May Antithese

 トトロの腹に抱き着いて思う存分もふもふしたい。


 これが人類みなに共通する宿願であろうことは想像するに難くないが、私はある時、どうでもいいことに気づいてしまったのである。

 心底どうでもいい。

 しかし、一度想起された考えはなかなか消えてくれない。

 そこで今回、折角なのでこの場を用いて一席打ってやろうと考えたわけなのだが、勿論反対意見があれば教えていただきたい。


 あれは、とある春の日のことであった。

 我が愛猫キジトラは外出禁止の令を破って度々脱走する(白猫は出ない。彼の出自は所謂捨て猫であり、我が家に来るのが一歩遅ければ、あわや斃死の憂き目を見ていた。外の世界は怖いところという想念があるのかもしれない)。

 脱走とはいえ大概は庭の中にいるし、遠出したとして隣家の庭先までだ。


 その日も洗濯物を干そうと玄関口を開けたタイミングで、奴はまんまと庭先へ繰り出していった。

 まあ、小一時間ほどで戻ってくるだろう。


 しかし、暫くして私は、テラスの下に奇妙な光景を見た。


 キジトラが、緑色のボールを転がして遊んでいるのである。

 なんだろう。

 あんなものが我が家の庭にあったかしらん。


 私が近視の瞳を限界まで引き絞り注視した時、私の背筋が凍った。

 ボールではない。

 あれは小鳥だ。

 我が家のネコが、小鳥を前足で転がして甚振っているのである。


 話は本筋から逸れるが、ここでどうか注意して頂きたいのは、この光景をもってして、決してネコという生き物を『残酷』だとか『悪辣』だなどと評しないで貰いたい、ということである。

 これは私の小説の中でも触れたことがあるのだが、人間とその他の動物というのは、それを律する理というものが、根本的に違っているのである。


 動物の行動の一々を我々が理解することはできないし、それを人間に当てはめて考えるなど無意味に等しい。

 我々は本来的に分かり合えない存在なのだ。

 たまたま意思疎通が図れたように見える時でも、それはその時取った彼らの行動が、運よく私たちの要望に沿う形であっただけのこと。

 勘違いしないでよね、という奴だ。


 それでも、その一瞬の交流が、幻のような心の接触が、たまらなく愛しい。

 だからこそ人は動物を愛でるのである。


 何が言いたいかといえば、要は我が家のネコの行動を、人間が弱者を甚振り、毀損するそれと同等に考えないで頂きたいということだ。


 話を戻そう。


 私は慌ててネコを追い払い、動かなくなった緑色の小鳥を掬い上げた。

 目は開いていない。

 幸い目立った外傷はないが、動く様子もない。


 私は少し離れた位置でそれを見るネコを睨みつけ、「お前は何と悪いネコだ。弱いものイジメをするんじゃない」と叱った(さっきまでの主張はどうした)。


 ネコは何か言いたそうな目でこちらを見上げてくるが(おそらく玩具を返せと言いたいのだと思われる)、私はそれに構わず小鳥の保護を優先した。

 適当な藤篭にタオルを敷いて、小鳥を休ませた。

 そこで改めてまじまじと小鳥を観察し、あることに気づいたのである。


 かわええやん。

 ごっつ、かわええやん。


 全身がふかふかなのだ。

 産毛のような柔らかな羽毛が艶を持って輝いている。


 私はそれまで我が家のキジトラの腹の毛がこの世でもっともふかふかしたものだと信じて疑わなかったのであるが、それを根底から覆されることとなった。

 その触り心地は、ちょっと文章で表現できそうにない。

 人の世の被造物に、それと比肩され得るものがないのである。

 例えようがない。

 ネコ、敗北である。


 その時、私はあることを思い出した。


 私の親戚に巨大なイヌを飼っている家があるのだが、以前遊びに行った際、そのイヌに遊んでもらったことがある。

 見た目はきれいだし毛並みもいいのだが、どうしても我が家のネコと触り心地を比べてしまう。

 そのイヌの毛はどうしてもごわごわとしたように感じてしまう。


 その時のことを思い出した私は、こう考えたのだ。


 つまり、サイズの問題なのでは?


 度々話が逸れて恐縮だが、『ガリバー旅行記』にはこんなエピソードがある。

 小人の国に行ったガリバーは、住人の肌がみな一様に美しいことに驚いたのだという。

 老若男女を問わず陶器のように滑らかで、まさに妖精のようであった、と。反対に小人たちからは、ガリバーは随分醜い容姿をしていると言われたそうだ。


 それが何故かは、次の巨人の国に行ったときに判明する。

 ガリバーの目には、巨人たちの姿はみな醜悪に映ったのだ。

 理由は簡単。

 巨人たちは大きすぎるが故に、その肌の細部の細部までをよくよく観察されてしまうのだ。

 毛穴から皮脂から染みやら黒子まで。

 どれだけ美人の素肌であっても、虫眼鏡で子細に観察されては堪らない。

 逆に巨人たちからは、ガリバーは随分美しい男だと思われたのだそうだ。


 そう。

 サイズの問題なのだ。


 イヌ>ネコ>小鳥


 サイズが小さければ小さいほど毛も細くなり、柔らかくなる。

 当然触り心地もよくなる。

 多少の粗も目立たなくなる。

 そりゃあ、イヌやネコが小鳥の触り心地に勝てる道理がない。


 さあ、漸く本題である。


 トトロの毛皮って、想像するほど触り心地がいいものであろうか?


 何せ人の背丈を優に超える毛玉だ。

 先の不等号の列で言えばイヌよりもさらに大きい。

 触り心地、いいかなあ?


 私は以前自身の小説の中で、人の身程の大きさのリスの尻尾を思う存分もふもふするシーンを描いた事があるが、その時もこの想念が頭から離れなかった。


 ヒカリ(登場人物の名前だ)、ひょっとして、チクチクしてたの我慢してたんじゃない?


 勿論、ことの真偽を確かめる方法はない。

 恐らく、今後私の前にトトロが現れることはあるまい。

 ない、よね?


 まあ、これは無理に立証すべき問題とも思わない。

 トトロの腹に抱き着いて思う存分もふもふしたい。

 これが人類の宿願であることに違いはないのだ。


 ご経験おありの方がいれば、是非感想を教えて頂きたい。



 ……余談ではあるが、その時の小鳥は無事恢復し、空に帰っていきました。

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