007_今の小説は【過程】よりも【結果】が求められる

 小説の醍醐味の一つは、物語がどのように進行していくのかという点だ。


 最初に舞台や人、シチュエーションを説明した上で、じゃあそこからどんな展開が繰り広げられていくのかというのを、ページを捲りながら読み進めていく。

 様々な状況変化を伴いながら、一つの物語として充実した流れを作り上げるというのが、本来の小説の形式だった。


 しかし、今は違うだろう。

 小説の【過程】よりも【結果】を求めている人が圧倒的に増えている。


 ・異世界で○○が○○をする

 ・○○な女子高生が○○になる

 ・○○さんは○○なことをする


 といったように、物語の過程云々というよりは、もはや話の主軸と言える部分を予め全て【タイトル】で露わにした後に、そのタイトルが本当に正しいものなのかどうかというのを書籍の中身で証明する形式が増えている。


 全てをタイトルという場所でネタバレした上で、そのタイトルに興味を持った人が答え合わせのために本を買う。

 似たジャンルで様々な書籍が販売されているので、本を買う人にとっても、ある程度こんな感じで展開されるだろうなというのは想像しながら内容を読む。

 今まで発売された類似作品に似つつも、少し新しめな内容を混ぜるという展開を適切に用意したほうが、評価としては高くなるというのが、現在の傾向である。


 つまり、情報を伏せたタイトルとあらすじだけで『なんだこりゃ!』と興味を持つ人は確実に減っているということになる。

 まあ、ただこれに関しては消費者としては当たり前の行為だと思う。

 自分の貴重な数百円を支払う価値があるのか分からないものに、お金は出せないというのは至極当然のことと言える。


 特に学生の頃になると、数百円でも大変貴重な資金なので、確実に面白いものであると認識できない限りは財布の紐を緩めることはまず無いだろう。

 その点、ある程度内容が安定してきたジャンルの場合だと、最低限こんな感じで楽しませてくれるだろうという信頼があるので、出版社側も、パッケージでどんな内容であるかというのを極限まで公開して書籍化する。


 地味で不思議にまみれたパッケージでは、本は売れない時代なのだ。

 『吾輩は猫である』と書くよりは、『猫の私が人間界で色んな場所を冒険してみた結果www』と書くほうが(たぶん)今の時代っぽいのかもしれない。


 本当に昔は本とかしか趣向品がなかったので、ある程度しっかりした内容を作っていればそれでも売れる時代ではあったが、今となっては様々な遊びが人々を楽しませてくれる時代となったので、むしろ消費者に寄り添う形で本を出さないと、お金を出してくれる事自体が難しい状況になっているのである。


 むしろ、今の本の変化は出版社の苦しい戦いの末に見出した数少ない安定事業の一つとして成長させた分野なのだろうと思う。

 本は不思議な物語を見せてくれるというよりも、エンターテインメントととして安定した面白さを保証するというものに変化した。


 執筆する側も、その流れに準拠する形で物語を書いていかないと、本を売ってもらうことができない時代だということだ。


 本を買うもっともな理由は、数百円で数時間楽しめるということだろう。

 たかが数百円、されど数百円。

 クレーンゲームとかで使ってしまえば数百円も数分で使い終わる。

 数百円というのは、数分で消えることもあるし、数時間使うことも出来る。


 わずか数百円で長く楽しめ、しかも形となっていつでも楽しみ直すことが出来るというのが本の強みであり、若者たちにとっての購入指標である。


 我々書き手は、そんな時代のニーズに沿う文章を書いていかない限りは、書籍を手にとってもらいお金を払ってもらうことはないことになる。


 時代の変化というのは、中々状況を把握するのが難しいものだ。

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