第27話

「早く輸血だ! 準備しろ!」

「出血、止まりません!」

「このままでは心肺停止です!」


 突然の慌ただしさに、俺はがばりと起き上がった。ブランケットが衣擦れのような音を立てて床に落ちる。

 ここは、防衛軍本部に併設された手術室の前の廊下だ。俺はそこのソファに寝かされていたらしい。

 腹部に違和感を覚える。痛み止めでも打たれたのだろうか。そうだ、俺の身体は大丈夫なのか?


「だ、誰か来てくれ! 俺は、いや、自分はどうしたんだ!?」

「そう騒ぐな、石津少佐。君は軽傷だ」


 背後から声をかけられた。


「ああ、柘植博士……」


 振り返ると、微笑みを浮かべた博士と無表情の怜が立っていた。


「一体何が起こって――」


 という俺の言葉を聞き終える前に、怜がずいっと近づいてきた。勢いそのままに、バシン、と俺の片頬を引っ叩く。


「いてっ! 何するんだ!?」

「少佐には、早く正気に戻っていただきたいと思いまして」

「正気って一体どういうことだ? って、うわっ!?」


 再び腕を振り上げた怜を前に、俺は慌てて身をよじる。だが、そんな心配はなかった。


「そこまでにしておけ、怜。少佐、私の口から説明しよう」

「は、はあ」


 そこでもう片頬、怜が叩かなかった方がやたらとひきつるのが感じられた。


「まずは君の身体のことだ。臓器に異常はなし。外傷としては、右頬に僅かにガラス片が刺さっていた。すでに取り除かれて、絆創膏で覆われているが」


 右手をそっと頬に寄せてみる。博士の言葉通り、俺の右頬はジンジンという軽い灼熱感にも似た痛みを訴えていた。

 と、そこまでを思い出して、俺ははっとした。


「羽崎中佐は!? 俺は中佐に首を踏み折られて死んだんじゃ……?」

「防衛軍庁舎内の警備兵が殺到して、中佐をハチの巣にした」

「え? じゃあ中佐はどうなったんです?」

「防弾ベストを着ていたらしい。手術を乗り越えて生き残れるかは五分五分だ。弾丸の摘出手術が難航している。それよりも――」


 博士が何かを言い出そうとしたのを遮り、俺は質問をぶつけ続けた。


「警備兵がやって来たのは何故です? 中佐はオフレコにするために、執務室内のケーブルを切ったのに」

「詰めが甘かったんだよ」


 博士は腕を組み、顔を逸らして手術室前の扉に見入った。


「先ほど警備兵の隊長に訊いたんだが、あの部屋のセキュリティは相当なものでね。一本の監視回線が切断されると、同時に別回線が起動する仕組みになっていたんだ。中佐の悪行はバッチリ監視下にあったということだな」


 俺はふむ、と頷きつつ、次の質問へ。


「ところで今は何時です? 俺はどのくらい意識を失っていたんですか?」

「君が救助されてから約一時間といったところだ。この間に、怪獣の動きは観測されていない」


 ほっと胸を撫で下ろす俺を見て、博士は呆れたようにかぶりを振った。


「な、なんですか、博士? そんな憂鬱な顔をされても困りますが」

「羽崎中佐は、拳銃の初弾は発射したんだ。あの狭い執務室内で、君を殺そうとしてな」


『外すわけがないだろう?』と、博士は続ける。


「君は死んでいたよ。菱井少尉がいなければ」

「!」


 そうか。呆然自失だった俺を突き飛ばし、壁に押しつけたのは彼女だったのか。


「じゃ、じゃあ、少尉は俺の身代わりに!?」


 苦虫を噛み潰したような顔で、博士は首肯した。


「少尉は被弾したんですか? 容体は? いや、でも助かるんですよね?」


 ふーん、と長いため息をつく博士。そのまま視線を下げてしまう。


「どうしたんです? 早く連れて行ってください。少尉のところへ! それとも鎮静剤か何かで意識がないんですか?」

「ああ、意識がないのは事実なんだが……」

「事実で? なんです?」


 無理やり会話の続きを引き出そうとする俺。すると博士は、ふっと息を吸って深いため息をついた。


「さっき、中佐の生存率は五分五分だと言ったな」

「は、はい」

「菱井少尉の場合……。これで助かったら九死に一生だ。奇跡だよ」


 何だ? 博士は何を言っているんだ?


「右の腹部から弾丸が入り、腎臓の片方を破砕してから肝臓を掠め、貫通した。これなら助かる方が奇跡だ、という意味が分かるだろう?」

「な……ぇ……」


 俺は言葉を発するに至らず、呻き声を上げた。


「私から伝えられるのはここまでだ。君も中佐と少尉の生還を祈っていたまえ」


『行くぞ』と怜に軽く声をかけ、博士はその場を後にした。

 その場に取り残されたのは俺ではない。魂の抜けた、俺そっくりの案山子だった。


         ※


 どのくらい時間が経っただろうか。恐らく二、三時間ほどだとは思う。

 薬が切れてきたのか、腹部がじくじくと痛み始めた。臓器に異常はないとのことだったが、これでしばらくは流動食からの栄養摂取を強いられるだろう。

 そんなことをぼんやり考えていると、パシュッ、と音がして、集中治療室のドアがスライドした。看護師が背中をこちらに向けながら退室してくる。キャスター付きの担架を引いているようだ。


「おっと……」


 俺がさっと身を引くと、その先にあるのは第二集中治療室。輸血用の赤黒い袋からケーブルが伸び、担架上で横たわる人物の腕に刺し込まれている。

 運ばれてきたのは、言うまでもなく菱井恵美少尉だ。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 俺は思わず、担架に駆け寄っていた。

 少尉は微かに瞬きをしているが、人工呼吸器が取り付けられて喋ることはできない。


『大丈夫か?』『痛みはあるか?』『欲しいものは?』


 俺は質問を連発したが、それは胸の奥から叫ぶようなものだった。反響して、口から出る頃には、全く人語としての体裁を成していない。

 少尉に付き添う看護師にやんわりと両肩を押さえられ、俺はその場にひざまずいた。


「恵美……!」


 何故、俺が少尉をファーストネームで、しかも呼び捨てにしたのかは分からない。それほどそばにいてほしい人間だった、ということだけは言えるかもしれないが。

 俺は腹部の鈍痛を無視して、両の拳をリノリウムの床につき、わんわんと泣き喚いた。


「あっ、こちらでしたか、石津司令!」


 伝令を務める部下が、俺の背後から声をかけてきた。大股で歩み寄って来る。それに気づくにあたって、ようやく俺は自分が今、どれほど汗と涙と鼻水にまみれた無様な格好をしているかに気づかされた。


「司令、どこかお加減でも……?」


 気遣わし気な伝令の言葉に、再び俺は胸をハンマーで打ち据えられるような衝撃を受けた。今の俺に、他者からの同情や気遣いや憐れみは、あまりにも重すぎる。


 本当は『来るな!』と叫びたかった。『近づくな!』と怒鳴りたかった。しかし、もはや脳内においてさえも、俺は『言葉を構成する』ことができなくなっていた。

 もしかしたら、あまりの自分の弱さに愕然としていたのかもしれない。


 それでも背後から近づいてくる、颯爽とした靴音。俺は思いっきり腕を振り回し、わけの分からないことを口にしながら振り返って迎撃に出た。が。


「!?」


 綺麗なボディブローが、俺の腹部に入った。手加減は込められてはいまい。


「がッ!」


 片膝を立てながら顔を上げる。そこには、慌てふためく伝令、すっと佇む柘植博士、それに自分の拳を撫でる怜の姿があった。


「な……一体、何……」

「海上自衛隊より報告。怪獣が捕捉された」


 事態を飲み込めないでいる俺に向かい、博士は淡々と語りかけた。


「ああ、その前に。今のボディブローの件だが、君に反論の余地はないぞ。羽崎中佐が指揮を執れない以上、司令官は君しかいないのだからな。司令官が泣きっ面では、士気に関わる」


 博士が『ご苦労』と一声かけると、伝令は敬礼してすぐさまこの場を後にした。


「私に、君に対する『命令権』はない。しかしな、石津少佐。君に『義務があるということを伝える権利』はある。それをどう認知するかは君次第だ」


 そう言って博士は背を向けた。スタスタとこの廊下を後にする。


「ああ……」


 床に手を着いて俯いていると、くいっと俺は顎を持ち上げられた。直後、


「!?」


 怜に、唇を奪われた。なんの前触れもなく、警告もなく、通達もなく。

 いや、唇を合わせるという行為に、そんなものが不要であることは知っている。俺とて、僅かな恋愛経験から承知はしている。しかし、その口づけはあまりにも唐突だった。


 俺が何か非難めいたことを口にする前に、怜は微かに頬を染めてこう言った。


「私のアイディアです。私を菱井少尉だと思って」

「な、な……」


 何を馬鹿な! と叫ぶことができればどれほど楽だっただろう。だが、俺にはそれができなかった。

 しかし、口(もちろん『言葉』という意味だ)よりも先に手が出てしまった。怜の胸倉を掴み、自分が立ち上がるのと合わせて無理やり引っ張り立てる。

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