4-2

 食卓にはいつの間にかオムレツ、コンソメスープ、シーザーサラダとくるみパンが並んでいた。手際のよさにカルナはいささか驚く。

 配膳を終え、カルナの正面に腰かけながらアリスが言う。


「カルナのスマフォ、ブランド端末じゃん。お金持ち〜」


「俺はその呼びかた超スーパーだいっっっ嫌いだけどな」


 ツバでも吐かん勢いのカルナをアリスは笑う。オムレツにトマトケチャップでハートを描く。

 アリスがカルナにケチャップを手渡す。カルナはオムレツに直接はかけず、ほんの少しだけ皿の端に盛った。


「いただきます」


 アリスが手をあわせてほほえむ。カルナは小声で続いた。


「……ます」


 恥ずかしそうな声とは裏腹、がっつくように食べ始めるカルナ。よほど空腹だったらしい。その様子をアリスは楽しげに見守る。


「目の前で美味しそうに食べてくれると、嬉しいね」


 その語尾に寂しげな響きを聞き、カルナは顔を上げた。

 アリスは空色の目を逸らし、食事を続けた。わざとらしく話をそらす。


「ブランド端末って呼びかた嫌いなの、なんで?」


「あー……」


 半熟のオムレツをかきこみ、飲みくだしながら考えるカルナ。オムレツの皿が空になるとサラダに手をのばした。ゲーム食いだ。


「かつて」


 空いた皿にシーザードレッシングを流しながら口火を切る。


「サンドボックス構造を徹底したスマートフォンが」


「あ、サラダの味濃かった?」


「いいから黙って聞いてろ」


 アリスは素直に黙った。うんちく中のカルナを邪魔すると後がこわい。


 薄味になったサラダを食べながら、カルナは語る。


「要するにかなり高いセキュリティ水準を担保したスマートフォンが一斉いっせい風靡ふうびしたんだ。ちょっと高価だが、その携帯を普通に使ってりゃマルウェア感染など絶対しない。正規のマーケットなら安全なアプリしか並んでない。そんな時代がざっと20年ほど続いた。2018年ごろまで。……Plum phoneができるまで」


 カルナが箸でアリスを指さす。


「つまりお前の父親がPlum OSを作るまでだ」

 

「お行儀わるいよ」


 カルナがサラダを食べ終え、スープ皿を取る。


「大衆は安全な20年の間に忘れちまったんだ。サイバー・トラップから身を守る方法を。安全の価値を。安全には金がかかるんだってことを。そこに山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごはクソ安いゴミOSを投げこんだ。長引く不況にあえぐ大衆は飛びついた。自分たちを正当化するために高価で安全なスマフォを『ブランド端末』なんて呼びはじめた。『ブランド端末』は山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごの手のひらで踊る愚民の用語なんだよ。だから嫌いだ」


「パパを悪人みたいに言わないでよ」


山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごは悪人だろ? そして優秀な商人と優秀なハッカーはいつの時代も魂が悪人なんだ。あいつは両方だった。山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごは本当に天才だ。時代の寵児なんだよ」


「パパのこと悪く……」


 抗議しかけたアリスの言葉が止まる。

 カルナは悲痛に眉をひそめていた。スープ皿を持ち上げ、飲むことで表情を隠す。

 皿を置いた頃にはいつもの生意気顔に戻っていた。


「とにかく。ろくな金を払ってないなら客じゃなくて餌なんだ。それを誤魔化すためにマトモな方を『ブランド端末』なんて言い方するのは嫌いなんだよ」


「ずっと気になってたんだけど」


 アリスがカルナの目をじっと見る。


「金を払ってないなら……って、パパの言葉よね」


 黒い瞳の奥に父が隠れているとでも言うように、なおじっと見すえる。カルナは一瞬ごまかすそぶりを見せたが、視線の強さに諦めた。


「……おう」


「ねぇ、続きがなんだったか覚えてる? 覚えてたら教えてほしいの」


 アリスは記憶の中の、優しい父親の口調を真似る。


「おまえがお金を払ってないなら、おまえは客じゃなくて餌なんだよ。だから……」


「……なんだその『だから』は? 続きなんてなかったぞ。強いて言えば俺のマルウェアに引っかかった奴らを嘲笑あざわらうときに言ってただけで」


「カルナ、あなたもパパにクラッキングを教わったの?」


 しまったとばかりにカルナが口をつぐむ。アリスの語尾は震えていた。今にも泣き出しそうな声で言う。


「お姉ちゃんもカルナも教わったのに、パパは私にだけ教えてくれなかったの? なんで?!」


 気づけば怒鳴るような口調になっていた。はっと冷静になったアリスは、頭をふって席を立つ。


「……お風呂の準備してくるね。洗濯物もたたまなきゃ」


 カルナは気まずげにアリスのふたつおさげを見送る。アリスの皿にはまだオムレツとサラダが残っていた。

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