けものフレンズ〜ジャパリパークへの飛翔〜

油絵オヤジ

プロローグ

僕の記憶は、5歳くらいから始まる。

貧しかったが、唯一買ってもらったのがボロボロの図鑑。世界の鳥、というカラーの絵がたくさんあるものだった。

娯楽もなく、数少ない友達が住んでいるのも10km以上先だったから、仕事のない時はこの図鑑を眺めて想いを馳せていた。

中でも好きだったのは、灰色の大きな鳥。一点を見つめている姿がなんだか厳かで、大人が押し付けてくる神さまとやらより、ずっと神聖なものに思えたのだ。

その鳥はアフリカの大地にいるという。いつかアフリカに行ける日は来るだろうか。

いや、子供ながらわかっていた。僕はこの土地から離れることはできない。父さんが決めた相手と結婚して、働いて働いて、貧しいまま死ぬのだ。

しかし、その絶望感は、より大きな絶望によって塗り替えられた。


その日、僕の家はアル・バルーザの襲撃を受け、僕とハサン、カシムは誘拐された。

父母は目の前で殺された。

祖父母、他の兄弟たちもいたはずだが、どうなったかはわからない。きっと殺されたのだろう。

誘拐された僕たちが連れて行かれたのは、訓練キャンプだ。そこで1年ほどアル・バルーザの兵士としての訓練とやらを受ける。

待遇は悪くない。1日2食は食えるし、たまには水浴びもできる。

匍匐前進、撃つ、ビデオを見る。走る、撃つ、ビデオを見る。

そうして6歳になるころには、カラシニコフを手に戦場に立っていた。

カシムはあっさり死んだ。銃を扱うのが一番うまかった。きっと手柄を立てて、腹いっぱい食べたかったのだろう。

ハサンはビデオのじいさんの話にすっかり夢中になり、爆弾を身体に巻き付けて街に行った。神は偉大なり!と叫んだものの、結局スイッチを押せずに撃ち殺されたのがハサンらしかった。


5年が過ぎ、新たな子供が入ってきては、死んでいった。僕と同じくらいの歳の生き残ったやつは、もう大人として扱われ、すっかりアル・バルーザに染まっていた。

仲間たちは、戦友だったが、同時に警戒すべき敵でもあった。油断すれば、背後から弾が飛んで来た。

身に覚えのないことで、売られることもあった。大人たちは、僕らを常に視界に入れていた。裏切りを警戒し、密告させていたのだ。そして密告者は、しばしば戦場で死んだ。傷は後頭部にあった。

ドラグノフをもらったのは、2年前だ。アル・バルーサにはスナイパーがいなかったから、僕の銃の腕は重宝された。スナイパーが一人いるだけで、戦術の幅が広がるからだ。

ドラグノフは狙撃銃としては中途半端で、有効射程も800m。実用的には600m程度だ。けれども頑丈で弾を入れても5kg程度。9歳の僕でも、なんとか担げだ。

スナイパーには、特権が与えられた。部隊とは別行動することが多いから、専用の車とパートナー。スポッターとして着弾修正をするのが本業だが、監視役でもあった。

スナイパーがやろうと思えば、脱走も反逆もできるからだ。僕は必要以上に従順な態度をとり続けていた。

部隊と少し離れた場所に位置し、機を伺う。じっと待つ。撃つ。移動。特にじっと待つのが、僕は得意だった。

スポッターのヤシム が飽きて欠伸をはじめても、僕はじっとスコープを覗き続けていられた。この小さな円形の世界を見ていると、心が落ち着くんだ。

だけど僕は、忘れたことはなかった。

僕は。僕だけは、母さんたちが目の前で殺されたのを忘れてはいなかった。

父さんによく殴られ、朝から晩まで6人の兄弟たちの面倒を見ていた母さん。

母さんを殺した男は、今でも僕たちの指揮官として目の前にいる。

殺すなら戦場だ。


だが、出世したらしい奴は、なかなか戦場に出ることはなくなった。

けれど、戦う相手が政府軍からクルーダ人に変わってからは状況が変わった。

クルーダは、装備は政府軍より格段にレベルが低いが、練度と士気が全く違う。

僕たちは次第に、確実に追い詰められていた。

そして機会はやってきた。

僕が載せられた小型車から、部隊の車列が見下ろせる。少年兵たちのトラックの後ろ、トヨタの中に奴はいる。

「なあ、なんか嫌な予感がしないか」

ヤシムが言う。

こいつはいつも、嫌な予感がしている。だけど僕も、今日はなんだかそわそわしている。奴との久しぶりの戦場だからかと思っていたが、言われてみればなにかが違う。

この道は何度も通った道だ。どこに違和感を覚えたのか。

乾いた大地に、特に変わったところはない。

いや。

向こうの丘。

あの丘に、あんな岩はあったろうか。

スコープを外し、視線を向ける。

ただの岩に見える。

「ヤシム、降車しよう」

「何言ってんだ。命令ではこの先2kmの狙撃ポイントへ急行だろ。俺たちが先行しなくちゃ、部隊への支援がなくなるぞ」

確かにそうだ。だけど、もし。

「いや、停めてくれ。あのブッシュがいい」

その時、こめかみに冷たいものが押し付けられた。

「裏切る気か。俺にお前を撃たせるな」

ハンドルに左手を置いたまま、片手で引き金に指をかける。ヤシムは大人だ。片手で、素手だとしても僕を殺すのに問題はないだろう。それに、この地で引き金は軽い。

僕はこめかみの冷たさを感じながらも、スコープを覗き続けた。

丘の岩から、何か黒い棒が伸び。

光る。

「スナイパーだ!」

数秒遅れの銃声に、ヤシムも慌てて車をブッシュの陰に入れた。

僕はスコープから目を離さない。

「部隊は」

ヤシムが双眼鏡を車列に向ける。

「トヨタが横倒しになってる…」

指揮車から狙うのはセオリーだ。

「ああ…隊長が…」

大口径の狙撃銃に撃たれたのならば、死体はバラバラだろう。ドラグノフみたいなオモチャとは違う、本当の狙撃銃だ。見なくても、仇の最後はわかった。

感慨にふけっている時間はない。敵の狙撃ポイントは、ここから2kmは離れている。敵のスナイパー は凄腕だ。銃声は一度だった。着弾修正も必要ないのか。

スナイパーの視野は狭いから、車列から離れたこちらには気づいていないかもしれない。

「あっ」

身を乗り出したヤシムを、引き戻そうとした。

が、次の瞬間、ヤシムは真っ赤な飛沫となって、僕の顔に降り注いだ。

甘かった。指揮車の次に厄介なのは、同じスナイパーだ。部隊の危機を何度も救った、つまり多くの敵を殺してきた僕は、クルーダのスナイパーにとっても狙うべき標的なのだ。

スポッターを失ったスナイパーは弱い。

敵から目を離した今、移動されてしまえば擬装したスナイパーを探すのは困難だ。逆に僕の位置は露呈している。

すぐさま移動する必要があった。

11歳の子供にドラグノフは重い。

担いで走るのは、機動力を著しく落とすことになる。

だが、これは僕の命綱だ。手放すわけにはいかない。

匍匐して岩陰へ。200m先の遺跡まで行ければ、ひとまず身を隠せる。

だけど、僕は動かない。

200m先までは身を隠せる場所がない。

位置が露呈していても、正確にわかったわけではない。

狙撃には、スコープに敵を捉える必要がある。

太陽が真上に上がった。

待ち伏せを受けた部隊が壊滅していくのを、ただ黙って見ていた。

敵のスナイパーは、あれから沈黙している。丘から移動したとすれば、回り込んで僕を照準できる位置に行くに違いない。

僕を殺せる狙撃ポイントを、頭の中の地図に描く。

丘から尾根伝いに歩くなら、右手1kmの木が3本生えているあたりか。

車を使うとは思えない。砂塵が舞い上がれば、自分の位置を暴露することになるからだ。

日が陰ってきた。

陰の位置も変わる。

カサカサになった唇を舐め、目を凝らす。

ドラグノフには布を被せてある。砂の色と見分けはつかないはずだ。

ただじっと待つ。

動きがあった。

ほんの小さな動きだ。

倍率を下げたスコープの円の中で、黒い棒が伸びた。

倍率を上げたいところだけど、そんな動きさえ悟られるように思えた。

棒の根元を、照準する。高低差、風向きを考慮し、ほんの少し右上を狙う。

息を止める。機会は一度。外せば次の瞬間、僕も赤い飛沫になるだろう。

怖くはない。

絞るように、引き金を押し込む。

銃声。

スコープが動いて敵の姿が見えなくなる。

敵は見ない。すぐに走り出す。日が陰って伸びた影を伝って走っているから、敵から直接は見えないはずだ。

遺跡にたどり着くまで、あと10m。ドラグノフが重い。

ブーン。

蜂の羽音のような音がする。

上を見上げると、そこには小型のドローンがいた。

2秒遅れの銃声を、僕が聞くことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る