第5話 聖女の遺したモノ




 たたき起こされ、目をこすりながら相手を見れば、頭の上に三角の形をした耳を生やした兄専属の使用人――ララリィが強張った表情で僕を見下ろしていた。


「早く起きてください」

「なにかあったの?」


 我ながら白々しいと思いつつ、いつものように質問すればララリィは言葉を濁した。

 ララリィは兄に、何故かよく鞭で打たれている使用人の一人だ。


 以前兄に「どうして使用人に酷いことをするの?」と聞いたら、ララリィの髪の毛を掴み、頭を上げさせ、喉元に舌をわすと、舐めながら「貸してやろうか?」と言われ、それ以降なんだか怖くなって、兄の使用人たちとは距離を置いていた。


 兄専属の使用人が、僕を起こしに来るなんてことは通常ありえない。

 彼女たちは兄の命でしか動かないし、父や母や姉が嫌がるので、家の中で顔の横に耳がある僕と同じタイプの人達に話しかけることはしない。

 それが、この部屋にまで僕を起こしに来た。それだけでも、かなり状況が切迫しているのがわかる。


「昨晩、いろいろありまして……複雑な状況です。旦那様は今朝早く王宮へ立ちました」

「へぇ、そっかぁ」


 どうせ王へ儀式失敗の弁解でもしに行ったのだろう。儀式の失敗はかなり致命的だ。

 召喚する日付はいつでもいい訳ではないし、媒介にそれなりの金銭をつぎ込む。出資先はもちろん国なのだから、失敗など許されない。

 ララリィに先導されながら、食堂へ着けば、案の定、空気はぴりぴりとしていた。不機嫌そうな家族とは反面、僕の口角が自然と釣りあがりそうになるのをぐっとこらえ、朝食に手を伸ばした。


「お前のせいだろ、レオナルド」

「いいがかりはやめてよ兄さま」

「見たんだぞ、お前が儀式の前あの部屋からこそこそ出てくるのをな」

「何のことかわかんないや」


 すっとぼけながら、朝食に出された野菜を口に入れれば、僕の態度にイラついたのか

 ドンッ、と兄がテーブルを拳で叩き、僕を威嚇するように睨み付けてきた。


「あの女にそそのかされたんだろ」

「聖女様だよ、そんな呼び方失礼だよ」

「穀潰しのことを聖女というなら、そうなんだろうな」


 あまりの言い方に、かあっと頭に血が上り、握った拳がワナワナとふるえた。だが拳を振り上げたところで僕の身長じゃ、兄の肩にすら手が届かないだろうし、ボコボコにされてしまうだけだ。

 僕はさっさとこの不快な空間から出てしまうことを決めた。


「失敗したのは誰かさんが、下手くそだったからじゃないかな?」


 フンと鼻を鳴らし、食堂を出た。

 以前兄の使用人たちが兄のことを、下手くそと笑いながら言っていたことを聞いたことがあったのだ。兄を馬鹿にするように言った言葉は、兄を腹立たせるのには十分だったのか、扉を閉めた後すぐに、食堂の中からガシャンと何かが割れる音と、金属を床に落としたような音が聞こえ、激怒した兄の唸り声が聞こえた。


「レオナルドォオオ!!」


 さすがにまずいと思い、全速力で部屋に戻り、扉を閉め、部屋の中に立てこもれば、扉が蹴破られた。

 砕けた木片が飛び散る向こう側に、身体を魔法で肉体強化し、青白い魔術反応の光を湯気のように舞い上がらせた、鬼のような形相の兄がそこにはいた。


「なっなんだよ」


 鋭い目で僕を睨みつける。

 肉体強化の魔法を解こうともしない兄は、ゆっくりと近づいてくる。


「そもそも、気に入らなかったんだ

 お前一人だけ、特別のように聖女に会いに行くのを父に止められなかったことも

 お前一人だけ、聖女の遺産を貰っていることにもな」


 そういいながら兄は僕の部屋の奥にある、聖女様の遺品である木製のトランクへと近づく。


「やっやめてよ」

「父上は放っておけとおっしゃったが、あの女はお前にどんな入れ知恵をしたんだ? どうせ指示でも渡されてたんだろう!!!」


 蹴り上げるようにトランクを開くと、兄はその中から本を取り出して捲った。

 表紙に題名は書かれていないが、あれは召喚の術式について詳しく書かれていたものだったはずだ。まずい、重要機密のため書かれている言語は聖女様の国のものだが、術式の呪文や記号を見れば、頭のいい兄でなくても、その本が何を表しているかをすぐに理解するだろう。

 そしてバレてしまう。

 兄の言った「聖女の言葉通り僕が行動している」という憶測は、まさしくその通りであることを。


「かえして! かえして!」


 本の内容を理解してしまえば、きっと聖女の遺言といえども、すべてを取り上げられ焼かれてしまう。手紙一枚残らず、きっと灰しか僕の手元には残らないだろう。

 あの本たちは、彼女が僕を思って遺してくれたものだ。取り上げられるわけには、いかなかった。


「なんだこれぇ……?美味しいドーナツの作り方ァ? それにレモネードの作りかた?」

「……え?」


 何を、言っているんだ?

 そう兄の顔をいぶかしげに見れば、兄もわけが分からないという顔で本を凝視した後、他の本を次々と手に取り、ペラペラとページを捲ってゆく


「効率のいい掃除方法に、美味しい野菜の選び方……

ハハッ、これがお前を想い遺したものか、ばかばかしい。お前にぴったりだよ」

「なんの、こと……?」

「あぁお前は出来損ないだったな、家庭教師が言っていたのを忘れていたよ、初期魔法すら指示通りに使えないってな。ほぉらこの本には部屋の掃除方法が載ってるんだよ。まだ文字も読めないか?」


 そういって、兄は僕に【聖女様のいた世界の歴史の本】を広げ、僕に見せ付けた


「ゴミは決められた箇所にだってよ、これからは使用人じゃなく、自分でしたらいいんじゃないか?」

「兄さまには、コレが、そう見えてるの?」


 僕の目には歴史の本にしか見えない本は、兄の目から見れば掃除の本に見えるようだった。

 ぞわりと、肌が粟立つ。どういう原理かは分からないけれど、これが聖女様の魔法によるものだということは明白だったからだ。聖女様は僕の身を守るため、僕からこの本を奪わせないように、他者には、興味のないような事柄を本として見えるようにしたのだ。


「お兄様、弱いものいじめはやめたら?お父様が帰ってきたわよ」


 姉が扉からひょっこりと顔を出し、兄に向かって言った。兄は興味なさげに本を放りなげると、父を出迎えに行ってしまった。


 残された部屋の中、兄の放り投げた本を広げた。

 今までは気づかなかったのだが、表紙の裏の見返し部分、気にも留めない場所に小さな文字で『歴史』と『効率の良い掃除方法』という項目があり、その下に文章が続いている。僕はその文章を読み上げて行く


「異世界人召喚制度に疑問を持つ者にだけ、本来の内容を示す。


ダミーの内容が読みたければ、上の読みたいタイトルに触れること……」


こんな魔法は聞いたことがなかった、誰かの思想に基づきそれらを反映させる魔法なんて、家庭教師や家族、誰からも聞いたことがない。

僕はその先に書いてある文章も続けて読み上げた


「あなたが、正しい世界と未来を描けますように……」


まるで聖女様が僕の耳元でそう言った気がして、目元が潤んだ。


説明文に書いてあるとおり、『効率のよい掃除方法』タイトルに触れば、本の内容が兄の見ていた内容へと書き換わってゆき、僕にも読めるようになった。



 原理はまったく分からなかったが、

 僕以外の人間にとっては、それほど重要ではない本。それも貴族が一切興味がない内容ときたものだ。

 本来の検閲されるであろう、聖女様の居た世界の歴史の内容への擬装カモフラージュとしては完璧であった。




***



 大貴族のモリス家が異世界召喚に失敗したという知らせは瞬く間に国の貴族並びに上流階級へと広がっていった。

 貴族たちや上流の教会関係者もこぞって噂話に花が咲く。なんといっても、かの大貴族モリス家の始まって以来の大失態。それを起こしたのが希代の魔力を持っていると言われ学生時代は、王族でも見初めることができないと言われるほど人気だった現当主、ファザリスのしたことなのだから、噂が広まるのは早かった。


「ただの失敗じゃない、なんでも大失敗だとか」

「あの後継ぎが? 素行が悪いって聞きましたわよ?」

「いや儀式は現当主中心だったとか」

「まぁそれは大変」


 ニヤける口元を扇子で隠して目じりを下げ、さも心配気な振る舞いをする。

 ここが神聖な王都の中央教会であろうとも、お構いなしだ。


 その噂好きの淑女たちの横を通り過ぎる、法服を着た小さな少女がいた。

 少女はこの国には珍しく、真っ黒な瞳をしていた。まるで新月の空のような濃ゆい色の瞳に、教会のロウソク灯りが反射して、満天の星空のようであった。

 小さな唇はピンク色で愛らしいが、日に当たっていない肌は白く、生気がない。


「ひぃっ」


 少女を一瞬幽霊のように感じたのか、噂好きの淑女はビクリと怯えた。


「いるならいるっていいなさい!」

「す、す、み、ま せ」


 しどろもどろの声で少女は答えて頭を下げる。


「まったく突然現れるなんて、まるで吸血鬼ね、まったく、さっさと行きなさい」


 シッシと小動物を追い払うような手に促されるように、少女は出口に向かう。

 満天の星空の瞳はインクを垂らしたように光を灯さない黒に、ピンクの唇には、食いしばるように歯を立てたことで皮膚から浮き出た赤い血がにじんでいた。





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