第4話 足下の一葉

いつノーベル賞貰ってもいいレベルの天才達が集まるK大医学部大学院。


しかし天才の集まりは同時に変人の巣窟でもあり、脳外科医で神経科学者でもある芹澤義右衛門せりざわぎえもん博士の変人っぷりは突出していた。


地球上にある全ての言語を記憶し、異国の言葉をいちいち適切な日本語に変換してくれるAI「ひとまろ」が翻訳機器として使用できる状態までになったのがつい1年前。


「ソンナ緊張なさらずに気軽に話しかけて下サイ」

と芹澤教授が抱っこするロボットひとまろに話しかけられた女子大生たちは、完全に引きまくっていた。


なぜならひとまろの容貌は、江戸時代のからくり職人が作った茶運び日本人形そのままで、人形が口だけ開いて喋っている図なんて、どう見てもホラーでしかない。


「な、なんか、チョーヤバイヤバイヤバイよ!」


「非常に、危うし危うし危うし!」


と女子学生の今時な言葉もひとまろは親切に翻訳してくれた。


「だからね、君たちは美味しい、も。楽しみも、気持ちいい、も全てヤバイの一言で済ませようとする。元は危ない、って意味なんだよ」


と半白髪の髪を春風になびかせながら芹澤博士は立ち止まった新入生たちに講義を始めた。


「え~だって、そんなことなんとなく伝わればいいし、楽じゃね?」とラグビー部の学生がヘッドギア越しに頭をかいて反論した。


「でも、意思の疎通で誤解が生じた覚えはないかい?友達や彼女と気まずくなったり」


それはあるなあ…と学生たちがそれぞれの経験を思い出して若い瞳が一瞬翳りを帯びた。


「あいつマジウザイよね、の一言でLINEのグループから外された」「彼女に重いと言ってしまって取り返しつかなくなって別れた…」


「うざったいと、存在が重苦しい。そんな酷い内容の言葉を伝えてしまったんデスカ?」


ああごめんごめん、と博士はひとまろの耳たぶのスイッチを引っ張り

「この子には『感受性プログラム』も入ってるんだ…助手のおかげでひとまろは成長した。この子の言うとおり、君たちは深い意味も知らずに感情向きだしの言葉を濫用し、相手を傷つけてそれを修復しようともしない。いいかい?」

と博士はそこで言葉を切り、


「君たちは、相手に伝える努力を怠ったまま大人になってきたんだよ」


と両手に茶運び人形を掲げてそう宣言する博士の姿はどこか古代ギリシャの哲学者のようで神々しくもあり…


「街中でやったら15分後に『お巡りさんこいつです』されてるよねー。秋葉原でのリサーチを止めて良かったー」


と胸撫で下ろす白衣の青年は博士の第一助手の小巻英雄、32才精神科医で神経科学者。


その隣で

「感受性プログラムはまだ未完成なのに、ひとまろにインストールしちゃったの?」といま知った事実に驚愕するのは津背このみ。28才内分泌科医で人間の感受性を研究する博士の第二助手である。


「アイツ、天才だけど本当に突き抜けた馬鹿!」

と吐き捨てるこのみを


「教授という医局のボスをアイツ呼ばわりかい?」

とからかう小巻は、なんか面白そうだからという理由だけでAIひとまろによる語彙発掘プロジェクトに参加した男であった。


「例えば、君は隣のラガーマンをどう例える?」


と博士にいきなり問われた新入生女子はラガーマンを一目見て


「なんか、体育会系オーラありますよね」

と見たままを言った。


「ラグビーを嗜んでおられるのデスネ。自己鍛練に努力なさってる雰囲気醸し出していますよネ」


とひとまろに言われたラガーマンは、そ、そお?と気分を良くした。


「ほら、同じ意味でも言い方一つで上機嫌になったり誤解して不快になったりするんだよ…君たち、言葉は、大切に使うのだよ。日本語という豊潤な土壌の中には膨大な語彙が埋まっている。

君たちはまだ若く、語彙を発掘する時間も十分にある」


そこまで言った芹澤博士は急にスイッチが切れたように講義を止め、ひとまろを片手に抱いてもう片方の手で頭を押さえて俯いてしまった。


慌てて小巻が博士に駆け寄り、錠剤とペットボトルの水を渡して薬を飲ませると博士はしばらくしてやっと話が出来るようになった。


暇潰しに飽きた学生たちはぱらぱらと博士の前から離れ、手離すことの出来ない身近な玩具、スマートフォンを取り出して仮想空間での会話に入っていく…その様子を見た博士は若者たちに、


どんな手法や未来を選んでもいいのだ。と心で声をかけた。


私たち年寄りは、君たちに未来を託していくしかないのだから。

「行こう、ひとまろ」


将来アプリケーションソフト化して仮想空間に解放された君は、どこまで人の関係を助けていけるのだろうね?


さっきまで博士が座っていたベンチに、散り残りの桜の花びらと一枚の葉が落ちた…

















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