第12話 ナギ

 

 「……グウッ! テメエ……ガキか。あの村の亜人か?」


 「答える筋合いはありません」


 明らかに少女のものであるその声を聞いて、男は忌々し気に唸った。



 ナギは男を無視し、男の拘束から逃れて姉のもとへ駆け寄ったランを気にかけた。


 ランに介抱されるリンは、尻尾に残る痛みにうぅと唸って、その瞼に光る物を蓄えているも、大した怪我はない様子で、ランと共に寄り添ってナギを見た。


 「早く逃げて。あの場所へいくのよ」


 ナギの言葉に、リンとランは双子らしく息の合った様子で頷くと、お互いをかばうように支え合いながら森の闇の中へと消えていった。



 姉妹の背を見送るナギを尻目に、男は隙を突こうと腰の短剣に手を伸ばすが、目敏めざとくナギはそれに気づいて杖で男を牽制する。


 「抵抗すると、次は術を使います」


 男は舌打ちして腰まで伸ばした手を地に付ける。


 「……身に着けているのは、帝国の鎧ね。どうしてこの森へ?」


 男はナギを睨んで沈黙を続けたが、ナギが口元で何かを唱える仕草を見せると両手を宙へ上げて、恭順する姿勢をとった。


 「待て、待て、話すさ……」


 男は観念したように、舌打ち混じりに荒々しく溜息をつくと、訥々とつとつと話しはじめる。


 「ウェスター王の命令だ。『すいせい』とやらの調査だとよ」


 「ウェスター王……ミルド教団から派遣されてきたあの司祭の事ね」


 ナギはしばし考える素振りを見せてから、再び問うた。


 「でも、ウェスターからここまでは数日以上かかるはず。あれが墜ちてから来たのでは間に合わないでしょう? それとも、嘘なのかしら?」


 ナギがズイと杖を突き出すと、男は手を挙げながら眉を寄せる。


 「命令が下ったのは五日前だ、これは嘘じゃない。俺達も最初は、そんなもん予期できるはずねえと高を括っていたが、帝国の天文官が推測したとか何だって話で……。それに彗星の調査はあくまで副目的で、主目的は亜人の取り締まりだ」


 「亜人の取り締まり? あのような狼藉を取り締まりというのですか⁉」


 ナギは瞳に怒りの炎を宿す。


 そして、手にした杖を振り上げると口元で何かを呟き始める。


 「待てっ! 待ってくれ! 確かに、お前の言う通り俺達のした事はクソだ。殺されても無理はねえ。……だがあんた、俺を殺した後、あの村にも行くつもりなんだろ? ……ヘヘッ。なら、俺の知っている情報を全て話してやる、なっ? 有用な情報だ。俺は殺すには惜しいぜ」


 男は目の前で今にも杖を振り下ろさんとするナギに向かって必死に弁解をした。


 ナギは、詠唱をとめ、杖を頭上に掲げたまま暫し沈黙していたが、やがてスッと杖を下ろすと男に問うた。


 「それで……、あなたの知っている情報というのは?」


 「へへへ。ああ、俺の知っている情報な。そうだな……。まず俺達、帝国兵の数を教えてやるぜ」


 男がゴマをするように話す内容に、ナギは耳を傾けた。


 「そうそう、まずこれを言っとくべきだよな。……あのな、あんた。ここに今いる帝国兵は、てっきり二人っきりだと思ってるだろ?」


 男の語る内容に対し、ナギはその真意が分からず眉を寄せた。


 そんなナギの表情を見て、男は徐々に付けあがったように居丈高な態度と口調を取り戻していく。


 「だからよお。テメエは、ここに来てすっかり敵兵を無力化したと、勘違いしていやがるんだぜ」


 男の語った内容に、ナギはハッとして瞬時に周囲を見渡しながら身を引こうとした。


 そこへ、男は攻め込むように語り続ける。

 

 「あのガキどもを追っていたのは何も俺達二人だけじゃねえ―― 」


 男はそして勝ち誇ったようにこう告げた。




 「 もう一人いたんだよ‼ 」




 途端、ナギの死角、鬱蒼とした藪の中から大柄な人影が突如として飛び出して来た。


 ナギは気配を感じてそちらを振り向こうとしたが、大柄な男はそれよりも速く、飛び出したその勢いのままに彼女へタックルをかました。



 筋肉に覆われて猪のような巨躯の男に対して、ナギはあまりにも華奢で小柄であった。



 路傍の石ころを蹴とばしたかのようにナギの体は軽々と弾き飛ばされ、それは地面に接しても止まらず、そのまま滅茶苦茶に地面を転げた。


 突進と着地の衝撃でナギの思考が攪拌かくはんされ、上下左右の感覚がすっかりごちゃまぜになって、さらに自分の体のどこが頭で手足なのかもわからない程であった。



 ……漸く地面の上にナギの体が制止した時、彼女の意識は既に失われていた。




 ナギの体が一瞬で視界の端から端へ弾き跳んでいくのを見た色黒の男は、痛快さをあらわすようにお道化た表情を浮かべた。


 ナギを突き飛ばした巨体の男は、鞴のようにふうふうと荒い息を吐き出し、それは対して冷たくもない森の空気を白く曇らせていた。


 「おいおい、そんな当たり方したら壊しちまうだろ」


 ケラケラと笑いながら色黒の男が言う

 

 「なあに、構わねえ。商品は十分にあるんだからな」


 大男も答えて遠雷のような野太い声で笑った。



 するとそこへ、先ほど光球によって吹き飛ばされた痩せ男が、呻き声を上げながら藪を掻き分けて姿を現した。


 「く、クソが。何がどうなった?」


 その痩せた男の姿を見て、色黒の男は意外そうな表情を浮かべた。


 「……なんだお前。まだ生きていたのか?」


 そして、色黒の男は暗闇の向こうで倒れ伏したナギの方を見る。


 「あのガキ。てっきり、殺すつもりで術を使っていたと思っていたが、まさか手心を加えていたとはなあ……」


 そう言うと、憐れむ様な視線をナギに向けて言う。




 「 とんだ馬鹿だな 」




 色黒の男の言葉を聞いて自らの身に起きた事態を理解した痩せ男は、怒りに顔を上気させると、どかどかとナギの方へと歩み寄った。


 「おいおい。また、ガキの尻をまくって楽しむつもりか。ったく、物好きな奴だぜ」


 痩せ男の背後で色黒の男と大男がゲラゲラと笑いあった。


 「っるせぇえ‼ 今度はぶっ殺してやんだよ‼」


 痩せ男はそう叫ぶと、ナギの傍らに辿り着いて、自らの憤懣ふんまんをぶつけるように、彼女のうつぶせの体を荒々しく足でひっくり返すと、その顔目がけて思いっきり足で踏みつけようとした。



 ……だが、痩せ男は靴底をナギの顔面寸前の所で危うく寸止めすると、目を丸くして、フードに隠れたナギの顔をまじまじと覗き込んだ。


 その様子を背後から見て、色黒の男と大男は二人して目を見合わせた。


 「おいおい、どうしたんだ? まさかガキに惚れちまったか?」


 痩せ男は背後の男達の嘲笑には言葉を返さず、戸惑いと興奮の織り交ざった表情を浮かべながら彼等を顧みて言った。


 「お、おい……。こいつ、見てみろよ」


 背後の男達は訝し気に顔を見合わせると、暢気な足取りで痩せ男とナギの元へと近づいていった。


 そして色黒の男はナギの傍らに歩み寄ると、そこにしゃがみ込み、彼女の被るフードをグイと強引に脱がした。





 ……すると、月の光も届かない森の中へ唐突に月が現れたかのように、金色に輝く眩い何かが零れ出た。フードに柔らかに収まっていたそれはまるで砂金のようにサラサラと滑らかに流れ出てナギの頬を洗い、地面に金色こんじきの海を成した。

 あまりの輝かしさのあまり、それがナギの頭髪である事を理解するのに、男達は暫し時間を要した。


 今しがたしつらえられた絢爛な金糸織のベッドに眠るように瞼を閉じるのは、それ自体が尊く輝かしい宝玉のような少女であった。


 その肌は、全世界に散らばる雪景色の美しいのを全てそれ一つで体現したかのようにどこまでも果てなく透き通っており、頬にわずかに差した朱が、彼女の肌が単なる美しい無機物でないことの証左であった。



 男達はそこに、金庫の扉を開ける時の高揚にも遥かに勝る物を感じ、その奇跡のような光景に思わず圧倒された。これ以上の宝物は、世界の何処を探しても得られないとさえ思われた。



 そして、殊更彼等の目を惹いたのは、金色の海から突き出した真珠の二ツ岩のような、美しい尖り耳であった。


 それは、その世界での美しさを証明する、一級の血統書のようなものでもあった。



 暫し、言葉を失った三人。


 やがて痩せ男が焦った様子で口を開いた。


 「お、おい。これって、なあ」


 痩せ男の言葉に現実に引き戻された色黒の男は、自身の高鳴る鼓動を感じながら、にやつきたくなる気を堪えて言った。




 「 ああ。こいつは、『エルフ』だ 」



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