サーカスの息子

作者:ジョン・アーヴィング

刊行年:1994年


【簡単なあらすじ】


カナダに住んでいるインド人外科医のファルーク・ダルワラは数年に一度故郷に戻る生活を送っている。そんな彼の裏の顔は『ダー警部』シリーズの脚本家。そんな彼につきまとうのは、『自分がどこの国の人間であるのか』という悩みだった。シリーズの主演役者であるジョン・Dや、彼の(個性豊か過ぎる)知り合い達が引き起こす騒動の数々の中で、彼の魂は彷徨い続ける。そして、たどり着いた場所とは――。



 『熊を放つ』から始まるアーヴィングの長編小説シリーズである。なお私は現在(勝手に)アーヴィング祭りを開催しており、今後も当分の間は彼の小説が続くと思う。そのへんはご了承ください。


 さて、普段はアメリカを舞台にした小説を書くアーヴィングであるが、今回はインドが舞台という少々異色な作品となっている。それだけに発表当時の反響は大きかったそうだが、私は日本文学以外は全部『海外文学』と十把一絡げにしてしまう残念な脳味噌をしてしまうのでそのへんは気にならなかった。むしろアーヴィングの真骨頂である無数の濃厚かつコミカル、それでいてシリアスで哀しげな無数のエピソードの絡み合いや、奇妙にネジ曲がったキャラクターたちが織り成す重厚な人間ドラマが、インドというこれまた特濃な熱気溢れる土地で繰り広げられるのだから、面白くないわけがないのだ。そして案の定すこぶる面白かった。仕事の帰りに下巻の残り三分の一を一気読みしてしまったほどだ。


 あらすじにある通り、これは人間の『居場所』についての物語である。主人公であるファルークはカナダに居る時はインド人としての自分を強く意識してしまうし、本国に戻ってくれば、自分が驚くほどインドのことを知らないことに愕然とし、悩んでしまう。そんな彼の心の支えである『信仰』も、奇妙奇天烈で摩訶不思議な話の筋書きを経て、脆くも崩れ去ってしまうのである。様々な人種、言語、階級の人々が渾然一体となったインドという国の中で繰り広げられるこのドラマの中には、彼と同様に自身のアイデンティティの置き場所に悩みもがき、あるいは怒り、悲しむ人々が大勢登場する。中盤以降は、とある凄惨な殺人事件の犯人にフォーカスが当てられ、彼(?)もまた自分が何者であるのかに苦悩していたことが明らかにされていく。その中でファルークは自分のアイデンティティを、居場所を見つけられるのか? 簡単に言えば、この物語はそこがキモである。アーヴィングの作品の常として、のっけからフルパワーで特濃なストーリーとキャラクター達を見せつけられるわけだが、今作はそういうテーマがあることが明確であったため、存外読みやすかった。


 さて、そんな今作でアーヴィングが示したかったものはなんなのだろう。それはあのあまりにも美しいラストシーン(本当に一遍の映画のようであった。ラストだけで言えばこれまで読んできたあらゆる作品のラストシーンの中でダントツであると感じた)におけるファルークの一言で示される。そこで重要になってくるのは、彼が医師である裏側で『虚構を作り出す』仕事をしているという事実である。彼はフィクションでもって現実に対抗している。そのうえでラストを読めば、無類の感動が待っている。自分がどこに居るのか分からなくなった時、人はどこに心の拠り所を見つけるのか。サーカス団との触れ合い。奇妙な双子の運命。象のしてしまったことは、元には戻せない――。どうかあなたも、彼の辿る行く末を見守ってほしい。


 これは、NO WHERE(どこにもいない)が、NOW HERE(ここにいる)に変わる物語である。そして、この物語を読んでいるという事実そのものが、どうか、あなたにとっての居場所を見つける一助となりますように。アーヴィングにも、ファルークにも、それが見つけられた。きっとあなたも、あなたのサーカスを見つけられるはずである。


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