第4章 灰色の街へ ③2011年、3月11日

 あの日。3月11日。

 オレは学校にいた。確か、社会科の授業中だったかもしれない。

 オレは社会科が苦手だったから、ノートに落書きをしていた。早く終わんないかな、って眠気と戦いながら思っていた。

 そのとき。

 グラッと体が大きく揺れた。

 一瞬、自分がいつの間にか眠っていて、舟をこいでいるのかと思ったけど、そうじゃない。

 地震だ。揺れが続いてる。

 地震は数日前にあったばかりだし、今までだって数えきれないぐらい体験した。だから、すぐにおさまるかと思った。

 けれど、いつもと違う。

 急に揺れが大きくなり、教室の後ろの棚の上にあった、学級文庫の本がドサドサと落ちた。オレの机からも、教科書やプリントが滑り落ちる。先生の机の上の花瓶が倒れて床に落ち、割れる音がした。

 見上げると、蛍光灯が大きく揺れて、落っこちてきそうだった。女子が悲鳴をあげる。

「みんな、早く、机の下に隠れて!」

 先生の一声で、オレ達はあたふたと机の下にもぐった。

 廊下で何かが倒れる音がする。ガラスが割れる音がする。あちこちの教室から悲鳴が聞こえる。

 教室の後ろのロッカーの扉が開いて、掃除用具がバラバラと床に倒れた。後ろの棚に入れていた道具箱やランドセルも、次々に床に零れ落ちる。あーあ、後で片づけるの大変だな。オレはまだ、そんな呑気なことを考える余裕があった。

 地震って、こんなに音がするものなんだ。建物って、揺れる音がするものなんだ。そんなこともチラリと思った。

 それにしても長い。実際は2分間だったけど、数十分は揺れていたような気がした。

 徐々に揺れは小さくなっていき、やがて、おさまった。

 教室はシン、としていた。誰も動くことも、話すこともできなかった。

「みんな、防災頭巾をかぶって、外に出てっ」

 おもむろに先生が立ち上がって叫んだ。

 みんな、慌てて机の下から這い出した。

 でも、防災頭巾をオレは持ってきてなかった。オレだけじゃなく、クラスの半分は持ってきてなかった。死ぬほど後悔する、というのはああいうときに使う言葉だと思う。仕方なく、ジャンパーを頭からかぶった。

 廊下に出ると、ガラスが床に散乱してメチャクチャになっていた。寒風が体を突き刺す。みんな何も話さずに、避難訓練と同じように二列に整列した。他のクラスの人たちも、廊下に出て来た。

「みんな、そろった? まわりのお友達、ちゃんといる?」

 先生の声は、今までに聞いたことがないほど上ずっていた。オレ達はさっと前後と隣を確認した。

「います」

「いる!」

 みんなで一斉に声をあげる。

「それじゃあ、今から校庭に移動します。落ち着いて、走らないでね。しゃべってもダメ。訓練と同じに、訓練と同じにすれば大丈夫だからね」

 先生は自分に言い聞かせるように、ゆっくりとオレ達に語りかけた。オレ達はうなずくので精一杯だった。

 津波。

 おそらく、みんなそれを考えていたと思う。

 避難訓練のときも、必ず津波が来たときの話をされる。大きな地震の後は、津波が来る。先生たちもそれを一番心配していたはずだ。

 校庭には全学年が集まってきた。普段なら、騒いで先生に怒られる一年生すら、一言も話さない。すすり泣いている子もいる。

 先生たちは、しばらく集まって話し合いをしていた。

 やがて、ヘルメットをかぶった校長先生が、朝礼台に立つ。いつもニコニコしながら話をする校長先生の顔は緊張していた。

「皆さん、これから高台にある公民館に移動します。それぞれ、先生の指示に従って、二列になって移動しましょう」

 校長先生が話している最中に、何台かの車が校庭に滑り込んできた。

 そのうちの一台は、オレん家の車だった。父ちゃんが車を降りて、血相を変えて駆け寄ってくる。

「隼人、逃げるぞっ」

 オレはどうすればいいのか分からず、父ちゃんと先生の顔を何度も見比べた。

「先生っ、うちの子をつれて車で避難しますから」

 父ちゃんの勢いに押され、先生は「分かりました、お願いします」とだけ答えた。

 いいな、車で逃げられるなんて。

 クラスのみんなは、そんな目でオレを見ていたように思う。

 オレは戸惑いながらも、なぜかペコリとみんなにお辞儀をして、父ちゃんについて車まで走った。車に乗り込むと、母ちゃんが助手席に座っていた。

 母ちゃんはオレを振り返り、心配そうに「大丈夫? 怪我はなかった?」と聞いた。オレは「ダイジョブ、ダイジョブ」と何度もうなずいた。

 車は急発進した。オレは慌ててシートベルトを締める。

「すごかったね、学校もメチャクチャになったんじゃないの?」

「母ちゃんは? 工場は?」

「知らない。母ちゃんね、気分が悪くて今日は早引けしたの」

「そうなの? 大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。寝てたら、この地震だもの。家の中、メチャクチャになったよ。父ちゃんとテーブルの下に隠れて、無事だったけど」

「今まで経験したことないよ、こんな地震。音がしたもんな、揺れてる音」

「工場もメチャクチャになってるかも。あー、みんな、大丈夫かな。ちゃんと逃げたかな」

 父ちゃんも母ちゃんも興奮していた。

 父ちゃんはチラリとオレを振り返った。

「これから、真吾を迎えに行くからな。みんなで逃げるんだ」

 オレは、その言葉に正直、感動した。

 緊急事態だっていうのに、ワクワクしてきた。

 みんなで逃げる。カッコいい! まるで、映画みたいだ。


 真吾が通っている幼稚園に向かう途中で、先生が園児をつれて高台に避難している列と出会った。父ちゃんが車を降りて列に駆け寄る。真吾が気づいて、父ちゃんの足にしがみついた。父ちゃんは先生と一言二言会話を交わし、真吾を抱き上げて走って戻ってきた。その顔。父ちゃんのあんなに真剣で必死な形相、初めて見た気がする。

 真吾がオレの隣に乗り込んだ。

「兄ちゃん、怖かったね」

 真吾はオレに抱きついてくる。こいつ、こんなときでも甘え上手だな。

「大丈夫だよ、みんなで逃げるんだから」

 オレは珍しく真吾の頭をなでてやった。そんなことしたのは、初めてかもしれない。いや、赤ちゃんのときはなでてあげたかな。

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