第五章・ここはマホウの世界~ARURU‘s view⑥~

 地獄……。

 

 本当にそんなものが存在するとしたら。


 そこは紛れもなく地獄だったでしょう。

 

 辺り一面の赤。赤。赤……。

 

 鮮やかで瑞々しいものもあれば、黒みが混じって乾いたものもあります。

 

 ゆらゆらと揺蕩うように揺れるものもあれば、柱のように天に向かって一直線に伸びるものもあります。

 

 姿も形も性質も違えば、立場も尊厳も抱く信念も信じる善も悪も何もかもが違うものも。

 

 ただそこでは等しく赤。

 ただただ赤。

 どこまでも赤。


 有象無象に悲喜交々。思惑、目的、感慨、感情、複雑に入り混じるその場所にあって。

 

 色だけが唯一、まがまがしく塗られた赤によって統一されていました。

 

 地獄……。

 

 それは一部の信仰をのぞき、≪幻世界とこよ≫には存在しない『死後の世界』という概念です。

 

 人の死。魔物の死。物体の死。物質の死。

 

 あらゆるものの根源が魔素によって構成されているこの≪幻世界とこよ≫において、死とはつまり輪廻の環の中に還ること。

 

 世界のどこかで今もなおこんこんと湧き出でる魔素の源泉へと還り、また新たな何かへと組み込まれ、再構築されて野に放たれるのだとされています。

 

 ようするに命の循環です。

 

 定められた環の中でのみ完結された閉ざされた生と死。

 

 まるで、先ごろ話題にあがったヘビや蝶々が象徴として内包した不死性のようなシステム。

 

 しかし、もちろん≪幻人とこびと≫が不老不死であるわけではありません。

 

 不意なものでも、故意なものでも。

 

 熾烈で苛烈なものでも、眠りの延長のような静かで穏やかなものでも。

 

 死は等しく死。

 

 死が死であることに何ら変わりはありません。

 

 親を亡くした子供や、子を亡くした親。

 

 そうでなくとも大事な誰かを亡くし、涙する人に向かって『あなたの大切な人は死んでしまったけれど、きっと何かに生まれ変わって生きていますよ』などと安易な慰めをかけるような無神経な輩は張り倒されても仕方がありません。

 

 血は血として流れます。

 傷は傷として刻まれます。

 

 その別れは永遠に。

 その悲しみは深遠に。

 

 死は死として確かに存在しているのです。

 

 ……しかし、その場所に限って言えば。

 その赤い街においての死に限って言えば。

 

 立ち込める気配の濃密さにしても満ち満ちた濃厚さにしても、明らかに異質なものでした。

 

 流れ過ぎた血は川となり、湖となり、そして大海となって地面を埋め尽くしています。

 

 命あるもの、無いものを問わず刻み付けられた傷はどれをとってもあまりに深く、あまりに致命的で致死的です。

 

 ただ死という一文字で片づけるには、その場所の死は死に過ぎていました。

 

 容赦もなければ酌量の余地もない、完膚なきまでの破壊。

 

 取返しようもなければ言いつくろうこともできない、圧倒的なまでの破滅。

 

 破壊につぐ破壊。

 破滅につぐ破滅。

 

 辺り一面の死。死。死……。

 

 これほどまでに死が飽和した景色など、今宵のドナの悲劇を目の当たりにしたわたくしの目を持ってしても、見たことがないと言わざるを得ないでしょう。

 

 まさに地獄。

 

 ……いいえ、もしかすると。

 

 地獄ですらその場所に比べたら、もう少し救いがあるところだったりするのかもしれません。

 

 「…………」

 

 そんな場所に、彼は一人膝をついていました。

 

 「…………」

 

 今よりももう少しだけ若い、まだ青臭さの残った顔立ち。

 無造作に伸ばされた艶のない髪と不精髭。

 闇夜に溶け込むような色合いの上下の上に着込んだ分厚い防弾チョッキ。

 

 力なく垂らした左手。

 同じく力が入っていないような右手。

 

 「…………」

 

 頬をまばらに染めるのは赤。

 髪と髭にからみつくものも赤。

 着込んだ衣服のあちこちにこびりつくものも赤。

 左手からポタポタと滴り落ちるのもまた赤。

 

 「…………」

 

 ただ一点。

 

 その場所の景色と同じように赤で覆われた彼の全身の中でただ一点だけ。

 

 右手に握った拳銃だけが赤の侵食を許さずに鈍く黒光りしています。

 

 ……不思議なものです。

 

 混じり気のない黒。

 

 赤が蔓延する世界にほんの一点だけ穿たれた小さな黒。

 

 死の象徴たる赤に抗うかのように唯一血で染まっていないその拳銃の黒が。

 

 何よりも一番、色濃く死を纏っているように見えるのです。

 

 不吉な黒?

 不穏な黒?

 

 ……いいえ、いいえ、いいえ。

 

 それは悲しい黒。

 

 数多の血が流され、無数の痛みにまみれ。

 

 あらゆる死という死が乱雑に渦巻いてしまったせいで誰もが置き去ってしまった当たり前の感情。

 

 悲哀……。

 

 「…………」

 

 表情はありません。

 感情だって見えません。

 その静かな佇まいは、わたくしがよく知る無感情な彼のままです。

 

 「…………」

 

 ですが、彼の頬を伝う一筋。

 

 まだ艶の残った新しい血液によって赤く赤く染まった頬を、真っすぐに伝っていく一筋の涙。

 

 カタカタと。

 

 カチカチと震えている右手。

 

 ……ああ、悲しいのですね?

 

 どうしてこんなことになったのかという疑問。

 どうしてあんなことをしなければならなかったのかという疑問。

 

 明確な相手もいない誰かに向けた憎悪。

 明確に誰かへと向けた懺悔。 

 確かに自分自身に向けた慙愧。

 

 思うところはたくさんあります。

 

 考えうる限りの負の感情が彼の心をごちゃまぜになってかき乱します。

 

 しかし、何よりも……悲しいのです。

 

 彼は今、ただ悲しいのです。

 

 一人の死が。

 

 ただ一人の元に訪れてしまった死が。

 

 ただただ単純に悲しくて仕方がないのです。

 

 「……っ……」

 

 ……ですからそれは正しい反応です。

 

 「……あああ……ああああ……」

 

 それは人として、当然あるべき感情です。

 

 「あああああ……ああああああああ……」

 

 ええ、その嘆きは正しくて、その痛みは当然なものなのです。

 

 「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」

 

 ……だからなんだと言うのでしょう?

 

 正しさ?当然?

 

 そんな慰めがなんになるでしょう?

 

 彼は今、失ったのです。

 

 安らぎ、温もり、幸福……考えうる限りの正の感情のすべてを。

 

 そして、大事な大事な……。

 

 彼自身、それまで気が付きもしなかった。

 孤独だと思っていた自分を決して独りにはしなかった、たった一人の大きな存在を。

 

 彼は今、失ってしまったのです。

 

 「――――――――っっっ!!!!」

 

 もはや声にならない慟哭。

 

 頭を抱え、血の海に体を沈め、嗚咽にむせてもなお手から離さない拳銃。

 

 大事な大事な人の命を奪った憎き凶器であるはずなのに、それでも決して離そうとしない黒。

 

 その気持ちがわたくしにはわかります。

 その葛藤がわたくしにも伝わってきます。

 

 たとえその銃口から放たれた弾丸によって血が流され、寄る辺を打ち砕かれたのだとしても。

 

 たとえその引き金を引いたのが、間違いなく彼自身の指だったとしても。

 

 その一丁の無骨な拳銃は、彼女と、そして彼自身の命を託したもの。

 

 二度とは還ることのない彼女と、死という悲しくも強固な糸で繋がったもの。  

 

 ……そう、糸です。

 

 この地獄絵図の中にあって、このすべてを失い続けていく過程の中で。

 

 その繋がりだけが、彼の手元に残された唯一のものだったのです。  

 

 「――――――――――――っっっ!!!!」

 

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 

 「――――――――――――っっっ!!!!」 

 

 どうして!?

 どうして!!??

 どうして!!!???

 

 ……ごめんなさい、イチジ様。

 

 あなたのその疑問に、わたくしは答えることができません。

 

 未熟なわたくしは、あなたの疑問に対する答えなんて持ち合わせてはいないのです。

 

 ……それどころか。

 

 うなだれるあなたに触れ、抱きしめてあげることもできません。

 

 気休めの慰めさえかけてあげることができません。

 

 ……だって、これはあなたの過去。

 

 わたくしが知る由もなかった、立神一という殿方が確かに経験してきた記憶の断片。


 それを覗き見ることしかできないわたくしには、あなたの涙をぬぐってあげることなどできないのです。


 過去は変えられない。

 どんな≪マホウ≫をかけたとしても、それだけは変えられない。


 「――――――――――――っっっ!!!!」 


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 ……ですが……せめて。

 ええ、それならばせめて。


 「――――――――――――っっっ!!!!」 


 わたくしは……


 ………

 ……

 …



 キラキラキラ……


 頬を撫でる生温い感触に、わたくしの意識は現実へと引き戻されます。

 

 キラキラキラ……


 無残に破壊された街並み。

 

 そこに住んでいたはずの焼き尽くされた人々。

 辛くも逃げることのできた人々。

 

 街に厄災をもたらした火を吹く魔獣。

 その魔獣を引き入れた研究者。

 

 過去の遺物から生まれ出でたかつての覇王。

 過去の遺産から飛び出てきた性悪な魔女。

 

 ドナという辺境の小さな街を舞台にしたたった一夜の物語を彩り、賑わせた、多くの役者たちの姿はもうありません。

 

 みな、それぞれに己の役割を全うし、それぞれのあるべきところへと還っていきました。


 キラキラキラ……


 今、壇上に立っているのは二人だけ。

 

 「…………」

 

 黄金色の輝きに包まれた異世界の殿方と。

 

 「……イチジ様……」

 

 止めどなく溢れ出てくる涙を拭うこともせずにその殿方を見つめる未熟な少女。

 

 ただ、その二人だけです。


 

 ≪存在認知リコグニション≫……。

 

 一度は粉々に砕け散ったイチジ様という存在そのものを魔素化し、この世界へと再び呼び戻すところまでがその≪魔法≫の効果。

 

 存在の認知とはよく言ったものです。


 本来は排除されるべき異分子を、魔素ありきの≪幻世界とこよ≫の性質に合わせて調律して存在を認めさせるという荒行。

 

 わたくしが書物で読んだ解釈では『誤認させる』という色が強かったように思います。

 

 しかし、こうやって実際に目の当たりにしてみると、これは命の書き換えと表現しても決して過言にはなりません。

 

 他でもない術の製作者である魔女自身が、所詮は『宝玉』という道具に頼った至極限定的なものだと言っていましたが、とんでもない。

 

 一般的な死とはまた違う消滅。

 死よりもまだ無慈悲にして容赦のない消失。

 

 そんな風に霧散してしまった命を復活させてしまうのですから、十分に≪魔法≫、しているじゃありませんの。

 

 「…………」

 

 リリラ=リリスの張った神域結界の魔術が解け。

 術を施した当人が去っていった途端。

 

 それまでせせらぎのようにわたくしの中へと流れ込んできていたイチジ様の感情が、濁流のように一息に押し寄せてきました。

 

 おそらくは≪存在認知リコグニション≫が展開されたことによる余波でしょう。

 

 確かに再びわたくしの前に現れてくれたイチジ様ですが、その像は未だに不明瞭。

 

 キラキラとした輝きに包まれたままで停滞し、完全に存在の構築は果たされていません。

 

 言ってみれば、今のイチジ様は魔素そのもの。

 

 その魔素を肉体・精神という形に固定し、安定させてはじめてイチジ様は≪幻世界とこよ≫に受け入れられることになるのでしょう。

 

 「……充満したイチジ様という名の魔素……これに触れているせいで、イチジ様の感情がわたくしにも伝わってきてしまっている……そういう解釈でいいのですわね」 

 

 時間が経ち、その魔素に触れるほどに、イチジ様の想いへの共感が強まります。

 

 あの赤い光景は、紛れもなくイチジ様の心が紡ぎ出したもの。

 

 まだその上澄み部分しか汲み取ることはできていませんが、それでもわかってしまいます。

 

 あの赤い廃墟の街こそ。

 あのむせかえるように死の気配が充満した場所こそがイチジ様の心象風景。

 

 心の奥底、深く深く沈んだ深層心理が生み出した、イチジ様の……原点。

 

 「……あんなものを……あなたは抱え込んでいたのですわね」

 

 なんて寂しい心なのでしょう。

 

 あんな軒並み廃墟と化した街で。

 あんなすべてが赤に塗りつぶされたところで。

 あんな死しか存在しないような場所で。

 

 あなたはただ一人きり。

 

 膝をつき、嗚咽で喉を裂き、頭をかきむしって抗ってみても。

 

 あなたはいつまでも一人ぼっち。

 

 またしても、わたくしの瞳から涙がこぼれます。

 

 さきほど流したものよりも、さらに多くの涙があふれてしまいます。

 

 ……だってそうでしょう。

 

 これはイチジ様の悲しみに共感したものではありません。

 

 これは純粋にわたくし自身の涙です。

 

 彼をそこまで追い詰めたものに対する憎しみや、彼をそんな風に一人にしてしまった周りの人たちに対する怒り。

 

 ……そして彼の傍に寄り添ってあげることができなかった、自分自身に対する悔しさからくる涙なのです。

 

 「……ええ……ええ、わかっています。わかっていますとも……」

 

 思わず、わたくしは独りごちます。

 

 「わたくしがそこにいなかったのは当たり前なのでしょう。わたくしとイチジ様の人生が重なり合うのは、そこからおそらく長い長い時間のたったあの夜からなのですから」

 

 誰に語り掛けているわけではありません。

 

 強いて言うなれば、わたくしに。

 

 あまりの無念に唇をかみしめる自分に向かってわたくしは声を出します。

 

 「仮にもしも、その場にわたくしがいたとして……。多大な喪失感に打ちひしがれる彼の隣にわたくしがいたとして、それで何かを変えられたのかと言われれば自信はありません」


 

 キラキラキラ……


 わたくしは一歩、イチジ様へと歩み寄ります。


 「ただの心の一端に触れただけでこんなにも心がかき乱されている弱いわたくしです。実際にイチジ様のあの慟哭を耳にして、あの悲壮感を前にして、きっとわたくしは何もできなかったでしょう」


 キラキラキラ……


 一歩、一歩、また一歩……。

 イチジ様との距離が縮まります。

 

 「触れることもできなければ、掛けるべき言葉も見つからず……ええ、まったく……こうして涙するしかない今と大差なんてありません。……わたくしは……わたくしは本当に無力な小娘です」

 

 キラキラキラ……


 「『貴女・・』には『貴女・・』の事情があったのでしょうし、その選択を容易に選んだわけでもないこともわかっています。……だからわたくしが『貴女・・』に何かを言えるような筋合いは無いのかもしれません。まったくもって自分の無力さを棚上げにした身勝手な言い分だろうことは重々承知しています……」


 ピタリ……


 「……ですが、あえて言わせていただきます……」


 わたくしはイチジ様と向き合います。

 イチジ様を優しく包み続ける黄金色の『何か』に、正面から向き合います。

 

 「わたくしのイチジ様に、何してくれやがりますの」

 

 キィィィィィィィィンンンンン!!


 わたくしの持った『宝玉』が、いっそうの輝きを増していきます。


  ≪存在認知リコグニション≫を内包した黄色の球体。

 

 かの≪魔法≫は既に成っています。

 

 リリラ=リリスの手によって発動され、そのまま役目を終えて砕け散るはずの『宝玉』が、こうやって更なる輝きを放ってわたくしの手にあるという事実。

 

 黄色ではなく……もはや黄金色という別の色へと変質した事実。

 

 なるほど……ああ、なるほど……そういうことなのですわね、リリラ=リリス?

 

 機械仕掛けの神を気取ったあの幼女の意地悪な笑みが頭の中で再生されてしまいます。

 

 ホント……あなたって人は規格外。

 どこまで未来を見越していたのやら……。

 

 「……イチジ様……」

 

 真正面から対峙するイチジ様。

 

 「なんだか……とてもとても久しぶりに会えたような気がしますの。……一緒に星空を見上げていた時から、まだほんの数時間しか経っていないのですけれど」

 

 自分が魔素化して朧げな像となり、胸には太く長いドラゴンの牙を突き刺さったままだというのに、なんと安らかな顔をされているのでしょう。

 

 思えば、毎晩のようにわたくしが魔力のコーティングをする時も、こんな穏やかな表情のまま目を瞑っていましたわね。

 

 わたくしへの全幅の信頼。

 わたくしが彼に対して絶対に危害を加えることはないのだという信用。

 

 本当、改めて考えてみても、あまりに無防備に過ぎないでしょうか?

 

 出会い方はもちろんのこと。

 

 自分で言うのもあれですが、イチジ様から見れば、わたくしって結構、あなたに理不尽なことばかりしている気がするのですが……。

 

 そんな危なっかしい小娘相手に、よくもまぁ、己の身を託す気になるものです。

 

 そう、イチジ様ははじめからこうでした。

 

 わたくしのことを頭から信じている。

 わたくしの正しさを信じて疑わない。

 

 一も二もなくわたくしの言葉に頷き、従ってくれていました。

 

 愛情……なわけはありません。

 友情というのもまた違います。

 

 過ごした時間はまだ半月にも満たず、裏付けも根拠の下地を築き上げるほど互いに互いを知っているわけでもありません。

 

 しかしながら、不思議とわたくしに寄せてくれる信頼感は絶対なのです。

 

 「色々と聞きたいことはありますし、言いたいことだってたくさんあります。……でも、とりあえず全部後回しですわ」

 

 いつぞやのイチジ様の台詞をなぞります。

 

 あなたをここに連れてきた経緯。

 

 この世界のこと。

 

 わたくしが暮らす国のこと。

 

 あなたにしてもらいたいこと。

 

 あなたにしてほしいこと。

 

 言わなければならないことがまだあります。

 

 一体あなたは何歳ですの?

 

 趣味や特技はありますの?

 

 どんなものが好きで、どんなものが嫌いで。

 

 どんなものを見て、どんな人生を歩んできましたの?

 

 龍神の子ってなんですの?

 

 あの赤い街はなんですの?

 

 ……大事な大事な……その喪失一つであなたがあそこまで悲しむ彼女とは誰なんですの?。

 

 ええ、聞かねばならぬこと、言わねばならぬこと。

 

 無意識のうちに話題を避け、うやむやのままに放置していたたくさんのこと。

 

 まだまだあなたと向き合わねばならないことが一杯あります。

 

 だから……これが最後の後回し。

 

 この大仕事が無事終わったのなら、その時は覚悟していて欲しいんですの、イチジ様。


 もう、遠慮なんてしません。  

 

 恋する乙女的に、まだまだまだまだ意中の殿方にアピールしなければならないことが一杯、一杯あるんですの。

 

 「……ねぇ?聞こえていますか、名前も知らない『貴女(・・)』?」

 

 わたくしは黄金の『宝玉』に話しかけます。

 

 「『貴女・・』の想いが本物なのだということはわかりました。もうこの際、ややこしい理屈は無視して『貴女・・』がイチジ様一人の為だけにこの≪幻世界とこよ≫を創ったのだというその愛情だけを信じてお願いがあります」

 

  ―― んん?なにかなぁ? ――


 『宝玉』の煌めきが、そんな間の抜けたような返事をしたような気がします。


 「悔しいですが、わたくし一人の想いだけでは足りません。この≪魔法≫を成すにはわたくしだけでは不完全です。ええ、悔しい。本当に悔しい。彼をこちらにとどめておくのに、どうして他の女の力を借りなくてはならないのかと、まったくもって不本意ですし、ホントにホントにホント~~に気が進みません」


 ―― それはこっちの台詞なんだよ、この泥棒ネコ。いくらリリーたんが認めた子だとはいえ、なんでイッくんの未来をあなたみたいなお子ちゃまに託さなくちゃならないんだよ。おねーちゃんは認めないんだよ。おととい来やがれだよ ――


 「ああ、嘆かわしい……。こんな自分から無責任にいなくなったくせに、いつまでもいつまでもしつこく付きまとう小姑に引きずられているイチジ様がお可哀そう」


 ―― そうだねぇ。恋だの愛だのをこじらせて脳内お花畑の小娘に付きまとわれるイッくんがホント可哀そう ――


 「うるさいですわよ、このキンピカ」


 ―― うるさいんだよ、このギンピカ ――


 「……まぁ、それでもです……」


 ―― うん、それでもだね ――


 「わたくしだけでは足りないところを……」


 ―― わたしだけでは満たされないところを ――


 「『貴女・・』に補ってほしいんですの」


 ―― あなたが補ってほしいんだよ ――


 「…………」


 ―― ………… ――

 

 「あくまでわたくしの主導であって、『貴女・・』が補佐ですわよ?」


 ―― なに言ってるんだよ。わたしの補助をあなたがするんだよ? ――


 「…………」


 ―― だってわたしの方が愛が深いし、おっぱいだって大きいし ――


 「胸の大きさ関係ないですわよね!?」


 ―― え~結構大事なトコなんだよ。だってイッくん、巨乳好きだし ――


 「……そこのところ、詳しく」


 ―― ふふん♪まぁ、いつかそのうち、機会があればね ――


 「……機会……機会ですか……」


 ―― そんな機会がきっとあるんだよ。……あなたがイッくんの傍にいてくれる限り ――


 「それくらいの覚悟、はなから持っていますわ」


 ―― 重たいなぁ~。これはイッくんも苦労するんだよ ――


 「……では、はじめましょうか」


 ―― あなたの想いと ――


 「『貴女・・』の想い」


 ―― そしてイッくん自身の生きていたいという切なる願い ――  


 「そしてイチジ様を迎え入れてくれる≪幻世界とこよ≫の意志」


 ―― 色んなものの色んな想い ――


 「すべてを受け入れ、すべてを一つにまとめる新しい≪魔法≫」


 キィィィィィィィィィンンン!!


 黄金色の『宝玉』はフワリと浮かび上がります。

 わたくしは空いた両手を伸ばします。


 「……イチジ様……」


 そっと触れるイチジ様の頬。

 指先から伝わってくる、イチジ様の温度。


 瞬く間にわたくしの全身を包み込む黄金色。


 ……ああ、一つになります。


 わたくしと彼女とイチジ様。


 三人の想いが複雑に絡み合うこともなく、ゆっくりと溶け込むように一つになっていきます。


 「……あ……アルル……」


 「はい……はい、アルルです」


 いまだ目を閉じたままのイチジ様。


 その固く結ばれるばかりであった唇から、わたくしの名前が零れ出た感動に、またしても涙が出そうになります。


 本当……なんだかイチジ様の前ではすっかり泣き虫な少女になってしまいました。


 「あなたが可愛いと言ってくれたアルル=シルヴァリナ=ラ・ウールという名前を持った無力な女です」


 「まり……ね……マリネ……」


 ―― もう、わたしの方が後なの?なんだか妬けちゃうんだよ ――


 「まりね……マリネ……マリネ……」


 ―― ……うん、お姉ちゃんは、ちゃんとここにいるんだよ、イッくん ――


 「イチジ様?少しばかり前倒しになりましたが、約束を一つ、果たさせていただきます。……今からあなたに≪マホウ≫をかけてさしあげますの」


 ―― それで?そのマホウの名前は決まってるの? ――


 「ええ、もちろん」


 自然とその≪魔法≫の名前は頭に浮かんできました。


 わたくしの想いと彼女の想い。

 あなたの心とあなたの願い。


 わたくしの業。彼女の咎。

 あなたの罪。あなたの罰。


 すべてを許し、すべてを受け入れ、すべてを今、一つにいたしましょう。


 この世界がただあなた一人の為に創られたものであるのだというのなら。


 この≪魔法≫もまた、ただあなた一人の為だけのもの。


 

 この≪マホウ≫の世界にあなたの鼓動を刻んでください。


「≪世界調和≫……アンサンブル!!」







 そして世界は輝きます。

 

 

 赤も、黒も、銀も、金も。

 


 わたくしも、彼も、彼女も、誰も。

 


 光りと影が一つとなって紡ぎ出す『調和奏アンサンブル』。

 


 あの黒衣の魔女がつけるものとは少し違った趣ですが。



 この≪マホウ≫にこれ以上に相応しい名前なんてないと胸を張ってもいいでしょう?

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