メガフロートに神の裁きを! 中編


 海に浮かぶ製薬会社、アーリアフロントにはテーマパークが併設してある。それも水族館や科学館のような場所だけでなく、マスコットキャラの「アリアン君」が、子供連れに風船を配り、夕方から夜にかけて若いカップルが殺到する遊園地だ。


「さ、行きましょ! 早く早くー!」


 麦わら帽子に涼し気なワンピース姿のジェニーは、中へ入るなり大はしゃぎでラオを手招く。


(ここで何をテストするのだ?)


 ラオは突っ立っていたところを引っ張られ、水をテーマとした遊園地へと連れ込まれていくのだった。


「あれ乗ろう! あれ!」


 ジュニーが指さしたのは、巨大なメリーゴーランドである。中心の柱から水が流れ落ち、水が満たされた上を木馬やカボチャの馬車が回転している。


「俺はいい。ここで待っている」

「ブッブーッ、はいダメー。乗らないと減点1にするよ? 」

「…………わかった」


 逆らえず渋々馬にまたがる、スーツを着た眼鏡の男。始動ブザーが鳴ると水が流れ出し、ゆっくりと世界は回り始めた。


「あははははっ!」

「……」


 ラオは木馬の棒にしがみ付き、黙って下を向いている。行き交う人間たちへのいい晒し者だ。歩いていたカップルと偶然目が合ってしまい、笑われてしまった。


(俺は一体ここで何をしているのだ…)


 時間を確認すると、この星に来て既に5時間以上が経過してしまっている。自分には一刻の猶予ゆうよも許されていないというのに。


「ハーイ、ラオ、こっち見てー」


 顔を上げて前を見ると、木馬上からカメラを向けているジェニーの姿が。


「よ、よせ」

「ほら、笑顔笑顔っ!」


(くそっ、もうどうにでもなれ!)


 満面の笑みを浮かべたつもりが、慣れておらずに引きつってしまうのだった。


「次、あれ乗ろう!」


 メリーゴーランドが終わると今度は水上アトラクションだ。二人乗り用のゴンドラは、乗り込むとやがて暗い洞窟内へと進む。行く手が分岐されており、ハンドルを操作してルートを選択するのだ。選んだルートによって出てくる怪物が違い、何度でも楽しめる仕組みとなっている。


「キャー! 怖ーい!」


 天井には蝙蝠が飛び交い、サーベルを振り回す骸骨船長に叫びを上げるジェニー。ラオの方は、何がどう怖いのか理解できないでいた。


「どうせ作り物だろう」

「はぁ? はいダメブブーッ! マイナス5点」

「何っ!?」


「あのね、私だって本気で怖いわけないでしょ! こういうのは雰囲気を楽しむものなの! わかるっ!?」


 凄い剣幕で怒られてしまった。


「お、おう……うおっ! 恐ろしいぜ!」

「ちっがーうっ!! そこは『俺が付いているよ』でしょ!? 更にマイナス7点!」

「ぐむ……」


 正直作り物のモンスターよりも、目の前の女へと恐怖を覚えるのだった。


 次に向かったのは「ウォータースライダー・きわみ」という、園内一の絶叫マシーンだ。ジェットコースターのコースをそのままウォータースライダーで再現したというもので、宇宙放送のCMでも話題を呼んでいる。


「キャーッ!!」

「うおおおおおーっ!!?」


 これにはラオも純粋な恐怖を感じた。ハーフパイプに流れる水の上をマシーンが滑って行くのだが、明らかに時速200kmを超えるスピードが出ている。絶壁に近い斜面を落ち、待っているのは急カーブ。レールなど敷かれておらず、ハーフパイプのコースから放り出されてしまうのではないか、という不安が何度もよぎった。

 勿論、全てコンピューターで計算され動いているのはわかっている。だが世の中に絶対というものはない。何より自分の意志で動きが操作されていないという事が怖いのだ。更には安全ベルトがギルド時代の拷問を彷彿ほうふつとさせ、ラオの不安をよりいっそうあおるのだった。


「あー面白かったね!」

「……そうだな」


 終わってみてラオは、額と両手がぐっしょり濡れているのだった。


「ちょっと売店を覗いていきましょ」


 言われラオは内心ホッとする。正直これ以上何かに乗るのは勘弁して欲しい。流石に売店なら何事も起らないだろうと思っていると、目の前の女がくるりと振り返り、立ち止まる。


「と、その前に、ここで中間発表がありまーす」

「…?」

「ここまでの貴方の点数は、-55点でーす。うーん、これは壊滅的ね」

「む……」


 悩まし気に頭を抱えるジェニー。このままでは協力して貰えないのか。


「何て言うか全然ダメダメー。相手に対する気配りがなってませーん。そんなんじゃ女の子に嫌われちゃうよ? それと何度も時間気にしてたでしょ? あれ超大減点ね。自分といると詰まらないって思われて当然よ? 相手にとても失礼だわ」


「いや、実際に時間が惜しくてだな……」

「言い訳無用!」


 非常にまずい状況だ。このままでは相手にペースを握られたまま、時間だけが無駄に過ぎていくだけだ。何とか仕切り直しが必要とラオは考える。


「聞いてもいいか?」

「なによ?」


「相手の事を知るためテストする、それ自体は悪くない。だが俺も時間が限られているし、何よりこういう場所は苦手だ。他に方法は無いのか?」


 正直な気持ちを打ち明ける。最悪協力して貰えなくなって構わない、無駄に時間を過ごすよりはマシだとも思った。そんなラオに、女は手招きし、かがむように言う。言われた通りにすると、頬をつねられた。


「……やっぱりわかってなかったね。あんたの言う仕事って選べる仕事だったの? どうしてもやらなければならない、とても危険な仕事なんでしょ?」


「そうだ」


「私だって全然知らない奴と心中なんて御免だわ。苦手なんて理由で投げ出すような人間を、絶対パートナーにはしたくない。途中で裏切られるかもしれないもの」


 すぐ傍にある、すべてを見透かすような澄んだ瞳。


──あんた腕はいいけど、変に真面目なところが問題ね


(驚いた。こいつはプロの、場数を踏んだ玄人の考えだ)


 かつてホワイト・ローズから言われた言葉が今になって心に染みる。


「どう? わかって貰えた?」

「……ああ」

「ならよろしい。後半挽回しなさい」


 手を放すとスタスタと歩いて行く。


「でもいい歳こいたおじさんが本気で楽しんでたら、流石にちょっと引くけどね」

「……」


 彼女はどこまでが本気なのだろうか。完全に振り回されているだけなのではないかと、不安も残るラオであった。

 

 売店に入ると土産物がずらりと並べられていた。


「ところでラオは恋人はいるの?」

「いや、いない」

「ほんとに? 家族は?」

「いないな」

「じゃあ誰のために仕事をしてるの?」

「強いて言えば自分のためだ」

「でもお世話になった人とかは居るでしょ?」

「……どうだろうな」


 真っ先にシーラの顔を思い浮かべたが、彼女はもうこの世にいない。次に思い浮かんだのがロゼの顔だった。今回の仕事で世話になったのは確かではある。まだ遂行の途中ではあるが。

 ジェニーは土産物の一つを手に取り、ラオに見せる。大小の正方形が重なって宙に浮き、不思議な回転をするインテリアだ。


「ちょっとさっきの続き。これ見てどう思う? 欲しいと思う?」

「思わん。何の役にも立ちそうにないからな」

「そうね、私もいらない。きっとすぐ飽きると思うし。でもさ、これを自分で買わずに大切な人から貰ったら?」


 貰っても困るだけだ、と思ったが、ここは敢えてジェニーの言葉を待った。


「自分が宇宙一大切な人から貰ったら、これはきっと宇宙一大切な物になると思う。どんな下らない物だって、宇宙一大切になる可能性を秘めているのよ」


「まぁ、わからんでもない」


 随分と極端な考えだが、心情的には理解できた。


「大切なのは気持ち、そして誰に貰ったかが重要なの。そんなわけだからラオ、一つあんたも買って行きなさいよ。私が選んであげる」

「待て、何故そうなる?」

「あんたに必要なのは相手に対する気配り、これはその第一歩よ!」


 これがいいわ、と選んだのは、座っているアリアン君がソーラーパワーで首を振るだけの置物だった。これをロゼに渡せというのだろうか? こんな物貰って喜んでいる姿など想像も付かないが、言われるままにカウンターへと持っていくのだった。


 会計を済ませると、最後に観覧車へどうしても乗りたいと言われる。もしかすると時間の押しているラオを気遣って『最後』と言ったのかもしれない。それに気付き、ラオも素直に応じるのだった。


「飲み物買った方がいいわよ」


 外に出て自販機の並んでいるコーナーへ行く。ジェニーの買ったのはミネラルウォーターだった。


「この会社で一番人体に影響のない製品よ」


 ジョークを言われ、ここが製薬会社であったことを思い出す。隣のカップ自販機で自分もブラックコーヒーを買おうとしていた時、またしてもジェニーが首を突っ込んだ。


「待って! コーヒーを買うのね!? 私がスペシャルドリンクをおごってあげる!」


 そう言って、勝手にコーヒーのボタンを押し始めたのだ。


 コーヒー豆、極少

 砂糖、大量

 ミルク、大量


ピッ


「はい! 昔の仲間内で流行ってた、スペシャルコーヒー!」


(こんなもん飲めるかっ!)


 見るとケラケラ意地悪く笑っている。どう考えても嫌がらせだった。


 アーリアフロントの巨大観覧車、実はこれが園内一番の人気だったりする。直径は凄まじく大きいが、地面との高さはそれ程でもない。何故なら半分は地下に埋まって回転しているからだ。乗り場が特殊な位置にあるため、ゴンドラを観覧車が後から拾って動くという珍しいタイプのものである。

 待ち時間60分以上と表示された電光板、長蛇の列をジェニーは並ばずに歩いて行く。誰も居ない優待エスカレーターの方へと向かい、係員に呼び止められた。


「あ、これはこれは……どうぞ、行ってらっしゃいませ」

「ラオー、置いてっちゃうよ? 早く乗って」


 流石にこの遊園地でも顔の利く存在の様だ。係員らから不思議そうに見られる中、大きな球状のゴンドラに乗り込む。やがてコンベアーに乗せられたゴンドラは、観覧車のアームによって掴まれた。



「……ほう、これは凄いな」


 窓の外を見ると、透明な強化シールド越しに、延々えんえんと広がる海の中が拝めたのだ。実はアーリアフロントはメガフロートであり、地下は海が広がっているのである。


「中々のもんでしょ。ここでもなきゃ滅多に拝めない景色よ」


 そう言って壁のボタンを押すと、突然壁が消えまるで自分たちが海の中に投げ出されたかのような錯覚を受けた。どうやらゴンドラの壁の内側が殆どモニターになっていて、外部に設置されたカメラの映像が映されているようなのだ。いやはや、極端に進んだ科学は魔法と遜色そんしょくないとはよく言われるが、まさにその通りである。


 暫し光景に目を奪われていたラオだが、本来の目的をすぐに思い出す。二人きりで落ち着いて話せる状況だ、聞けることを聞いて置くのも手かもしれない、と。


「ところで君は『ジェニー』、だったか?」

「ううん、私をそう呼ぶのはカイだけ。No.S00002020-JE、私に名前なんて無いわ」

「では他の人間から何と呼ばれている?」

「カティスフィリア……実験を重ねるうちにそう呼ばれてた。冬虫夏草の一種なの、嫌な名前でしょ? 綺麗な花が咲くらしいけどね…」


「なら『フィリー』と呼んでいいか?」


 少し寂し気に横を向いていた女は、ハッとしてラオの方を見た。


「フィリー……悪くないわね、気に入ったわ」

「それはよかった」


 そう言って安堵するラオに、フィリーはずずいと迫り、くっ付きそうになる程顔を近づけて来た。


「…なんだ?」

「……ねぇラオ。私の目、じっと見てて……」


 官能的な雰囲気が漂う中、言われるままにフィリーの目を見る。吸い込まれそうな瞳の奥、瞳孔が広がるとやがて猫のように細くなり、また元に戻った。


「ふふ……」


 今度は両手の甲をラオに近づけ、尖った爪を伸ばして見せる。そのまま指を広げると、隙間から水かきが現れた。


「……驚いた? 私、人間じゃないんだよ?」

「資料を読んで知っている」

「もーっ! 何それつまんなーいっ!!」


────────ッ!!! 


「うっ!?」


 ゴンドラ内に凄まじい高音が響き、思わず耳を塞ぐラオ。フィリーがハウリングを発したのだ。幸いゴンドラ内はモニター映像が少し乱れただけで済んだが、一歩間違えれば大惨事を引き起こす行為。いくら何でも悪戯が過ぎる、注意しようとした矢先、遠くから黒い影が近づいて来るのが見えた。


(何だあれは? くじらか!?)


 このままではバリアーを突き破り、観覧車に衝突するかもしれない。そう思っていたが相手は観覧車の手前で向きを変え、平行になると惜しげ無く巨体を見せつける。体表面はシャチのような模様でなめらか、4つあると思われるうちの2つの目がじっとこちらを見ていた。フィリーは壁に張り付き、それをニコニコと眺めている。やがて手を大きく振ると、シャチはその場で宙返りをし、悠然ゆうぜんと泳いで行ってしまった。一時はあわや大事故と思われたが、家族連れには良いサービスとなったことだろう。


 フィリーはシャチを見送ると、再びラオの前に座り直した。


「で、その資料っていうのはどうやって手に入れたの?」

「答えなくては駄目か?」

「当前よ、シークレット中のシークレットだもの。会社の情報セキュリティーを疑われるわ。何より私の個人情報でもあるし、とんでもない迷惑行為よ!」

「成程、確かにな」


 隠しても信用を失うだけだろう。突然自分宛てに届いた『クッキー・ベリー』のメールの事を、正直に聞かせてやった。入っていた情報を手掛かりにこの会社を訪れ、マーメノイド計画について書かれていた資料の事は話したが、ロゼの名前だけは出さなかった。


「ちょっと待って!? クッキー・ベリーって伝説のスペースハッカーじゃない!」

「有名なのか?」

「有名なんてもんじゃない! 銀河でも三本の指に入るハッカーで、手口がユニークで信者が大勢いるくらい……って、それよりラオ、あんた知り合い!?」


 身を乗り出して迫ってくるフィリーを抑え、落ち着くよう座らせた。


「でもどうしてあんたの所にクッキー・ベリーが? 嘘じゃないでしょうね?」


「俺にも全く心当たりがないんだ。嘘だと思うなら後でメールを見せてやる。ただ、逆探知するような真似だけは止めてくれ」


「しないわ、しても無駄。スペースハッカー級になると、サイバー警察すら手に負えないもの。下手に嗅ぎ付ければ痛い目に遭うのはこっちだわ。とにかく、あんたには強力な後ろ盾があるってことね」


「まさか。さっきも言ったが心当たりがない、単に向こうの気まぐれだろう」


「……ふぅん、どうだか。ま、そういうことにしておきましょ」


 疑わしい眼差しを向けられるも、引き下がって貰え内心ホッとするラオ。メール内にあった一文、ブラック・ローズとは間違いなくロゼの事だ。まさかロゼが伝説級のスペースハッカーなのだろうか……。


 海中に没していた観覧車のゴンドラは、やがて地上へと顔を出す。そしてゆっくりと遊園地の全貌ぜんぼうあらわにさせ始めた。


「ねぇ、ラオには信頼できる仲間はいる?」

「全くいない事も無い」

「私はずっと一人よ。生まれた時から、そしてこれからも」


 窓の外には街を覆う硬化ガラス越し、遥か彼方に水平線が見えた。


「昔の仲間がどうとか言っていただろう。それに君にはカイもいる」


 フィリーはタブレットから錠剤を取り出して口にし、ミネラルウォーターを飲む。


「あぁ、アクアノート(アクアノイド計画に携わる海中作業者)時代の同僚ね。普段馬鹿ばかりやってるような連中だったけど、いざという時の団結は凄かったわ。でも今は他の星で仕事してる、次に会えるのはいつかしら」


 寂しげにそう呟き、窓を指先で撫でる。


「その中にボーイフレンドもいたんだ。背は低くてさ、頼りなさ気なくせに無鉄砲。鈍感そうなところだけはあんたとそっくり」


 再び向き直し、悪戯っぽく微笑んで見せる。


「私の両親、遺伝子を一部提供してくれた人たちなんだけど、私が生まる前に殺されちゃったんだ。計画の口封じってやつね。研究員だったカイが私を逃がしてくれて、それ以来彼が親代わりってわけ。信用はしてるけど苦労はさせたくないの」


「そうだったのか」

「ところでさ、仕事の話なんだけど……」


「あんたの言う『仕事』って、人殺しでしょ?」

 

──ヒトゴロシ。


 言われると同時に、頭へとあの声が響いて来た。狭い空間に漂う沈黙、凍り付いた空気の中で、己の鼓動を感じ、ひたすらにこらえるラオ。


「……俺から血の匂いがしたか?」


「目よ、とても寂しそうな目……私と同じ人殺しの目……。でも殺した数なら遥かに私の方が上ね。数え切れない程の人間を殺したもの」


「よくわからんが、殺したと言っても事故か何かだろう?」

「半々。だから性質タチが悪いのよ」


 ゴンドラは頂上へと上り詰め、視界の先にどこまでも広がる水辺が映った。


「どんなに海中を深く潜っても、命を奪った罪は洗い落とせないの。だから私は心が潰れてしまう前に割り切ることにした。自分はそもそも人間じゃないから、同じ人間を殺してる奴らとは違う、ってね。……ラオはどうやって割り切ってる?」


「割り切ってなどいない。いつも償えきれぬ罪と向き合って生きている。だから俺は生きている限り罪と悪を背負い続け、そのまま死ぬだろう」


「それじゃ生きても辛いだけでしょ? ……だからさ、ラオも割り切りなよ。こっちにおいでよ、少しだけ楽になれるよ」


 フィリーが差し伸べた手に、ラオは首を振った。


「人間を止める訳にはいかない……だが君の考えを否定する気も無い。君を非難してくるやからがいるならば、きっと俺は君をかばうだろう」


「……馬鹿ね、冗談よ」


 ゴンドラは出口に到着し、二人はアナウンスに従って外に出た。細い回廊を歩き、下りのエスカレーターに乗ると、不意にラオは頬を指でつつかれる。


「……でもありがとっ」


 照れ隠しのつもりなのか、フィリーは距離を置くと黙って前を向き続けた。


 売店で買ったソフトクリームを頬張り、遊園地の出口へと歩く。


「これでテストは終わったんだな?」

「テスト? ……あーそっか」

「…おい」


 まさか忘れていたのか? 今までの苦労は何だったのか、と落胆するラオ。


「あはは、嘘嘘。えとね、……」

(ん?)


 言いかけフィリーは立ち止まり、その表情から笑顔が消えた。


「どうした?」


「──子供が溺れてる!」


「おいっ!?」


 急にフィリーは走り出し、ラオも慌てて後を追い掛ける。植え込みを突っ切り人ごみをかき分けると、木に囲まれた柵が現れた。有に1mを越える柵へと飛び乗り、下にあった貯水池へ躊躇いなく飛び込んだではないか!


「フィリーッ!!」


 柵から貯水池を覗き込むも、大分深いようで何も見えない。池へと流れ込む急流が徐々にその勢いを弱めていく。そこへ管理員が走ってきて、急いで柵の鍵を開けた。辺りには何事かと大勢の人間たちが集まって来ている。


「水を全て抜けないのか!?」

「逆に吸い込まれて危険です! 今は落ち着いて下さい!」


 その時、池の中央からフィリーが顔を出したのだ。見ると子供を抱えているではないか! すかさず管理員がロープ付きの浮き輪を投げる。無事子供の体が水面から上げられると、周囲からどよめきが起こった。


「フィリー、大丈夫か?」

「もう少しで海に投げ出されるところだったわ。それよりこの子が!」


 両親と思わしき大人らが駆け寄り、しきりに子供の名前を叫ぶも返事がない。大分水を飲んでいるようで意識がなく、ぐったりとしている。管理員によると、救急隊に連絡はしたがまだ到着しないとの事だ。安全に対し、万全を期していたことが裏目となり、こういった事態に慣れていないのかもしれない。


「あんたは野次馬を整理していてくれ。俺に任せろ」


 ラオはそう言って管理員と子供の両親をどかせる。意識の無い子供を改め見ると、肌が緑がかり耳の先が尖っている。呼吸は無かった。


(ラングリット星人か……体の構造はそう変わらない筈だ)


 心臓マッサージを行い、気道を確保すると人工呼吸を試みる。何度か繰り返しているうちに、子供は口から大量の水を吐き出した。


「助かったの!?」

「あぁ、後は彼らに任せよう」


 救急隊も野次馬をかき分け、ようやく到着したのだった。


 30分後、ラオは遊園地の入り口でフィリーを待っていた。子供の安否確認、家族への謝罪、管理責任者への連絡と指導など、立場上やらなければならないのかも知れない。しかし、意外にも早く彼女は現れた。


「お待たせー」


 髪と服は濡れたまま、タオルをかぶり上着を羽織っている。


「もういいのか?」

「うん、流石ラングリット星の人ね。怒るどころか逆に頭下げられちゃった」

「彼らの星は芸術と礼節を重んじるからな」

「ラオにもお礼言いたかったみたい」

「俺はいい、当然のことをしただけだ」


 人体の構造を知らなければ、確実に相手の命は奪えない。皮肉にも殺人ギルドで学んだ知識がこんな形で役に立つとは。ラオ本人も考えていなかったことだった。


「よく子供が溺れているとわかったな。飛び込んだ時は驚いたぞ」

「私の仕事の一つだもん。今回は稀なケースだったけどね」


 横に並び歩いていたフィリーは、前に出るとラオの前に立った。


「決めた。貴方の仕事、手伝うわ」

「本当か?」


「うん、いいよ。人殺しでも何でもやってあげる」

「それは俺の仕事だ。君にはサポートを頼むつもりだ」

「つまりは人殺しの手伝いね」

「……」


 返答に困り苦笑していると、フィリーは右手を差し出した。


「お互い、きっといいパートナーになると思う」

「ああ、宜しく頼む!」


 今度はラオも、その手を固く握るのだった。



 アーリアフロント本社に戻り、フィリーはカイを説得に掛かる。当然猛反対を受け矛先がラオへと向かったが、最後には渋々承諾しょうだくしてくれたようだった。


 早速仕事の内容を二人に説明するラオ。持ち込んだウルの海水の解析結果を見て、カイが金切声かなきりごえを上げる。


「ちょっとっ!! こんな汚い水へジェニーちゃんを沈める気っ!?」


「待って、汚れてるのは上の方だけ。他はとても澄んでるし、この星より綺麗かも。塩分濃度が高いみたいだけど、このくらいなら全然問題ないわ」


 次に具体的な作戦を練る。フィリーが要塞上部をかく乱させ、その間にラオが要塞下部へ爆弾を仕掛けるといった内容だ。


「ところで君は何mまで潜れるんだ?」

「んー、環境と装備に寄るけど2000mはいけると思う」

「ジェニーちゃん、お願いだから無茶はしないでね……」


 最後に協力報酬の話となる。ここでカイがラオの装備へ難癖をつけ始め、こっちの方が高性能だからと言い張り、アーリアフロントグループの製品を勧めてきたのだ。レンタル料だと言って1億バカラを取り上げ、代わりに大量のカタログと薬の試供品を寄越してきた。


「当社では製品を取り扱って貰える惑星を常時募集中で~す♪ 虎の子中の虎の子を貸し出すんですもの、このくらいはしてくれて当然よねぇ?」


「あはは、ラオが営業するの?」

「……勘弁してくれ」


 キャンベラの屋敷へ出向いた時に、こっそり机に置いておくかと思うラオだった。

 

 それから70時間後、ラオとフィリーは惑星ウルへと向かうべく、星間シャトルの軌道エレベーターに乗った。タイムリミットまで、残り200時間を切っていた。

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