皇室会議

 六九六年七月二十日。高市皇子の殯儀もがりのぎがひととおり終わったところで、讃良は藤原宮の大極殿に皇族、参議、有力氏族の氏上うじのかみを集めた。おのおのの皇子には母親や乳母を務めた氏族、近習が付き添い、普段は広さをもてあましている大極殿が狭くなっている。

 讃良の、「高市の次に太政大臣にすべき人間を上げて欲しい」という言葉に、集まった者たちはそれぞれに答える。

「太政大臣は国の要です。血筋と見識が優れたお方を当てるべきです。国を背負ってゆかれるお方は……」

「お血筋、年齢からいって、長皇子ながのみこ様が太政大臣にふさわしいと考えます」

「舎人皇子様も新田部皇女様のお子様で、大海人天皇様、葛城大王様のお血筋です」

「ご一同は勘違いされている。そもそも太政大臣とは……」

「今は倭国ではなく日本である。倭国の伝統を持ち出すことはいかがなものであろうか」

 静かに始まった会議も時間が経つにつれて騒がしくなってきた。

 夏の太陽によって熱せられた暑い空気が大極殿に流れ込んできて、激しい言葉が絡まって大極殿を沸騰させる。

 柿本朝臣の知らせどおり、候補者の一本化はおろか、多数派工作さえできていないらしい。高市の後継は次期天皇であると皆が考えているから混乱を極めているのです。

 大江、新田部にいたべ五百重いおえは、当然ながら自分の息子が太政大臣にふさわしいと言います。群臣たちは自らに都合がよい人間を推して譲りません。大極殿で口に泡を飛ばしているうちは良いのですが、放置すれば力でもって競争相手を退けようとする者が現れるでしょう。私が倒れたら日本が大乱に陥るのは必至です。高句麗の王室は、唐国や新羅と戦っているときに、後継者争いを行ったために滅びてしまいました。我が国が争いを起こせば、新羅がつけ込んでくるでしょう。

 珂瑠のためにも、今日中に決着をつけなければなりません。

 氏上たちは自らが推す皇子の優位性を訴えていたが、しだいに、対立候補の悪口を言い始めた。

 憎悪がこもった言葉が大極殿の空気を悪くする。皇位継承権のない皇子たちも議論を始め、自分勝手に話をする人で大極殿は蜂の巣をつついたような混乱となってきた。

 聞くに堪えない罵詈雑言なのです。普段は礼節がある者までが興奮して我を忘れています。権力は人を得体の知れないものに変えてしまうのでしょうか。

 讃良が部屋の角にいた葛野を見ると、葛野は会釈を返してきた。

「黙れ!」

 突然の一喝に、大極殿は水を打ったように静かになる。立ち上がった葛野を、人々は唖然として見つめた。

「我が日本国は神代より天皇の子や孫が皇位を継ぐことになっている。もし異母兄弟きようだいで皇位を相続するようなことがあれば、皇位争いに敗れたものが兵を挙げ国が乱れることは必定である。本日、皆の議論を聞くに、それぞれに勝手なことを言い、意見はまとまる様子がない。ついには、天皇様の御前で互いに罵り始める始末。他人を誹るような醜い言葉で神聖な大極殿を汚すようなことがあって良いのか。天命によって定められている皇位を、人が論じて良いのか。天命を人臣が計ることができるのか。おのおの方は自らの分をわきまえよ。皇位は自然と定まっている。何を論ずる必要があるのか。おのおの方は、醜い罵りあいを止めよ」

 葛野が言っていることは間違っています。

 お父様の後を同母弟おとうとの大海人様が継いだように、日本国は兄弟相続が伝統的です。皇室だけではなく、石上いそのかみ(物部)も大伴も氏上は兄弟で継いでいます。後を継ぐ兄弟がいないときにのみ、子供の世代へ位が移のです。私が皇位につけたのは、大海人様の後を継ぐ兄弟がなく、私が大王の子供だったかったからなのです。

 私には皇位を継ぐことができる異母弟妹きようだいがたくさんいるから、皆が勝手なことを言って混乱しているのです。そもそも皇位が自然と決まっているのならば、後継を決める会議など開く必要はありません。

 加えて、葛野は言語明晰意味不明です。

 天皇の子や孫が皇位を継ぐという主張は明確ですが、葛野が言う天皇、子や孫とは誰なのでしょうか。天皇が大海人様を指すのならば、大海人様の後に天皇になった私を批判し、次期天皇は長、弓削、舎人の誰かがふさわしいと言っています。ただし、誰かまでは決めることができません。天皇がお父様のことであれば、後を大友が継ぐのが正当であって、同母弟おとうとの大海人様が皇位を継いだのは間違いです。大友の子である葛野が皇位を継ぐことが正しいことになります。今の天皇は私ですので、孫の珂瑠が皇位を継ぐことが当然と主張しているとも取れます。

 嫌なことを言わされている葛野は、私に逆らえないことへ精一杯の抵抗をしているのでしょう。

 葛野は、顔を真っ赤にし、目を大きく見開いて居並ぶ人々をゆっくりと見渡す。

 弓削が葛野を指さしながら大声を上げる。

「何を偉そうに貴様はほざくのか。天皇には」

「黙れ!」

 葛野の気迫に弓削は呆然として口を閉じた。

「おまえは、皇位を争おうというのか。再び壬申の乱を起こすつもりか」

 葛野の怒鳴り声に、人々の呼吸が止まる。

 弓削は立ち上がり、葛野をにらみつける。

「年下のくせに、俺に黙れとは何事か」

「我が日本国は神代より天皇の子や孫が皇位を継ぐことになっている。お前は天命に背くというのか」

 葛野も弓削をにらみ返す。

 讃良と部屋の後ろに控えていた藤原不比等の目があった。不比等は頭を下げた。

「二人とも座りなさい」

 讃良の凛然とした声が二人を刺す。

 仕込んだ葛野がもっともらしい発言をした今が好機です。

「葛野が言うとおり、皇位は天皇の子や孫が継ぐものと昔から決まっています。私の子供である草壁は亡くなっていますので、孫の珂瑠を皇太子に立て私の次の天皇と定めます。太政大臣は空席とし、丹比朝臣たじひのあそみを左大臣、石上朝臣いそのかみのあそみを右大臣に昇格させます。二人で太政大臣の職務を行いなさい」

「珂瑠はまだ子供ではないですか」

「私の決定に不服があるのですか。弓削は壬申の乱を再現したいのですか。それとも、大津のように謀反を起こそうというのですか」

 私が大津を陥れて殺したことは皆が知っている。「大津のように謀反を起こす」とは、お前を陥れて殺すぞという脅しに他なりません。自分の悪行を使うことになるとは因果なことです。

「謀反などと……」

 弓削はへなへなと座り込み、葛野は一礼してからゆっくりと座った。

「長と舎人は私の決定に意義はありますか」

 長皇子と舎人皇子はしぶしぶ頭を下げた。

「群臣筆頭の丹比朝臣はいかがか」

「私は天皇様の命に従います」

 丹比は集まっていた者たちに向きを変える。

「御聖断に異議あるものはこの場で申し上げよ」

 丹比真人の言葉に誰もが頭を下げた。

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