第5話 病院を守れ!

 緊急を告げるアラームのアイコンが周りを飛び回る。

「何か来た」

 ナミの言葉が終わるか終わらないかの瞬間、現れたのは影? 影を作り出す本体がいないのに地面に黒い人型が浮かび上がったかと思うとその頭の部分の口が裂けて目があいて……

「危ない!」

 飛び出してきた黒い人型のアバターが繰り出す手刀から慌てておじいさんやその孫たちを守るカノン。あっとという間の戦闘形態への変身。アイギスの展開であった。

 そして、

「おりゃあああああ!」

 同じく戦闘形態——褐色の肌のアマゾネスへ変身したナミの蛮刀が振り下ろされる。

 真っ二つになる影。

 しかし、

「まだくるー」

 地面といわず、壁と言わず、あちらこちらに現れた影は次々にその不気味な目を開き、そのまま黒い人型となって飛び出してくる。

「ナミ、こっちは大丈夫」

 カノンはアイギスをさらに広げ病室の一家を守りながら言う。

「怖くないからね」

 赤ちゃんが泣き出さないようにと、振り返りニッコリと笑いかけるカノンであった。盾の裏側には気を利かせたヒジリが、ダウンロードした幼児番組を映しだすが、まだ目も開ききらないような赤ちゃんに効果があるかは不明である。

 しかし、そんな彼女たちの思いは伝わったのか、騒ぎにも泣くこともせず自分の生まれたこの世界を信頼しきって微笑む赤ちゃんであった。

「いさという時はすぐにログアウトしてもらうけど」

「分かってる、——これくらい!」

 生まれ出たこの世界を信じてもらうため。この世界を——仮想ヴァーチャルでろうが現実リアルであろうが世界は世界——好きになってもらうため。

「私が守る!」

 無数に湧き出したナイフを構える黒い人型に向かって剣を構えるナミであった。


 その時——


「ああ、みなさんここまでありがとう。あとは私たちにまかせてください」

「ん?」

 ナミたちが振り返ると、後ろ続々と出てくるヘルメットに防護服——フル装備の警備員の姿をした人々の群。病院をまもる侵入検知システムが送り出したアバター。AI制御の警備員アバターたちであった。

 その者たちは、ナミたちの前にでると、侵入者たちに向かって警棒を構える。

 そして、

「突撃!」

 号令とともに警備員たちは前に進み侵入者を組み伏せる。

 しかし——

「消えた」

 捕まった瞬間、黒い人型は忽然とその姿を消す。

「現れたー」

 そして、消えたかと思うとまたすぐに現れる侵入者の群。

 それにまた突撃する警備員。

 消える侵入者。

 これを数回繰り返すのを見て、

「 SYNフラッド攻撃ね」

 と、カノンが言う。

 SYNフラッド攻撃——対象システムをダウンさせるために行う手法の一つ。簡単に言うと相手のシステムに通信を行い、反応させて、次のレスポンスを待たせる。しかし次の通信は送らない。これを次々に繰り返せば、相手の対応待ちのリソース——この場合はAI警備員——とあらたに現れた通信に反応するリソースと、どんどんとシステムの負荷が高まって行くことでそのダウンを狙う。

 消えた侵入者に一瞬警戒せざる得ない警備員セッションはそのまま配置につき続けながら、次に現れた影にまた別の警備員セッションを突撃させなければならない。この攻撃により、病院の侵入検知/遮断システムの負荷はどんどんと高まって行く。

 仮想空間の病院の廊下を埋め尽くすように現れては消える漆黒の人型アバターに、警備員たちも無数にその姿を増やしながら対抗して行くが、その動きは少しずつ遅くなる。

「行かせるか!」

 ついには、警備員がおさえつけるのが間に合わなかった侵入者も現れるが、それは後ろに控えたナミが蛮剣をふるって排除する。

「私たちがいれば心配はありませんわ」

 カノンが盾を構えながら、後ろの家族たちに安心させるように言う。

 とはいえ、その姿に今、余裕はない。現れては、消える。消えては、現れる。黒い大波のような侵入者の攻撃に、正直押され気味な病院のシステムとナミたちである。

 しかし、彼女の言葉は強がりではない。

「検知までもうすぐー。ちょっと待てー」

 攻撃に絶える間にヒジリの攻撃元ソースの解析が進む。

 世界中に散らばるルッキング・グラスのデータ、この業界では有名な蒼穹高校に古くから協力してくれる各ネットワークの管理者たちの提供データ。それらを統合、解析するならば……

「見つけたー」

 ヒジリがナミに攻撃元の位置アドレスを転送する。

「地球の裏側ね」

 それは南米大陸のほうど真ん中。日本から見たら地球で一番遠い場所であった。

「ヒジリがプロバイダに申告してフィルター頼んだから攻撃はすぐ止むと思うわよ」

 カノンが、仔顔に怒気をみなぎらせ、今にも飛び出して行きそうなナミを制していう。

「でも……それじゃ、私は気がすまない」

 おじいさんが、せっかく孫に会っていたところを台無しにしてしまった攻撃者たちに怒り心頭のナミであった。

「ふふ、あなたらしいわね」

「それがナミー」

 困った子供のことを見るような、しかしどこか憧れているような、そんな目でナミを見る二人。

 首肯。そして、

「じゃあちょっと行って大元殺めて……」

 二人の合意が得られたと思い早速南米までひとっ飛びと考えたナミであったが、

「でも、今日の本当の敵はそっちじゃないかもしれないわよ」

「ナミ騙されるなー」

「——へ?」

 カノンとヒジリが視線を向けたその方向。それに合わせて振り返ったナミの目の前の空間がゆらりと揺れ、

「ふん!」

 その淀みは振り下ろされたナミの剣からするりと逃げ、

「待て!」

 そのまま病院——仮想世界の病院の中に入り込もうとする。

「させません!」

 その前に立ちふさがるカノン。そして、淀みは彼女が前につきだした盾に阻まれるが、それは、盾の表面を滑るように上り、飛び越え、更に先に向かおうとする。

「だめー」

 地に薄くはりついて、その中に潜りこもうとしてた淀みにヒジリは光の矢を突き刺す。

「逃さないよ」

 二本、三本。その後無数に突き刺さるピング。それはヒジリが侵入者を見失っていないという意思表示であり……。

 ——また、

「うぉおおおおおおお!」

 ナミの攻撃のためのマーカーでもあった。

 連続して繰り出されるナミの攻撃をすんでのところで避ける淀み。

 それは床を転がり、人型に空間を揺らし、その本当の形を見せ始める。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! あれ——」

 淀み——今は銀色の人型のアバターは、そのまま転がりナミの剣の間合いから外れると、高速でバク転を始め電脳世界の病院から逃げだそうとするが、

「逃がしません」

 カノンが手に持ったムチがするすると伸びて、その人型を捕まえる。

 そして、

「正体を明かすのだー」

 銀色の人型に向かって探針プローブをぶち込んで、そのキャプチャーを始めるヒジリ。その解析が進むにつれて、侵入者が身にまとった銀色に光は消え、その本当の姿をあらわにし始める。

「どう、あなたはこのままログアウトすることもできるけど? 女子高生に戦いハックで負けておめおめと逃げ帰るのならだけど?」

 今や完全に偽装がとけ、本人の姿を模したものなのか、白人男性の風貌をしたアバター。

 駆け寄ったナミは剣をぐっとその喉に突きつける。

「女子高生? ああハイスクールの生徒たちなのか君らは?」

 しかし、男は、全く動揺した様子もなく飄々とした表情でナミを見つめながら言う。

「ハイスクールの生徒ならなによ?」

「ああ、それじゃしょうがない」

「しょうがない?」

「物事の大事さがわからないのだろう」

「大事? 何が大事だって言うのよ?」

「この病院に誰がいるか知っているのか」

「誰がって……かわいい赤ちゃんと優しい家族よ」

「……ふむ、そのような人たちもいるだろうな。良いことだ」

「良いことならなぜ攻撃仕掛けてるのよ。おまけにその隙に侵入しようとして」

「良いことだけで世界がなり立っているのならよいのだが……その善き人たちの敵がここにいるのだよ」

「敵? 誰のことよ」

「世の中には知らない方がよいことも多いのだよ。若さゆえの好奇心は自らを気づける元だ」

「——ああ、もう! 『知ってるか』とか聞いておいて『知らな方がよい』なんて、何言ってるのよ!」

「……ああ、なるほどな。確かに私の失言だ。私の行ったダブルバインドは君を混乱させてしまったかもしれない。しかしだね、——矛盾。矛盾は大事だと思わないかい? 世界の真理はそんな矛盾の先にあるのだよ」

「はあ? さっぱりわからない。私が文章弱いの知って、なんだかケムに巻こうとしていない?」

「そんな気はないがね……しかし、結果的に——若者が悩むのは良いことだ。大いに悩みたまえ」

「は? さっぱり意味わかんない」

「私もわからんよ……しかしそれが必要だと言うことだ」

 剣を突きつけられながらも余裕の表情で、警句のような言葉を弄ぶ男に、ナミの堪忍袋の尾が切れる。

「ん、もう! 結句何が言いいたいのよ!」

「何も」

「——うう! もういいわよ! あんたとはもう話すこともない。それより、——さあ、どうするの、このまま逃げ帰るの? まだまだ戦うハックするの?」

「逃げる? 戦うハック? そおどちらかを選べと言うのか?」

「そうよ。そのどちかしかないでしょ。今のあなたにできることは」

「なるほど……でも、私は言ったはずだ」

「何をよ」

「真理は矛盾の先にあると」

「はあ? だからどっちかと……」

「——どちらでもないよ。逃げる必要も戦う必要もない。なぜなら——」

 

 男はそう言うと、ニヤリと微笑み、 


「ナミ! 逃げて!」


 その瞬間、カノンのあわてた声がする。その直前、自らも異変を感じて後ろに飛び去るナミ。白人男性のアバターはその瞬間何倍にも膨れ上がり、今にも爆発しそうな状態になる。

「これ、やばいー」

「隠れて……いえ、ログアウト!」

「まって、あいつを放っては」

「無理。逃げるのよ」

 男の爆発した体からは、どす黒いオーラが一面に広がる。

 それがカノンのアイギスを蝕んでいき——


 ホワイトアウト……


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今回の用語解説


「SYNフラッド攻撃」

 ネットワークを介してのサーバ攻撃手法の一つ。現在のインターネットで主流の通信方式プロトコルの一つにTCP(Transmission Control Protocol)というものがありますが、これは通信が確実に伝わるように通信相手と相互に通信の確立を確認しあったり、通信が届いていないのを判別して再度送り直すなどの仕組みが備わっています。これは、網そのものには確実な通信の到達の保証がないインターネットというインフラをつかう上での必要性から採用された仕組みです。

 ところがこの、装置同士が相互に相手の確認をして通信を行う、という仕組みが攻撃に悪用されることがあります。


 TCPで通信を行うときには最初に、こんな風なやりとりで通信が確立されます。


1・インターネット上のサーバ(例えば動画サイトとか)に向かい、クラアント装置(PCとかです)から「これから通信するよ」というパケット(synと呼ばれるものです)を送ります。

2・サーバがこれに「いいよ」というパケットを返し、この通信を行うためのを準備をします。

3・サーバからパケットが帰って来たのを確認したクライアント装置は「それでは通信始めます」とさらにパケットを送ります。

4・クライアントから通信開始のパケットを受け取ったサーバは正式に通信を始めます。


 3回握手ハンドシェイクすることから3ウェイ・ハンドシェイクと呼ばれるこのやりとりで、もしクライアント装置側が2の工程のあとに意図的に3の工程をおこなわなければ、サーバ側が通信の準備をして待っているのにクライアント側からはいつまでたっても「通信開始」の連絡がこないことになります。つまり、ぞのまま、ずっとリソースを確保して待ってしまっていることになります。「これからすぐ行くから準備して待ってて」と連絡しておいて、いつまでたってもやってこない不届きものですね。待っている方はもうすぐ相手がくると思っているので他の人の相手をするわけにもいかない。

 で、もしこの「不届き者」が大量にいたなら、それにサーバ側も対応する人を大量に動員しなければならなくなり、動員できる人数の限界を超えたらもう新しい通信が行えなくなる。

 これを意図的に攻撃として行うのがSYNフラッドと言う攻撃になります。


 小説本文中では攻撃は擬人化されてやって来ているため、この解説でのSYNフラッド攻撃のしくみそのままではああはならないかなと思いますが、少し未来ではこのような「不届き者」系の攻撃がSYNフラッドと呼ばれているという設定とさせてください。


「プロバイダにフィルター」

 インターネットでのDOS攻撃はなるべく根元でブロックするのが効果的です。

 例えば、1ギガの回線に1ギガの攻撃来たら、その攻撃を自宅のルータでブロックしても、回線の容量を使い切ってしまっているので結局通信ができない状態となってしまいます。しかし、プロバイダのバックボーン内で止めることができたならば、一般には、それは攻撃にたいしても十分な容量があるため通信を確保した上でブロックが可能となります。ただしこの頃はプロバイダーのバックボーンでも支えきれないようなDOS攻撃も起きているそうですが。

 あと、実は、日本では「通信の秘密」と言う法律があって、プロバイダーも勝手に通信の中身を見たり、操作したりはできないため、このフィルターも「操作」にあたるとして、たとえ攻撃を受けているユーザが要望してもしてはいけないということになっています。ただ、プロバイダーの設備に影響があるような攻撃は「操作」によりフィルターすることが許されているため、DOS攻撃についてはこの法律解釈によりプロバイダーの自衛のために行われる。これは、少し未来でも、たぶんそうなのかなと思います。

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