第24話 私だって戦える

 授業があるというのは嘘ではなかった。

 ただし、授業は授業でも、ラルサとの稽古のことだ。

 時間を見つけては、ハーシェルはほぼ毎日のように城の裏庭でラルサと稽古をしていた。その内容は馬や弓、剣、体術など、様々な分野に及んでいる。

 その中でも、ハーシェルが一番得意とするのは剣だった。最初は重くて力任せに振ることしかできなかった剣も、今ではすっかり手になじみ、動きを自由にコントロールすることができる。

 ハーシェルは真剣を手に、右に二回、左に二回すばやく剣を振り下ろした。剣を振るたびに、ヒュンッと風が音を立てる。その後も一通りの型を行うと、最後にくるりと回転して木の間に向けて剣を振り放った。

 数枚の葉を巻き込み、赤い紐の位置で枝が切れる。枝はぱさり、と音を立てて地面に落ちた。

 静かに剣を収めると、ハーシェルはいくらか得意げな様子でラルサを振り返った。

「どうかしら?」

 腕を組んでハーシェルの型を見ていたラルサは、軽くうなずくと言った。 

「そうですね。まあ、泥棒くらいは倒せるようになったんじゃないですか?」

 からかいが入り混じったようなラルサの口調に、「やめてよ、子どもの頃の話は」とハーシェルは顔をしかめた。

「それに、城に泥棒は入らないわ」

 もし城で盗みを働けば、死刑はまぬがれない。そんな危険をおかしてまで盗みに入ろうとする者など、いるはずもなかった。

 ラルサは肩をすくめた。

「ですが、城だからこそ入ってくる者もいますよ?」

 ラルサの言葉に、ハーシェルは首をかしげた。

「なあに?」

「――刺客です」

 二人の間に沈黙がただよった。

 一瞬きょとん、としていたハーシェルは、すぐにからからと笑い飛ばした。

「ありえないわ。城は、この国一番の警備を誇っているのでしょう? 刺客が入る隙間なんて、どこにもないわよ」

 城の安全性を疑いもしないハーシェルを、ラルサはやや額にしわを寄せて見つめた。

 そろそろ潮時か。これまで幼さゆえ話してこなかったが、石のことを抜きにしても、ハーシェル自身にも少しは危機感をもたせるべきだろう。もう幼子おさなごではないのだ。

 ラルサが口を開こうとしたその時、廊下の方から足音が聞こえた。ハーシェルは音の方を振り向くと、ぱっと顔を輝かせた。

「母様!」

 気品のある亜麻色の薄絹に、白いレースの肩かけを羽織ったセミアは、裏庭に下りるとまっすぐにこちらへと歩いてきた。後ろにはヘステラも連れている。

 ハーシェルは足どりも軽くセミアのもとへ駆け寄った。

「母様が来るなんて驚いたわ。リディアの大使との話はもう済んだの?」

 今日は、隣国のリディアから新大使が着任のあいさつに来ているのだった。リディアはナイルと古くから同盟を結んでおり、親交も深い。

 セミアはにっこりと微笑んだ。

「ええ。今度の大使は、話が短そうな方でよかったわ。前任のハステアン大使なんて、話し出したら二時間は止まらなかったもの。――ところで、稽古の調子はどう? ラルサの指導は、決して生やさしくはないでしょう」

「ええ、まあね」

 ハーシェルは、手の甲にできた小さなかすり傷をさりげなく背中の後ろに隠した。

 ラルサの剣を受けた時に転んで、地面とこすれたのだ。姫の体の傷にはうるさいヘステラに知られるとやっかいだ。ハーシェルはちらりと横目でヘステラを見やったが、幸い気づかれてはいないようだ。

「でもね、さっきちょっとだけラルサにほめられたのよ。少しは上達したんじゃないかしら?」

 ちょっぴり誇らしげに言うハーシェルに、ラルサは横から釘を刺した。

「あまり慢心されませんよう。確かに動きは良くなってきましたが、いくらか正確性に欠けるところがあります。それに筋力も足りない。そのようでは、いくら他が良くとも、すぐに力負けしてしまいますよ」

「わかってるわよ」

 ハーシェルは不服そうに顔をしかめた。

「しかしまあ、」

 ラルサはセミアの方を見た。

「ハーシェル様は、なかなか優れたセンスをお持ちだ。このまま修行を積んでいけば、きっといい剣の使い手になるでしょう。はねっ返りな性格もそうですが、これもおそらく父親譲りでしょうな」

 珍しく直球なほめ言葉に気をよくしかけたハーシェルだったが、最後の一言に憤慨した。

「ちょっと! 私と父様の性格の、いったいどこが似てるって言うのよ!」

 ラルサとセミアは声を立てて笑った。年を重ねた今の姿からは想像もつかないが、若い頃はアスリエル王もなかなかおてんばだったのだ。

 しかし、冷淡で無愛想なアスリエルしか知らないハーシェルにはさっぱり分からなかった。

(父様と私が似てるなんて、まっぴらごめんだわ……)

 そこで、ハーシェルはふと思い出した。

「そう言えばラルサ、今朝、部屋で父様と話し込んでいたようだけど、何かあったの?」

 朝食の後、たまたまラルサが父の部屋に入っていくのを見かけたのだ。そして講義終わりに近くを通りかかると、ちょうどラルサが同じ部屋から出てくるところだった。もしその間もずっと話をしていたのだとしたら、少なくとも二時間は話し込んでいたことになる。

 ラルサはたいしたふうもなく言った。 

「いやなに、仕事の話ですよ。ナイルの東方にあるウェルズ湾岸周辺で、ちょっとした戦が起きているとか。原因は、おそらくその隣のイエスタ公国でしょうね。あの国は、よくナイルに突っかかってきますから。争いが広がってからでは面倒なので、明日、城からも軍隊を出兵させることになったのですよ」

 いつもと変わらぬ様子のラルサに対して、ハーシェルの心はちっとも平常ではなかった。

 ハーシェルはどくん、と心臓が脈打つのを感じた。 

「戦って……つまり戦争……?」

 はい、とラルサが答えた。

「ラルサも行くの?」

「ええ。ですから、明日からしばらく稽古はお休みです」

 まさか、ナイルでそんなことが起きているなんて……

 ハーシェルはショックを受けた。

 知らなかった。

 自分がこうして城で安全に暮らしている間にも、傷ついている人がたくさんいるのだ。

 しかし、考えてみれば当然のことだった。常に世界のどこかでは戦争が起きているし、現にナイルでも十二年前、王妃と王女が身を隠さなければならないほどの大きな戦が起こっている。それなのに、戦争は歴史の中のものだと思って、何も考えていなかった自分が恥ずかしかった。

 だから、ハーシェルは言った。

「私も行く」

 ラルサは耳を疑った。

「はい?」

 セミアも、目を丸くしてハーシェルを見つめた。その後ろのヘステラにいたっては、今にも失神しそうな表情をしていた。

 ラルサを見上げるハーシェルの瞳は、真剣そのものだった。

「私だって戦える。それなのに、自分だけが安全な場所にいるなんておかしいわ! 私もみんなの力になりたいの」

 あまりに突拍子な発言に、一同はそろって石のように沈黙した。

 一番最初に口を開いたのはヘステラだった。

 ヘステラは、まるで過呼吸でも起こしたかのように胸に手を当て、ぜいぜいと息をしていた。

「ありえません! 姫様が戦に出るですって? 変なことをおっしゃるのはやめてください。わたくしの心臓を止めるおつもりですか」

 ヘステラはヒステリックに声を上ずらせて言った。

 ハーシェルは、助けを求めるようにラルサを振り返った。ハーシェルの剣をずっと見てきたラルサなら、あるいはいいと言ってくれるかもしれない。

 しかし、ラルサは厳しい表情をしていた。

「だめです。強いとか弱いとか、そういう問題ではありません。あなたは、戦争がどういうものかまったく分かっていらっしゃらない。第一、王がお許しにならないでしょう」

 ハーシェルはすがるような目つきでセミアを見た。セミアは、静かに首を横に振った。

(母様まで……)

 ハーシェルは唇をかんだ。

「……そう。ならいいわ。私が直接父様に頼んでくるから」

 決心したように言うと、ハーシェルは踵を返してその場を立ち去ろうとした。

 三人はぎょっとした。

 ラルサはあわてたように、後ろからハーシェルの腕をつかんで引き止めた。

「やめておきなさい。怒られるか、あきれられるかが関の山です。そうやってわざわざ波風を立てたところで、何の意味もないでしょう」

 ラルサは思わず大きな声を出したが、ハーシェルは引き下がらなかった。

「そんなの、言ってみないと分からないじゃない」

 ハーシェルはラルサをにらみつけると、腕を振り払った。

「私が父様を説得してみせるわ。そして、私も一緒に戦うの。それに実践でもしないと、自分の本当の強さなんて分からないでしょう?」

 言ってから、ハーシェルははたと口をつぐんだ。

 あれ?

 私今、何かおかしなこと言った……?

 ラルサの目が冷たく細められた。

「それが本音ですか」

 急に温度が下がったような声に、ハーシェルはぎくり、と身をたじろがせた。

 ラルサの瞳には軽べつの色が入り混じっていた。

「あなたはただ、戦場で自分の腕を試したいだけだ。そんな甘い覚悟で、戦争に行くだなんて簡単に言わないでいただきたい。戦争は稽古とは違います。血も流れるし、人も死ぬ。それなのにあなたは、戦争を稽古の延長線とお考えなのですか」

 激しい口調で言うラルサを、ハーシェルはあっけに取られたように見つめた。

 ……そう、だったのだろうか?

 確かに、稽古ではラルサとしか手合わせができないため、自分の力量が分からないなとは思っていた。王族や貴族の女性が武術を磨くことは本来好まれないため、稽古は極秘で行っているからだ。無意識に、腕試しの場がほしいと思っていてもおかしくはない。

 だが、決してそれだけの感情でもないはずだ。

「……と、とにかく。私は父様のところに行くから。もしだめだったら、そのときはあきらめるわよ」

 ハーシェルはいくらか決まりが悪そうに言うと、背を向けて足早にその場から去って行った。

 今度は、ラルサも引き止めようとはしなかった。

 ただ、まだ幼さの残るその背中を、どこか不安そうな表情で見つめていた。

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