3.Botnet

3-1

 夏らしいカンカン照りの日曜日。アリスは水色のワンピースに薄手の白いカーディガンを羽織って住宅街を歩いていた。ポップな柄のスニーカーが軽快にアスファルトを蹴る。

 片耳だけ入れたイヤフォンから『Fairy Dust』のアイテム取得音が小さく流れている。カルナに借りたモバイルWi-Fiルーターのおかげで、いつもどおり軽快なプレイ状況。アリスは上機嫌だった。


 そんなカルナの頼みごとだ。むげにするつもりもない。アリスは9時58分、言われた通りカルナのアパートにたどり着いた。


「カルナー、おはよー」


 言いながらインターフォンを押す。

 するとインターフォンのカバーが外れ、コンクリの通路に落ちた。むき出しになった配線はばっさり切断された跡がある。


 アリスは無言でインターフォンを拾い上げ、もと通りにはめ込んだ。


「カルナー、来たよー」


 何度かノックしても返事がない。ドアノブをひねってみると、鍵がかかっていた。アリスは確信する。


 カルナ、まだ寝てるわね?


 アリスはPlum phoneからイヤフォンを外すと、音量を最大にした。ドアの隙間にスピーカー部分を押し当てる。お気に入りの曲を再生する。


 ボロアパートのボロ扉を貫通し、爆音のJロックがカルナの部屋に響きわたる。


「あああーっ! うるせぇ! くそが!」


 カルナの声が聞こえ、アリスは音楽を止めた。無事起きたようだ。


 悪態をつきながら身支度をする物音ののち、玄関が開く。アリスはにっこり微笑んだ。


「おはよー」


「最悪の寝覚めだ」


「十時集合っていったのカルナじゃない」


「準備に手間取って寝る時間なかったんだよ」


 カルナはアリスにあがるよう目配せした。アリスは小さく「おじゃまします」と言いながらポップな柄のスニーカーを脱いだ。


 部屋の中央にプラスチックの大きなキャリーケースが二つ鎮座していた。カルナはそれをポンと叩く。


「今日はこれを持って、山手線やまのてせんをぐるぐる回る」


「へー」


 アリスが片方のキャリーを持ち上げようとする。


「おっも!」


「そりゃあな。Wi-Fiルータとパソコンが複数入ってるからな」


 カルナはもう片方のキャリーの取っ手を持ち、まだまだ物の散らかる上を無理やり引きずっていった。アリスもそれに続く。途中で車輪にシャツの袖が絡まって苦戦した。昨日多少片付けたものの、カルナの部屋はまだまだ汚い。


「で、電車でぐるぐる回ってどうするの?」


 カルナは例によってキーホルダーのない鍵でアパートのドアを閉めた。


「下僕を集める」


 カルナはキャリーケースを置いて階段を下りていった。アリスは唇を尖らせながらも、キャリーを一つずつ慎重におろしていく。カルナの病的な細腕では、パソコン入りのキャリーはとても持ち上がらないのだろう。階段の下から作戦の解説を続ける。


「山手線の公式Wi-Fiアクセスポイントっぽい物を立てて、一昨日のおまえみたいなバカを釣る。端末を乗っ取って支配下に置いて、『Fairy Dust』やPlum OSの解析に使う」


「そんなことできるんだ……よいしょ」


「できる。2012年もの昔にたった一人でやった人がいる。俺の最も尊敬する人だ。俺がやるのはその手法のアレンジにすぎない」


「へぇ……うんしょ」


 1個目のキャリーを下ろすと、カルナはそれを引いて歩き始めた。とてつもなく歩くのが遅い。普段よほど外出しないのだろう。アリスがゆっくり2個目のキャリーをおろし、ゲームをしながら歩いても、すぐに追いつけそうだった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る