第8話 突入

点滅する誘蛾灯を横目に、遠藤は握り飯を口いっぱいにほうばっていた。澄川はその異様な光景を黙って横目で見ている。

 部下の澄川とともに、嘉瀬たちの足取りを探っているが幾分か苦戦している様子だ。隣で煙草を吸う澄川と二言三言話した後、咳払いを一つして車から出た。街灯に照らされて赤い新車が眩く光る。

 ガンマンみたく、車のキーを人差し指で回すと闇に包まれた暗い建物に足先を向けた。

 「おい。澄川行くぞ。」

 夜の静寂を打ち破るように遠藤は声を上げた。わかっているがいざとなると腹を決めるには勇気がいる。澄川は渋々、車から出てきた。面には嫌そうな表情を露にしている。顔は所々、蒼白になっている。

 「冗談きついっすよ。いくらなんでもヤクザの事務所に乗り込むなんて。」

 澄川は溜め息を吐いた。おおかた、こんな仕事に就かなかったらよかった等と考えてることだろうが遠藤は気にせず、真っ直ぐな目で歩いていく。

 「ガチで行くんですか。相当ヤバイですよ。ヤクザって一つの事務所に大勢いるんでしょ。たった二人で乗り込むなんて敵の懐に潜り込んでいくよううなものです。無謀ですよ。」

 しきりに澄川は嘆いている。これだから困るのだ、おぼっちゃんは。遠藤は引きづってでも連れて行こうと思った。

 「こっちだって公務員だ。あっちも収拾が面倒だから、そう簡単には俺たちを殺さないだろう。」そして添えた。「念には念を入れろだ。いつでもハジキ(銃)は出せるようにしとけ。」

 澄川の顔が一層、こわばった。まだ経験が浅いだけあって、こういう類の捜査には慣れていないのだろう。そんな言葉を交わすうちに、例の建物の前についた。

 一階が銀行になっていて、二階はメンズエステ、三階が事務所になっている。計、三階建てだ。誰でも金さえ出せば、入れる雑居ビルのような感じである。それにしてもヤクザを最上階に潜伏させるとは、ビルの管理者も無神経な奴だ。裏手にまわると幅の狭い階段があった。一人がやっとの幅だ。

 しかたなく薄暗い階段を上る。直に見えてきたメンズエステは営業停止貼り紙を店の扉に貼ってある。店内はガムテープやベッドシーツが散乱しているようだ。とくに遠藤は興味を見せることもなく、ちらっと一瞥すると黙って、階段を上っていった。慌てて、遠藤の背中を澄川が追いかける。

 重いドアが軋みながら開いた。もっとも庁の資料室のドアよりはたてつけが悪くはなかったが。

 「早く来い。」

 そう謂いながら遠藤は手招きした。

 「ペースが速いんですよ。遠藤さん何処で鍛えてるんですか。」

 しんどそうに息を切らしながら、澄川は肩で息をしながら、たどたどしい口調で謂った。よっぽど疲れているようだ。週四でジム通いだと胸を張って謂ってやりたかったが、あいにく今、そんなことをしている場合ではない。

 事務所のドアには黒い幕を垂らしているのがわかった。隙間から事務所内の光がうっすら漏れていた。

 「中に居るみたいですよ。やっぱりやめましょうよ。」

 澄川が囁いた。遠藤は馬鹿と怒鳴った。

 「ここまで来て帰れるか。なあに中に入ればこっちのもんだ。そう、おどおどするな。」

 澄川の恐怖心を和らげようと柔らかい口調で謂うのだが、逆効果になってしまった。

 しかたなく、遠藤は一人でドアに近づき、ノックをした。澄川の表情が変わる。恐怖心というよりは絶望に近い顔つきである。中からなにやら、しわがれた声が聞こえた。

 ドアノブをひねった。ドアは思ったより軽く、スムーズに開いた。

 「こんにちは。警視庁組織犯罪対策部の者です。」

 遠藤がまず先に口を開いた。中は意外と綺麗で漆喰の壁に富士の絵が飾られていた。

 ドアの側に立っていた顎鬚を生やした初老の男が手招きして、遠藤たちを呼んだ。遠藤は男の背中を追いかけた。肩を竦めながら、おぼつかない足取りで澄川も遠藤の背中を懸命に追いかけた。

 二人は応接室のような場所に通された。初老の男はいつの間にか消え、反対側のドアから烏龍茶の入ったウォールグラスを三つ盆にのせた化粧の濃い女が出てきて、グラスを机上にのせると、二人に踵を向け部屋を出て行った。歳は30歳後半といったところか。

 「妙に待遇がいいですね。普通、警察なんて毛嫌いするはずじゃないですか。このお茶に睡眠薬でも仕込んでるのかな。」

 澄川が耳打ちした。口調は慣れたのか、いうほど焦っている様子もなかった。

 「そら、俺たちのことは内心、嫌いだろうな。まあ顔に出さないだけだろ。」

 遠藤が返した。口調はゆったりと落ち着いていた。

 そして、しばらくの静寂が訪れた。この状況じゃ、話をするのも難しいだろう。盗聴器か何かが仕組まれていたら、下手に喋れば危険を生むだけだ。珍しく二人の判断は合致したのだ。

 ふと視線を落とすと、ドア底で不気味な影が蠢いていた。扉の向こう側にはきっと、誰かが居る。遠藤は確信した。

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