第16話 王都セイン

 目の前に広がっていたのは、レンガ造りの建物と多くの露店が立ち並ぶ、見たことがないほどに華やかな街並みだった。

 塗り直したようにきれいな赤茶色や黒の屋根の家々は、どれも見上げるほどに背が高く、身を寄せ合うように密集して建っている。広い石畳の道の途中に、時折さりげなく飾ってある花壇に咲く花が、街をより一層美しく彩っている。

 人の数は、他の町の比にならないほどに多かった。街を行き交う人々の多くはこの国の人間のようだが、異国から来ている人も少なくはないようだ。服装や肌の色が明らかに違う人が、ちらほらと目につく。

「立派なもんだろう」

 街に見惚れているハーシェルに、ラルサは満足そうにうなずいた。

「だが、戦争が終わった当時はひどいありさまでな。ようやくここまで復興できたんだ。崩れた建物の多くが建て直され、道が舗装され、外から訪れる客も昔のように戻りつつある。もちろん、まだ修復できていない部分もいくつかあるがな」

 確かに目につくところはどこもきれいに見えるが、よく見ると建物の一部が欠けているところもある。顔を見上げると、近くの屋根の上ではちょうど男が補修作業をしていた。にぎやかな街の音に混ざり、トントン、カンカン、と釘を打つ音が空高く響く。

 セミアは、街の光景を懐かしむように目を細めた。

「でも、ここの雰囲気や人は何も変わっていないわ。本当に、帰ってきたのね……」

 ハーシェルたちが乗る二頭の馬の蹄が、石畳を叩いて軽快なリズムを刻む。その隣を、三、四人の子どもたちが楽しそうに走り抜けて行った。白や黄色の布を張って屋根にした露店は、たくさんの客で活気にあふれている。

 その一方、ひっそりと通りの隅の地面に布を広げ、その上に陶器を並べて商売をしている者もいた。「いくらなんでも、この皿が金貨十枚は高すぎやしないかね……? 一枚に負けておくれよ」「なに言ってんだいお客さん! これでも随分安くしてるんだよ」「いやしかし……」

 露店をうろんな目つきで見送りながら、ラルサは顔をしかめて鼻を鳴らした。

「ありゃどう見ても詐欺だな。あれが金貨十枚もするわけがねえ。俺が勤務中だったら、即取り締まってやるところだぜ……」

 自分の足で町を歩いてみたくなったハーシェルは、途中で馬から降りた。セミアとラルサも、一緒に付き合って降りてくれた。

 馬を引いて歩きながら、ハーシェルは好奇心のままにきょろきょろとあたりを見回った。

 たくさんのお店、街の音楽隊、石畳のすき間に生えている花、迷路のような路地裏まで。

 今までの旅と違い、いくら道草をしてもハーシェルは二人に止められることはなかった。もう城が近いせいかもしれない。


 そうして、街の中心部あたりまで歩を進めたときのことだった。

 ハーシェルたちは、円形の噴水を中心とした大きな広場に来ていた。

 大小二つの皿が縦に連なったような形をした噴水の中央からは、絹のようになめらかな水が、日の光を浴びてきらきらと輝きながら流れ落ちている。

 ハーシェルは噴水台の端に膝をついて、その先に手を伸ばして遊んでいた。水がひんやりと冷たくて気持ちがいい。

 その時、広場の外から声がした。

「ラルサ殿!」

 力強い声に、噴水から手を引っ込めて振り向くと、がっちりとした体格の男が向こうから歩いてくるところだった。他にも、後ろに数人の若者を引き連れている。

 ラルサは男に気づくと、眉をひそめて小さく舌打ちした。

「ちっ、もう来たか……」

 男はずんずんと大またでラルサに近づいてくる。なんだか怒っているようだ。

 そして、ラルサの前に着くやいなや、胸ぐらにつかみかかりそうな勢いでしゃべり始めた。

「やっと見つけましたよ! まったくもう、こんな大事な手紙をなぜ速達で送らなかったのですか! その上、『夕方頃には、無事城に到着すると思われます』……ですって⁉ いくらあなたの腕が立つとはいえ、このような大事なお二方を一人で城までお連れするつもりだったのですか!」

 右手に持った手紙をひらひらさせながら、男は鬼の形相で言った。

 あ、門の前でおじさんが渡してた手紙だ、とハーシェルは思った。

「ちょっと聞いてるんですか!」

 目元に面倒くさげな表情を浮かべるラルサに、男はさらに声を高くした。

 ラルサは肩をすくめた。

「あー、悪かった悪かった。けど、観光くらいしたっていいだろう?」

「それでも、場所を指定して待っていてくださればいいでしょう! いったい私がどれほど探したか、おわかりですか⁉ そうすれば、もっと早くお迎えに上がれたものを………」

 悪びれる様子のないラルサに、男はイライラと歯がみする。

 そして不意にセミアの方に体の向きを変えると、片ひざを地面について最敬礼の姿勢をとった。

「ごあいさつが遅れて申し訳ありません。大変お久しゅうございます、セミア様。相変わらず、おきれいで」

 セミアがにっこりと笑みを浮かべた。

「ええ、本当にお久しぶりね。あなたは、七年前より貫禄が増したんじゃないかしら? ずい分と探させてしまったようで、悪かったわね」

 王妃の謝罪に、男は恐縮したように身を震わせた。

「いえいえとんでもございません! 王妃様が謝られるようなことは、何一つございませんので」

 それから、男は噴水のそばに突っ立っているハーシェルに目を向けた。

「あのお方が……?」

 男は確認するようにセミアを見上げると、セミアは黙ってうなずいた。

 すっと立ち上がると、男はすたすたとハーシェルの方に歩み寄ってきた。

 次の瞬間、男のとった行動に、ハーシェルは思わずぎょっと飛ぶように一歩後ろに下がった。

 セミアのときと同じように地面に膝をつき、ハーシェルに向かって頭を下げたのだ。

「お初にお目にかかります。わたくし、近衛隊長のサラバンと申します。お会いできて光栄です、ハーシェル様」

 ……さまぁ⁉

 かつてつけられたことのない敬称と態度に、ハーシェルは衝撃のあまり一時言葉を失った。

 少しの間のあと、気を取り戻すと「ええと、はじめまして」とハーシェルはぎこちなくあいさつを返した。

 だがサラバンは、何が気になるのかじーっとハーシェルを見つめたまま動かない。

 そして、口からすべり出たようにつぶやいた。

「本当に、大きくなられて……」

 その瞳が一瞬うるんだように見えたのは、ハーシェルの気のせいだろうか。

 しかしすぐにもとの表情に戻ると、サラバンは何事もなかったかのように続けた。

「お二人ともお疲れでしょう。あちらに馬車をご用意しておりますので、どうぞお乗りください」

「せっかくだけれど、遠慮しておくわ。馬車からだと景色がよく見えないもの」

 セミアがやんわりと断った。

 サラバンはうなずいた。

「分かりました。では、馬の方へどうぞ。周囲はわたくしたちが護衛いたします」

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