第10話 束の間の休息

 解呪をした後、アクセリナは自分の力を綺羅に分け与えたが、それでも綺羅の体は動かなかった。

 アクセリナいわく、体が動くようになるには、数日かけて少しずつ力を与えていかなければならないらしい。しかも力を分け与えたアクセリナも体がほとんど動かせなくなるため、二人の世話をクリストファーがしないといけなくなった。


 そうして二人の世話に追われながら数日が過ぎたある日、クリストファーが縁側に座っているとアクセリナが声をかけてきた。


「休憩中?」


「あぁ。君たちの分まで動いているからね。少しぐらい休んでもいいだろ?」


「えぇ。私たちの分まで、しっかり伊織ちゃんのお手伝いをしてね」


 そう言って微笑んだアクセリナの顔色はあまり良くなかった。普通の人で言うと毎日輸血をしている状態らしく、もともと白かった肌が青白くなっている。


 アクセリナは自分から進んでしていることだから、と心配されることを嫌っているため、クリストファーは綺羅のことを訊ねた。


「綺羅の様子はどうだい?」


「だいぶん動けるようになってきたわ」


「回復したら、こき使ってやる」


「そうね。あ、ほら伊織ちゃんよ」


 そう言ってアクセリナが指さした先にはカゴを抱えた伊織が歩いている。


「あれは畑で野菜を収穫するつもりね。さっさと手伝ってきなさい」


 ここで世話になっているため部屋の掃除や洗濯、畑仕事など手伝える家事は進んでやるようにしている。


 クリストファーは軽く頷きながら靴を履いた。


「何かあったら鈴を鳴らしてくれ」


 アクセリナが返事をする前にクリストファーが走り出す。


「はい、はい。頑張ってね」


 聞こえていないクリストファーに向かってアクセリナが手を振る。そこに後ろから声がした。


「良い感じだね」


 アクセリナが振り返ると、そこには綺羅が立っていた。


「歩いて大丈夫?」


「アクセリナのおかげで、ゆっくりなら歩けるようになったよ」


「それは良かったわ」


 そう言うとアクセリナは前を向いた。視線の先ではクリストファーが伊織に話かけて二人で畑へ歩いて行く姿がある。


 そんな伊織を見てアクセリナはどこか拗ねたように言った。


「伊織ちゃんってずるいわ。あんなに可愛らしい外見なのに、あんなに強いのだから」


「アクセリナだって強いよ」


 綺羅の肯定にアクセリナは首を横に振った。


「そんなことないわ。私があれぐらいの年齢の時は自分の運命に足掻きまくっていたもの。でも伊織ちゃんは受け入れて、静かにその時を待っている」


「アクセリナは全力で動いて、気に入らなかったら、とことん足掻くからね」


 その言葉にアクセリナは振り返りながら綺羅を睨んだ。


「それ、褒めてないわよね?」


 アクセリナの反応に綺羅が意外そうな顔をする。


「そう?オレはそんなアクセリナが好きだよ」


 綺羅の一言にアクセリナは白銀の瞳を丸くした後、気が抜けたように笑った。


「まったく。そんな私に付き合うんだから、綺羅の気がしれないわ」


「そんなの簡単だよ。オレはアクセリナのことしか考えてないから」


「はい、はい。でも、あの二人はどんな決断をするのかしら?」


「もうすぐ分かるんでしょ?」


 綺羅の確認するような言葉にアクセリナは神妙に頷いた。


「えぇ、もうすぐよ。もうすぐ……」


 そう言って前を向いたアクセリナの視線の先には誰の姿もなかった。



 セミの声が響く中、まだ真上まで登っていない太陽が容赦なく照らしてくる。蒸し暑さの中で時折吹く風が涼しくて心地よい。クリストファーは夏の日差しの下で胡瓜やトマト、茄子などの夏野菜を収穫していた。


 同じように夏野菜を収穫している伊織がクリストファーに声をかける。


『そろそろ終わりにしましょう』


『他に手伝うことは?』


 クリストファーの申し出に伊織が軽く首を横に振る。


『朝、草抜きを手伝って頂きましたし、今日の畑仕事はこれで終わりです』


『そうか』


 伊織はカゴの中からトマトを二つ出すとクリストファーに渡した。


『小川で冷やしていて下さい。そこで休憩しましょう』


『あぁ』


 頷くクリストファーに伊織は笑顔を向けると夏野菜がいっぱい入ったカゴを持って本家へと歩いていった。クリストファーはその後ろ姿を見送ると、畑の側を流れている小川へと向かった。


 そこは木々によって日陰が作られており、足元には小川が流れているという炎天下の中でも涼しい場所だった。しかも大小様々な岩があり、岩で出来た囲いの中にトマトを置いておけば、そのまま冷やされるという天然の冷蔵庫のような場所でもある。


 クリストファーはそこにトマトを置いて岩に座ると、靴を脱いで足先を小川につけた。程よい冷たさに体が冷やされていくのが分かる。最近は伊織と畑仕事をした後、ここで休憩するのが日課となっていた。


「こんな生活は初めてだな」


 空を見上げると、くっきりとした青い色の空に、どこまでも白い色をした雲が浮かんでいる。そして周囲は色鮮やかな緑色をした木々と、透き通った小川がある。これだけ主張した色彩に囲まれながらも時間は穏やかにゆっくりと流れている。それは今まで感じたことのない不思議なものだった。


 いつも何か考え事をしていることが当たり前だったクリストファーが何も考えないという体験をしていると、聞きなれた声が響いた。


『退屈ですか?』


 突然の声にクリストファーは慌てて声がした方を向いた。そこには、いつの間に来たのか、伊織が履物を脱いで小川に足をつけていた。


 驚きで声が出ないクリストファーに伊織がもう一度訊ねる。


『ここでの生活は退屈ですか?』


 黒い瞳を向けられてクリストファーはどこか気まずそうに視線をそらしながら答えた。


『退屈ではない……と言ったら嘘になるかな。けど、こういう生活も悪くないと思う』


『ここでは同じ生活を永遠と繰り返すだけです。たまに客人が来られますが、私達の生活に変わりはありません。全ては同じように繰り返されるだけです』


 伊織からの思いがけない言葉にクリストファーは深紅の瞳を大きくした。


『もしかして……君はここの生活に退屈しているのかい?』


 その質問に伊織は微笑むだけで小川につけてあったトマトを取った。


『よく冷えていますね。どうぞ』


 クリストファーはトマトを受け取りながら訊ねた。


『ここ以外での生活に興味がある?』


『……そうですね。あなたの国での生活など興味があります』


『私の国?私の国は、この国よりずっと広くて……』


 クリストファーは他人に自分の生活などプライベートなことを話さないのだが、この時は自然と普段の生活を話していた。

 もともと周囲に集まる女性は、自分に気に入られようとするばかりで、クリストファー自身を見ている人はいなかった。そのため、自分の話に純粋に興味を持って静かに傾聴する伊織が嬉しく、いつの間にか色々な話をしていた。


 クリストファーが話に夢中になっていると正午を知らせる鐘が響いた。


『もう、そんな時間か?』


 驚くクリストファーに伊織が笑う。


『楽しい時間はあっという間に過ぎると言いますが、本当ですね』


『そうだね。とりあえず、帰ろうか』


 そう言ってクリストファーが立ち上がる。その拍子に手が靴に当たって小川に落ちた。


「しまった!」


『あ!』


 二人が同時に靴を取ろうと手を伸ばす。そしてお互いの顔が近くにあることに気が付いた二人は驚いてバランスを崩した。


「うわっ!」


『きゃっ!』


 そのまま二人は見事に小川に落ちた。


「冷たいな」


『大丈夫ですか?』


 そう言いながら二人が顔を上げる。そしてお互いに全身ずぶ濡れとなった姿を見て思わず笑い出した。


 少ししてクリストファーがこうなった原因を見つけて慌てて立ち上がる。


「待て!」


 優雅に小川を流れていく靴をクリストファーが追いかけていく。いつも落ち着いているクリストファーが形振りかまわずに慌てて靴を追いかける姿に伊織は再び笑った。


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