第2話 うわさのお姫様

 鍛練場に向かう道すがら、突然ルカの体に何かが重くのしかかる。ルカは短くうめき声を上げた。

「よう、ルカ!」

 首をしめんばかりの勢いで肩に腕をまわす友人を、ルカは気だるそうに横目で見た。

「なんだ、カイルか」

「なんだとはなんだ。失礼な。……で、どうだった? お姫様の方は」

 にやにやと、何やら気味の悪い笑みを浮かべてカイルが聞いてくる。

 どうって……、とルカは思案顔になった。ぽつりとつぶやく。

「まあ、悪くはないかな」

「そりゃそうだろ! あのセミア様の娘だぜ? 美人に決まってる」

 カイルは当然とばかりに一人でうなずく。

 ルカは剣の太刀筋のことを言ったのだが、まあいい。訂正するのもめんどうだ。

 容姿にはあまり着目して見ていなかったが、取り立てて美人という印象は受けなかったように思う。まあ、美人だろうが美人じゃなかろうが、ルカにはどうでもいい話だ。

 それよりも、戦闘能力だ。あれは並みの動きではない。その上、父はまだ伸びしろがあると言っていた。もしそれが本当なら、いずれルカの能力を上回ることになってもおかしくないのでは……

 武人としての危機感にぞっとするルカの隣で、カイルがのん気な声を出した。

「いいなぁ。俺もどうせなら、むさ苦しい男どもの中じゃなくて、可憐な少女の隣で働きたかった。あいつらときたら、周囲に汗をまき散らすことと、拳で語ることしか知らないんだぜ?」

「お前もたいして変わんねえだろ」

 ルカは嫌味なく言った。

「少女の隣がいいなら、どこぞの屋敷の使用人にでもなればよかったじゃないか」

「バカ言え。それじゃあ、俺のこの鍛え上げられた筋肉が生かされないだろ」

 分からんやつだな、と眉尻を下げてこちらを見てくるカイルに、ルカは多少イラッとする。

 だがそう言いつつも、カイルが本当は弟や妹たちのために家計を支えていることをルカは知っていた。カイルの家は決して裕福ではない。それでも、ルカが一度だけ会ったカイルの弟妹たちは笑顔にあふれ、幸せそうな家庭に見えた。

 それに比べると……

「言っておくが、姫はお前が言うような可憐な少女って感じじゃなかったぞ。なんか、今ひとつ愛想がないというか。いつもあんななのか?」

 カイルはちょっと意外そうな顔をした。

「そうなのか? さあ、俺はあんま知らねえけどな。遠くからちらっと見たことがあるくらいだし」

 カイルに限らず、それは城に勤めるほとんどの者がそうだ。王族近辺を守護する護衛兵や侍女でない限り、王族と直接かかわることは少ない。せいぜい、カイルのように式典や催事の際に遠くから拝見する程度だ。

「新入りのお前になめられないように、お高くとまってるだけじゃないのか?」

 冗談まじりにカイルがにやっと笑った矢先、背後から鋭く声が飛んできた。

「ちょっと! こんなところで不敬なことを言うのはやめてちょうだい。首が飛んでも知らないわよ」

 洗い場に行く途中なのだろう、そこには洗濯かごを抱えた侍女のサティが鼻息も荒く立っていた。

 ルカの肩にかけていた腕を下ろし、カイルは苦い薬でも飲んだように口をゆがめた。

「なんだよ、別に誰も聞いていやしねえって」

「王宮内では、どこに誰がいるか分かんないのよ。口は慎まなきゃ。――あ、ルカ、側近就任おめでとう」

 さくさくとかごを片手に芝生の上を歩いてきたサティは、思い出したようにルカに祝いの言葉を述べた。「ああ」とルカは軽くうなずく。

「それでさっきの話だけど、姫様も以前はよく笑う、快活な方だったそうよ。でも、王妃様が亡くなってから変わられてしまったとか。私も姫様の側でお仕えするようになったのは最近のことだから、これは人から聞いた話なんだけどね」

 口の達者なサティはすらすらと言葉を転がす。ほっそりとした美人が多い女官にしては頰は丸みを帯びており、肩の上の栗色の天然パーマは、陽の光でいつもより明るさを増している。

 カイルはいたたまれないような表情になった。

「実の母親を亡くしたとなれば、そりゃあ辛いだろうな。それも事故でなく暗殺死。人に恨まれるような方じゃなかったのに、ひどいもんだ」

 ハーシェルの母親であり、ナイル帝国の王妃であるセミアは、二年前に王宮内で何者かに暗殺された。

 公には犯人は不明とされているが、アスリエル王含め国の高官たちは隣に位置する敵国、アッシリア王国が絡んでいるとにらんでいる。未だ捜査は続けられているが、犯人はすでに国外に逃亡したと考えてまず間違いないだろう。

 しかし、なぜアッシリアは王妃を暗殺したのか。それが、ルカにはいまいち理解できなかった。

 王妃が他国の者の手によって暗殺されたと知った時、ルカは戦争になると思った。しかしそれ以降、アッシリアは水を打ったように静かで、アスリエル王もアッシリアに対して大きく動く様子は見せない。

 互いの出方を探っているのか、次の手を考えているのかは分からないが、今、アッシリアとナイルの間は息もできないほど冷たい静寂で満たされていた。

 からりと晴れた空の下、三人の周囲の空気だけが急に重みを持ったように深く沈み込む。

 その空気を取り払おうとするように、カイルはぶんぶんと両の手のひらを振った。

「ああーっ、やめだやめだ! 今は辛気くさい話はなしにしようぜ。それより、今夜はルカの昇進祝いだ。ぱーっと飲んで、どーんと騒いで、日頃の鬱憤晴らすぞ。お前も来るだろ?」

 それはただの飲み会じゃないのか、とルカは思ったがあえて口にしない。カイルがくるりとサティの方を見ると、サティはきゅっと眉をしかめた。

「何言ってるの、行かないわよ。私は明日も仕事なの」

「俺もだが」

「あんたのことなんて知らないわよ」

 にべもなく言うと、サティは洗濯かごを反対の手に抱え直してつま先をひるがえした。

「じゃあ、私はもう行くから。祝賀会楽しんで。明日、二日酔いで欠勤、なんてことにだけはならないようにね」

 衣の裾をゆらして去って行くサティの背中を見つめながら、カイルはつまらなそうに額にしわを寄せた。

「なんだよ、つれないやつだなぁ……。ルカ、お前はもちろん強制参加だからな。主役がいないんじゃ話にならねえ。今夜は朝まで飲み明かすぞー!」

「飲み明かすか、馬鹿。俺だって明日は朝から仕事だ」

 カイルは再びルカと肩を組むと、二人はそのまま鍛錬場への道を下って行った。空には、太陽が高い位置でさんさんと輝いていた。

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