第四章・雨色に染まる異世界生活~ARURU‘s view②~

「……よぉ……久しぶりだな」


 誰かは語り掛けます。


「キュオオオンンン!!」


 誰かに語り掛けられたドラゴンは、その言葉に反応するように高らかに咆哮します。


 自身の体の上でピクリともしなくなったサラマンドラの亡骸を苛立たし気に払いのけ、静かに、そしてとことん冷徹に語り掛けてくる誰かを荒々しく威嚇します。


「大体10年ぶりくらいか?……なぁ、黒いの?」


「キュオオオンンン!!」


「一人か?青いのやら緑のやら他の兄弟はどうしたんだ?」


「キュオオオンンン!!」


「元気がいいな。とてもあの時、無様な鳴き声を挙げて死んでいったヤツとは思えない」


「キュオオオンンン!!!!キュオオオオンンンン!!」


 山を割り、海を穿ち、あまねく大空を支配したかつての覇王……。


 各伝承・各文献で伝えられるドラゴンの像は、どうしてもその圧倒的なスケールや人知を超えた破壊力ばかりにスポットライトを浴びがちです。

 

 確かに、山や海や空を生物単体でどうにかできるような力なんて、物語の主役としてはこれ以上ないくらいに際立った個性ではあります。

 

 ですが、その頑強な頭蓋骨に守られた脳。

 体躯の大きさに比例して肥大した脳に宿った知性もまた、ドラゴンというものの崇高さを表す要因だとわたくしは思っています。

 

 力が強いだけの豪傑なら他の伝説にもいるでしょう。

 知能が発達しただけの賢者なら他の種族にもたくさんいるでしょう。

 

 その誰もが歴史に名を残し、あまたの偉業を成し遂げました。

 

 ただ彼らが世界を制覇できたかと言われれば、それは否です。

 

 山を割るには割り方というものを知らなくてはなりません。

 山の割り方を知っていてもそれを実行に移すだけの力がなくてはなりません。

 

 伝説を残すには、今代まで強さの象徴として永らく語り継がれるには、その二つを同時に……しかもどちらも最上・最高ランクで併せ持つくらいまでのレベルに達しなければなりません。

 

 ……そう、たとえばこのドラゴンのように。


 「キュオオオンンン!!!!キュオオオオンンンン!!」

 

 なので、この一人と一頭の間に会話が成立しているように思えてしまうのは、別にわたくしの正気が疑わしくなったからというわけではないのです。


 まるで互いが互いの言語を理解しているかのように。

 まるで一分の迷いもなく、相手を対等な『一人』として扱っているかのように。


 一人は一頭を小馬鹿にして怒りを煽り。

 一頭は一人の言葉の表だけではなく裏にも満載に含まれた侮蔑の機微すら読み取り。


 嘲弄する者と嘲弄される者。

 憤る者と憤りを向けられる者という絵面を作り上げます。


 「だよな?オマエは死んだ」


 「キュオォォォンン!!」


 「……ああ、そうだ。確かに死んだ。……あの普段も普段以外もとりあえずチャラチャラしてた軽薄な男が、あの時、随分と似合わないことをしてオマエと刺し違えたんだ。……あんな優男一人にいいようにやられるなんて、俺なら恥ずかしくて死んでも死に切れないけどな。……ああ、なるほど。だから今、こうやってここにいるわけか」


 「キョオ!!キョオオオンンンンン!!」


 「……でもな、俺はこの目で見ていた。すぐ傍で見ていた。……出会ったガキの頃からいつだって自分は遠くからチマチマ鉄砲を撃つことしかできない臆病者なんだと卑し気にうそぶいていたあいつが……だからこそ誰よりも男らしくなりたいと切実に願っていたあいつが、最期の最期、文字通り自分の命をかけてオマエに特攻して行ったその堂々とした散り際を……俺はちゃんと覚えてるぞ」


 「キュオオオオオオンンン!!!!!!」

 

 ドラゴンは更に憤った様子で鳴き声の語気を強めます。

 

 「そうかそうか、オマエもちゃんと覚えているか?だよな?なんせ自分を木っ端微塵にして殺した相手だ。忘れられるわけはないよな?」

 

 そんなドラゴンの怒りも意に解さず……いいえ、意は充分に解しているのでしょう。

 

 重々理解した上でその怒りすらも含んだドラゴンの存在丸ごとを殊更にあざ笑う誰か。


 「キュオオオンンン!!キュオオオオオオオオンンン!!!!!!」


 バサァァァァァァァァァァ!!


 かつて制したはずの空から無様にも引きずり落とされた挙句。

 

 煽られ、貶され、蔑まれ。


 恥辱と憤怒が頂点に達したらしいドラゴンが、雨に濡れた地に伏して一層輝きを増した、まさしく濡れ羽色の美しい翼を大きく広げて、一際大きな咆哮を挙げます。


 「キュオオオンンン!!キュオオオンンン!!キュオオオオオオオオンンン!!!!!!」

 

 羽ばたきと共に舞い踊る水滴。

 

 体に付着したサラマンドラの血糊も、未だ降りしきる雨粒も。

 その偉大なる翼のはためき一つで弾かれ、浄化されていきます。

 

 ……やはり、どこまでもドラゴンとは崇高なもの。

 

 書物の中から飛び出し、民話の中から顕現し、わたくしの目の前で雅に羽を広げるドラゴン。

 

 わたくしも女性としては決して小柄な方ではありませんが、それと比べてもゆうに数倍にも及ぼうかというくらいの身の丈が、翼を広げたことで更に雄々しいものとなります。

 

 外見の特徴を挙げようにも、まさにドラゴンらしいドラゴンとしか表現できないオンリーワンの個性。 

 

 とりたてて信仰心などなくとも。

 どれだけ散々痛い目に合わされたとしても。

 

 それでも眩しく、尊い存在に見えてしまうのですから、わたくしも大概なのかもしれません。

 

 「……ところでさ」

 

 そのドラゴンが……。

 

 「キュオオオンンン!!キュオオオンンン!!キュオオッ……」

 

 その伝説が……。

 

 「なぁ?なに生きてんの?」

 

 ボグギャァァァァァ!!

 

 「キュオオオオオオオオオオンンンンンンン!!!!」


 ズゥゥゥッゥゥンンン!!!

 

 再び地にねじ伏せられます。

 

 「え?」

 

 わたくしが、まつ毛から垂れてきた雨粒に片目の目蓋を閉じたほんの一瞬。

 そしてまた開くまでのほんの一瞬。

 まさに瞬きを一つしただけの間。

 

 目の前にあったはずの気配が、ふっと消えたかと思うよりも先に彼がドラゴンとの距離を詰め、その頭の頂点へ浴びせるようにかかとを落としました。


 「オマエは死んでなきゃダメだろ?なぁ?」

 

 「キュオオオ……」


 「そうじゃなきゃさ?あいつは何のために死んだんだよ?なぁ、おい?」


 「キュオオ……」

 

 「うるさい」

 

 ズブゥゥゥゥゥゥゥゥンンン!!


 「キュオオオンンン!!」


 「喚くな」

 

 ズブゥゥゥゥゥゥゥゥンンン!!

 

 翼を広げたままの姿で這いつくばり、それでも立ち上がるため体を起こそうとするドラゴン。

 

 その頭を、誰かは落とした足をそのままに踏みつけ、地面に押し付けます。

 

 波状に割れていく石畳。

 破裂でもしたかのように飛び上がる水しぶき。

 重たげな音を立ててめり込んでいくドラゴンの顔。

 

 衝撃の強さは、その陥没した地面の有様が、何よりも雄弁に物語っています。

 

 尊厳などありません。

 敬いど一かけらも見当たりません。

 

 そんなものは、踏みにじられています。

 

 ドラゴンのものと比べてあまりにも小さな彼の足の裏によって、文字通り、ことごとくが踏みにじられています。

 

 伝説?覇王?対等な『一人』?

 

 いえいえいえ。

 

 元々有しているポテンシャルや、過去の栄華など関係はありません。

 

 そこにはただ虐げる者と虐げられる者。

 もしくは足蹴にされる者とされる者。

 そして強者と弱者。

 

 その覆りようのない現実があるばかりなのです。


 「……ま、いいか。そんなことよりもさ……」


 強者は問います。

 

 何てことなさそうな気楽さで。

 まるで旧知の友とでも話しているかのような気安さで。

 

 誰かは静かに問いかけます。


 「キュオオォォォォ……」


 弱者は抗います。


 物理的に抑え込まれているその足による戒めに。

 まるで親にでも辱められているかのような屈辱に。


 ドラゴンはいななき、抗います。


 「どうしてもオマエにこれだけは聞かなくちゃならないってことがあるんだよ……」


 「キュ……オオオ……」


 「それだけ答えてくれたら殺さないでいてやるから。あとは逃げるなり暴れるなり、好きにすればいい。俺はこれ以上、オマエに干渉したりはしない」


 「キュオオオ……」


 「生き返った……のか、死に損なったのかは知らないが、その命。間違いなく俺が握っているってことを忘れるなよ」


 「……キュゥ……」


 「チャンスは一度切り。生きるか死ぬかの単純な二択。賢いオマエのことだから、どちらを選ぶのが最善か……ちゃんとわかってるよな?」


 「…………」

 

 尻切れで小さくなっていく鳴き声。

 ピタリともがくような動きを止めた体。

 

 目に見えてドラゴンの抵抗が弱まっていきます。


 強者の前に遂に屈したのでしょうか?

 はたまたこれから投げかけられる問いを一心に待ち構えているのでしょうか?

 

 ……いいえ。


 「……それで……だ」


 ……そんなわけはありません。


 「…………キュ……」


 ……伝説が、覇王が。

 

 弱者などという境遇にそうそう大人しく甘んじるわけがありません。


 「オマエたちの親玉……あの赤いのも、まだ生きているのか?」


 「ギュオオオオォォォォォォォォンンンンンン!!!


 バサアアアァァァァァァァァァァ!!


 「それが答えでいいんだな?」


 ボグギャァァァァァァァ!!!

 

 ………

 ……

 …


 

 ザァァァァァァァァ……ザァァァァァァァ……


 また雨脚が強くなってきました。


 これだけの雨を降らす不安定な大気のわりに、不思議と風はあまり出ていません。


 黒い曇天から一直線に落ちてくる大きな雨粒。

 あれほど血と炎で赤く染め上げられていた街の色を真っ直ぐに洗い流していく雨。


 本来、あるべき宵の色を取り戻していく世界を眺めながら、わたくしはふとあることを思い出しました。


 ……ああ、そういえばまだ、夜だったんですのね。


 そうです。


 まだ夜なのです。


 凄惨さが織り成した彩のおかげで昼間のような明るさが続き。

 度重なった幾つもの衝撃的な出来事や、間断の無い戦闘のせいで時間の感覚が狂ってはいましたが。


 まだ今夜は終わっていなかったのです。


 一日前の今頃は、隣で眠るイチジ様の寝床へ忍び込もうか否かを延々と悩んで悶々としていました。


 半日前には、甘々な新婚生活を夢想しながら鼻歌混じりに昼食の準備をしていました。


 数時間前には、美しい星空を二人で見上げて穏やかな時間を過ごしていました。


 振り返ってみれば、どれもがもはや遠い過去。

 

 記憶よりも記録に残されているものを閲覧しているかのように、すべてが遥か昔の出来事に思えてきます。


 ……ええ、本当。

 

 ……長い夜ですわね。


 「……買いかぶりだったみたいだな」


 「…だ……れ?」

 

 「もう少し賢いヤツだと思っていたのに」


 「……だれ?……」


 「せっかくの命。粗末にしちゃってまぁまぁ……」


 「……あなたは……」

 

 ねぇ、そこに立っているあなたは。


 「……あなたはいったい……」


 ねぇ、そんな残酷な笑みを浮かべて立っているあなたはいったい。


 「……だれ……なんですの?」


 ねぇ……本当に……あなたは一体、誰なんですの?


 ――おやおや、薄情じゃな小娘。忘れてしまったのか?――


 ザァァァァァァァァ……ザァァァァァァァ……


 降りしきる雨の音の間を縫うようにわたくしの耳へと入ってきたのは。


 ――『タチガミ・イチジ』。それがそ奴の名前じゃろ?――


 たぶん、今までの人生で聞いたきたどの声色よりも。


 性格が悪そうな声でした。

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