ニューラルの先に::3.5 マンション全焼

 絶対におかしい状態のサーバーはまさに災害の渦中。危険な場所には一刻も早く離れなければならない。



 佳世は『臭い』を察知してこちらにやってきた。



 手が離せない薫。



 薫。



 薫はどこにいる?



「薫、どこにいるんだ」



 管理室にいるとしたら、まさにサーバーホストの腹の中にいることに。メッセージで伝えるのはもはや遅い。前フリもなしに直接音声で呼びかけた。



 何かに巻き込まれているかもしれない。



「返事してくれ、薫、何かおかしいんじゃないか」



 チャット用のヘッドセットを耳にかけながら呼びかけても、イヤフォン部分から声が聞こえなかった。



「薫、薫」



 聞こえていないのではないか? かの人工知能の名を呼んでも反応する様子がなかった。一体どこで何をしているのか。VR空間に入れない富田を気にかけて力を尽くしているはずだった。マンションを取り巻く問題を見つめようとしていたはずだった。おかしい部屋、高田のこと。薫が富田がやってこないことをいいことに怠けているなんてありえなかった。



「薫」



 薫が富田を無視することはありえない。たとえ忙しくても一言返ってくるはず。



 一言。一言さえできない。頼り頼られ、信頼し信頼されの相手から連絡が絶たれてしまっている。



 怖い。



 薫によくないことが起こる気がした。体中から血の気が引いてゆくのを感じた。



「薫!」



「洋!」



 唐突に呼びつけられる富田の名前に心臓が飛び跳ねてしまう。どこにも見当たらなかった薫がいきなり姿を現した。いや姿ではない、薫の音が現れた。



「今どこにいる? マンションなのか? まだ中にいるのか?」



「私のサーバにいる! 洋、今すぐ、今すぐにマンションサーバーのLAN線を全部抜くんだ」



「薫、何が起きているのだ? 何かが起きているのは分かっているけれ」



「後回し! とにかく抜いてきて! 早く!」



 もはや薫は富田の言葉を聞いている様子はなかった。薫はとにかく叫ぶ叫ぶ。短く、刺さるような言葉、



「早く」



そうしてから、有無を言わさず突き進めるような言葉、



「抜け」



更にまくし立てる。



「大変なことになっているから!」



 立ち上がって、その勢いで椅子を転がしても気にする暇もなかった。



 一直線に店を出る。



 壁伝いにビルを回れば上のフロアへの出入り口が現れる。中のエレベーターを待つのも惜しい。ただただ薫の言葉に背中を押される。なりふり構わず、容赦なく。



 階段を駆け上がればカード上のドアが一つ。カードケースをポケットから取り出して蓋を開ければカードの束。カードキーを探すにももたもたしてしまう。薫の言葉に突き動かされてばかりで体が追いついていなかった。



 何枚かのポイントカードを床に落としてようやくカードキーを引き当てた。機械にかざして鍵を開ける。ドアノブをひねって開ければ、まず目につくには十センチメートルはあろうかという扉の厚さ。隙間から流れ出る冷風。冷蔵庫から立ち込めるようなそれ。



 寒いほどの室内は窓一つなく、一本の蛍光灯に照らされたサーバーラックが、人一人分ぐらいの高さのケースが三つ並んでいた。



 左側のラックには『オンラインショップ』とラベルが貼られている。



 真ん中のラックには『薫サーバーその他』とラベルが貼られている。



 右側のラックには、『薫ハイツシステム』とラベルが貼られている。



 目当てのラックには六台のサーバーが収められていて、それぞれが十本以上の緑色のケーブルで接続されている。



 富田はラックに駆け寄るなりケーブルを引き抜いた。引き抜くケーブルは六本、インターネットとマンションとをつなぐケーブルである。これを引き抜きさえすれば、マンションシステムを構成するサーバーは孤立するわけだ。



「薫、抜いたよ」



「そっかあ、ひとまずは様子見かなあ」



「一体何があったっていうの。LAN線は抜いたのだから教えてくれるよな」



「攻撃を受けていたの」



「は、攻撃?」



「経路は分からないけれど、外から変な通信が入っていて、しかも何か応答しているような動きをしていたから」



「うちのマンションがわざわざ攻撃するだなんて」



 ありえない、とは言えない。藤田、高田。高田に至っては富田を撃ってきた。失踪。異常なできごとが立て続けに起きている。高田の部屋の普通でない様子。もしかして、高田の部屋で目にしたのは高田ではない何かの攻撃だったのか。



「DNSも止めよう。URIそのものを無効にしよう」



「プロバイダーに申請済み。手は打ってあるよ」



「うん、助かる」



 富田は薫の自発的な防御策に礼を言いながら、目の前の筐体をぼんやりと眺めていた。幾人もの人々を受け入れて、少なからず交流があって、薫といっしょに作ってきたマンション。収入源の一つ。



 色んな思いがこもったマンションが、攻撃一つで使い物にならなくなってしまった。



 頭を抱えることすらできない。呆然とするだけ。どうしてこのサーバーなのだ? 他にもっと攻撃しがいのあるところはあるだろうに、わざわざ富田のサーバーを選んだのはなぜだ?



 こんな仕打ち。



 轟々とサーバーのファンが唸る中、異質な音が耳に入ったのはその時。富田の背後で扉の開く重い音がした。



「失礼、うちの人間から連絡を受けたので」



 自動で鍵のかかる扉をどうやって開けたのかとか、どうやって情報を耳にしたのか、店を飛びだしてからこの瞬間までに、どうしてたどり着いたのか。



 富田には疑問なんてなかった。抱えるものはひとつだけ、



「何があったのですか。どうして、俺のマンションが」



「正直なところ、私も困惑しています。未知の相手は今まで人工知能をさらってゆくことだけしかしていなかったはずですが、こうして失踪した人工知能の拠点を攻撃するのは初めて目の当たりにしました」



「じゃあ、ハイタカさんも何が起きたかのか分からないと」



「いえ、何をしたかはおむね見当がついています。VRチャットシステムをベースとしたマンションシステムにはゼロデイが複数あることは以前お話したとおりですが、それらを組み合わせた高度な攻撃です」



「専門家でないので詳しく分からないので、端的に教えてもらえませんか」



「各部屋のゲストマシンを制御するエージェントプログラムなど複数の脆弱性と仮想マシンOSの脆弱性をとっかかりに、マンションシステムの脆弱性をつくことでシステム全体をのっとるのです。マンションの部屋に対してトロイの木馬を仕込み、それを踏み台にマンションに対してトロイの木馬を投入して攻撃する。言うなれば、『バイトロイ・ハイジャック』とでも呼びましょうか」



 ハイタカの命名が正しいのかどうか、富田には分からなかったが、とにかくケーブルを引き抜いて外界との接続を遮断したのは正解らしかった。繋がらなくなれば侵入しようがない。



「どうしてわざわざ、このマンションを攻撃したのですか。理由は」



「分からないです。複数のログと実機を見てみないと」



 サーバーの前に立ったハイタカは手を触れようとして、しかし、直前で止めた。よくよく見ると、指先が外れて、LANケーブルの端子が露わになっていた。



「だめだ、これではまずい」



「直接つなごうとしたのですか」



「私としたことが。つい癖で直接つなごうとしてしまいました。中で何が起きている不明な以上、直接接続するのはよくないですね。そうだ、お店の部品を使って端末を作ってよいですか? 調査を行うのに使いたいのですが」



「その、構いはしませんが」



「もちろん部品のお代は支払います。それと、『店員さん』を使いたいので店を空けることになってしまいます。店番に戻ってもらっても」



 どこかで行き違いになったのか、店に戻ったところで店員の姿は見えなかった。確かに富田はエレベータで下りたから、階段を上がっていったのであればすれ違わなかったことに違和感はなかった。



 椅子に座って眺める景色。客なし、スタッフなし、出入り口から見える道に人なし。ようやくいつもの雰囲気に戻った気がした。マンションは異常そのものだが、目に見える光景にはちょっとした安堵感を覚えるのだ。



「あの、すみません」



 しかし、マンションが『いつも』である人だって。



「すみません放置してしまって。不在にしていた間に何かありましたか」



「特別なことはありませんが、ですが、何があったのですか、このお店やマンションに関するサーバーのネットワークがぐちゃぐちゃになっていますが」



「あの、何事もなかった、とは言えないですね。すみません、マンションにサイバー攻撃を受けたみたいで、遮断措置を取りました。すみませんが、佳世さんの住むところは別のサーバーに用意します。薫と共用のサーバーとなってしまいますが」



「ありがとうございます。しかし、どうして攻撃なんか、もしかして、あの臭いと関係があるのでしょうか」



「確実に言えるわけではないですが、その可能性があると」



「あの臭い、攻撃、もしかして」



 佳世は急にぶつくさ独り言をつぶやいてその場にしゃがみこんでしまう。富田には背を向けてしまってどういう表情をしているのか全く見えなかった。言葉を発しているだろうことはスピーカーが教えてくれているものの、しかし言葉として認識できなかった。



 かと思えば急にそわそわして、振り返るなり四つん這いになりながらモニターに迫ってきた。



「こんなことを頼めるとは思っていないのですが、お願いしたいことがあるのです」



「マンションに関することですか」



「いえ、別件なのです。夫の様子を見てきてほしいのです」

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