6.Jail

6-1

 よく眠れぬまま登校時間になり、アリスは朝食をとらずに身支度した。カルナはソファーでぐっすり寝ていた。起こさぬよう静かに家を出ていく。


 スクールバスの中で『Fairy Dust』のランキングを確認した。また下がっている。


 嘘でしょ……。


 アリスはぐったりと窓にもたれかかる。

 バスの中で妖精の粉を集める間にも、どんどん月間ランクは下がってゆく。ため息が止まらない。


 ぼんやりしているうちに学校に着いた。上の空で、終業式に向かう人並みに流される。

 一度『Fairy Dust』を終了する。自然とSNSのアイコンに目が向き、昨日カルナに言われたことを思い出す。


『おまえ、狙われてるぞ』


 寝不足の目がかすみ、体育館へ向かう真っ黒な集団が無個性ににじんでいく。


 私が誰かに狙われてる? この中の誰かに?


 昨晩カルナに告げたように、誰かの恨みを買ったおぼえはなかった。同時にカルナの言葉を思い出す。


『恨みとは限らないぜ?』


 じゃあ、嫉妬とか?


 でも、アリスには妬みすら買った覚えがなかった。金髪と青い目が目立っている。それは自覚していた。だからってそれを鼻にかけてるつもりもない。運動も勉強もパッとしない。部活も生徒会活動もしていない。


「私にはなんにもないのに」


 アリスのつぶやきは雑踏にかき消された。



 終業式が始まると、アリスはすぐ居眠りを始めた。先生たちが代わる代わる長話をしているのが、遠い世界のできごとのようにうっすら聞こえてくる。よく効かないエアコンでどんどん湿気る体育館。首筋を流れる汗の感触だけがアリスを現実に引き戻しかける。


「ほんとにすっげーな。Pink Dust出まくりじゃねーか」


 『Fairy Dust』のアイテム名が聞こえ、アリスは目をさました。近くの男子生徒がヒソヒソと私語をしている。


「だろ? 昨日『俺ゲーマー速報』の記事に載ってるの見つけてさ」


「マジですっげーな」


 アリスはそっとPlum phoneを取り出し「Pink Dust 俺ゲーマー速報」で検索をかけてみた。トップヒットで出てきた昨日づけのウェブ記事をざっと読み流す。


 レアアイテムの出現率を上げる非公式パッチ『Dust Crystal』……適用するにはJailbreakジェイルブレイクが必要だけど、そのためのアプリも同梱されてる……。


 アリスはPlum phoneを放り投げたくなった。そんなものが流行しているんだったら、昨日一晩中走り回ってなお順位が下がったのも理解できる。


 脱力し、再び眠りの世界に沈みながら、アリスはうっすらと考えた。


 そのパッチ、私も入れないとランカープレイヤーになれないかな……。


 記事は肯定的に書いていたが、利用規約やプレイヤーモラルに抵触する行為。アリスにもそれくらいはわかった。しかしこのまま指をくわえて初のランクインを逃すのも、違う気がした。


 チャイムが鳴り、周囲がざわつき始めた。まだ壇上で生徒指導の先生が話しているのも無視し、生徒たちが教室に帰り始める。アリスもその流れに乗って列を崩す。まだ眠い目をこすりながら呟く。


「あとでカルナに聞いてみよう……」


 今のアリスにはまだカルナが何と答えるかわからなかった。目的のために手段を選ぶなと言うか、そんな手段で達成した目的など虚しいと言うか。


 不意に、アリスの肩がぽんと叩かれた。同時にカルナの声がリフレインする。


『おまえ、狙われてるぞ』


「ーーっ!」


 アリスがびくりと振り向く。

 大きく見開かれた空色の瞳を見、黒いタレ目がきょとんとしている。


「な、なんだ文菜じゃん」


「びっくりしすぎだよアリス。どうしたの?」


「ううん、なんでもない」


 文菜を通してアリスが狙われているなどと知ったら、それでピリピリしているなどと知ったら、この優しい友達は深く傷つく。アリスは気取られぬよう深呼吸して早鐘を打つ心臓を落ち着けた。

 文菜はポニーテールを揺らしながら言う。


「ね、このあとマチルダで新作のシェイク飲みに行こうよ」


「う、うん! いいね!」


 文菜の雑談にあいづちしながら、アリスはくらくらしていた。暑さのせいだけではない。悩みごとが多すぎる。このあとホームルームが終われば夏休みで、しばらく学校に来なくていいことだけが救いだった。自分を狙う誰かの監視からきっと逃れられる、と。




 

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