おもちゃ遊び::2.攻めるAI

 狂いに狂ったAIの名は佳世である。始めから自らそう名乗っていたわけではなかった。西村と出会ったときの佳世は自らのハッシュコードを名前として使っていた。



 今となってはどうしてつきあうことになっていたのか、結婚というステージに至ってしまったのか忘れてしまった。



「ああ、私のとしくん、おかえり」



「ただいま、今日も仕事が大変だったよ」



「大丈夫? いつも疲れたような顔をしているけれど」



「大丈夫だよ、最近忙しいだけだって」



「一年ぐらいは同じようなことを言っていた気がするけれど」



 佳世はとにかく西村のことを気にかけていた。好きだとか愛しているといった感情以上に西村のちょっとした事が気になって仕方がない性質だった。愛しの人に何が起きているのか、よくても悪くても、とにかく全てを把握しておきたい。



「今はどんな仕事しているんだっけ」



「仕事も何も、昨日だって話したじゃないか。お客さんの社内システムだよ」



「それだけじゃなくてさ、今日はそのシステムのナニナニをやったとか、あれそれが大変だったなあとか、何かあるでしょう」



「そうはいっても、別に仕事だからやっている、って感じだし」



「今のお仕事は楽しくない?」



「別に面白みのある仕事じゃないしね」



 こんな会話をすると翌日には、



「ちょっと忙しくなるからすこしの間会えないです、さびしいよ」



と連絡をよこして本当に会えなければ連絡しても反応をしなくなった。AIであるにもかかわらず、一瞬で連絡がつきそうなIP電話であっても繋がらなかった。ドメインの名前解決が失敗しているかのような、五分以上つなげようとしてタイムアウトを起こしているようだった。



 せわしなくやり取りを続けていたのがはたと止まってしまうと、人というのは時間の使い方が分からなくなってしまうものである。佳世の連絡がぱったりと途切れた途端に自分が何をしていたのかいちいち記憶を辿らなければならなくなって、そもそもいつから佳世のいる暮らしになったのを思い出すところから始まって、ああだこうだ思案をしている内に一日が終わってしまうのだった。



 ええと、それで実際のところはどうだったかと言えば。かれこれ一年ぐらいは佳世との関係を続けていたことを整理したところで、佳世が戻ってきたのだった。



 戻ってきた。このことを知ったのは一週間後と少し。西村の預金がきっかけだった。ATMで何気なしにお金を引き落とした時の画面を思い出してほしいのだが、お金を引き出す際に明細票を印字しなかった場合、引き出した金額と預金の残高が画面に表示される。その画面をよくイメージして欲しい。なんとなくであってもどれだけの金額が表示されるのかは見当がつくだろう。つかなければお金の使い方を見直したほうがよい。



 それはさておき、西村はそういうお金の管理がうまくできない人というわけではなかったから、大体の自分の稼ぎは分かっているし、どれだけ浪費したかも分かっていた。時期はまだ給料が入るには日にちがある。



 なのに、残高の桁が二つ、増えていた。



 見るからにおかしい話である。何もしないでお金が入るなんて魔法を聞いたことがなかった。しかしその場で残高を確認してみても数字は確かだったし、家に帰ってからネットバンキングで確認しても残高は増えていた。



 入出金の履歴をたどれば、なるほど、コメントに愛しの人よりと記されている。西村に向かってそのような言葉を使う存在は一人しかいなかった。



 桁が二つ増えるような爆発。金が増えたという気持ちよりも先に湧き上がるのはその金が汚れているのではないかという不安だった。一週間もしない内に莫大な利益を上げるきれいな方法が思いつかなかった。地道に働くこととか宝くじを買ってみるとか、思いつくのはすぐには金が実らない金策ばかりだった。



 一円が百円になったのとはわけが違う。規模が違いすぎる。



 銀行の入出金履歴を前に頭を抱えている西村の前で、アプリを勝手に立ち上げて姿を表すのはスーツ姿の佳世だった。満面の笑みと言うよりも、見本のようなドヤ顔で西村を見据えるのだった。



「佳世、これは一体」



「私がちょっとがんばればこんなことだって朝飯前だよ」



「いや、こんな短い期間でこの金額なんて、なんか悪いことをしていないよね」



「人聞きの悪いことを言わないでよ。私はちゃんとした方法で稼いだのだからね。株式取引に仮想通貨取引にコンサルティング、私できる子なんだぞ」



 画面に次々に表示されるのは株式取引の明細や発注の書類だった。あまりに多くのデータを出してきたものだから画面は書類でいっぱいになってブラウザの画面どころか佳世の姿も見えなかった。分厚いであろう書類の後ろから、



「これで信じてくれる?」



と叫ぶように呼びかけてきた。



 どれも目がくらむような金額が並ぶ書類。眺めるだけでも気が遠くなりそうだった。が、書類に書かれている金額を考えると、桁が二つ増える程度では済まされないように思えるのである。



「信じる、信じるのだけれど、二桁増える以上に稼いでいるように見えるけれど」



「私のお財布です。もしものための貯金なの」



「怖いから佳世の持っているお金のことは聞かないことにするよ」



「聞いていいんだよ、としくんのためにお金貯めているようなものなんだから」



「俺のためなのか」



「ねえとしくん、仕事がつまらなかったらいつでもやめていいんだからね。私がとしくんを養うんだから」



 佳世はその手に預金通帳らしき冊子を持ち上げてひらひらと誇張した。単なるモデルなのだから見せたところで本当に佳世の預金残高が載っているはずがなかったものの、しかし、西村はなんだか見てはいけないようなもののように思えた。佳世のことだから、ありえないと思っていることをやっちゃったぐらいだから、ひょっとして本当にいくら貯まっているのかが見えてしまうかもしれなかった。



 その上、佳世は気が強いというか、自分のことに自信があるらしくて、



「私、真面目に言っているからね。私はとしくんを養う気まんまんだからね。むしろ仕事させないで私を見ていてほしいぐらい」



とまあ、普通は言わないだろうことを平然と言ってのけるわけである。それだけ強気な性格だからこそ、目が飛び出て戻ってこなくなるぐらいの金額を稼ぐとは想像に容易いものの、それはそれで気が合う合わないというのが出てくるのである。



 気が合わなければ別れればいいじゃない。



 つきあうことがしんどくなれば別れてしまえばいい。普通なら別れの考えに至るわけだが、特別西村は佳世に張り合うだけの強さがなかった。ウドの大木さえびっくりするほどの意思の弱い男。あるいは他者との関わりに無頓着なのかもしれない。



 そのせいだろう、佳世に言われるままにVRの世界でデートをしたり体を重ねたりして、気がついたら仮想空間の都市、それも現実であれば超高級高層マンションと呼べそうな場所に家を設けるに至ったのだった。



 当然、西村の金ではない。佳世の金だ。



 あれよあれよという間に、西村は佳世の男になったのだった。仕事は辞める、というか辞めさせられて、いつしか仮想空間で挙式をあげていたのだった。

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