19:魂の声を、喝采のごとく

「あなたを離さない。もうあんなグズのところでうじうじ悩む必要はないのよ」


 断片的によみがえる記憶。その映像のかけら。

 光るものが目に入った。注射針だ。何度見ても、気分が落ちる。


「一年前……あなたと出会ったことが、私たちの運命なのよ」


 情けない自分を悔いても、過ぎ去った時間は戻らない。自分の行ったことは、感情は、なくならない。確実にとして永遠に残る。そう、少なくとも、自分自身のレコードの中には。


「あんな奴に特別なものなんて必要ないの。私こそ選ばれた主なのよ? 元に戻った、そういうことなの。これが本来ある関係なの」


 すまない。何度心の中で告げても、直接口にしなければ届かない。意味がない。ないものと同じだ。


「ねえ、私だけの特別な『スティグマ』……そう、特別。それは私がそうあるべき姿なの。あんな奴にはふさわしくなかったのよ」


 すまない。一度立ち止まったことが過ちだとしたら、事の発端も過ちだ。

 そう、間違い。失態、痛恨のミス。

 すまない。もう、戻れない。


□□□


「……あの、一応この店は全面禁煙して……」


 コーヒーの追加を持ってきた店員は弱腰でやんわりと言うが、岸下は無言のまま煙草とライターをポケットにねじ込む。店員は愛想笑いを浮かべそそくさと去って行った。


 岸下は湯気がのぼるマグカップを手にし、口にしたところで露骨な舌打ちをならす。


「今日は千客万来だな」


 岸下の座る席の前に、スーツ姿の男が二人並んで立っていた。どちらも感情が読み取れる目ではなく、活力も見えない顔立ちには個性すら薄れている。どちらも青白い、血液が巡っているのかと疑問に思うほど、生命力も感じ取れなかった。


「岸下くん。『タンタラ』の名を口にしたようだね」


 並んでいた男の一人が口を開く。やはり、声にも感情らしきものは感じられない。


「それは我々『連盟』にとっても不利益だ。警察に動かれるとうっとうしい」


 言葉を話す横で、もう一人の男はただこくりと相づちを打つようにうなずくだけだった。


「君が刑務所行きになるのは構わない。だが情報まで持って行かれるのは都合が悪い」

「っは。だったらどうする。口封じでもするってのか?」


 ぎらりと双眸を鋭く研ぎ澄まし、威圧の視線を男たちに送る。だがそれも手応えはなく、男たちに動じる気配は生まれなかった。


「殺しはしない。ただ来てもらう。私たちは君の身柄を確保しに来た。より安全な場所へ連れて行く」

「そこでさぞ延命な措置でも受けられるのかねえ。茶菓子ぐらいは出してくれよ?」


 テーブルに千円札を置くと、男たちと供に岸下は歩き出した。その異様な空気を感じとった店内は、静かなBGMが流れるだけの空間に変わっていた。

 ドアが開き、岸下たちの姿が消えてようやく、レジの店員は「ま、またのご来店を……あ、ありがとうございました……」とマニュアル通りの挨拶が出来た。


□□□


「ごめんなさい。私なんかのために、Gメンの活動まで遮っちゃって」


 隣を歩く明智翠子はうつむいたままで言った。それにししねはゆっくりと首を横に振り、「そんなことないよ」と優しく返した。


「仲間を守るのも立派な仕事だもの。それに、藤崎くんと永藤くんなら上手くやれると思うの」

「え……永藤くん、と?」

「あの人、ああ見えて面倒見が良いの」


 くすりと苦笑を浮かべるししねだった。翠子は応急処置を施されたスマートフォン型の『インデコ』を手に取り、がっしりとした感覚を手の中で感じた。今までは、触れると割れそうなほど危ういものに思えたが、しっかりと補強された『インデコ』には頼もしさがあった。

 それはもう中にはいなくなった存在の空洞が、『インデコ』の強度を下げて握れば潰れてしまうような錯覚をも覚える……頼りなさと寂しさがあった。

 頼りないのは、ふがいないのは自分自身が作り出したものだというのに。


「ハリー……どうして」


 そんな言葉がぼそりと漏れた。言った瞬間はっと顔を上げるが、ししねは言葉を返すことはなく、ただ側に寄り添い、小さくうなずくだけだった。


「……永藤くんが調べてくれたおかげで、『インデコ』が壊れたわけじゃないって分かったけど……」

「原因は、外的要因なのかもね。……心当たりは、どうかな」


 ししねは遠慮がちに訪ねた。無理に聞いても、受けていた壮絶なイジメの記憶を呼び出してしまう可能性がある。出来るだけ慎重に原因を探っていきたい。


「ハリーは……帰ってこなかった。この『インデコ』がボロボロになった時から、飛び立ったままで」

「……」

「イジメへの報復……直接どう何をしたのか分からないけど、噂になって聞いてたの。ハリーが、人を傷づけてる」

「一年前、よね」


 こくりと翠子がうなずく。


「私は報復なんて望んでなかった。でもハリーを呼び戻せなかった。心のどこかで恨む気持ちが伝わったんだと……」


 ししねはうなずくだけで、翠子からの言葉を待っていた。今彼女は一年間の空白を埋めようと、ししねを信頼して声を出している。なら期待に応えたいと、言葉一つ取りこぼすことなく耳を傾き続けた。


「そこから、私はどうなったか分からない。すっかり引きこもるようになっちゃったから……。ネットの情報だけが頼りだった」


 その件ならししねも知っていた。都市伝説になるほど、ハリーの報復はネットで話題となり、一時期はその話題だけでSNSなども盛り上がっていた。だが、それも次の話題がくればすぐ消えてしまう……人の好奇心など移ろいやすい。次の火種に興味は映り、ハリーの存在はやがて消えていった。


 しかし、話題が消えてもハリーが翠子の『インデコ』に戻ることはなかった。そして現在また姿を見せた。新たな憶測ばかりが飛び交い、真相も分からないまま。


「……あら」


 淑やかな声がゆらりと浮かび上がった。うつむいていた翠子も、翠子に寄り添っていたししねも同時に顔を上げた。


「倉木さん……?」


 こわばった声が翠子から漏れる。翠子の家の前には一人の少女が立っていた。倉木涼子は手にしていたプリントを持ったまま、ほのかに微笑むと一礼する。


「今日もクラスからのプリントを持ってきたのだけど……外に出られたのね、嬉しいわ」

「……あ、ありがとう……」


 翠子の喉がかすれているような声を出す。震える手でプリントを手に取る。渡し終えると、倉木はにこりと笑い、ししねへと視線を向けた。


「部活には出られたのね。ありがとう咎原さん」

「お礼なんて……翠子が自分の足で向かってくれたことだから」

「……翠子?」


 ひたりと、倉木の表情が笑顔のまま固定された。まるでお面のような、崩れることのない笑みの形は、ひどく人間味に欠けていた。


「ずいぶん仲良くなったのね。嬉しいわ。同じ部活の仲間ですものね。名前で呼び合う……素敵だと思うわ」

「う……うん」


 徐々に翠子の顔が地面へと傾いていく。


「それより、ハリーのことはどうしたの? まだ変わらず?」

「え、あ……それは……」

「一度は立ち会ったことだもの、私でよければ何でも相談して? 確かにあのハリーは尋常じゃなかった……何があったのか、あなたの大切な『スティグマ』ですもの、早く元通りになるといいわね」

「……」


 倉木が優しい言葉をかけるごとに、翠子の顔から活力が消えていった。口だけをパクパクと動かせ、ついには言葉も出せなくなった。


「あの……倉木さん。今日はこの辺りにして、翠子を休ませないと」

「あら、ごめんなさい。あなたが学校へ行けたって聞いてつい舞い上がっちゃったわ」


 完全にうつむいてしまった翠子の肩にそっと手を乗せると、耳元で倉木はささやいた。


「今度は私たちのクラスにも来てほしいわ。だってそこがあなたの本来いるべき場所ですもの」


 翠子の額から汗が滑り落ちる。かろうじて「う、うん」とだけ返すことができた。


「そうよね、


 みしり……と上空で軋む音が聞こえた。

 ししねが弾かれるように上を向くと、そこには電線の上に立つ大きなシルエットが広い翼を広げ、手に持った巨大な矢をこちらに向けていた。


「……ッ!?」


 ししねが反応する前に、淡い青の空間がししねたちを包み混んだ。『オケリプ』のバトルフィールドだった。


「クイックマッチのセッティング完了しました!」

「判断能力だけは評価してやろうか!」


 不意を突いて道の角から現れた声に翠子が顔を上げる。


「永藤くん、藤崎くん……?」


 クイックマッチのフィールドに包まれたハリーは矢を納め、すぐ側まで走ってきた永藤と大護を見下ろし上空を仰いだ。フィールドの高さは電柱を遙かに超え、すっぽりとハリーを包みこんでいた。


「……余計なことを」


 もうそこに固定された笑顔はなかった。怒りに歪み、忌々しげな目で怯える翠子を見据える顔つきは、先ほどまで淑やかな言葉を使っていた人物と同じものとは思えなかった。


「……倉木、さん?」


 かすれた声が翠子から漏れる。それににらみ返す倉木からは、気品すら霧散し殺気すら感じられる豹変ぶりだった。


「やっと最後までやれたと思ったのに……」

「本性だしたな、倉木」


 握りこぶしを震わせる倉木に、翠子の隣に立った永藤が薄い笑みを口の端につり上げた。


「なんでそいつばかり……あなたたちも明智さんの仲間なのかしら」

「部活が同じなだけだ。ひとりぼっちになったお前と違ってな。イジメグループのリーダーさんよ」


 同じく駆け寄った大護が「え?」と間の抜けた声を出した。ししねもまた、驚きの表情をかすかに浮かべ、倉木を見やる。


「一年前のイジメは、あんたが指示だしてやらせてたんだろ。主犯のあんたは影に隠れ、しかしハリーには見つかった」


 電線を軋ませ、風を生んで翼をはためかせた『仮面天使ハリー』は倉木の側に降り立った。


「その時にはすでに「杭」は持ってたんだろな。狙いは明智が持つ自我を持つ『スティグマ』……。いつかすめ取ってやろうか、イジメが行われてた時からタイミングを計ってたなじゃないか?」

「……ペラペラとおしゃべりが過ぎますね、あなたは。「杭」のことをどこで聞いたか知りませんが、その通りだとして、何か問題でも?」


 悪びれる様子どころか、好戦的にこちらを挑発するような笑みを浮かべる。その言葉に、翠子は震え涙がにじむ目で、倉木を見つめていた。


「なんで……なんでハリーは……」

「ふん。ドジでグズなあんたが、なんで自我を持つ『スティグマ』なんか持つわけ? あり得ないんですけど。身の丈を知りなさい。あなたには不相応なものなの、ハリーは」

「え……」

「私こそが特別にふさわしい者なの。クズのくせに『スティグマ』見せびらかせて、何を得意になってたっての」

「そ、そんな……見せびらかしてだなんて……」


 膝が震えだした翠子の肩を、大護が割って入り、肩を貸した。その体はあまりのも軽く、すぐにでも地面に落ちそうだった。


「嫉妬も度が過ぎませんか。やってることは盗人と変わりありませんよ」


 怒りを見せる大護の言葉に、倉木は更に火が付いたかのようにがなりだした。


「何が嫉妬よ! 不公平、不平等な部分を正しただけよ! こいつが『スティグマ』なんて持ってなければただのクズでいられたのに……その上で自我を持つ『スティグマ』? ふざけんじゃないわよ! !」

「勝手なことを……!」


 言葉を返そうとした大護の前を、永藤が手で制した。


「やめとけ。言うだけ無駄だ。それよりも今は目の前のことをかたづけないとな」


 永藤は倉木の側で不動の人影を見据える。


「だが一つ聞きたい。イジメの報復を、何故お前だけ受けなかった? 他の連中は結構な目にあってたらしいけど?」

「ふん、そんなの決まってるじゃない。私が正しいハリーの主だからよ」

「……まあ、まともな返事は期待してなかったが……」


 上空に『スティグマスペース』が昇った。人数分のスペースがフィールドの頂点に浮かび上がり、各々の『スティグマ』を待つ入り口が開いた。


「永藤さん、ハリーは……!」

「ああ。おそらくもクソもねえ。岸下から買った「杭」で無理矢理屈服させられたんだろうよ。……だが本当にそれだけか」


 倉木が「杭」を使い、イジメの報復に来たハリーを従えさせた。それは分かる。だが、それが何故一年のブランクを置いてまた現れたのか。

 永藤は「自我があった。ただそれだけ」という言葉を口にしていた。それが何をさすのか、大護には分からずにいた。


「あなたたちの疑問なんて知らないわよ。さあハリー、こいつらを根こそぎ穿ちなさい! あなたのあるべき主は誰だか、教えてあげるのよ!」


 仮面に押し込められた奥から、慟哭のようなうなり声が響き渡った。腹の底をたたくような轟音に、大護は奥歯をかみしめる。


「やるしかないか……リリアン!」

「静観を決め込むのもここまでか……ハリーを止めるぞ」


 『インデコ』から姿を現したリリアンは大護の肩を蹴って『スティグマスペース』へと飛んだ。永藤はすでにサーフボードを思わせる盾を掲げていた。大護では届かなかった盾だが、今のハリーにはどう通用するか、正直読めない。


「ハリー……」


 ししねに支えられ、崩れ落ちそうになる体を必死にささえ、かつて供に時間を過ごした『スティグマ』の、変わり果てた姿を前にしてうなだれかけた。


『翠子!』


 『スティグマスペース』からリリアンの声が飛ぶ。それに折れそうになった心をなんとか押しとどめ、やっとの思いで翠子は顔を上げた。涙で濡れた目は赤く、嗚咽を抑え切れてない口からはうめき声が飛び出そうとしている。


『友を信じよ! ハリーを……一番の相棒を取り戻すのは貴様の役目である! 他の誰でもない、お前がハリーを信じるのだ!』

「わ、たし……?」


 ドシン、と地面を揺らす衝撃が翠子の足元を波立たせた。倒れそうになる体をししねがとっさに支える。


「ししね、さん……」

「安心して。今は私たちがいる。一人じゃないよ」


 ししねは笑顔で言い、荒ぶる風を呼び起こすハリーに目をやった。


「ハリーを救えるのは翠子の声だけ。だから支えるね。私も、藤崎くんも永藤くんも、翠子を支える」

「……」

「……はぁー……茶番はもういいですね。とっとと潰れてください」


 うんざりといった表情の倉木は肩に掛かった髪をぞんざいに振り払い、睥睨する視線を翠子に向けた。それに、一瞬視線をそらしかけた翠子だったが、がっしりと体を支えられるししねの体温を感じ取り、倉木の目を見返す。


「……何ガン飛ばしてのよクズ!」


 倉木の怒りがハリーに火をつけたのか。ハリーは咆哮を放ちながら矢を棍棒のように振り回し、大護たちに躍りかかった。



続……

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