレムを切り盛りする王子らしく、磨かれていて、時折香る匂いも嫌いではない……。


(あ、あたし、何魅入ってんの……!)


「魔法の掛かりが弱すぎるな……さっさと済ませよう」


 ラティークは寝台を軋ませ、アイラに上半身を近づけた。頬を傾けられると、砂漠の薔薇水が香る。ついと顎を指で持ち上げられて、眼を閉じた。


「これが、とどめだ」


 ――キスだ。初めての。どうしよう、どうなるんだろう、どうしよう。


 心臓が爆発したら、世界は終わってしまうのか。揺れた睫が悪戯をする。めくるめく世界はすぐそこ――……。


 アイラの一文字の唇に、すっと冷たい唇が触れた。


 途端に、燃え上がり切った熱が引いていった。



 ――あれ? 何、この取り残され感。



 アイラは眼を開け、まじまじとラティークの虎の眼を見やった。当のラティークはニヤニヤしていたが、すぐにアイラの異変に気付いて首を傾げた。


「急に冷め切った表情になったな……」


 しばし考え込み、間を開けて、「もう一度」とアイラにちゅっと唇を重ねた。やはり胸には広がる虚無感こそあれど、先ほどの高揚はない。チッパイにつむじ風が吹き抜けた。


 ――なに、この趣味の悪い部屋。


 刳り抜かれた窓から、砂だらけの大地が見える。腰のランプは汚れすぎ。


(急に見窄らしく見えて来た。首飾りは古風っぽくて趣味が良くないし)


「どうなってる?」


 低く虎のように唸ってラティークは、ゲンコツでランプを殴った。とたんにモクモクと緑の煙が注ぎ口から立ち昇り、もそもそと光の環になった。ぽわ、と小さな爆発がして、ラティークにそっくりな吊り目の金の瞳がぶつかった。

 緑のフサフサの毛並みを揺らし、背中を向けたそれ。小さな緑の虎が、ちょこんと白い手足を揃え、丸い耳を伏せ気味にしてアイラの足元に座っていた。


(やだ、可愛い! だっこしたい! なに、この生きもの!)


 ラティークは遠慮会釈なく、緑の虎の首根っこを持ち上げた。


「おい、シハーヴ! ど・う・い・う・こ・と・だ。説明してもらおうか! 魔法効いていないぞ! この、半人前精霊!」


 見ていると、緑の虎は暴れてラティークから逃れ、壁を蹴ってくるんと宙返りした。


 髪は薄い緑。よく見ると、肌もほんのり緑の光に輝いている。眼は赤いが、金を混じらせた色合いだ。人ではない。


(まさか、精霊? しかも、子供?)


 アイラは驚愕の眼差しで、虎から人型になった精霊とラティークを交互に見やった。子供の精霊は金の眼にめいっぱい涙を溜めている。


 精霊を使役する行為は、この世界では珍しい話ではない。しかし、子供の精霊は初めて見る。アイラの故郷、ヴィーリビア王国にも同じく水の精霊文化がある。

 精霊を召喚するにはいくつもの規定や、資格が必要だ。重要な規定の中でも、召喚については厳守すべき事項だと『精霊召喚法』にきちんと記されている。

 アイラの国の水のウンディーネ樣の像も、それは見事な熟女であり、母である。

 かつてこの世界は精霊で溢れていた。古代には人と精霊の戦いが幾つもあった。だが、いつからか彼ら精霊は、人間と契約を結ぶ形式を取るようになった。


 子供の精霊シハーヴはだだっ子の口調でアイラを指し、腕を振り上げた。


「だから! こいつに、ぼくの魔力が通じないんだよ! バカ王子!」


 ラティークはキロと虎のタイガース・アイを動かした。


「シハーヴの魔力が通じない? ただのニンフだろ……仕方ないな。もう一度」


(もう一度? 冗談じゃない!)アイラは颯爽と手を上げ、平手打ちの準備をした。


「ニンフだか、ニンプだか知らないけど、やってみなさいよ。きっっつい一発お見舞いしてあげるから」

「おい、助けろっ! 何やら不吉な予感が」


 アイラの振り下ろした腕を焦り顔で掴んだラティークと精霊が喧嘩を始めた。


「誰が助けるか! ラティークのバカ王子! ひっぱたかれちゃえばいいんだよ!」


 精霊はランプに突進し、ぱぁんの音に重なって、ガコ! と蓋を閉めてしまった。


「っつ……」拳で頬を擦るラティークにアイラは堂々と聞き返した。頬を押さえたラティークは今にも食いつきそうにアイラを見ている。


「精霊召喚法、知っているでしょ。精霊との契約は大人の精霊のみと決まっているの! 子供は自我が不安定だから、契約してはいけない。規律、堂々と破って!」


 頬を押さえたまま、ラティークはアイラから視線を逸らせた後、怒られた子供の表情でアイラを睨んだ。


「召喚法? やけに精霊に事情通。精霊を扱えるは一定の王族だけだ。本当に奴隷か疑わしくなって来るな」

「貴方、あたしを買ったでしょうが。ハレムの奴隷として大金出して。ニンフって何?」


 冷や汗で言い逃れた。幸運な話、ラティークは「ふむ」と頷くと、ランプを軽く小突き、アイラに向いた。ほ、と安堵したい気持ちでアイラは眼を閉じた。


 いきなり王女だとばれるところだった。気を引き締めなければ全ては水の泡。


 ラティークはアイラから視線を外し、置いてあった薔薇水を口に含んだ。


「ここでは奴隷をニンフと呼ぶんだ。ニンフとは神のお世話をする者。神とは我ら王族だ。つまりは召使いを指す言葉だよ。風の魔法が効かないニンフか。名前は?」

「アイラよ。ただの、アイラ。そう、そうそう、ニンフ、ニンフニンフ」


 しれっと言い返してやった。睨み合った後、ラティークは楽しそうに微笑んだ。


「そう。僕を叩いた威勢は有効活用しよう。ふふん、暇なハレムの日常の楽しみができた。礼を言うよ。奴隷たちは忙しそうだが、本当に、暇でたまらない」


 厭味ったらしく言い残し、シャッと天幕を閉めた。わらわらと女性が飛び込んで行ったが、一人として自国ヴィーリビアの民の姿は見当たらない。

 散らかった果物の合間にいくつもの書類が見える。いったいこの部屋はなんだろう。


(ラヴィアン王国にて行方知れずになっている、ヴィーリビアの少女たち。失踪には絶対にラティーク王子が絡んでいるに違いない)


 そっと爪先を滑らせ、廊下に出るなり、どっと怒りが湧いてきた。


(虚仮にされた気がする。堂々と規律破りしておいて!)


「なに、あの態度! 風の魔法で心を操らせてる? 神聖な精霊をなんだと思っているのよ。つまんない仕事させて! あたしが精霊なら天罰下すよ!」


 砂ばかりの大地ラヴィアンには、どうやら、アイラと波長の合う水の精霊はいない様子だ。前途多難。でも、不可能なほど、燃えるもの。


 ヴィーリビアの王女の役目は果たして帰る。民、秘宝、親友。手にすべき大切なものはたくさんある上、時間も少ない。ふざけた魔法にかかっている暇はない。


「レシュ、そう思うでしょ。来たわよ、みんな、どこにいるの……」


(この広い宮殿のどこかに、民は囚われている。親友も、秘宝も)


 アイラはやたら広い庭園を見詰め、唇を噛んだ。色合いが激しすぎて、双眸が痛い。色とりどりの装飾なのに、孤独感を煽られる。ラティーク王子との諍いのせいだ。


 一瞬、好みの容姿に見惚れたが、現れた内面は残念と来た。


(まあ、美形は古来より性格が悪いらしいし。ここは期待しないでおこう……)


 それより、精霊召喚法を護らず、子供の精霊を連れているほうが問題。禁忌を犯し、精霊の子供を連れた第二王子なんて多分、ロクな男じゃない。


 手すりを握りしめ、夜にのめり込ませるように上半身を突っ込んだ。



「あたしのドキドキと、ファースト・キス返せ――っ!」



 砂漠に響いた声の先では早くも夜が降りてきていた。

 瑠璃色の空と金の砂漠の間、アイラは半日前の行動を思い返した――。

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