第3話 城

 ここはターナー王城の広間。

 ジェルダ人の交渉人数名と、王、大臣、そしてギールが語り合うのを、あたしは部屋の隅で見守った。

 話し合いはいつものオルガン地方のこと。

 どこを境界線にするかで、いつも話し合うけど毎度一悶着あって、結局決まらないのよ。

 オルガン、てのはこのターナー王領の北に位置する地方の名前。

 あたしは行ったことないから知らないけど、とても美しい土地らしいわ。

 ジェルダ人の住む領域との境目でもある。

 今回、城に来たジェルダ人は三人。

 屈強の大男揃いだった。

 ジェルダ人、てのはびっくりするほどでかいのよ。男も女も背が高くて、色がすごく白い。

 色素が薄いのよね。白金の髪を持つ者や、紫色の瞳のジェルダ人も見たことがあるわ。

 それはそれでとても美しいし、美形が多い民だと思うけど。

 でも、そういう美点もこの一点で帳消し。


 臭い。

 鼻がひん曲がりそう。


 あたしは必死で我慢した。


 魚が腐ったような臭い、ていうの?

 いえ、ケモノくさい、て言った方がいいかしら。


 ジェルダ人の彼らから、その臭いは漂っている。


 毎回、なんなのよ、こいつら。

 もしかして、ジェルダ人には身体を洗うって文化がないのかしら? いえ、それとも私と同じでこの臭いが体臭なの?

 何、食べてんのかしら。

 最近読んだ文献で、ジェルダには魚を腐らせて食べる料理があるとか、死んだ生き物の腸に魚の内蔵を詰めて発酵させた珍味があると書いてあったけど。

 そういうものを食べてるから、この臭いなの?

 服の臭いでもないわよねえ。


 あたしは、ジェルダ人たちの着ている民族衣装を観察した。

 うん、カリブーの毛皮。それ以外にも様々な動物の毛皮を組み合わせてあるみたい。

 ジェルダ人たちの住むところはとんでもなく寒いから、毛皮が主な衣装材料だと思うけど。この毛皮の臭いもあるかしら?


 見つめていたあたしに、その中の一人が目を向けた。彼はあたしと目が合うと、ニカッと歯をむき出しにして笑った。キラン、て感じね。

 うん、分かる。

 あたしが気に入ったのね。

 でも、あたしはにおいがキツイ人はダメ。許して。

 ああ、そうよ……香水の文化を教えてあげたらどうかしら。ねえ?


 考えにふけっていたあたしは、どっ、とあたし以外の広間にいる人たちが笑ったのに我に返った。


 なんか、ギールがうまいこと言ったんだわ。聞き逃しちゃった。


 ギールはこういうのが天才的だと思うわよ。

 お互いが理解できる冗談を巧みに話に挟むんだもの。


 ギールは、読み書きはろくにできないくせに、会話には常人離れした能力を発揮する。

 ヤツは五つの言語を自在に操るわ。

 この国の言葉、ジェルダ語、キエスタ北部語、東部語、南部のパウル語。あ、あとガラナ族とか少数民族の言葉も少しかじれるみたい。


 ギールのかあさんは各地を回る一座の踊り子さんだったみたいで(流行病で亡くなったらしいわ)、それでギールは子供の頃にその土地その土地の言葉を習得したみたい。

 まあ、だから本を読むような暮らしでもなかったし、周囲の人たちも字が読める人が少なかったんじゃないかしら。

 そういうわけで、ギールはいまだに文字を読めない、書けない。

 写本はしてるけどね。あれは形を見てそのまま写せばいいだけだから。

 へったくそな字、なんだけどね!

 本当に、いい加減字を覚えろっての。恥ずかしい。これでトール先生の弟子、てのが笑えるわよ。あたしの兄弟子、てこともね。


 だからあたしはヤツに字を覚えさせようとして必死なんだけど、ヤツときたらのらりくらりかわして、女の子に乗るのに必死。

 腹立つわよね。誰のためにあたしが頑張ってると思ってんのよ。


 談合は終わったらしく、目の前のみんなが拍手してた。

 とりあえず境界線が決まったみたいね。

 円形の石のテーブルに座っていたみんなは席を立ち、大臣とジェルダ人が握手をしていた。

 あ、あ。

 ジェルダ人のお決まりの挨拶、ほっぺスリスリ。

 大臣は顔をしかめている。

 そうよね。臭いでしょうね。かわいそうな、大臣さん。

 王様は自分はされなくてああ良かった、ていう顔をしている。

 ジェルダ人たちが部屋の外に出ていき、広間の空気は彼らの残り香だけになった。

 ホッとして広間の中に残った全員がため息をついた。


「それにしても、彼らの臭いには慣れませんなあ」


 大臣が辟易した様子で言った。


「なんとかならんものでしょうかねえ」

「それについて今考えていたのです。……述べさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 あたしは早速、口を切った。

 あたし、思いついたことはすぐやってみたくなるの。黙っていられないのよ。

 皆が広間の隅に立つあたしに目を向けた。

 キエスタじゃあ、女が意見を述べたところで無視されるのがオチだけれどこの国はきちんと聞いてくれる。それがいいわよね。この国は。


「おお、どうした、アネッテ。言ってみよ」

「彼らに香水を教えてあげればよろしいんじゃないかしら? 彼らに香水をひとつ、持たせてやりましょう。きっと、気に入るはずですわ」

「おお、それはよいですな」


 大臣は大きく頷いてくれた。


「いや、今度から彼らと面会する際には、城に入る前に香水を振りかけるとして……。おお、それで私の寿命もこれ以上縮まることはなくなります。それに……もし、彼らの国の民が香水を欲しがるようになりましたら、またそれも彼らとの新しい交易になります。どうですかな、王?」


 にこにこと大臣は王様に向かって笑いかけた。


「そうだな。それで金が手に入るなら喜ばしいことだ」


 ジェルダでは金がたくさん採れる。交易で私たちは主に彼らから金を買うわ。

 王は頷き、早速背後に控えていた男の人に指図した。


「何本でもよい。あやつらに、持たせて帰れ」


 太っ腹よね。王たるもの、豪快なのが一番だと思うわ。

 あたしは意見を取り入れてくれたこの国で代々王座を引き継いでいるターナー家の現在の王を見つめた。

 スンリ=フォン=ターナー。

 ターナー家の特徴である、夕焼け色の赤い髪、琥珀色のウルフズアイ、透き通るように薄くていくつかソバカスが目立つ白い肌。燃えるような髪の上には、金の王冠がのっているわ。

 今年五十に手が届く彼は、ソバカスと共にシミも浮かんできた顔を向けて、あたしに微笑みかけた。


「アネッテ。良いことを教えてくれた」


 歴代の王の中でも人格者、で有名なスンリ二世よ。

 そして今年で十五になる王女にはめっぽう甘い父親としても有名。港湾都市ヨランダの豪商である家へ、王女の嫁ぎ先が決まった時、王はおいおい泣いたみたい。

 あたしはそんなスンリ二世に褒めてもらえたことが嬉しくて、この国のレディの作法であるスカート(ローブだけど)を広げて頭を軽く下げる礼を行った。


「ギールも。大義であった」


 ギールは微笑んで、うやうやしく胸に手を当て礼をした。

 なまじ、外見が完璧なものだからどこの国の王子かと間違っちゃうくらいよ。

 中身を知ってる私から見れば、反吐が出そうなほどよ。


「また、他の民族が来たときには頼む」


 スンリ王は頷き返して微笑すると、石の席を立ち、大臣と共に広間を出て行った。


「……さて、帰るわよ。ギール」


 王と大臣たちを見送った後、あたしはつったってるギールに言った。


「オレはまだ帰んないよ、ねえさん。先に帰ってて」


 にっこり、とギールは微笑んであたしにひらひらと手を振った。


「はあ? 何でよ、仕事は終わったでしょう」

「これから『淑女の集い』に呼ばれてるんだよ。食事も菓子も出してくれるみたい」

「……あんただけ?」

「ねえさんもいっしょに、て言ってみたけどダメだった。オレだけがいいんだって」


 にこにことギールは頷いた。

 腹立つ。

 こいつだけ、王宮の女のひとたちのご贔屓にされるなんて。


「ねえさんの好きな木の実菓子出たら、持って帰るね。楽しみにしてて」

「……あんた、ヘンなことすんじゃないわよ。王宮の女のひとはみんな、王の女なんだからね」

「うん、わかってる」


 笑顔のままで頷き返すギールにあたしは少し不安になったけど、まあ、まさか王の女相手に手を出すほどの馬鹿ではないでしょうしね、と思い直した。

 それにしてもこの国はユルいわよね。

 キエスタじゃあ、王宮の女は後宮ハーレムに閉じ込められて、王以外の男と会うなんて許されないわよ。ご法度よ。万一バレたら、死罪よ。


 手を振るギールを後にして、あたしは広間を出た。

 あたしの役割は……そう。

 ただの、ギールの付き添い。オマケよ。

 トーラ先生はあたしの外見も見込んで弟子にしてくださったのだろうと思う。

 王宮に出向くなら、そりゃ、見目の良い弟子の方がいいだろうし、女なんて珍しいしね。

 布教には、残念ながら容姿というのはおおいに関係するわ。

 外でやる仕事にギールとあたしが回されることが多いのはそういうわけ。


「アネッテさん」


 背後から呼ばれた自分の名前にあたしは立ち止った。

 振り返らなくてもだれか分るわ。

 あのひと。

 あたしを上等の猫のようだとほめてくださった軍人さんよ。


「ブラックさん」


 あたしは布教用の愛想笑いを顔にはりつかせ、後ろに向き直った。


「姓ではなく、名前のニコラスで呼んでください」


 嬉しそうにあたしに近づくのは、刺繍をほどこした美しい上着とズボンの上に鎧をつけた、この城の近衛兵ニコラス=ブラック。

 いえいえ、姓で呼ばせてよ。名前であなたを馴れ馴れしく呼んで、誤解されたらどうするのよ。


 ニコラスは黒髪、黒目のすらりとしたあたしと同じ年の男の人。

 この方とあたしの出会いは、城ではないの。

 発端はもう嫁いでしまったニコラスのお姉さん、テスよ。


 ……そう、ギール絡みね!


 嫁ぐ日が近いってのにニコラスのお姉さん《テス》とギールが毎晩にゃんにゃんやらかすものだから、外聞が悪いってんであたしと彼は二人が会おうとするのを協力して阻止したの。(それでもあたしたちの目をかいくぐって、何回か人目を忍んで会ったあの二人には脱帽するわよ)

 そのときのお互い苦労した経験があって、あたしたちの関係は知り合い以上、友人未満、て感じかしら。

 ……て、あたしは思ってるんだけど、どうやらニコラスはそうではないみたいね。


「またいつか、いっしょに食事でもどうですか?」


 嬉しくてたまらないといった表情で、ニコラスは誘ってくる。

 だ、か、ら。

 あたしは聖・職・者、だってのに。

 いけるわけないじゃないのよ。


「お言葉は嬉しいのですが、わたしの本分は神の言葉をみなさんに伝えること。ご理解ください」


 何度言ったら、分かるのかしら。……もしかして、分からないふりをしているの? かと思っちゃうわよ。


「そうですか。……今日は、弟のマティスに勉学を教えてくださる日ですね。では、今夜は夕食をわたしの家でご一緒に」


 そうきたか。


 ……ニコラスにはマティスっていう弟さんがいて、以前はギールがマティスに勉強を教えるために(笑っちゃうわよね)ニコラスさんのお家に通ってたの。

 で、みなさんの想像通り、メインはお姉さんのテスとギールの逢引きに変わっていったんだけどね。

 今はその仕事を引き継ぎ、このあたしが三日に一度お家へお邪魔してマティス君の面倒をみてる。


 まあ、でもそれならまだ、いいわよね。……夕食をご馳走していただけるなら、ありがたいわ。……じゅる。

 トーラ先生のお家の食事は味気なくて、質素だから。たまには豪勢なごはんにありつきたいと思っていたの。……いいわよね?

 あたしはお礼を言った。


「良かった」


 はちきれんばかりの笑みでニコラスは応えた。

 ああ、うん。この顔にはちょっとあたしも弱いわよ。まるで子犬みたい。すごくかわいい。

 あたしのこと、かなり好きなんだろうなあ。でもねえ。


「あなたは、薔薇と同じ香りがします」


 ニコラスが、うっとりとした顔であたしを見つめた。


「キエスタの婦人にはあなたのような香りの女性が何人かおられると聞きます。スルタンの後宮ハーレムにはそんな美女ばかりだとか。あなたのような美女に囲まれているあの国の王はなんと幸せなんでしょうか」


 そうね。でも、こんな体質、うっとうしいことだらけよ。

 よく、犬がまとわりついちゃって散々よ。たまに発情して腰ふられたりだとかね。


「町の香水店で、あなたと似た香りの香水を見つけたのです。……思わず買ってしまいました」


 はにかんだような笑みで告白するニコラス。


 ……えーと、なんて答えたらよいのかしら。返答に困るようなこと言わないでほしいんだけど。


「夕食時にお会いできるのを楽しみにしております」

「本当に、ありがたいですわ、ブラックさん」


 ニコラスの次の言葉にあたしはホッとして返事をすると、城を出た。







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