5.Sniper

5-1

 玄関の開く音がして、アリスは目を覚ました。スマフォの時計を見ると午前六時半。アリスはのそのそとベッドから抜け出す。


「ママー、おかえりー」


 寝ぼけ声で言う。あくびをし、涙を拭うと、母親がリビングのまんなかにつっ立っていた。いぶかしげな視線の先、ソファーではカルナがぐっすり眠っている。


「あ、えっと、その子ね、土日に遊んだ友達なんだけど家の鍵なくしちゃって」


「アリスが入れたならいいけど」


 母親は言い、ダイニングテーブルに荷物を置いた。キャッシュカード、通帳、銀行印などを持ってきてテーブルに広げはじめる。その物音でカルナがのそりと起きた。


「……こんちわー」


「こんにちは」


 母親はカルナを一暼いちべつもせず、忙しそうにクレジットカードとメモ帳を見比べている。それをいいことにカルナはじっくりとアリスの母親を観察した。アリスそっくりの顔立ちだが、表情に性格のキツさがにじんでおり、まったく似て見えない。また、金髪に空色の目をしたアリスと違い、母親はよくある黒髪に茶色の目をしていた。


「ママどうしたの? 何か食べる?」


「ネットバンキングが使えないのよ。クレジットカードも使えなくて」


 アリスの母親は後半の質問を無視した。アリスは手にとったエプロンを戻す。


「銀行から、セキュリティを変えたからパスワードや暗証番号を再設定しろってメールが来てたんだけど……そのとき再設定後のメモを間違えたかしら……?」


「そのメール、見てもいいです?」


 カルナが言うと、アリスの母親はPlum phoneをずいと横に寄せた。カルナはソファーから立ち、ちょっと立ちくらみし、ダイニングテーブルまで来てPlum phoneを取った。メールをじっくり眺める。

 その間にアリスの母親は部屋に入り、手早く着替えを済ませた。机に散らばった物をビジネス鞄に詰めてゆく。カルナがそっとPlum phoneを戻すと、それもポケットに滑りこませた。


「会社の前に銀行寄らないと」


 それだけ言い、アリスの母親は慌ただしく部屋を出て行った。


「いってらっしゃーい」


 アリスの声に返事もせず、玄関の扉が閉まる。

 アリスはほんの少しだけため息をした。カルナがそれを横目に見ながら言う。


「おまえ、母親と仲悪いんだな」


「えー、そんなことないよぉ」


 苦笑いするアリスをカルナは突き放す。


「仲がいいっていうのは、喧嘩しないこととは違うぜ」


 アリスの笑みが消えた。あわてて苦笑いを取りつくろい、ぽつりと言う。


「ママは私たちを育てるの、大変だったんだよ。パパもママも日本人なのにお姉ちゃんは銀の髪、私は金の髪で、外国人と不倫してたんじゃないかってずっと言われてたみたいだから。ちょっとそっけないのも仕方ないよ……」


「だからっておまえが遠慮することねぇじゃん。おまえのせいじゃねぇんだし」


「えっ?」


 カルナはソファーに戻り、大きくのびをした。ついでにあくびをし、この話題はおしまいとばかりに両手をヒラヒラさせる。


「話は変わるが、おまえの母親、十中八九サギにあってるぜ。あとで教えてやれ。俺にも同じようなメールが来たことある」


 カルナは自分のブランド端末を操作し、アリスにメールの受信画面を見せた。銀行の名前で、ネットバンキングシステムをアップグレードした旨、そのためパスワードと暗証番号を再設定してほしい旨が書かれている。確かに母親の話と同じ内容だ。


「これだけでサギだってわかるの?」


「送信者のアドレスをよく見ろ」


 アリスが言われた通り見てみると、メールアドレスの末尾が「bamk.co.jp」になっていた。きっと本来は銀行を意味する「bank.co.jp」なのだろう。小文字のエヌがエムに変わっている。

 アリスは軽いめまいすら覚えた。


「ほんっと、こんなワルいことよく思いつくなぁ」


 カルナに乗っ取られたPlum phoneは決して気分のいいものではないが、母親の口座がピンチとなると買いかえをねだっている場合ではなさそうだ。バイト代はワンピースの予約で吹き飛んだ。あんなの買ってる場合じゃなかったとアリスは多少後悔する。


 そんなアリスの内心などつゆ知らず、カルナはメール本文を指さした。


「ついでに言うと、本文に貼られたリンクが短縮URLなのもあやしい。ドメイン名が見えねぇから、どこに飛ばされるかわかったもんじゃない。あと早起きして腹が減った。おまえの料理が食いたい」


 言うだけ言い、カルナはアリスからスマートフォンを取り上げ、ネットサーフィンに戻った。アリスはその甘えた言い方にちょっと笑うと、エプロンを取ってキッチンに向かった。

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