アネッテとギール

青瓢箪

アネッテとギール

第1話 アネッテとギール

 目が痛くなるほどの澄み切って青く晴れた、フェルナンドの空。

 鳥たちは、梢に止まって朝の音楽を奏でてくれている。

 程よく冷えた空気はとても肌に心地よくて、誰もが爽やかで素晴らしいと思う朝だわ。――


 ――でも。


 あたし・・・は、そんな朝を忌々しい、と思いながら前にあった小石を蹴り上げた。


 今着てる聖職者用のローブは、身体のラインを隠してくれるし、締め付けないし、暖かくてあたしは好き。

 でも、急いで歩かなきゃいけないときは脚にまとわりついてわずらわしいのが難点ね。

 枯れ草色のローブに両手をつっこみ、私はずんずんと目的のお屋敷に向かって早歩きした。


 あたしは、ネーデ。もとい、アネッテ。

 トーラ先生のところに弟子入りする際に、この国になじみのある名前に変えたほうがいいから、っていわれて名前を変えたわ。

 あたしもこの国に住もうとするなら、そっちの方がいいんじゃないかと思って納得した。

 たぶん、キエスタには帰らない。あたしは、この国で生きるのだと思うから。


 あたしはユスフの娘、ネーデ(アネッテ)。

 隊商キャラバンの長だったあたしの父さんユスフとともに、この国ターナー王国へ去年来た。

 でもこの国につくなり、父さんは流行病にかかって倒れて。

 あっけなく死んだ。

 母さんはその数年前に死んだわ。

 親族はもういない。

 キャラバンの仲間たちは、あたしを引き取ることをためらっていた。

 みんな、もう嫁が5人以上いて、新たに嫁をとるなんて考えられないほど切羽詰まっていたんだもの。


 だから、あたしは決めたの。

 この国に残るわ、て。

 実は前からこの国に憧れていたの。

 この国は私の生まれた国キエスタとは違って、女が商売してもおかしくない国だった。

 それって、素敵じゃない?

 だからあたしは、故郷キエスタに帰るより、この国にとどまることを選んだ。


 この国に、残った私はまず何をしたと思う?


 真っ先に、巷で有名な先生、トーラ先生の家の門を叩いた。

 神の声を人々に伝える預言者。

 厳格で誠実で、慈悲深い人格者であり、知識人でもある。

 教えを乞う者には家に住まわせて、おまんまも食わせてくれるありがたい人だと聞いたからよ。

 この選択は正解だったと思う。


 少しでもトーラ先生のところへ行くのが遅れていたら、あたしは連れ去られて娼館に閉じ込められていたに違いないもの。


 この国に来て驚いたけど、あたしはかなり人の目を引くみたい。

 美女、らしいわね。

 あたしのいたキエスタ南部では、線の細い女が美人だった。

 あたしみたいに、無駄にでかい胸や張りだしたお尻は悪魔の象徴で、そんな身体をしているだけだってのに、みんなにふしだらな女の烙印を押されたわ。

 だから、故郷では身体のラインを隠すような服ばっかり着ていたけど。

 ターナー王国に来てびっくりしたわよ。

 この国じゃ、女はくびれを見せつけて当然。いえ、むしろ、谷間とくびれは見せつけたもん勝ち、て世界だったんだもの。あたしのような身体の女はこの国じゃ、勝ち組だったのよ。


 そして、顔。

 みんな、文句なしに美人だっていう。

 鏡なんてめったに見れないし、自分の顔なんて確認できるの水鏡ぐらいだけど。

 目は、大きいと思うわ。そして、つりあがっている。

 あたしはとうさんが北部のヤソ人で、かあさんが東部の『緑の目を持つ人々』だった。

 ええ、あの『緑の目を持つ人々』よ。

 密林に住むキエスタの神秘の民よ。

 同族としか婚姻しないといわれている一族の民が、どうしてヤソ人のおとうさんと一緒になったか、て?

 それは、ひとつしかないわよ。

 あたしのとうさんが、かあさんをさらった、からよ。それしかないじゃない。

 あたしのかあさんを一目みて気に入ったとうさんが、かあさんを連れ去って、あたしが生まれた。

 記憶の限りでは、かあさんととうさんは上手くやってたわよ。虫でもなんでも鍋に入れるかあさんの料理には少し文句言ってたこともあるけど。

 とうさんは、ヤソ人。北に住む巨大な野蛮人、ジェルダ人の流れを組む一族ってんで、とうさんはキエスタ人の中でもすごく背が高くてなにもかも大きかった。

 母さんは、『緑の目を持つ人々』。

 線が細くて柳腰の優美な緑色の瞳の民よ。

 この二人の特徴が奇跡的なほど、上手くかみあってこのあたしが出来上がった。

 顎の細いハート形の輪郭。

 程よく高い、形の良い鼻。

 そして、ヤソ人の特徴である大きなぽってりとした肉感的な唇。

 これまたヤソ人の特徴であるくっきり二重の大きな目は、もちろん母さんの血を引き継いで、緑色。

 つり目だった母さんの血もこれまた引き継いで、適度につりあがっている。

 上等な猫のようだと最近評されたことがあるわね。……えーと、そういってくださったのは軍人さんだったわね。

 そして極めつけがあたしの体臭。

 あたしのお祖母さん(とうさんのおかあさんね)が南部出身だったらしくて。

 その血を引いていて、あたしの身体は、みんながうっとりとくるようなかぐわしい匂いを放つ。

 南部の女にはたまにそういう血筋の女がいるのよ。そういう女性はたいていはキエスタ南部のパウル王朝の後宮ハーレムに押し込められるけど、あたしはそれを香水をつけて誤魔化していた。我ながら頭いいと思うわ。


 こんな美女のあたしだもの。うかうかしてたら、女衒に娼館へと売り飛ばされるところだったわ。

 一生をふいにするところだったわよね。危ない危ない。


 トーラ先生のところに行ったあたしは本当に正解だった。

 先生は、あたしに本を与えてくれて。

 そしてあたしは、自分でも気が付かなかった才能に気付くことになったのよ。

 あたしは、すぐに文字を覚えられるみたいだった。

 す、とわだかまりなく頭に入ってくるの。

 この国のいくつかの言葉だけじゃなくて、キエスタ各地の文字もよ。

 え? ジェルダ? ジェルダの文字は無いわよ。

 ジェルダには文字は存在しない。あいつら、文字の意味や、書く、て概念を知らないんだもの。ほんと、野蛮人よね。全部、口で暗唱してんのかしら。

 ……そっちの方が、すごいわよね。


 あたしの才能を認めたトーラ先生は、あたしを弟子のなかの一人に加えてくれた。

 弟子の中で女は唯一あたしだけ。

 これってすごいことだと思わない?


 いま、あたしの主な仕事はいろんな本を別の言葉に訳すこと。

 これが、けっこう楽しくて、物語なら面白いし、いろんな勉強になるのよ。

 知識が増えていくのは嬉しいし、兄弟子にいさんたちは優しくていい人ばかりだし、あたしは人生の選択大正解ね、て思っていた。


 ……あるひとつの憂いを除いてはね。


 そう、あたしの幸せな生活を脅かすただ一つの汚点。

 唯一の悩みのタネ。


 それが、これ、よ。



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