第6話 天の言葉(あまのことのは)

 スミアは日の出とともに目を覚ましました。

 前日の朝、起きた時はすでに光戦の民たちの食事は終わっていました。

 勝手な借りを押し付けて振り回しているのだから、せめて朝食の準備くらいしてあげたいと思っていました。しかし、残念ながらスミアが天幕から出てきた時には、すでに朝食のいい香りがしていました。


 斜めに光を投げつける荒地の凶暴な太陽の下でも、光戦の民の美しさは損なわれることがありません。むしろ、朝焼けが肌に色を添えて、長い時を生きているアルヴェとシルヴァを、まるで少年のように見せていました。

 二人は手際よく準備しながらも、なにやら会話をしていました。

 真剣な話のようで、片方が何かいうと片方が押し黙り、しばらくすると片方が言い返し、片方が顔をしかめる……という有り様でした。

 何か重大なことが起きているようです。

 しかし、二人の会話は天空の公用語とされるあま言葉ことのはでしたので、スミアにはまったく理解できませんでした。

 スミアは不安になりました。


 シルヴァの言葉に、アルヴェは眉をひそめていました。しかし、スミアが起きてきたことに気が付くと、表情を緩めました。

「おはよう。スミア」

「お、お、おはよう……」

 自分のわかる言葉で話しかけられることは、なんとうれしいことなのでしょう。スミアは、ちょっとだけほっとしました。

 と同時に、シルヴァに土鬼なまりと言われたことを思い出し、少しどもってしまいました。土鬼どもは、雷のような声で、濁音の多い言葉を用いていました。

 スミアの発する言葉の端には、土鬼のような、にごった汚い音が含まれているのです。

「おいで、食事の用意ができたところだ」

 アルヴェは、天の言葉以外のときですら、純粋な共通語――つまり王国あたりで使われているような、綺麗な発音で話をします。

 スミアは自分が責められでもしたかのように、おどおどしながら、アルヴェの横に腰を下ろしました。

 アルヴェが、短くシルヴァに何かを言い返し、今度はシルヴァが押し黙りました。

 食事の間中、三人の会話もありましたが、二人はこの調子で話を続けていましたので、スミアは落ちつかず、いつもの食欲が出ませんでした。

 本来ならば、ちゃんとわかる言葉で話せ! と、怒鳴りだしたいところですが、すっかり疎外感に打ちのめされてしまい、喉から声が出ませんでした。

 光戦の民の言葉には、共通語にはない不思議な響きがあります。

 アルヴェの唇から、滑らかで荘厳な響きを持つ言葉が紡ぎだされるのを、スミアは思わず見つめていました。


 ――あたしは、この人たちとは違いすぎる……。


 天の言葉を話すアルヴェは、共通語を話すアルヴェとは別人でした。そして、本当のアルヴェは光戦の民の言葉を話すのが普通なのです。

 思いのほか、自分にやさしくしてくれる光戦の民に対して、スミアは心を許しかけていました。思えば、たかが人間ごときが、輝く人々と同等なはずはありませんでした。

 天の言葉がわからないように、アルヴェのことも、スミアにはわからないのでした。


 次に発されたシルヴァの一言に、アルヴェは困り果てているようでした。タンブラーの水を一口飲んで、うつむきました。

 その時、スミアと目が合いました。

 ほんの少し、驚いたような夕闇の瞳。

 スミアは真っ赤になり、目をそらしました。心臓がドキドキしました。

「ナイトを3へ……。王手だ」

 アルヴェが、突然、共通語で言い出しました。

 きょとんとしているスミアの前で、今度はシルヴァが頭を押えています。

『アルヴェ、ちょっと待ってくれ……』

「いや、待ったはなしだ。今回は君の負けだよ」

 落ち込む弟とは対照的に、アルヴェはうれしそうに微笑みました。

 そしてスミアのほうを向くと、かすかに頭を下げました。

「スミア、申し訳なかったね。我々は、ここ何十年か人間と会話したことがなかったのだよ。君が光戦の民の言葉を理解できないことを忘れていた」

 何があったのか理解できないスミアは、大きな瞳をぱちくりさせました。

「これは我々の遊びなのだ。頭の中にチェス盤を置いてね。今日は負けたほうが君につきあい、土鬼の穴を探索し、勝ったほうが見張りをするという賭けをしていた」

 スミアがまだ情けなさそうな、今にも泣き出しそうな顔をしていたので、アルヴェはすこし困った顔をしました。

 そして手を伸ばすと、スミアの頭を撫でて、小さな声で言いました。

「……すまなかった」

 スミアが泣きそうな顔をしていたのは、アルヴェの気遣いがうれしかったからでした。

 まったく違う種族で接点がなかったのですから、仕方がないことです。スミアみたいな子供に神の使徒である光戦の民がわびるなんて、もったいなすぎます。

 しかし、それをうまくは言えませんでした。

「こ、こ、子供じゃないよ! あ、あ、頭撫でるなよ」

 出てきた言葉は心と正反対で、スミアは自分でも目を白黒させてしまいました。

 アルヴェは不思議そうに微笑んだままで、何も言いませんでした。

 頭を抱えていたシルヴァが立ち上がり、腰から短剣を抜いて刃を確認すると、カチンと再び鞘に収めました。

 短剣は、光の魔法がこめられたもので、闇の僕が近づくと、怒りの炎を発する物でした。今は朝日に赤く輝いています。

「あぁ、仕方がない。スミア、行こう。いざ、土鬼の墓穴へ……だ」

 決めたら最後、即行動。スミアが振り返った時には、シルヴァはもうすでに歩き始めていました。

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