21. 反逆

 最後のキーを叩いた直後、スキャンまでの時間を確認していた男が叫んだ。


「スキャン開始しました!」

「今だ!」


 アツオの掛け声を合図に、マコトが作成したプログラムが作動する。このプログラムが正常に動けば、狙い通り本拠地とは離れた場所で一般有機資源のネット免許が停止するはずだ。ただ、即席で作ったプログラムということもあってマコトは何か失敗がないか心配だった。


「大丈夫のはず……目立ったミスはしてない……」


 そう言いながらも、マコトの手は震えている。これが失敗すれば、この本拠地に治安維持部隊が駆け込んできて全員処理されてしまうだろう。震える手を握りこみ、マコトは信じてもいない神に祈っていた。


「頼むよ……うまくやってくれ……」


 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、アツオの下に潜入中のメンバーから連絡が入った。


「……そうか! よかった! マコト、成功だ!」

「本当に!?」

「たった今、第六エリアで原因不明のネット免許一斉停止事故が起きたとエリア担当から緊急連絡が来たらしい! やったな!」

「よかった……」


 安心感から力が抜け、マコトはその場にへたり込んでしまった。周りからは、作戦の成功を喜ぶ声がざわざわと聞こえてくる。アツオは満面の笑みをその髭面に湛えて座り込んでいるマコトの背を叩いた。


「やったなぁマコト! あとは、ここのスキャンを適当にこなしてくれるかどうかだが……」

「こっちの偽造は俺たちがやったからな、ぱっと見じゃ違和感に気が付けるわけないぜ」


 少し離れたところで作業をしていた有機資源たちが嬉しそうにサムズアップする。こういった隠蔽工作に慣れているのか、その表情に戸惑いや緊張は見られない。


「普段、事前にスキャンがあるって分かってる時はあいつらに偽造を任せてるんだ。心配はないだろう」

「そっか……」

「マコト、お疲れ」


 声を掛けてきたのはキョウヤだった。焚き火の周りで使っていたカップとは別のモノに液体を入れ、それを彼女に差し出す。マコトは軽く礼を言いながら受け取った。


「しかし、すごかったなマコト。速さもそうだけど、何より気迫が凄まじかった」

「恥ずかしいから言わなくていいよ……」

「まあそう言うな。ここの連中はお前に助けられたんだ、褒め言葉の一つでも言わせてやれ」


 上機嫌のアツオから照れ隠しで顔をそむけるように、マコトはカップの中身を啜った。


「んぶっ」

「美味いだろ、それ」

「これ、アルコール?」


 咽ながらマコトが問うと、キョウヤは嬉しそうに頷いた。その笑顔は悪戯が成功した達成感、というよりも純粋に厚意を受け取ってもらえた喜ばしさといった方が正確だ。


「お前も知ってるだろ? あの、酒を違法取引してる露店の女将。あいつが定期的にレジスタンスにこうやって酒を横流ししてくれるんだよ」

「あんまり酒は得意じゃないんだけど……」

「貴重なものだからな、いらないんだったら俺が飲む」

「馬鹿野郎、キョウヤはこれから物資の運びだろ? 酒なんか飲んでて務まるかよ」


 げらげらと笑い声が周囲から聞こえてくる。その声からは悪意が感じられず、マコトはふう、と息を吐いた。


 レジスタンスにおいて貴重な物資を分けてもらったのは、信頼に足る存在だと認められたからだ。マコトはそれがどこか嬉しくて、綻ぶ口を隠せなかった。

 その時、マコトの端末が震える。何かのアラームか、と思ったがそんな設定はしていなかったはずだ。訝しんだマコトは、何とか立ち上がって人の輪から外れ、少し離れた場所で端末の電源を入れた。


「……え?」


 そこには、メッセージの着信を告げるポップが躍っていた。まだルーターが動いていたらしく、普段なら私用でメッセージを表示することのない画面に確かに「メッセージ 一件」と表示されている。


 しかも、送信元は。


「ユズリ……?」


 あの、Nクラスの少年だった。


 一体いつ自分の端末のアドレスを知った? 本当にこれはユズリなのか? もしかしたらE-terの罠かもしれない。でもE-terはニンゲンの作ったものには介入できないはずでは。衛星を介してネット回線に繋がっているなら、これは本物のユズリ? 彼女の頭の中を一気に思考が駆け巡るが、マコトの指は勝手にそのメッセージの表示ボタンに触れていた。


 指示を受け取った端末は、数秒のタイムラグを経てユズリからの言葉を展開する。数行に分けられていたメッセージは、こう書かれていた。


 ≪マコトへ≫

 ≪突然ごめんね≫

 ≪マコトが前に教えてくれた識別番号で連絡先を調べてみたよ≫

 ≪もしよかったら、明日の夜に会えないかな≫

 ≪またあのゴミ捨て場で待ってるから≫

 ≪ユズリより≫


 マコトはそのメッセージを読んで、躊躇った。今外に出るのは、正直なところあまり得策ではない。マコトはE-terの安寧を脅かすレジスタンスに肩入れをしている反逆者の仲間入りを果たしたのだ。治安維持部隊に追われているのに、見つかる危険を冒してユズリに会いに行く勇気は、生憎持ち合わせていなかった。


 少し考え、マコトはゆっくりと慣れない手つきで端末にメッセージを打ち込み始めた。


 ≪ユズリへ≫

 ≪こんばんは。マコトです≫

 ≪悪いけど、私は君のところに行けない≫

 ≪この連絡先も、消してほしい≫

 ≪ごめんなさい≫

 ≪マコト≫


 不自然に軋む胸を押さえながら、そっと送信ボタンに指で触れる。欲を言うならば、ユズリに会いたい。彼に礼を言いたいとの一心で必死にセキュリティスキャンをやり過ごした気持ちは嘘ではないし、純粋にまたあの少年の横に並んで歩きたいという思いもある。どうしてこんなに彼に焦がれているか、E-terの教育になかった気持ちを今の彼女は理解できなかったが、マコトの感情はユズリに会いたいと叫んでいた。

 しかし、レジスタンスの一人裏切り者になった今、会う資格がないのはマコト自身の理性が一番理解していた。

 また端末が震える。ユズリからの返事だ。


 ≪何でそんなこと言うの?≫

 ≪マコト、何かあった?≫

 ≪大丈夫?≫

 ≪やっぱり会って話がしたいよ≫

 ≪ねえ、マコト≫


 文面から少年の心配そうな表情が浮かんでくるようだ。だが、最下層のさらに下に落ちた身分の自分がユズリに会っても悪影響を及ぼすのは目に見えている。Nクラスの思想教育に染みを残せば、ユズリの将来も貶めてしまうに違いない。そんなことは、マコトも望んではいなかった。


 ≪理由は言えないけど君に会うことはできない≫

 ≪ユズリのためを思って言ってるんだ≫


 しかし、ユズリも強情だった。マコトの返事に対して、一歩も退かずこう返す。


 ≪マコトが何を考えてるかなんて知らないよ≫

 ≪僕がマコトに会いたいって思う気持ちは聞いてもらえないの?≫

 ≪僕、マコトに話さなくちゃいけないことがあるんだ≫

 ≪少しだけでもいいから、会いたい。それもダメかな≫


 少しだけでも。その言葉に、マコトの理性は揺れた。ほんの少し、それこそ、二言三言交わすだけならば。外に出る準備を怠らず、治安維持部隊のパトロール経路を確認すればあるいは。

 外に出るユズリに会うか、地下に籠る彼を諦めるかで揺れていた心の天秤は、感情に傾いた。それがマコトの答えだった。


 ≪分かった≫

 ≪でも、時間と場所は私が指定する。それが条件≫

 ≪帰らなくちゃいけなくなったら、私は君を置いていくよ≫


 心臓が締め付けられるような葛藤の末に、マコトの指はそんな文字を画面に入力した。断りのメッセージを打った時とは打って変わって、マコトの胸中は何故か暖かった。きっと、また彼に会えることを無意識のうちに期待していたのだろう。ほう、とため息を吐いてマコトはユズリからの返事を待った。


 こんな風に他者とネットワークを通じて連絡を取るなんて、アテナで支給されていた端末で友人とやり取りをしていた時以来だ。ネットの私用を基本的に許可されていないEクラスになってからは、チャット機能など一度も使わなかった。いや、使えなかったという方が正確かもしれない。


 端末のバイブレーション機能が、ユズリからの返答を報せた。すぐさま画面を開けば、そこには安堵したような文章が綴られている。


 ≪よかった≫

 ≪ありがとうマコト≫

 ≪じゃあ、場所と時間をまた教えてね≫

 ≪約束だよ≫


「約束、か」


 そのたった一言に、マコトは誰に見られることもなく微笑んだ。ひどく子供じみたその言葉も、今の彼女にしてみればどんな精神安定剤よりも心を安らかにしてくれた。


 そっと端末を掻き抱いて、目を閉じる。作戦の成功を喜ぶレジスタンスの有機資源たちの歓声は、まだ止まない。マコトはそのざわめきに身を任せるようにそっと眠りに就いた。








「連絡はちゃんと取れる……あげた機械はちゃんと動いたんだ」


 マコトからの返信を見ながら、ユズリは静かに呟く。窓もない真っ暗な部屋の中で、ユズリが見ている端末のバックライトだけが光源だった。端末を撫で、ユズリはうっそりと笑みを浮かべる。地べたに座り込んだ状態で壁に背中を預け、その笑顔を崩さないままに独り言ちた。


「マコト……君は、最下層より下でどんな人生を送るんだろうね」


 端正な顔を微笑みで歪めるユズリを見る者は、部屋の中は愚か、世界中のどこにもいなかった。

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