プロローグ~POLICEMAN side①~

 「イチジさん!イチジさん!」

 

 時刻はちょうど日付を跨いで少しだけ経った頃。

 俺がデスクの上に置かれた物体の取り扱いについて腕を組んで悩んでいた頃。


 隣のコンビニで働く小柄なアルバイトの女の子がカチコミの鉄砲玉みたいに交番に飛び込んできた。


 「やぁ、ミカンちゃん。どうしたのそんなに慌てて?事件かい?……ああ、強盗?」

 

 「いえいえ、そこまでのことではないんですけど、そこまでのことかと問うにはあまりにもノリが軽すぎると思います!」


 「ジョークだよジョーク。ポリスマンジョーク」


 「現役警察官のあなたがネタにした時点で漏れなくすべてブラックになってしまうので今後一切ポリスマンジョークはやめて下さい!」


 ふむ、今日も今日とてミカンちゃんは実に生真面目だ。


 声の調子や駆け込んできた時の表情から、それほどひっ迫した状況ではないだろう。


  そうと思ってはいたけれど、それなりに焦っている中でもこちらの洒脱なユーモアにキチンとツッコミを入れてくれるその律儀さに感服してしまう。


 「それで、どうしたの?」

 

 「あ、えーと、ですね。女の子が店のゴミ箱から飛び出してきたんです!」

 

 「……ん?」

 

 「こう、顔からズシャーっていって!そのあとゴロゴロして後頭部をガツンです!」

 

 「……んん?」

 

 「ああ、違う、違います!今のなし!もっと詳細に話しますと……」

 

 「うん」


 「女の子(ゴスロリ)が店(コンビニ)のゴミ箱(燃えるゴミ)から飛び出してきた(それはそれは勢いよく)んです!」

 

 「……んんん?」

 

 「ですよね!そうなりますよね!私、何言ってるのか全然わかりませんよね!言い直しておいてどこに力入れてるんだって話ですよね!詳細さの方向性を見失ってますよね!」


 明らかに動転しているミカンちゃんがポッポと頬を赤らめ、クルクルと目を渦巻きにし、ワシャワシャと腕を高速で……高速で……どうしているのだろう?


 回して?上げ下げして?いや、何だか奥行きもあるし、残像とか見えちゃってるし。

 

 どう動いているんだ、これ?

 

 ツインテールまで一緒になってブン回すから余計にこじれているんだけれど。


 まぁ、いいか。

 とりあえず愛らしい。


 うむ、やはりこういう滑稽な仕草が、彼女にはよく似合う。


 前にそう褒めてあげたら、「バカバカ!」と半泣きになりながらポカポカ叩かれたっけな。


 そんな彼女をいつまでも生暖かく愛でていたい気もするけれど、そうもいかないか。


 「よし、ミカンちゃん。まずは落ち着こう、落ち着くところから始めるんだ」


 「は、はい、すいません……」


 「そう、整理、整理だ。一から……いや、ゼロから順序だてて整理するんだ、ミカンちゃん」


 「……はい、落ち着きます。ス~~~ハ~~~……ス~~~ハ~~~」


 「うん、いいね深呼吸。深呼吸はとてもいい」


 俺の言葉に生真面目にも応え、落ち着こうと深呼吸をしはじめたミカンちゃん。


 目を閉じた彼女が大きく息を吸い込む度に、ただでさえたわわな胸部がことさら前に押し出される。


 ピッタリとした制服の上着のボタンが今にも弾け飛びそうだ。


 乳房の大きさに貴賤はないと常日頃うそぶいている俺を持ってしても、この目の前で今まさに展開されている光景には壮観であると、絶景であると素直に賛辞を贈るしかない。


 前々から大きいなとは思っていたけれど、夏目なつめミカンはここまでやるか。


 蜜柑などではない。

 もはやそれはメロンだ、夏目ミカンよ。

 

 君は今日からメロンだ。夏目メロンに改名だ。

 

 もう誰も君のことを『ナツミカン』などという安直なあだ名で呼べなくなるのだ。

 

 代わりに『ナツメロン』と呼ばれて『やっぱり安直!』と君がツッコむまでが既定路線なのだ。


 「……ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 

 最後にもう一度だけ大きく息を吐き、メロンちゃんはゆっくりと目を見開いた。


 「落ち着いた?」

 

 「……はい、すいません、イチジさん。私、落ち着きました」


 「それじゃ、もう一度聞くね?」


 「はい、どんとこいです」


 「何があったの?」


 「女の子が店のゴミ箱から飛び出してきたんです!」


 「うん、そっちに行った方が早いみたいだ」




 実際、俺がミカンちゃんを伴いながら隣のコンビニへと向かうと、現場はまさしく彼女の証言通りの状況にあるようだった。


 大通りの喧騒からは外れているとはいえ住宅街の中心部。

 さして規模の大きくはないコンビニの慎ましやかな駐車場に車は停まっていない。


 ただ自動車の代わりに、女の子がいた。


 回収用の扉を開けたまま転がる燃えるゴミ担当と思しきゴミ箱。


 そこから袋を突き破って撒き散らされたであろう細々としたクズや紙コップ。


 鼻血を流し、後頭部を抑えながらエビのように縮こまって身悶えている女の子。


 「ふむ……」


 この現場を的確に、詳細に第三者に伝えるために模写するとすれば、俺ならどうする?


 ゴスロリファッションの女の子がコンビニの燃えるゴミのゴミ箱から、それはそれは勢いよく顔面から飛び出してきたのちにどこかで後頭部を強打したというところだろうか。


 さすがは夏目ミカン。


 一見して、ただのドジっ子錯乱ロリ巨乳ツインテ属性のわりに、何だかんだで誰よりもしっかり者だという俺の評価を裏切ることはない。


 「ミカンちゃん」


 「え?はい、なんでしょうか?」


 「そんな君のことが俺は大好きだ」


 「突然の告白!?」


 再びワシャワシャとする彼女。

 乱舞する胸部。



 眼福だ。



                    ☆★☆★☆



 「粗茶ですが」


 「……ありがとう……ですの……」


 ギャーギャーと喚き散らす女の子を問答無用で交番まで抱っこして引っ立ててきた。


 理由はわからずとも、落ち込んだり激昂したりと情緒が著しく不安定になっていた彼女。


 後頭部を強く打ったらしいので患部を診せてもらった際もまた一悶着あったわけだけれど、とりあえずある程度落ち着いたところを見計らい、俺はお茶を淹れた。


 お茶請けにと俺の夜食用に楽しみにしていた栗ようかんも添えてあげたら、女の子は目を丸くしつつもモキュモキュと美味しそうに、実に恍惚とした表情で食べた。


 「……美味ですのぉ。甘美ですのぉ。耽美ですのぉ」


 「お粗末様です」


 「いいえ、お粗末なのはわたくし……ええ、そう……本当にお粗末」


 「そんなことはないよ」


 「……こんなわたくしのことなど、お粗末ちゃんとでも呼んでくださいまし」


 「いや、蔑称よりもまず本名を知りたいんだけどね」


 「……ああ、お粗末ちゃんの粗雑な骨身に粗茶が染み入りますの……」


 「君、実はそれほど落ち込んでないよね?」


 見た目から言って日本茶が口に合うかどうか心配ではあったけれど、弱々しくも間断なく湯飲みと甘味を交互に口に運ぶ様子から、どうやらその心配は杞憂だったようだ。


 そう、見た目。


 ゴミの散乱する地面を転げまわったせいで顔やら髪の毛やら服やらがあちこち薄汚れ、鼻血を止めるために鼻の片穴にはティッシュを詰め込み、何かをやり遂げたというか何もかにもを失ったという感じにすっかり消沈して背中を丸めてブツブツと何事か呟いてはいた。


 けれど、日本人離れした目鼻立ちの良さ。食べ物を咀嚼する時の所作の端々などから、そこはかとなく気品と華やかさを感じる。


 安っぽいコスプレかと思っていた服は、素人目にも仕立てがいい黒のドレスだ。


 それもお伽話にでてくるようなモコモコとしたものではなく、ビスチェ風の袖が無くて丈も短いタイプ。


 うやうやしい式典用というよりは、その後の夜会に備えてあつらえた垢ぬけた物というイメージか。


 ヘアバンドも黒。肘から指先まで伸びた長い手袋も黒。

 スカートのヒダからスラリと伸びた脚を包むストッキングも黒。

 大きな瞳の色も長い髪の色も高いヒールの靴もまた黒、黒、黒。


 腰に巻いたポシェットだけが唯一光彩を持ったキャメル色。

 それがちょうど視覚的に程よいアクセントとなっている。


 先ほどまで当人が通夜の席にでもいるかのような沈痛な面持ちを浮かべていたのも相まってか、黒を主体にしたコーディネートはまるで喪にでも服しているかのようにも見えた。


 しかし、どうにもお仕着せ臭い。


 どこか作為的で何か意図的。


 そのどこかがどこか、何かが何なのかはわからないけれど、彼女を見ていると、どうにも据わりの悪い違和感を感じてしまう。


 違和感……違和感か……。


 ふむ、確かにあの胸は不自然なほどにふくよかだ。


 いや、長い手足と細いウエスト、総合的なバランスを見れば極々自然なのか?


 いやいや、巨乳と言えば夏目ミカン。夏目ミカンと言えば巨乳。


 この世のふくよかな胸は押し並べて彼女のような小柄な女の子にだけ備わる特異な性質なのではなかったのか?


 故に、この子のようにスラリとしたモデル系美少女の胸部がこれほど発達するのは何かしら自然の摂理に反する人為的な力が働いたと考えるべきなのか……。


 「……ふむ」


 「な、なんですの。わたくしのことをそのような熱い眼差しでマジマジと眺めまわして」


 その違和の正体を見定めるべく、俺が全くもって熱さのない、観察者としてむしろ冷めたいくらいの眼差しでジッと見つめていると、突然女の子はガバリと自分の胸元を両手で隠してしまった。


 「わ、わたくしの美しさに心奪われるのは仕方がないことですが、だ、抱っこしたくらいで自分の女みたいに思わないでくださいまし!それほどお安くはありませんのよ!」


 「確かに自意識は高そうだ」


 「アグリー!アグリーですわ!」


 「それはただの意識が高い人だ」


 そしてそれ、賛同しちゃってるからね?

 

 「ああ、こんなお粗末でヘッポコで、生きているだけで貴重な酸素を無駄遣いしてもはや二酸化炭素を吐き出すだけの無価値な装置でしかない有害な存在のわたくしなどもう、殿方の下劣な欲望のはけ口に身をやつすほか生きる価値はないのですわ!」


 「極端だなぁ」


 「粗茶の一杯だけで買収されたわたくしは一生この男のメス奴隷として余生を過ごすしかないのですわ!そしてあれもこれも開発された挙句に飽きたからと言って路上に全裸でポイされる運命なのですわ!!!」


 「もう一杯お茶を淹れてあげるから少し情緒を安定させてくれないかな?」


 結局、違和感の正体はうやむやのまま。

 事情も何も聴けず仕舞い。


 再びご乱心気味のお粗末ちゃん(仮)をなだめすかすために残り栗ようかんを献上すれば、もう少し心を開いてくれるかと思い、俺は立ち上がって台所へ向かった。


 「あ、ようかんの方、気持ち厚めにしてもらえたら更に美味しく頂けるかと思いますの」


  優雅な手つきで鼻の穴に詰めたティッシュを抜き取りながら、彼女は厚顔不遜に言い放った。


 「……アグリー」


 ホントどうした情緒。

 もっと頑張って安定しろよ情緒。

 

 やれやれ。今晩の夜食は無しか。

 

 ああ、ディスアグリー。

 実にベネフィットのないリスクヘッジ。


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