第三章・赤い異世界生活~ARURU‘S view⑥~

             ドゴォォォォォンンンン!!


 「ぐはぁぁぁ!!!」


 病院の扉を突き破り、リザードマンの体が路上へと転がります。

 

 魔素のバリア、着込んだ防刃チョッキ、硬質なウロコが覆った体表面。


 そんなもののことごとくを突き破る、わたくしのレイピアの一撃が、リザードマンの胸先をとらえ、吹き飛ばしたのです。

 

 「く、くそがぁ!」


 ダラダラと赤い血を胸元から垂れ流しながらもリザードマンは立ち上がり、そう毒づきます。

 先ほど見た自己再生能力は体の組成を換える時の副次的なもので、常時発動するというわけではないようです。


 それでもさすがにタフな体。

 生身のままだったらば、確実に絶命していたであろう深手を負いながらもまだまだ威勢がいいです。

 

 「そういえばトカゲって尻尾を切り離してもまた生えてくるといいますが……サラマンドラにそんな能力があるだなんて聞きませんわね」


 「ちくしょうがぁぁぁァァァ!!!」


             ブヴァァァァァァ!!!


 炎のブレス。

 なるほど、そこまでサラマンドラの能力をコピーしているですか。

 本来必要なはずの溜めがないところが上位互換といえば上位互換。

 この男が言っていた、何千なり何万なりのサラマンドラの魂……魔素を凝縮したことによって辿り着いた進化といえば進化の形なのでしょう。

 

 「ハッ!!」

 

 バシュゥゥ!

 

 ですが……ぬるい。

 

 ええ、本当に生温い。

 炎の温度も。威力も。手の内の見せ方も。

 そもそもこの男の考え方そのものが、ほとほとぬるくて悲しくなります。

 

 「な!?剣圧だけでかき消しただと!?」


 「当たり前ですの……いい加減、自覚したらどうなのです?」


 「っくぅ!」

 

 「所詮はまがい物の力。それはサラマンドラが遥かなる時の流れの中でゆっくりと進化し、馴染ませ、度重なる淘汰や取捨選択の繰り返しによって独自のものとして獲得した特殊な力です。あなたごときが一朝一夕に扱えるなどという安易な考え方は、紛れもなく生命への冒涜。……今のブレス。どれだけの数の魂を犠牲にしてみたところで、サラマンドラの一頭にも劣るなまくらでしたの」

 

 「ほ、ほざけぇ!」


 リザードマンがまたしても白衣の中から何かを取り出します。


キュロロロロォォォォォォ……

 

 笛……でいいのでしょうね。

 長く裂けた口を器用にすぼめて、龍をかたどったS字型の笛を高らかに吹き鳴らします。

 

 サラマンドラの鳴き声を思わせるような音色ですが、どこか悲し気に聞こえます。

 そう……たとえば、ピンチの際に仲間へと助けを乞うているような。


 「うぅぅらぁぁぁ!!」


             ブヴァァァァァ!!ブヴァァァァ!!

               ブヴァァァァァァァ!!

 

 「≪ファイヤ・クリフ≫!」

 

 もはや牽制にもならない、安っぽいブレスの連射。

 そのまま正面から受けても問題はない威力です。

 ただ目くらましと時間稼ぎにはなるでしょう。

 

 なにせわたくしの背後、病院の入り口には、事態の急展開にまったく思考の追いついていないシエルさんとコルカが、茫然と立ち尽くしているのです。

 

 万一、そちらまで炎が流れてしまったら、さすがに一般人の二人には致命的ですので、わたくしは放たれたブレスを漏れなく覆うよう、対炎熱系魔術用の範囲防壁を≪早撃ちクイックドロー≫で発動させます。 

 

 そうやってわたくしが二人を庇うことを踏まえたうえで、リザードマンは容赦なく炎のブレスを吐き続けているのしょうね、きっと。

 

 年端もいかない子供と、身を隠すための演技の一部だったとはいえ、夫婦として公私ともに一緒にいてくれた女性になんと躊躇いのないことでしょう。

 

 わたくしは、その非情に怒るとともに、なんとも切ない心持になります。


            ブヴァァァァァ!!ブヴァァァァ!!

                ブヴァァァァァァァ!!

 

 乱射されるブレスがことごく、わたくしの出現させたより高位の炎の壁≪ファイヤ・クリフ≫に飲み込まれていきます。

 

 「あなた……」


 「ジョルソンセンセ……」


 「……大丈夫ですわ。お二方は必ずわたくしが守りますので……」


 わたくしは振り向きもせずに、背後で怯え続ける二人に向かって少しでも安心するようにと語り掛けます。

 

 ああ、ですが二人とも……特にシエルさんの方は、わたくしの背中などロクに見えていないでしょう。

 

 愛していた。確かに愛し合っていたハズの夫。


 愛していた。かつては夫婦であり、仕事上のパートナーであり、少なくとも人間であったハズの殿方。

 

 騙していたと言った。騙されていたのだと言われた。

 その言葉をうまく頭で消化する暇もなく。

 性格や人格、遂には姿形や種族までをもまるっきり変質させてしまった。

 

 夫が内に秘める邪悪な野望に気づかなかった。

 夫の心を苛み続ける劣等感に気づいてあげられなかった。

 

 言って欲しかった。

 それで何ができたかはわからない。

 それで何が変わったかなんて今となってはわかるはずもない。

 それでも自分にだけは言って欲しかった。


 あるいはそこで関係が終わったのかもしれない。

 もしくは彼の理念に賛同して協力してしまっていたかもしれない。


 同じ女として。同じ一人の恋する女として。

 そんな奥方の、辛い辛い心境が、わたくしにはわかるのです。

 手に取るように、火を見るように、わかってしまうのです。

 

 「……ホントにこのトカゲ男。こんな小娘に、切ない女心の機微を語らせないでくださいまし」


             キュロロロロロロロォォォォ……


 間断のないブレスの乱射が落ち着いた隙間をぬって、そんな鳴き声が聞こえます。

 それも複数。

 

 特に悲しげでもなければ、歓喜している風でもない。

 生物としては明らかに不自然な、どこまでも無機質な鳴き声です。

 

 「コイツら一頭にも劣る……か。いいだろう、ならばその本家本元にご登場願おうか!」


 ブレスの炎が消えて視界が開けた時。


 わたくしの目の前には予想通りに操られたサラマンドラがこちらを見据えていました。

 

 そして、やはり複数。


 それも10頭ほどのサラマンドラが、リザードマンを守るようにして隊列を組んでいました。

 

 「必死の呼びかけに駆け付けてくれたのがそれだけですか。あなたの人望も知れていますわね」

 

 「ふん!街の広域にわたって100頭以上は散らばしているんだ。近くにいたコイツら以外にも、もう少しすればすべてがここに集結するだろうさ」

 

 「……それは結構、厄介かもしれませんの」

 

 「怖気づいたか!?ええ?天才様よぉ!?」

 

 「ええ、総数100のトカゲがこの狭い通りにウジャウジャとしているところを想像すると、さすがにゾッとしちゃいますの。……それでも、あなたが100人ピーピー騒いでいるよりかは大分マシかとは思いますけれども」

 

 「いちいち気に障る小娘だ……」


 「そこだけはお互い様ですわね。わたくし、自分の怠惰を他人のせいにしたり、借り物の力で悦に浸っていたり、繊細な女の恋心をまったく理解できていないようなあなたのことが、たまらなくシャクに障りますの」

 

 とにかく不愉快。

 てゆーか大嫌いですの。

 

 おかげで話しかける度に、いちいち突っかかった物言いになって、なんだかわたくしの性格が悪いみたいじゃないですの。

 

 イチジ様に見られなくてホントよかった。

 

 わたくしも恋する乙女のはしくれです。

 恋の相手には、いつも可愛い自分をみせていたいのです。

 あんまり蓮っ葉な態度をしていては、幻滅させてしまうかもしれません。

 

 ……あ、いえ。

 うん、それはどうでしょう?

 

 たぶん……。

 イチジ様はそんなこと別段、気にもしないのでしょうね、きっと……。

 

 てゆーか、わたくしに全然興味ないでしょう?あの人、絶対。

 

 ……ああ、やばい……センチメンタルが止まらない。

 女心の機微も、繊細な恋心も、切なさばかりで彩られてしまいますの……。

 

 「ブレス隊!第一射、よ~い!!」


 4頭のサラマンドラが2列。

 残りがリザードマンの両翼という陣形。

 

 もはや充電が完了状態にある前の4頭がブレスを吐く間に、後ろの4頭が溜を作る。

 そして前後を入れ替えて、攻撃に隙間を作らせないというのがねらい。

 

 連射が難しいこちらの世界の銃火器や魔術での集団戦でよく採用される戦術です。

 はぐれとはいえ、医者とはいえ、元軍属。

 戦闘の体さばきといい、この折り目正しい隊列といい、最低限の戦闘訓練は受けているようですの。

 

 「第一射……う……」


 「≪ライトニング≫!!」

 

             バリバリバリバリバリ!!!


 「ぐはぁ!」


  指令オーダーが告げられる前に、わたくしは司令塔たるリザードマンに電撃の魔術を放ちます。

 

 「がぁぁぁ!!」


 さすがにこの一発で魔素の壁を貫くにはいたりませんが、変身によって変質したリザードマンの大口に、≪ライトニング≫が真っ直ぐに飛び込み、喉へとダメージを与えます。

 

 そして……。

 

 『もしも願いが叶うなら、どうぞすべてを止めてほしい』

 

 『枯れては朽ちる運命を、消えては無となる宿命を』


 自分の思うがままに操れる傀儡にしたのが運の尽き。


 本来ならば、間違いなく敵の排除のために炎を吐いていたであろう4頭のサラマンドラは、命令をキャンセルされたことで、火袋に魔力をとどめたままの姿勢で硬直しています。

 

 それだけの間があれば充分。

 余裕を持って詠唱魔術を使えるというものです。


             ピキピキピキ……

 

 『もしも願いが叶うなら、あなたのすべてを凍らせたい』


 『落ちる花弁の色づきも、わたしを狂わす残り香も』


             ピキピキピキピキピキ……


 わたくしを中心として、その場の空気が比喩ではなく、文字通り凍り付いていきます。


 『ここは氷の宝玉宮、万物、凍てつく大氷堂』

 

 『決して褪せない永遠を!決して違わぬ約束を!』 

 

             ビキビキビキビキビキビキビキビキ!!


 

 『凍てつき縛れ!≪フリージング・パレス≫!!!』


             ビキィィィィィィィィィンンンンンン!!


 術名を叫ぶと同時。

 パンッ!とわたくしは思い切り両の手の平を合わせます。

 

 その刹那。

 座標指定したリザードマンの周囲数メートルが一瞬にして凍り付きます。

 

 まさに≪フリージング・パレス≫の名の通り。

 術範囲に侵入したものすべてを凍らせて、姿も命もそのまま永遠に閉じ込めてしまう氷の宮殿。

 

 わたくし程度の魔力ならば、宮殿といえるほどの規模もなければ、永遠だなんて言えるほど絶対的に凍らせることは出来ませんが、それでも割と大技なことは大技なのです。

 

 「さしずめ、氷の棺……くらいな出力ですわね」


 わたくしは自分の魔術の非才さを自虐的に嘆きつつ、リザードマンたちの方へと近づきます。

 

 相も変わらず、意思を感じさせない無機質な表情を浮かべたまま凍り付く8頭のサラマンドラ。


 病院の前で遭遇した個体は、もう少し感情のようなものがあったような気がします。


 おそらく、先ほどの笛にはより洗脳の力が強く自我へと作用する効果でもあるようです。

 

 そして残りは……ああ、きっと司令官を守れとでも指令(オーダー)を受けていたのでしょう。


 最初に電撃を受けた時から庇うような立ち位置にいた両翼の2頭は、そのまま驚いたような顔をして凍り付くリザードマンに覆いかぶさらん勢いで盾になっています。

 

 「行いは美しいですし、あなた方も少なからず被害者なのは否定いたしません。こんな男に言いように扱われ、尊厳を踏みにじられ、本意ではない虐殺行為を無理矢理にさせられたのでしょう。……しかし……」


             キュイィィィィンンンン……


 「申し訳ありません。この街の惨状の只中にいる今、やはりわたくしは同情するわけにはいかないのです」


 再び魔力付与したレイピアを、凍り付いた地面へと思い切り突き立てます。


             バリィィィィィィィィィィンンンンンン!!


 氷塊と化していたサラマンドラの群れが、その一撃で粉々に砕けていきます。

 

 出力不足とはいえ、それなりに氷雪属性上位の魔術。

 たとえ体内に熱源を持つサラマンドラでも、瞬間的に芯から凍らせることくらいはできます。

 

 本来であるならば死と共に魂たる魔素の放出が完了したところで、肉体面の魔素の流出、腐敗、そして消滅という過程を辿るのですが、その肉体が粉みじんになったことで、ほぼ同時進行で存在が消滅していきます。

 

 やはり濁り切った虹色。

 役目を終えた大小さまざまな魔素の塊が泡のように浮かび、赤と黒とに彩られた夜空へと吸い込まれてどこかへと運ばれていきます。

 

 「魔素……ですか……」


 そんな空を見上げながら、わたくしは改めて魔素とはなんなのだろうと思います。

 

 ≪現人あらびと≫の夢や希望や願い……。ありとあらゆる思念の力。

 そんなものが魔素の元であるならば、その魔素の恩恵を受けてしか生きていけないわたくしたち≪幻人とこびと≫とは、やはり夢か幻の存在なのでしょうか。

 

 誰があてたのか、≪現世界あらよ≫の世界でいう漢字表記で『幻の人』と書いて≪幻人とこびと≫。

 

 こうやって誰かのことを想ったり、笑ったり、怒ったりしているわたくしたちは……。

 所詮は幻、≪現人あらびと≫の見ている夢の住人にしか過ぎないのでしょうか。

 

 「……ホントに……ホントに嫌になる……」


 低い唸り声が聞こえます。

 

 サラマンドラの盾によって、辛くも一命をとりとめたリザードマンです。

 

 ……いえ、もはやリザードマンでもありませんか。

 

 医者をやめ、夫をやめ、人間をやめて辿り着いた先の疑似魔人化。


 甚大なダメージを受けたことで魔素の力も失い、変身も解けた今、男はもはや何物でもない存在へと成り下がってしまいました。

 

 「……本職の魔術師というわけでもないだろうに。炎の壁、高速の雷撃、更には水属性と風属性との合成たる氷雪属性の詠唱魔術か……まさか軍の中でも限られたほんの一握りしかいなかった複数の魔属性に適応できる人間に実際にお目にかかれるとはな……光栄なこった……」

 

 かつて人間だった男は苦悶しながらもそう皮肉を言います。

 

 ウロコも無くなり、変質していた口や爪も元の人間の姿です。

 しかし、赤黒いサラマンドラのような肌の色と、鋭く細い瞳だけは、どうしても戻らないようです。

 

 「扱える属性はそれだけか、天才様?」


 「……全部……ですわ」


 「は?」 


 「わたくしの使える魔術は5大属性すべてとそのさらに上位の『白光びゃっこう』・『黒冥こくめい』。さらにそれらを合成することでできる融合属性……。そして属性というくくりを越えた魔術自体の上位『魔法』もついこの間、一応は発動できましたわ」

 

 「はん?……人間一人につき一つが基本のはずの魔属性を全部。そして『魔法』か……。もうそいつは天才とかっていう次元じゃないな」


 男はボロボロの体で倒れ込みながらも相変わらずの残酷で冷徹な笑みを浮かべます。

 

 「この……バケモンが……」


 「……幼い頃より言われ慣れ過ぎて、もはや愛着すら沸く蔑称ですわ……」

 

 レイピアを構えます。

 魔力も何も帯びない、ただの金属の刃ですが、その薄ら笑いを止めるには充分に事足ります。

 

 「……ええ、トカゲ崩れのあなたなどより……よっぽどわたくしの方が怪物なのかもしれません」


 そんな我知らず口から零れたつぶやきと共に、わたくしは剣を振るいます。

 

 「ダメェェェェェ!!!!!」


 ガッチリと後ろから抱きすくめられたわたくし。


 男の眉間を穿とうと伸ばされたレイピアの切っ先が、その目の前でピタリと止まります。

 

 「お願い!お願いします剣士様!どうか……どうかその人を殺さないで!!」


 「……シエルさん」

 

 そう、慈悲なく振るわれたわたくしの剣を止めたのは他でもない。

 夫だと思っていた男に欺かれ、裏切られ、想いのすべてを踏みにじられた、シエルさんでした。

 

 「もはや、説明の必要はないかと思いますが……この男、街にも人にも……そして何よりあなたに対してどれだけ卑劣な行いを働いたのか……理解していないわけではないのでしょう?」

 

 「はい!はい!!もちろんです!夫のしたことは決して許されない、死ですら贖うことのできない重罪なのは百も承知です!!」


 わたくしの腰に必死で縋りつく彼女の力はますます強くなります。


 「私、本当はわかっていたんです。……夫が……いつも優しくて、穏やかな夫が、私のことをこれっぽっちも愛していないということは……」

 

 所詮は、一般女性の細腕の力。

 振り払えないなんてことはないはずなのですが、力以外の何か……たとえば、それでも夫を愛しているという想いの重さが、わたくしの体を縛り付けます。

 

 「この人は私なんて見ていない。……患者さんや街の方々、そういった人たちと触れ合っていながら、この人がいつもどこか違うところを見ていたことはわかっていたんです。……そして、最後まで聞かせてはくれませんでしたけど、何か大きな夢が……なんとしても成し遂げたい願いがあったのもわかっていました……」

 

 夢……。


 シエルさんは、この男の下らない、ただ心に深く暗く根付いた劣等感を払拭するためだけに繰り広げられたこの惨状を見てもなお、彼女はそれを夢と、願いと表現しました。

 

 ああ、もう……。

 やめて下さいまし……。

 

 この男には一つまみも共感なり同情なりの感情は抱いておりません。

 死ですらあがなえない罪であっても、やはりまずを持って己の命を捧げるしか他の焼き尽くされた命に報いることはできないと、わたくしは断固として思っています。

 

 けれど……そんな悲痛な声で懇願されたら……。

 まだこの大罪人を夫と呼び、それの抱いた低俗な野望を『夢』と言い切ってしまう、奥方の盲目的な愛が、わたくしの女としての部分を捕らえて放しません。

 

 ええ、わかります。

 嫌になるくらいわかってしまうのです。

 

 もしもイチジ様が、人道からはずれた行いをしたならば。

 そして彼が、わたくしの目の前で断罪の刃に晒されていたとしたら。

 

 ……正直。

 それを黙って見過ごすことができるかどうか、自信はありません。

 

 理屈でわかっていても。

 理性で理解していても。

 

 愛しい人が自分のすぐそばで殺されそうになっている……そこだけを切り取って考え、悲しくて切なくて受け入れられないのが女です。

 

 たとえ止めに入る行為が間違いでも。

 たとえ犠牲者、自分、そして他でもない、愛しい人自身ですら救われなくなるとしても。

 

 自分の手の届く範囲であるならば、体が勝手に動いてしまう。

 それが……恋する女なのですわ。

 

 「ここで剣士様に見逃していただいても、ちゃんと私が付き添って司法の手に委ねます!極刑であることは間違いないでしょうから、結果、たかだか数日命が伸びる程度のものです……ですが……ですが!その数日だけでいいんです!この人に……夫に自分の罪を自覚させ、少しでも犠牲となった方々への贖罪をさせて欲しいのです!」

 

 「……そうですか……あなたはまだ、諦めてはいないのですね」

 

 もはや死によってしか暗い呪縛から解放することしかできない夫。

 もはや行きつくところまで行きついてしまった夫。

 

 それでも彼女はたった数日間の猶予のうちで彼が改心してくれることを信じ、最後の最後には、トカゲモドキでも落ちぶれた極悪人でもなく、ただ一人の罪を背負った人間として死んでいくことを願っているのです。

 

 「どうか……どうか……剣士様……どうか……お願いいたします……どうか……」


 「……シエルさん……それでも、わたくしは……」


 「ねーちゃん!危ない!」


 「……よくやった、シエル」


            ブヴァァァァァァァ!!


 コンマ何秒という差で、離れて立っていたコルカの叫びの方が早くわたくしの耳に届きました。

おかげで得意の不意打ちによって放たれた炎のブレスから、シエルさんを庇う余裕ができます。


 「おまえはイイ女だよ」


 この男……さきほど乱射した時のように、シエルさんを巻き込むことも躊躇せずに炎を吐き出しやがりましたの。


 そんな非道をふるうだけの余力が残されていたことに驚きです。

 なるほど……尻尾の再生うんぬんまではわかりませんが、こと生命力にかけては、たとえ中途半端に変身が解けても、やっぱりトカゲというところですか。

 

 「本当に、本当に都合がいい女だ……」


             ブヴァァァァァァァ!!


 もう一度、至近距離からのブレス。

 

 ≪ファイヤ・クリフ≫を発動させる間もなく、背中が焼け付きます。

 魔力障壁と黒い衣で防御はしていますが、さすがにこの距離では無傷とはいきませんか。


 「俺はまだ終わっちゃいない……まだ負けちゃいない!」


 「あ、あなた!」

 

 そう男は吐き捨てると、どこからそんな力が湧いて出るのか、一目散に道を走り、あっという間に背中が見えなくなります。

 

 方角的にいって……ギルド会館ですか。

 例の帝国肝いりの積み荷。

 それがあの男にとってまだ終わらないと言い放てるだけの根拠がある切り札。


 「……あの執念深さはトカゲというよりも、まるでヘビですわね……」


 「あなた……」


 男が駆けて行った方を、シエルさんは茫然と見つめます。

 

 結局……彼女の想いは夫に届きませんでした。

身を挺して命乞いをしてくれたシエルさんの言葉ならばあるいは、と思ったのですが。


 「……お怪我はありませんか?」


 「……はい……ありがとうございました。剣士様はお背中大丈夫でしょうか?」


 「問題ないですわ。……それで、シエルさん?」


 「……はい……」


 「残酷な物言いになりますが……。これであの男を救う手立てはもうないのだと、わかっていただけましたでしょうか?あなたの知るジョルソンさんはもういないのだと……」


 「……それでも、わたしは信じています。……と言ったら、あなたは呆れてしまいますか?」


 「…………」


 「愚かな女だと笑いますか、剣士様?あなたに庇われ、あなたに傷を負わせてもまだ、夫の方を心配している私のことを……軽蔑しますか?」


 「……いいえ」


 わたくしは短く答えます。

 

 あそこまでのことをされてなお信じていると言い切るシエルさん。

 それは純愛を越えた、ただの妄執……信じているのではなく、信じたい、信じなければいけないという強迫観念なのだと思います。


 呆れもします。嘲笑いもします。軽蔑だって感じます。

 しかし、それでもどこか共感してしまえる自分。

 その自分が、小さく首を振って否定させてしまいます。

 

 「……そう……そうでした。あなたは恋する魔術剣士様でしたね」


 「ええ、まったく……恋とは本当に難儀なものですわね」

 

 赤い赤い世界の中。

 炎と血と人と魔物が織り成す残酷な赤の街の道に立って。

 女二人、クスクスと場違いな笑い声を上げてしまいます。

 

 「剣士様の恋するお方はどのような男性なのですか?」


 「うーん……改めて言われるとなると表現に困る殿方ですわね」

 

 色々と抱えて、何かと複雑で。

 無表情なのに感情豊かで。

 

 覇気がないのに実は熱い心を持っていて。

 割と下ネタにはオープンなくせに、取り立ててスケベ心も見えなくて。

 

 こちらに無関心なくせに、いつでもさり気なく気にしてくれて。

 異世界出身の異邦人で。

 

 ドラ○もんとジ○リ映画が好きで。

 大きくて、強くて、優しくて……。

 

 「まぁ、一言で言うならば……超カッコイイんですわ」


 「ふふふ、それは一度お目にかかりたいものです」

 

 これが噂に聞く、女性同士の赤裸々な恋の話。伝説のガールズトークなのですわね。

 生まれてこの方、ボッチ街道まっしぐらなわたくしが、実は密かに憧れていたものの一つですわ。

 

 学園やカフェのテーブルではなく、こんな殺伐としたシチュエーションでというところが、いかにもわたくしらしいと言えばらしいのですが。

 

 もしも、すべてが片付いた暁には、もう少しゆっくりとこの方とお話をしたいものです。

 年上の女性として、恋する女の先輩として、あれこれと手練手管をご教示願いたいところ。

 

 ……ええ、本当に……。

 すべてが丸く……平和に、片付いたならば……。


 「……では、行ってまいります。おそらくはもう、ここら一帯に危険はないはずですので、騒ぎが収まるまで、コルカと共にまた病院の中に隠れていてもらえないでしょうか?」

 

 「……はい。……たとえついて行ったとしても、私にはもう何もできないでしょうから……」

 

 「コルカも申し訳ありません。少しでも早く、お仲間やマリエラさんのところに連れて行ってあげたいのですが、わたくしにはまだやらなければならないことがありますの」

 

 「……うん……大丈夫。俺がねーちゃんセンセを守っておいてやるよ!」

 

 「さすが男の子。カッコイイですわよ」


 照れくさそうにはにかむコルカ。

 

 子供なりに……いえ、子供の純粋無垢な瞳だからこそ、シエルさんが心に深い傷を負ってしまったことに敏感に気がついたのかもしれません。

 

 その小さな手で、キュッとシエルさんの手を力強く握ります。

 

 「だからねーちゃんのこと……アルルのこと待ってるから!アルルが迎えに来てくれるまで、ずっとここで待ってるから!だから絶対に……絶対に来いよな!約束だぞ!」


 「ええ、約束ですわ」


 わたくしたちは指切りを交わします。

 

 お決まりの文句をコルカとともに唱えつつ、わたくしはこっそりと絡んだ小指から彼に向けて魔力を付与して、もしもの備えをしておきます。

 

 そんなコルカと手を繋いでいるシエルさんにももちろん魔力は伝播し、それに気が付いた彼女は、微笑みながら目だけでお礼を伝えてきます。

 

 お互い、『俺が守る!』と宣言した男の子の可愛らしくも勇ましいプライドを尊重してのことです。

 

 「約束、やぶるんじゃねーぞ!」


 「……どうか……夫を救ってあげてください……」

 

 「委細承知いたしましたわ!!」


 わたくしは、新たに二人分の想いを背負い、走り始めます。

 

 ……重い……ですわね。

 

 イチジ様を無事に連れ帰るよう言ったホンスさん。

 コルカのことをお願いと言ったマリエラさん。

 街を、人を、故郷を頼むと言ったキルスさん。

 愛する人を救ってくれと言ったシエルさん。

 そして、わたくし自身もまた無事でいるようにと言ったコルカ。

 

 その他にも、街に渦巻く様々な思念が、わたくしの背中に乗っています。

 

 これだけの重たい想い。

 ≪現人あらびと≫ならずとも、その想いが魔素のように形のない力を成し、わたくしを奮い立たせます。


 これだけの想いの力。

 たとえあの男が邪悪ではあれど、ことさらに強い念を持っていたとしても、まったく負ける気がしないんですの。


 「……上等……です……のぉぉ!!」


 わくしの雄たけびが赤い世界に轟きます。

 

 目指すはギルド会館。

 

 おそらく、そこが。


 今宵、ドナの街で起こった一連の悲劇の幕が降ろされる場所となることでしょう。


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