殺しの楽園(05)《銀星》

 階数表示ランプが落下する。琴の音が鳴って、エレベーターが開いた。腰のそばに構えられたグロック自動拳銃。ドアを抜けるスラックスの裾には、細かい血が飛び散っている。ブルーのスーツを着た《銀星》トマス・ゴードンの殺気立った銀髪の顔は、角を曲がると、真正面の廊下を見すえた。視線が通路の奥へ……左右のドアは一つ、二つ、……七つ、突き当りに直立するドア向こうの薄暗い部屋で、紅茶色の修行着を羽織っている《老師》ミン・イップの瞳孔が、濁った液を周囲に押しやりながら開いて、その黒い膜の中で陰影だけになって反転するトマス・ゴードンが、首を左右にゆっくりと揺らす。関節の鳴る音――こちらへ踏み込んでくるのを確認して、覗き窓から目を離したミン・イップは、手元の時限装置のスイッチを押した。

 オレンジの火花が散って、銀色の小箱ごと導線が巻かれた天井の電球が破裂し、ガラス片がカーペットの上に落ちる。暗がりが一段階広がって、ミン・イップのドアを包んだ。火花は二発、三発、等間隔で連鎖して、暗闇が瞬く間に渦を巻くようにしてトマス・ゴードンに迫ってきた。彼の靴がガラスを砕いた途端、間近のドアがおもいっきり音を立てて開き、鉄甲を両手に装着した修行着の男が飛び込んでくる。閃光――銃声が鳴りやむ前に次のドアが開いて、ミン・イップの十四人の弟子が次々とトマス・ゴードンに挑みかかってきた。

 銃声と激突音がドアの向こうで聞こえる。ミン・イップが鍵を外して、静龍の構え。つま先の感触が床と繋がっていき、トマス・ゴードンの接近を徐々にリアルに感じる。心臓が高鳴っていく。

 弾倉交換。青白い光の中で撃ち抜かれた頬の肉片がクローバー柄の壁紙に跳ねる。盾にしていた男の死体をトマス・ゴードンが振り払うと、三角形を描く腕の筋肉が振りかぶった、巨大な銀色の鉈が垂直に迫った。

 ――そして、静かになった。

 ミン・イップは一分ほど待って、ドアを開けた。

 暗闇が広がっていた。その黒の境界はいくつもの半開きのドアに遮られ、淡くきらめく間接光の輪郭としてしか見えない。ウサギのように怯えているミン・イップ自身を除いて、誰ひとりとして、生きている者はいないように思えた。つま先に最初に触れた肉体の感触は、間違いなく、自らの手で黒帯を伝授した二番弟子、ユアンのものである。彼は素行の悪さも情熱も誰よりもナンバーワンで、酒場で乱闘騒ぎを起こして警察のお世話になったことも、泣き腫らした顔で「もう一度だけ、どうか、おれを弟子にしてくれ」と大地に頭を下げたことも、まだ何もかもが鮮明だ。ユアンは朝早くから起き、型を基礎から流れるように繰り返し、寝坊している他の弟子たちの頭に水をかけて回り、酒に溺れて人を殴るたび、何度も白帯から修行を始めるのだった。

 ユアンは死んでいた。二十二歳だった。八月の誕生日は間近、母親のもとに送る手紙はいつものように書きかけのまま。闇に慣れてくる瞳の中に、ミン・イップは曖昧な黒い塊の感触をおぼえた。その先端が白く爆発して、廊下にまっすぐに立つ《銀星》の姿をはっきりと照らした。その光が銃口からのものだと分かるまで、ミン・イップはこの世にいたわけではなかった。かぼそい膝が崩折れた。残響が廊下を渡っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る