第23話 ミオ(1)

ヌメヌメとした薄膜が張り付いているような暑さと息苦しさでミオは目を覚ました。

窓に厳重に打ち付けられた板の隙間からは糸のように細い光がところどころ差し込み、部屋の中をうすぼんやりと照らしている。

布張りの1人掛けの椅子の背もたれに預けていた頭を上げ首を回すと、座ったまま眠ったせいで強張っていた首筋がこきりと音を立てた。

今は何時だろうか。

このミオの部屋の中には自分が今まで身を預けていた椅子と、麻の敷布の下に綿を敷き詰めた簡易的なマットレスに薄汚れた毛布、その枕元に数枚の手布がおいてある以外は何もない。

椅子とマットレス以外にはほぼ足の踏み場はないような狭い部屋だった。

マットレスで眠れば身体は楽になるだろうが、男たちの体液のしみ込んだマットレスに自分が眠るときに身を横たえるのはどうしても嫌で、いつしかミオはこの布張りの椅子に座ったまま、時には猫のように体を丸めて眠るようになった。

もう少し眠れるだろうか、それともそろそろ男たちのうちの誰かがこの部屋に来るだろうか。

そう考えながらミオが浅い眠りにまた戻ろうとしたとき、下腹部に鈍い痛みが走りミオは小さくため息をついた。

ここはレジスタンス組織「小杉ドスケベ軍」のアジトの一室である。

ミオはそのレジスタンスの女性隊員という名の、男たちの慰み者だった。


アーマード倫理観亡き後、西関東地区――特に多摩川から西は無法地帯となった。

ドスケベアーミーが壊滅したことをきっかけにレジスタンスたちは一気に活動を劇化させた。

穏健に人々の平和を考え、農民たちを助けたレジスタンスもいる、とも聞いた。

だが今ミオのいる小杉ドスケベ軍はミオの村を徹底的に蹂躙した。

男たちには甘言を吹き込んで入会を突き付け、女たちには慰み者になることを強制した。ミオの村の男たちは皆、小杉ドスケベ軍に喜んで入団した。

たくさんの男たちに囲まれて、ミオたちに拒否権は果たしてあっただろうか。

抵抗すれば容赦なく殴られ、押さえつけられ――凌辱された。

アーマード倫理観により美少女は悉く命を落としており、ミオも自分が美人とは全く思っていない。それでも一度噴出した欲望は相手を選ばなかった。

初潮を迎えていない少女も彼らが勝手にそう判断すればその欲望の的にされた。

幼い子供や老婆たちは男たちのやっていた仕事も含めた過酷な労働を強いられた。

これはおかしいと声を上げた男たちはその場で殺され、耐えられず逃げた女はそのあとどうなったかわからない。

慰み者となった女たちはこのマットレスとソファしかない小部屋に一人ずつ押し込められ、食事と排泄以外は男たちが訪れたときはどんな時であってもその欲望を満たすことを命じられた。


何が解放だ、とミオは思った。

アーマード倫理観の支配も過酷だったが、それでもその通りに従っている限り直接的な暴力を振るわれることはなかった。

少ない食事でもささやかに心と体を休める夜のひとときが存在した。

しかしレジスタンスの男たちは根本的に違った。

こちらの意思や体調――場合によっては食事の時間すら無視して欲望をぶつけられた。半ば無理やり押さえつけられたり理由なく殴られたりすることあり、ミオの白い肌には強く掴まれたときにできた痣が無数に残っている。

痣が一つが消えればまた新しい痣ができる。

食事も農村で食べていたものと大差なく、むしろ男たちが日々の食料を浪費する分女たちの食事は貧しいものになっていった。

男たちは時折酒を飲みうるさく騒いでいたが、こちらには全く関係ないのだ。

レジスタンスに囚われてからのミオは心を殺してただ一日が過ぎ――願わくは明日が来ないことを祈ることしかできなかった。


それにしても暑い。

窓を封じられたこの部屋はただでさえ空気がこもるが、今日はいつもよりも暑く、空気が薄く感じる。そう、今日はいつもと何かが違う。

大抵窓から光が差し込むこんな時間になったら一人くらいは気の早い男が部屋に押し入ってくるはずだ。

――そのときミオは、向こうから何かが近づいていることを感じた。男の叫び声、銃声、何かを踏みしだく音、悲鳴。

何かは波のように徐々にこちらに近づいていた。

他のレジスタンスとの抗争だろうか。もしそうだとしても、ミオにとってはただ地獄の場所が変わるだけだ。

「―――いっそ……」

ソファで近づく波の音を聞きながらミオはひとりごちた。

「殺してくれたら、いいのに」

そこまで言った瞬間、大きな音を立ててドアが外から蹴破られた。

思わずミオはそちらを向く。そこには。


「ああ―――ここにも女性がいたわ」


鈴のように響く声が震えながらこちらに掛けられる。

ミオは破られたドアの向こう、逆光に立つ声の主を目を細めて見つめた。

武装しているがヘルメットは被っておらず、長い髪がきらきらと光に透けている。

女性なのだろうか。今聞いた声は確かに女性のものだ。

声を出そうとした瞬間、柔らかく細い手のひらがそっとミオの頬に触れた。


「もう大丈夫よ、私たちはあなたたちを助けにきたの」


ミオの喉からひゅう、と吐息が漏れ、枯れたと思っていた涙があふれ出した。

美しい女性はそれを見てミオをひしと抱きしめ、それをきっかけにミオは悲鳴のような声を上げ、泣いた。

「大丈夫、大丈夫よ。もう大丈夫」

女性は小さな子供をあやすようにミオを抱きしめながら繰り返していた。


建物の外へ出るのはいったいどれくらいぶりだろうか。

ミオはその美しい女性に手を引かれ、男たちの臭いのしない空気を大きく吸った。

太陽の光。土のにおい。頬をなでる風。荒廃した荒れ野のような土地が今のミオには楽園のように感じた。


「―――レジスタンスたちの殲滅は完了いたしました」

ドスケベアーミーが一人、ミオの手を引いていた女性に駆け寄り報告する。

「ありがとう――この人が最後よ、すぐに救護トラックへ」

案内された場所では、たくさんの女性たちがお互いに抱きしめ合いながら安堵と喜びの涙を流していた。

ドスケベアーミーたちはそれを優しく支えながらトラックへ一人一人トラックへ乗り込ませる。

マリリンは長い髪を風になびかせながらレジスタンスのアジトの方へ振り返った。

半壊した建物からは投降したレジスタンスの男たちがドスケベアーミーに拘束され連れ出されていた。

「投降してきたゴミたちは情報を吐かせたら適当に処理しておいて」

傍にいたドスケベアーミーは頷き駆け出す。


西地区で活性化したレジスタンスたちだけはここだけではない。

この小杉ドスケベ軍は、女性に対する扱いの酷さでは有名ではあったが、レジスタンスの規模としては比較的小さい。そこにわざわざ南地区の将が出撃するのは異例のことであった。

だが、これでいいのだ。

マリリンは命だけは助かろうと下卑た笑みを浮かべてドスケベアーミーに跪くレジスタンスの男たちを眺めていた。

南地区の将、マリリンが一つのレジスタンス組織を壊滅させ、そこに囚われていた女たちを保護したことはすぐに西関東地区のレジスタンスたちに広まるだろう。

それは各レジスタンスに囚われている女たちの耳にも何らかの形で届くはずだ。

それは遅効性の毒である。

女たちがレジスタンスでの自分の境遇が間違っていることを、そしてそれを開放する救いの手がすぐ近くまで来ていることを知ればそれぞれのレジスタンスの内部でじわじわと目に見えない混沌が発生する。

それは徐々に輪郭を表してゆく。

レジスタンスの内通者が増え、斥候として送りこんでいるドスケベアーミーたちが女たちにそっと反乱のための武器や知恵を渡せば。


これからは迅速に、そして丁寧に勧めなければならない。そう考えているとどこからかマリリンを呼ぶ声が聞こえた。

マリリンがそちらを見ると、トラックの荷台からミオが、老婆が、子供が、救出された女たちが感謝の言葉とともに涙を流しながら手を振っていた。

マリリンはそれを見て、女神のような慈愛溢れる微笑みを浮かべて手を振り返した。

――救い出した女たちはマリリンに絶対の忠誠を抱く。

その熱い忠誠心はマリリンの大きな武器であった。


女性たちを乗せたトラックが走り去ると、マリリンは感情の無い醒めた目で火を放たれたレジスタンスのアジトを見た。

ここにいた男たちの醜い欲望が焼却され、この世から消え失せる。ドスケベにより涙する女たちが消えて――自分に忠実なコマがまた増える。

これからのことを考え、マリリンは唇を歪めて少しだけ笑った。

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