目には目を、歯には歯を

 さて。遺憾いかんにも第二階層に潜る事になった記念に、探偵という職業の現在の姿を私自身への戒めとして思い出すとしよう。

 初心忘れるべからず。本当に良い言葉だ。

 この世界には悲しい事に数多のバグや悪食ウイルス、時に悪意のある改変ハッキングが存在する。探偵はそれらの事象によって引き起こされる不具合やトラブルを探し出し、調査及び解決するのが主な業務である。

 また、今回のように上層から堕ちてきたモノの処理や保護救助も担う。当然、一歩間違えれば自分達が事象に巻き込まれる危険と隣り合わせの仕事だ。

 命懸けの割に意外と目立たず花も無い。謝礼を求めれば守銭奴と罵詈雑言を浴びせられる事も日常茶飯事。

 残念な事にそれがこの世界における探偵という職業だ。


 ――ギィ。

 下層に堕ちるのは何度体験しても慣れない。

 何故なら下の階層に降り立った瞬間、化け物は最も近い人間、つまり私をタイムラグ無しで狙ってくるからだ。

 降り立つタイミングで少しでも対応が遅れれば即座に攻撃を受けて意識を失い、体内に飲み込まれる事だろう。

 それで同業者が助けてくれればいいが、それが叶わなければクソッタレな悪食ウイルスと更に下の第1階層まで堕ち、そこでも止まらなければこの世界から完全消去さよならだ。

 皆から一目置かれる優秀な同業者でも、この時ばかりは呑まれる事があるので、よっぽどのメリットが無い限り好き好んで追跡しない。

 ……さて、そろそろかな。

 今まで何度となく行ってきた、早撃ちの動作をイメージする。

 階層落ちの際、個人の基本情報は設定保存した初期の状態にリセットされる。

 私の場合、手に持っていた銃は腰のホルスターに戻って居るだろうし、突き刺された胸の風穴も塞がっている筈だ。

 全てがリセットされる代わりに、実に間抜けで無防備な直立不動の姿勢で下層に放り出される事になる。

 光が見えた瞬間に銃を抜き、目標も定まらないまま全弾を吐き出した。

 銃声が幾重にも重なる。

 下層に堕ちた時点で銃弾も再装填リロードされる。しかも無料。使わない手は無い。

 ヒットの感触と音を頼りに悪食の位置を把握。上層とほぼ同じ距離感。

 視界が完全に開ける前に、銃を逆手に持ち替えて振り上げる。

 ギィンと耳障りな音を立てて、振り下ろされた鎌と銃身がぶつかり弾きあう。

 初動の回避は成功。

 続け様にグロテスクな顔面を蹴りつけて後方に跳びのく。

 鎌の追撃を左手のバレッタで受けつつ空の弾倉を破棄。腰ベルトの予備弾倉に銃を滑らせる。

『当区画の重大な情報飽和テンポラリーエラーを確認しました。これより5分13秒後に該当範囲が隔離されます。住人の皆様は速やかに退避してください』

「上もこのくらい時間の余裕があればな」

 無駄な出費も無かったというのに。

 そんな愚痴を言う隙すら敵は与えてくれない。上で相当怒らせたのか、切り離した少女に見向きもせず此方に突進しながら大きな鎌を乱れ振るう。

 これが第3階層ならば猛攻を捌ききれなかったかも知れないが、2階層でなら話は違う。

「単調」

 7階層から成るこの世界は上層階ほど扱われる情報量が多く下層ほど少ない、逆ピラミットの様な構造だ。

 その階層で処理できる情報の上限が決まっている為、上層から堕ちるモノは例外なく個体情報量が圧縮される。強制的な実体化により情報量がオーバーフロー気味の悪食は特に影響を受ける。

 結果として攻撃は多少単調に、動きは処理落ちで遅くなる。

 見た目も上の階層の時ほどグロテスクではない。細部が簡略化される為だ。

 勿論、圧縮の影響は等しく聖彦にも及ぶ。

 艶やだったレザーのコートは光沢を無くして安っぽい。肌ものっぺりとして、細かな産毛や陰影が無くなっている。特に髪の毛は複数本が一纏めで処理されるので、安ゲームのCGキャラクターのようだ。

 陰影が減る分、3層よりも幾分か若返って見える。

 周囲の街並みもそうだ。建物の形状等は変わらないが、壁はのっぺりとした単色で構成されていて、3層の風景よりも安っぽく感じられる。

「後は対抗手段だけだな」

 攻撃はもう見切った。これならば助手の迷夢が居なくとも対処できる。

 唯一にして最大の問題は、相手がいくら弱体化しようとも悪食の対抗装備が無ければ駆除出来ないという点だ。

「おっ、やっぱり来とるねぇ。今日は可愛い助手ちゃんはお留守番かいな?」

「余計なお世話だ。悪食用装備をくれ」

 聖彦の後方。20メートルほど離れた場所に、目立つ黄色のスーツを着た男が口内の金歯をギラつかせながら、へその高い位置で両手を揉んでいた。

「まいど。記念価格で安くしときまっせ」

「何の記念だ……?」

「探偵さんとの記念すべき150回目の取引に」

 そんなに長い付き合いになるだろうかと考えながら、

「いつもの奴を、早く」

 武器を要求。

 次の瞬間には腰のホルスターに黄緑色の弾倉と弾薬箱が出現していた。

 見た目の悪さはさておき性能は折り紙付き。素早く空薬莢と空の弾倉を捨て、まずはバレットの弾倉を再装填。妙な事に弾が羽根のように軽い。

「いつものより良い奴だな。追加は払わないぞ?」

 構え直すと同時に素早く引き金を二度引く。

 弾丸はダニの横っ腹にめり込んだ。

 今までと違い傷はすぐに修復されず、着弾箇所を中心に黄緑色のシミが広がったのが見えた次の瞬間。

 ギ……ギギギギ。

 多量の黒箱ブロックノイズが噴水のようにダニの体内から零れ出す。

 耳をつんざく悲鳴。これなら有効だ。

「記念価格で、お値段据え置きや」

「それなら、いつもの奴を安くしてくれよ」

「へへっ」

 体の良い在庫処分だな、これは。

 そうは言いつつも楽になるのは大歓迎だ。コルトパイソンにも弾を込め直す。

 同じ弾なのでリロードが面倒な此方を使うメリットは少ないが、この二丁スタイルだけは譲れない。

 慎重に攻撃を重ねつつ、決まった攻撃パターンが出た間隙に攻撃を叩き込む。

 しかし、なかなか仕留めきれない。

「この弾、型落ちじゃないだろうな」

「失礼な。れっきとした最新版や」

「という事は、私の腕が鈍ったかな」

「最近は助手の人が斬り込み隊長やもんなぁ」

 確かに、ここ最近は荒事や陽動を迷夢に任せきりにしていた。

「2階層の狂犬と呼ばれてた頃のあんたが懐かしいわ」

「気が散る。少し黙ってくれ」

 実際に語られていた異名は違う。正しくは『2階層の』だ。

 普通の探偵は下の階層に堕ちることに細心の注意を払うが、聖彦は2階層で起こるトラブル全てに首を突っ込み1階層に堕ちる事も厭わない不休のオールラウンダーだった。

「少しは戦闘データも保持しておくべきだった」

 バレッタの弾倉を再度交換。

 昔に比べると踏み込みが甘い。バレッタを逆手に持ち替え、下から掬い上げるようにグリップの底をダニの下顎に叩きつけて怯ませて距離を取り直す。

 今度は良い手応えがあった。

 かつての仕事の成功率は8割弱。仕事のたびにバックドア等で汚染を受け続け途切れることはなく、故に陰で狂犬病と罵られ、感染を恐れた人々は依頼以外で聖彦と関わろうとしなかった。

 戦闘スタイルが悪かったのかもしれない。

 肉を切らせて骨を断つ。昔は下の階層にさえ堕ちなければいいと、悪食の攻撃を碌に避けない無茶な戦い方をしていたものだ。

「早く、2階層に帰ってきてくれへんかな。商売上がったりや」

「ご愁傷様。私には4階層が待ってるんでね」

「3年前からおんなじ台詞、聞いてるで」

「不可抗力が多くてね。上がる資金はもう貯まってる。そっちこそ上層に上がったらどうだ。2階層上がる分の余力はあるだろう」

 悪食が鋭い咆哮を響かせながら体を紫色に発光したかと思うと、醜い体を急速回転させ、大釜はプロペラのように連続して空を切る。

 この一撃で決めるつもりのようだ。

「だから悪食は嫌なんだ」

 限定された対処法しかなく、消滅直前には面倒な最後の足掻きをしてくる。

 対処を間違えば、己を形成するデータをズタズタにされて良くて廃人、最悪その瞬間に即死。切り刻まれたデータを餌に悪食は玖島聖彦に成りすまし、再び上層で増殖するだろう。

 残り時間を確認、2分37秒。

「失敗したときの処理は任せる」

「あんたなら万が一にも無いわ」

 あまりの回転速度で2枚の円盤ノコギリのように見える刃が間近に迫る。

 迷夢は上手くやっているだろうか。

 邂逅の直前に考えるような事ではないが、思わずにはいられなかった。

 目にも留まらぬ速さで弾丸を連射、銃で敵の攻撃軌道を捌き捻じ曲げつつ己も体を倒して回避。鎌との距離、およそ十センチ。

 回避中も胴周りへ銃弾を叩き込む。

 ものの一秒足らずで、ダニは腕と胴体を消失。達磨だるまの状態で無様に地面に倒れ込んだ。

「遺言はあるか? ……なんてな」

 動けなくなった悪食の頭部にコルトパイソンの銃口を押し当て、引き金を絞る。

 もはや虫の息とはいえ、とどめを刺して元凶を駆除しなければ再発する可能性がある。

 悲鳴はなかった。代わりに確かな手応えと修復プログラムの起動を確認。

 悪食の体が遂に霧散する。

 本体が消滅した事で、虚像投影術式モデリングプログラムも解除されたのだ。

「元凶はこれか」

 悪食の消え去った後の地面には、二つに折れた注射器が一本。

 ズボンのポケットからハンカチを取り出し、そっと包むように拾い上げる。

「3階層に戻ったらデータの解析だな。……横島、その子に触るなよ」

 いつの間にか黄色スーツの男、横島が被害者の傍まで近寄っていた。

「分かってますがな。今回はどんな子が堕ちて来たのか気になっただけや」

「6層の子だよ」

 彼女の傍に寄って屈み込む。

 そして、その痛々しい姿を見てため息が出た。

「データの圧縮欠損を起こしてるな」

 少女には左腕と左足が丸々なかった。

 手をかざして除染を開始するも、細かなエラーが出てくるだけで感染箇所は無し。悪食に何かされた、という訳ではなさそうだ。

「可哀想に。4層も落ちると容量不足でこうなるんか」

「下層堕ち対策でデータの圧縮順を設定していれば防げるんだが」

「こういう職業でもないと、やらんわなぁ」

 普通の生活をしていれば、まず下の階層に堕ちる事はない。

 故に聖彦の様な階層を行き来する可能性がある者以外は備えを怠る。

 とはいえデータが完全に消失している訳ではない。あくまで圧縮不良を起こしているだけなので、上の階に戻れば症状は改善される筈だ。

「上と連絡を取りたい。宿の位置は――」

「変わりなく。一番安い部屋を押さえてまっせ」

「その辺りの根回しは流石だな」

「足も用意した方がええかな?」

 首を振って、少女を抱き抱える。

「笑えない冗談だ。キレが落ちたな」

「ショック。せやろか」

 ポケットからコインを取り出し、指で弾いて渡す。

 5万8千円が即時に支払われた。

「ちょっとキリ悪いなぁ。宿に部下を待機させとるから、2千円で飛ばしたってもええで?」

「微妙な額だな」

「昔のあんたなら歩く言うたやろうけど」

「今日は疲れた。使わせてもらうよ」

 追加で2千円が上乗せされ、支払いが6万に。

 横島が「まいど」とポケットからカードキーに似た端末を取り出す。

「番号は03。ラッキーナンバーや」

「分かった。感謝する」

 受け取ったカードの上に親指を滑らせると横島と周囲の景色が消え、2秒のラグを置いて殺風景なホテルのロビーが現れた。

 視界の右端には、横島と同じく下品な黄色のスーツを着てソファーで新聞を読む男の姿があった。部下と言うので誰かと思えば、彼も聖彦の見知った顔だった。

「仕事は無事、この階で決着がついたようですね」

「まだあいつの下にいたのか圭吾けいご。いい加減独立しろよ」

 牛島圭吾うしじまけいご。かつて、聖彦の下で助手をしていた男だ。

 見た目の年齢は20代後半。角刈りの頭に太い眉、鋭い目元と分厚い唇。格闘家が似合いそうな巨漢だ。

 これと言った目標を持たず、様々な職を転々としていたが、ここ数年は横島の元に居るらしい。

「まだまだ学ぶ事は多いですよ。彼は金の亡者に見えて意外としたたかだ」

「集金主義の思想に呑まれるなよ」

「昔の貴方に聞かせてあげたいですね。それが今回の戦利品ですか」

 また、昔の嫌な言い回しをわざとする。口調は丁寧だが意外と腹黒い奴だ。

 助手時代に相当恨みを買ったようなので仕方ないと言えば仕方ない。

「救助者だよ。疲れたから私はもう休む」

「分かりました。部屋は306号です。快適ですよ」

「知ってる。休むだけならな」

 手続きを済ませ、まだ新聞を眺めている圭吾を置いてエレベーターで3階へ。

 ここに泊まるのも何度目だろうか。

 部屋の中はシャワー室とダブルベッドと化粧台、テレビがあるだけで旧時代のビジネスホテルと大差ない。色は白と黒で統一され、極力不要なリソースを割かないように配慮されている。

 少女をベッドに横たえ、私は化粧台の椅子に腰かける。

「4層堕ちの人間は久々だな。どのくらいで起きるんだったか」

 考えながら壁に設けられたコンセント型の専用のポートに携帯端末を接続、専用回線を通して迷夢の番号を呼び出す。

「もしもーし」

「私だ。問題は無いか」

「順調。除染の後に起きた建築家のオッサンがちょっとヒステリー起こして五月蠅うるさかったけどね。規定通りの額は取るように手続きしといた」 

「優秀。こっちは2層で食い止めた。3日で戻る。疲れてるところ悪いが、早めに4層引っ越し延期の手続きをしておいてくれ」

「了解。残念だったね。今回も」

「誰のせいだ、誰の」

「堕ちた子の容体はどうなの?」

「今は眠っている。外見的には左腕と左足のデータが圧縮欠損してる状態だ」

「そうなんだ。3層では普通だったよ」

「確かか?」

「うん。間違いない」

 あの短時間かつ全力疾走していた状況にも関わらず、しっかりと少女の事を観察していたようだ。

「分かった。目が覚めてから聞き取りをするが、悪食の出所は病院で間違いなさそうだ。触媒が注射器だった。そっちの医者にも聞いておいてくれ」

「分かった。ログも取っとくね」

「留守を頼むぞ。くれぐれも――」

「分かってる。他の仕事に首突っ込むな、でしょ。耳タコ。そっちこそ保護対象に手を出したりしないでよね」

「そんな事をしたことがあるか?」

「冗談だよ、冗談。また何かあったら連絡宜しく」

「そっちもな。私はいつものホテルの306だ」

「了解」

 通話を終了して、ようやく一息。

 足を組み、化粧机に右肘を立てて頬杖をつく。

 医者が起きたのなら少女の眠りもさほど長くない筈だ。

 端末の手帳機能を呼び出し作業予定の記入を始める。想定外の事が多すぎた。

 予定を始めから組み直さなければならない。

 ネックになるのはこの少女だ。

 6階層の住人なので良いところのお嬢さんなのは間違いない。

 問題は、どうやって彼女の親族と連絡を取り人命救助の代金を回収するか。

 この辺り、徴収システムが自動化されていれば無駄な心労も無いのだが、かと言って一律料金となるとケースによって採算が合わなくなる。

 特に今回のような無駄に金のかかる大立ち回りをした場合は特に。

「少し仮眠を取るかな」

 考えが纏まらない時は眠るに限る。

 少女の目覚めを覚醒のアラームに設定し、私は静かに目を閉じた。

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