セラの気持ち


「・・・・・・ん、んあ?」


まどろむ意識が鮮明に覚醒し、目を開けると何故かフェイルの部屋にいた。


「へ・・・ッ?!」


数ヵ月間という月日のうちに、フェイルの匂いが染み付いたベッドから、跳ねるように飛び起きる。壁に掛けられた時計の短針は六時を指しており、まだ受付につく時間ではない。寝過ごしていないことに安心感を抱き、「ほうっ・・・」とベッドに座り込んでしまった。


まさか、フェイルに何かされて―――――ッ!!


ふとその考えに至ると、居ても立ってもいられず、手探りで自分の身体を確認してしまう。


まさかとは思うが、やはり何処かをまさぐられたような痕跡は無いようだ。それなら、私はどうしてここに?


そこまで思い返して、ようやく思い出した。


「あ。私がフェイルを追い出したんだ。」


そして、口に出して始めて事の重大さに気付いた。


フェイルは、この部屋を借りているのだ。毎月家賃を払って、ここで生活をしているのだ。それなのに私は、一夜とはいえフェイルを追い出してしまった。そう、追い出してしまったんだ!


宿屋の娘である私が――――既に受付を任されている私が!


「あぁ、どうしよう?フェイルに会ったら、何て言えば良いのよ?やっぱり怒っているのかしら、怒っているわよね。あぁーー!本当にどうしよう?!」


よし、フェイルに会ったら、すぐに謝ろう。それで許してくれるはずだ。フェイルは優しいから、きっと大丈夫よ。


そう思っていた時が、私にもあったわ。――――そう思っていたのに!!


宿に帰ってきたフェイルを厨房で見かけた時、ほんの一瞬だが確かに匂った。


フェイルの体から、女の匂いがするのだ。この匂いは、マリアさんのそれではない。私の知らない人だ。それに、かすかにカレーライスの香りまでする。


・・・・・・何よ!私のシチューを差し置いて、何処の飲食店に行ってたのよ?!随分と美味し―――憎たらしい匂いのカレーライスじゃない!


このときすでに、私の頭からは謝罪の言葉など抜け落ちていた。


フェイルが食べる分のシチューをよそうと、ドンッ!と乱暴に配膳し、スタスタとはや歩きで厨房を後にする。


「フェイルにご飯を作るのは私だけで良いのに、一体何処の誰がカレーライスなんて食べさせたのよ!」


―――でも、今度ママにカレーライスの作り方を聞こうかな。









「マリアさんのお陰で、色々と早く終わりました。ありがとうございますね。それじゃあ、俺は今からダンジョンに向かいますからまた夕方に。」


「初層だからって油断してはいけませんよ?気を付けて下さいね?」


俺は、一層踏破報酬の銀貨十枚と、二層に出現する魔物――――コボルトの討伐クエスト用紙を持って、ギルドを後にする。


「ラーシェから見て、俺のステータスはどう映る?」


『んーとね。一言で言えば、バランスが悪いかな。二十層位までなら素早さだよりでどうにかなるけど、流石にあれじゃあ限界が見えてるよ。欲を言うなら、魔法に対する抵抗力を上げるような魔導具が必要かな。』


俺の肩に乗っかっているラーシェは、ふるふると身体を風に揺らしながら、今後の課題を突きつける。


「やっぱりそうだよな。でも、魔導具って凄く高くなかった?えぶりでい金欠の俺に、そんな物を買うお金はないよ。」


『分かってないなー。ダンジョンには掃いて捨てる程の宝が有るんだよ?それに、到達階層の報酬だってあるでしょ。そういう訳で、早くダンジョンに行ってコボルトを倒して、ついでに二層ボスも攻略しちゃおう!』


そうだよ!四十層を目指してダンジョン攻略してるだけで、凄い量のお金が入ってくるんじゃん!


「それについてなんだけどさ、コボルトってどんな魔物か知ってる?」


『え・・・・・・あるじはそんなことも知らずに、そのクエストを受けたの?最近油断っていうか、少しだけ気が弛んでない?』


「そうかなぁ?でも、スライムとゴブリンしか殺したことのない俺に、コボルトの事を聞く方が難しくないか?」


『んー。まあ、それもそうかな。そんなに聞きたいなら、教えてあげるけど・・・。コボルトっていう魔物は、簡単に言えば二足歩行する犬だね。個体差はあるけど、大きさはだいたい一メートルくらいで、上位種にあたるコボルトリーダーで二メートルって感じ。知能は低めで、武器を使うことはほとんど無いし、単体での戦闘能力はゴブリンより少しだけ高いくらい。ステータスの優位性を考えれば、まず負けることは無いと思うよ。』


ラーシェにコボルトのうんちく等を聞きながら大通りを進んでいると、ふと違和感を感じた。お昼時ということもあるだろうが、それにしても辺りの様子が普段より活気づいているのだ。


商店街の店の品揃えが、日用品の類からダンジョン都市の特産品等に変わり始めている。そう思ってよく見てみると、通りを行く馬車の台数も平常時より増えており、それに比例して物品や人の出入りも盛んになっている。さらには通りを飾り付けている人までいて、何かの催しものの準備でもしているかのようだ。


街並みの変貌ぶりが気になり、俺はいつもお世話になっている雑貨屋のおばちゃんに、話を聞くことにした。


「ああ、そのことかい。ほら、来週の今日ごろに龍誕祭があるじゃろう?きっとそれの準備の真っ最中なんじゃて。愉快なのは良いもんじゃが、この老体にこの喧騒はちと厳しすぎるのう。」


龍誕祭とは、年に一度この都市で行われる、国を挙げての最大規模の祭り事だ。その時期になると大通りは勿論のこと、小さい通りにまで屋台がずらりと並び、武器屋や防具屋などの店はそれぞれでイベントを催す。こ国中から人が集まるこの祭は、二日間に掛けて行われる。


龍誕祭の由来は、二百年前にヒュドラを倒した英雄の誕生日が、今日から丁度一週間後の日にちだったからと言われており、一番最初に行われたのは今から百七十年程前だとされている。本来の龍誕祭は、ヒュドラの討伐を祝ってドラゴンを殺しに行くというものだったが、近年の冒険者や国の軍隊の弱体化に伴って、何十年前から只の祭りに変わったらしい。それなら龍誕祭ではなく龍滅祭とかにしろと思うが、当時の頭パッパラパーな国王が、王命でもって決めた名だとか・・・。


そうこうしていると、ダンジョンの入り口に着いた。


入り口付近には様々な冒険者がいて、それぞれの話題に盛り上がっていたり、仮眠をとっていたりしている。


その冒険者達の合間を縫うようにしてダンジョンに入ろうとすると、ラーシェが念話をかけてきた。


『あるじー。一層ボスを倒したんだから、ここから行かなくてもいいと思うよ。入り口の転移結晶を使えばよくない?』


あ、そうだ。俺は二層に行けるんだった。こんなに重要なことを意識の埒外にするなんて、何を考えてるんだ俺。ダンジョン一層を通ろうとすれば、最短距離でも三時間は掛かるだろ。


そう思った俺は転移結晶の前に出来ている列の最後尾に並び、自分の番が来るまで待つことにした。


やがて俺の順番が回ってきて、俺は転移結晶の表面に触れる。すると俺と肩に乗っかっているラーシェの周囲を、青い光が舞い始めた。一瞬の虚脱感と共に体が浮遊感に包まれ、次の瞬間には俺達は二層へと送り飛ばされていた。


どこまで見渡してもひたすら続く洞窟は、一層の景色と全く同じように見える。しかし、無機質な岩肌が露出する洞窟を数分間と進むと、すぐに顕著な違いが表れた。


「バゥゥ―――ッ!」


真っ直ぐな一本道を進んでいると、二足歩行をする猫背ぎみの犬と遭遇した。指や足の先には先端が尖った長い爪が生え、口許に長い犬歯を覗かせているそいつは、ゴブリンよりも軽やかな足取りで俺に近付いてくる。


「これがコボルトか。もっとデフォルメされた顔を想像してたんだけどなあ。中々気持ち悪いぞ・・・・・。」


腰に帯剣した剣を抜き、右半身を前にして腰を落とす。剣の切っ先をコボルトに向けると、敵意を敏感に察知したコボルトは俺に襲い掛かってきた。


身を低く構えて地を駆けるコボルトは、流石に犬と呼ばれるだけはあるのだろう。ゴブリンの数倍の速度で迫り来る。


その速さに驚いた俺は、ステータス頼りの踏み込みで過剰に後退する。若干の砂ぼこりを巻き上げながら突貫するコボルトは、グラァァ!と歯を剥き出しにしながら、尚も俺に襲いかかる。コボルトが振り上げた右腕を、俺は角度をつけて剣の腹で受け流した。


空を飛ぶコボルトの右腕に、飛び散る血しぶき。


「え?」


手元の剣に目をやると、その刀身は血でベッタリと赤く染まっている。そして眼前のコボルトは、右腕があった場所を押さえて唸っている。


「まじか・・・・・・。」


思わず剣の切れ味に感心していると、【人化】したラーシェが怒鳴った。


「あるじ!まだ終わってないよ、前見て!!」


前を見ようと顔を上げるが、それより先にねっとりとした感覚が首もとを包んだ。


――――これはッ?!


ラーシェをテイムする直前、まぐれでゴブリンの矢を避けたときと酷似している。


甦る恐怖とトラウマに弾かれるようにその場を飛び退くと、すぐ目の前を怒り狂ったコボルトの顔が通過した。


「な――――ッ!!」


じっとりと手の平に冷や汗をかきながら、俺はもう一度コボルトと対峙する。


俺は何をしていた?剣の切れ味を確認?ダンジョン攻略は、俺にとっても魔物にとっても殺し合いなんだぞ!


震える身体を無理矢理抑え、目の前のコボルトを睨み付ける。


さっきは先制を許したから、上手をいかれた。それなら、今度は俺から撃って出るだけだ!


コボルトが息を吐いて体の力を抜いた一瞬。その一瞬に俺は全力を込めた。バギッ!という音と共に数センチ陥没する地面。その感覚をその場に置き去るかのように、俺は全速力でコボルトの懐へと飛び込んだ。驚愕に目を見開くコボルトだがもう遅い。俺はコボルトの苦し紛れの一撃を上半身を後ろに反らして回避し、その体勢をバネにして跳ね起きるように身体を起こして、剣を一閃させた。


崩れ落ちるコボルトの体。胸元に広がる傷口から、止めどなく血が流れ出ている。今度こそ致命傷だろう。


何も言わずにその場に佇む俺を見て、ラーシェが駆け寄ってきた。


「あるじ!最近やっぱり気が抜け――――」


「・・・・・・一週間。」


突然の俺の発言にラーシェが困惑して、首をかしげる。


「一週間で五層のボスを討伐する。確かに気が弛んでるよ、俺。」


ミラを助けるのに、今の俺に何が出来る?何も出来ないだろ。





そのあとは、二層ボスのコボルト二匹とゴブリン三匹を惨殺してから、ダンジョンを出た。


到達階層の更新をマリアさんに頼んだら、半日で一層を乗り越えたことを驚かれた。


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