挙式当日::5.それでもなお

 ユーカが使っているVRモデルのバグの類だと思っていた。どこかで想定していないプログラムロジックに入りこんでしまったがために、ぐちゃぐちゃな感情表現をしてしまっていると考えていた。



 よっぽどびっくりさせてしまったのだろう、吉澤の認識はその程度だった。だからいつしかもっとおかしな動きをしてフリーズするなり異変に気づいたユーカが一旦ログオフするだろうと見立てていた。



「ねえ、もしかして不具合が起きてない? 一度ログインしたほうが」



「いえ、これでいいの」



 徐々に頬の色合いが落ち着いてゆく。一方で目尻からの異変は収まる様子がなかった。止めるすべを失った蛇口のよう、細い一線が絶えず生み出されていた。



 これでよい? ユーカの言葉が意味することを吉澤は理解できなかった。VRショッピングモールでのやり取りを思い返したところで、涙を流す状況が、頬を赤らめることが正しいといえる状況が、結果として正しくなるわけがなかった。リセットが必要だった。



 吉澤の考えに抗うようにユーカはその場から動かなかった。ハンバーガーを食べるのはやめていたから、余計に不思議に映る。気にする必要がないのであれば食べ続ければよいのに。吉澤の言葉を否定してからずっと下を向いてしまっている。



 ぽたぽたと垂れる涙を見せつけられるばかりだった。



 VRモデルのバグとは異なる何かを感じた。ようやく。VRモデルの動きが正しいのだとしたら、ありうるのはモデルの先にいる人が『そのような状態』になっているか、そう仕向けているのか。吉澤が思い当たるところは、どちらにせよ、生身の本体に何かがあったということだった。



 なおさら仮想現実の中にいるべきではない。彼女は元の世界に返って大人しく体を休めるべきだった。買い物をしているなんて悠長なことをしているところではなかった。今日のイベントは中止、健康第一。



「あの、やはり、今日は一旦帰ったほうが。具合が悪いのでは」



「そういうことでもない。違うの」



「でも、そんな泣いているなんて、どこか痛いとか辛いとか」



「ある意味ではそうだけど、そうじゃない。そうじゃないんです」



 否定している声がすでに隠せていなかった。何かが起きている。吉澤が見えているけれど、吉澤の見えていないところで事件が起きている。ユーカの身に。



「じゃあ、何が起きている? 俺に教えてくれないか」



「幻滅してしまうかも」



「どうして」



「私は吉澤さんの思っているのと違うから」



「俺が思っているのと違う?」



 ユーカは答えなかった。立ち上がるのはどうしてだろう、吉澤の方に近づいてゆくのは理由があるのだろうか。言葉を発せずにすっと吉澤のもとに歩み寄ってくる意味は。どうしてそんな虚ろな目をしているのか?



 VRのモデルごときが、このような高度な表現ができるわけがないだろうに。



 ユーカが吉澤の手を取った。包みこむように両手ではさむのだ。脚の疲れと同じく、触っている感触が現実感を醸し出すものの、温度の感覚はなかった。



 ユーカの匂い。ほんのり甘いような、そんな香り。



「私の手、分かるよね」



「ん、俺の手を持っている」



「感触はどう?」



「感触って言われても。そうね、柔らかい気がする。でも張りがあって、程よく硬さもあって」



「温度はどうですか」



「とても冷たい。冷え性なのかな」



「冷え性なんかじゃない。私は冷たい」



 冷たいのに冷え性でないというのは。そんなの無限の可能性だ。たまたま冷たい水を扱っていただとか、寒いところにいるとか、考えられることはたくさんある。それなのにどうしてそれほどまでに辛い顔をしているのか。



 ユーカの悲しみが。手の冷たさが。



「私には体温がないんです。私は人じゃないんです」



「人じゃないのなら何? 俺の目の前にいるじゃないか」



「私は人じゃない、電脳の中でしかいられない、AIなのですよ。だから吉澤さんの前にいるこのモデルも、チャットでやり取りしていたことも、ボイスチャットも、人でない私がやっていたこと」



「だからなんだって言うんだ。俺の目の前にユーカがいるじゃないか。お前はユーカなのだろう? 違うのか?」



「私はユーカです。でも、人じゃない。こうやって親切にしていただくことが、私を辛い気持ちにさせるのです」



「ユーカはユーカだ」



 包む手を掴む動きは乱暴そのものだった。相手のことを考えない、手を引き離したときに痛くないだろうかと心配する様子はまったくなかった。腕を払ってがら空きの正面。すかさず脇に腕をひっかけて抱き寄せるのだ。



 何も考えていない、わけではないが、何を考えているか自分自身でも分かっていなかったし、それ自体を考える余裕もなかった。



 ユーカ。



 頭の中にあふれ出すユーカ。



「ユーカはユーカだ。人間だとかAIだとかどうだっていい。ユーカはユーカ。一緒にいて幸せな気持ちになれるし趣味とか好きなことも似通っているし、苦しい思いをしているのであれば一緒に苦しみたい、和らげたい」



「吉澤さん、何をしてるん」



「目の前でそんな顔されてはっきりした。俺はね、ユーカのことが好きなんだって。AIとか人間じゃなくて、ユーカそのものが好きなんだって」



「いや、でも私は人間じゃないから恋愛なんてできない」



「いいや、してもらう。前に保留にしていただろ? ほしいものができたら教えて欲しいって」



「やめてください、その言葉を聞いてしまったら私は」



「俺はお前が欲しい、ユーカ」



「私は、私の気持ちを抑えられないじゃないですか」

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