第3章 あの日へ ④呑まれていく街

 一瞬、自分の体が揺れてるのかと思った。

 でも、違う。

 顔を上げると、街中が揺れていた――地震だ。

 揺れは激しくなり、立ち上がれない。

 目の前の家も、電柱も、塀も、信号も揺れていた。

 揺れはおさまらない。ゴウ、と音がする。それが地鳴りだってわかったのは、ずいぶん後になってからだ。

 家の屋根から、屋根瓦がなだれ落ちる。塀も、音を立てて崩れていく。どこかで悲鳴が聞こえる。まるで、映画を観ているみたいだった。

 家から走り出てくる人もいた。前を走りすぎた車も路肩で止まっていた。

 どうしよう。怖い。怖い。ママ、パパ。どうしよう。

 私は声も上げられずに、へたりこんでいた。

「嬢ちゃん、大丈夫か!」

 近くの家から出てきたおじいさんとおばあさんが、私を抱き起こした。それが私の恩人でもある、田久保のおじいさんとおばあさんだ。

 揺れは徐々に小さくなっていき、やがておさまった。まるで数十分も揺れていたみたいだった。

 まわりの家から次々と人が出てきた。

「お嬢ちゃん、大丈夫だった?」

 おばあさんは私の顔をのぞきこんだ。

「ケガ、なかった?」

 私はうなずく。

「友達は? みんな、どうしたの」

「まだ学校」

「そう」

「こりゃあ、津波が来るんでねえか」

 おじいさんが緊張した面持ちで海の方を見ている。

 とたんに、サイレンが鳴り響く。

「ただいま、津波注意報が発令されました」

 事務的な女の人の声が響き渡る。

「ほら出た」

「大変、逃げないと」

 私はどうすればいいのか分からず、オロオロしていた。どうしよう。学校に戻ったほうがいいのかな?

 その間に、おじいさんとおばあさんは家に入り、上着を羽織り、バッグを持ってきた。

「お嬢ちゃん、一緒に逃げましょ」

 おばあさんに促されて、ガレージに止めてあった車に私も乗り込んだ。


 車はガレージを出ると、高台に向かって走り出す。道端には、不安そうな顔をした大人たちが集まっていた。

「どこに行くの?」

「この上の公民館に逃げるよう、避難訓練のとき、言われたっしょ」

「みんな、逃げないのかしら」

「後から来るっしょ」

 前の席で、おじいさんとおばあさんが話している。

 私は後部座席で二人のやりとりを聞いていた。

 ママは大丈夫かな。パパは平気かな。どうやって連絡しよう。私が逃げたってこと、分かるかなあ。後で、おじいさんたちに家に連れてってもらえばいいのかな。

 そんなことを考えていた。

 公民館に着くと、すでに何台か車が止まっていた。みな車から出て心配そうに海を見つめている。

「おとといの地震のときも、津波こんかったっしょ」

「でも、さっきの地震はもっとでかかったよ。初めてだよお、あんなの」

「家の中、一瞬でめちゃくちゃだもの」

 みな、興奮した口調で話している。ビデオカメラを回している人もいた。大人ばかりで、子供は幼稚園ぐらいの小さい子しかいない。みんなまだ学校にいるんだろう。

 どれぐらい経ったのか。私は寒くて、車の中で待っていた。

「あっ、あっ、あれ、波」

 みんなが騒ぎ出したので、慌てて車から出た。

「でかいよお」

「なんだ、ありゃ」

「あっ、堤防越える」

「超えた、堤防越えたよお」

「えっ、船が流されてるんじゃないの?」

「うわ、車が流されてるよお」

「あー、あの工場、危ない」

「うわうわ、家が。家が流されてるよ」

「うわああ、何だ、これ。何だ、これ」

「いやあ、やめて、やめて」

 大人たちはみな興奮しながら、津波が街を呑み込んでいく様子を見ていた。低い、地響きのような音。そして、時折大きく地面が揺れる。そのつど、そこにいた人たちは地面にしゃがみ込んだ。

 私は声もなく、目の前で起きている光景を呆然と見ていた。

 これが津波? これが津波なの?

 最初は静かに、徐々に激しさを増して、波はあらゆるものを呑み込んでいった。

 家も電信柱も、トラックも簡単に流される。まさか、あのトラックの中に、人は乗ってないよね? あの家の中に、人はいないよね? みんな、逃げたよね? 

 なんで、あの波、あんなにたくさん呑み込んでるのに、スピードが落ちないの?

 私の家、私の家は。

 伸び上がって家の方向を見ていると、

「うわ、学校もやばいんでねえの?」

 その声に、ドキッとして振り返った。

 まさか。

 だって、学校も避難場所になっていたはずだし。海から結構距離あるし。

 でも、津波は海から来てただけじゃなかった。

 学校の近くに、川がある。津波は猛スピードで川を遡っていた。黒い水があふれだし、川沿いの道を走っている車が呑み込まれていた。さらに道路から畑に流れ込み、家々を巻き込み、どんどん領域を広げていく。

「ああっ」

 叫んだのは、私だったのか、他の誰かだったのか。

 学校の裏庭に波が流れ込んだ。と思ったら、あっという間に体育館は波に包まれ、校舎も波に呑まれて――。

 みな、静まり返った。

 

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