第五章 ラピストリア

第11話 二つの石

「やはり来ましたね……」

 ラルサは馬を走らせながら、ちらりと後ろの方を見やった。

 暗い木々の向こうの方で、黄色い明かりがちらちらと光っている。気づかれてはまずいので、ハーシェルたちはランプを使用していなかった。しかし見通しが悪い分、足どりは遅くなってしまう。

「ランプをつけるにしろつけないにしろ、このままではいずれ見つかってしまいます。ここは先ほどの手はずでいきましょう。セミア様は、ハーシェル様を連れて先にお逃げください。このまま真っすぐ進むと、三十分ほどで川岸に出ます。その近くに、以前わたくしがセミア様を探していたときに使っていた洞窟があります。わたくしが追いつけなかった場合には、そこで落ち合いましょう。いいですね?」

 セミアがうなずくとラルサは馬を止め、眠っているハーシェルを抱きかかえてセミアの前に乗せた。

 涙の跡こそ馬上の強風ですでに乾いて消えているものの、ハーシェルの表情はどこか苦しげに見えた。セミアの膝の上に乗ると、まるでそこから動くまいとするように、セミアの服をぎゅっとつかんだ。

「七年前の二の舞はごめんですからね。ちゃんと、すぐに私たちに追いつくのよ」

 ラルサの手がハーシェルから離れる前に、セミアが言った。

 ラルサはにやりと笑った。

「分かってますって。ほんの十分後にはまた会えますよ。それではお気をつけて、セミア様」

「それはこっちのセリフ――」

 セミアが言い切る前に、ラルサは、ぱんっと勢いよく馬の尻を叩いた。

 馬は一声いななくと、セミアとハーシェルを乗せて走り出した。

 セミアたちの姿はあっという間に森の闇に消え去り、その場にはラルサだけが残された。

 森の奥の明かりは確実に近づいてきている。ラルサがじっと耳をすましていると、まもなく仲間に発見を知らせる声が聞こえた。

「いたぞー!」

 目標を確認した男たちが馬で地面を踏み鳴らし、急速にラルサに迫ってくる。

 ラルサはすらりと腰から剣を引き抜いた。二、三度手のひらでくるくると剣をもて遊んだあと、ぎゅっと柄を握り直して構えの姿勢をとる。

 恐怖はあまりなかった。むしろ、久しぶりの戦いに、興奮に似た感情が体の中を駆け巡っている。血がたぎるとは、まさにこのことだろう。

 ラルサは、もともと戦うことが好きだった。その目は真剣ながらも、口元は懐かしの友人を見つけたかのように笑っていた。

「さて、久々にいっちょ大暴れするかー」



   *  *  *



 神殿から少し離れたところに位置するある塔の一角、最上階にあたる暗い円形の小部屋では、神官たちによる緊急会議が行われていた。

 そこは窓の一つもない密閉された空間で、家具といえば部屋の中央にある、これまた円形の冷たい石造りのテーブル台のみである。その大きな台を囲って、七人の神官たちが並んで立っていた。

 みな頭から深く布を被っており、顔はさだかではない。緊迫したようすで早口にささやき合う声が、さざなみのように部屋を満たしていた。

「石が目覚めた」

「石が目覚めた」

「何故今になって……一体誰が目覚めさせたのじゃ……」

「石を真の意味で扱えるのは、古代パルテミア王国の王族だけじゃ。そなたも知っておろう」

「まさか、あの子どもが……」

 隣に立っていた神官が、すぐさまそれを否定した。

「それはありえん。あの子どもを石に近づけたことは一度もない。それに、石を使える者が封印を解けるとも限らぬ」

 その隣の神官がうなずいた。

「そうだ。使う者が解けるのなら、今までに誰かがやっていてもおかしくはない。他にできる者がいるとすれば……」

「まさか……」

「封印した者。そう、それしかありえんじゃろう」

 別の神官が、続きの言葉を受け継いで言った。

 その言葉の意味に、その場の空気がしん、と静まりかえった。

 一時の沈黙ののち、先ほどうなずいた神官が重々しく口を開いた。

「つまり、あの巫女と同等の力を持つ者が現れたということか」

「そうじゃ。問題は、それがアッシリア側の人間か、それともナイル側の人間かということじゃが……。もしナイル側の人間であれば、アッシリア王国にとって非常に危険じゃ」

「残念ですが、それはナイル人に違いないでしょう」

 それまで一度も発言せず物思いにふけっていた、七人の中で一番若い神官が言った。

 神官の何人かが、興味を引かれたようにそちらを振り向いた。

 若い神官でここまでの地位――すなわち、石に関する知識を得る権利と守る義務を持つ、〝石守り〟の地位――に昇りつめる者はなかなか珍しいが、この神官にはそれだけの知恵と才能があった。

「やはり、そなたもそう思うか」

 振り向いた神官の一人が言った。

 若い神官はうなずいた。

「我らの石には、封印が解ける直前まで誰も指一本触れてはいない。そもそも、この石には、我らと王族以外この二百年間誰も近づいてすらおりませぬ。ナイル側の石の封印を、誰かが解いたと考えるのが妥当でしょう。とすれば、やはりそれはナイル人に他ならないでしょう。ナイルの王族が所持しているものが、アッシリア人の手に渡るとは考えにくい」

 神官たちは若者の言葉に考え込み、各々つぶやいた。

「確かに」

「信じたくはないが、やはりそのように考えるしかないようじゃな……」

 多くの神官が若者の意見に同意を示す中、一人の年老いた神官がキッと若者をにらみつけて反対した。

「そなた、自分が何を言っているのか分かっておるのか⁉︎ もう一つはアッシリアで光ったのだぞ? ナイルの王族がアッシリアに、しかもこの城の近くにいたとでも言うのか? ありえん。これだから若輩者の考えることは当てにならぬ」

 にらみつけた神官は、馬鹿にしたように言った。

「では、あなたはこのことについてどうお考えなのです?」

 先輩神官に怒鳴られたことなど全く意に介さないように、若い神官が冷たく聞いた。

 神官はフン、と鼻を鳴らした。

「わしは、これはただ単に封印の時効が切れたと考えるね。あれから、かなりの年月が経っている。いくら強力な術者といえど、永遠に術が保てることはありえまい」

 若者は即反論した。

「それこそありえませぬ。封印が切れる直前まで、封印は極めて強固だった。切れるのでしたら、その前に何かしらの兆候があるはずです。ナイルの誰かが封印を解いたに違いありません」

「ナイルの王族がこの近くにいることの方がありえぬわ」

 神官は噛みつくように言った。

 それから、ふと思い出したような顔をした。

「そう言えば、先ほどの石守りの担当神官はそなたじゃったな。実際には何か石に動きがあったのに、そなたが気づかなかっただけなのではないか?」

 年老いた神官は鼻で笑った。

 若い神官は口を開きかけたが、その前に、別の神官がさりげなく否定するように言った。

「……その場には、わたくしもいましたが、確かに石には何の兆候も見受けられませんでしたぞ」

 年老いた神官は無視した。

「それにじゃ、仮にナイルの王族が石を持ってアッシリアにいたとして、わしには、あやつらが我らの石をも奪って、アッシリアを侵略しようとしているふうにしか見えないのだがね。その辺りはそなた、どう思う?」

 神官が挑戦するような目で問いかけた。口元はにやりと笑っている。答えられないと思っているのだ。

 実際、若者は答えられなかった。若者は、はた目にも分かるほどにたじろいだ。

「それは……」

 若い神官はなんとか答えようと口を開いたが、すぐに続きの言葉を考える必要はなくなった。若い神官の返答は、他の神官たちのざわめきにあっという間に押し消された。

「そうか、考えてみればその可能性も十分に有りうる」

「もしそうだとすれば、由々しき事態じゃ」

「それこそ、アッシリア王国の危機ではないか!」

「しかし、ナイルがこのような時期にそんなことをするか? まだナイルはこの間の戦争から完全に復興していない。ナイルの王は、そこまで馬鹿ではなかったと思うが」

 神官たちが思いつくまま口々に発言を始め、一部では熱い議論まで始まろうとしていた。

「静粛に!」

 その時、大神官が高らかに声を上げた。

 神官たちはふつり、と話をやめた。

 大神官は深いしわの寄った、しかし威厳を感じさせる瞳でぐるりと台の周りの神官たちを見回した。そして全員の目がこちらを向いていることを確認すると、ゆっくりと口を開いた。

「石のそばにいた者については、今兵が追っておる。捕らえれば、いずれ分かることじゃろう。今話すべきは、これからのことじゃ。わしは、少なくとも我らの石の周囲には結界を張るべきじゃと考える。石には何人も触れるべきではない。触れれば、過去のあやまちを繰り返すだけじゃ」

「しかし、もう一つは。追っている者が捕まらなければ、あちらが石をどう扱うか、分かったものではない」

 向かい側に立っていた神官がすぐさま口をはさんで言った。

 その隣の神官が言った。

「ナイルは、石を使ってアッシリアを攻めるに違いない。もしそうなれば、一体どう対抗する……?」

「やはり、我々も石の力で応戦するしか……」

「たわけ者! 二百年もの間守ってきた誓いにそむく気か!」

「しかし、他にどうすれば……」

 神官たちの間に不穏な空気がただよった。

 大神官がうなずいた。

「確かに、これは決して穏便に済ませられるような出来事ではなかろう。しかし、そこから先は王がお決めになること。今の我々にできることは、今すぐ我らの石の守りを強固にすることだけじゃ。ここにある石――ラピストリアは、我らが二百年もの間、守り抜いてきた石じゃ。これからも守り続けるのが、我らの務め。そうじゃろう」

 神官たちは、円形のテーブル台の中央に目を向けた。

 テーブル台の中央部分は、円柱型の台が三段ほどの階段状となって盛り上がっている。その頂上の少しくぼんだところに、うっすらと光輝く瑠璃色の石があった。

 石は、薄暗い部屋の中、周囲を囲む神官たちの顔をぼんやりと照らし出している。そこにいる神官の誰も、長老の神官でさえ、今まで生きてきてこのようにこの石が光を発する姿を一度も見たことがなかった。その上、その石がつい先ほどにはさらに激しく、強い光を内側から発したというのだから驚きだ。

 大神官は、みなに目配せをした。

「――では、これより結界を張る。みなの者、準備はよいな?」

 神官たちがうなずいた。

 七人の神官たちはおもむろに目を閉じると、それぞれがスッと石の方向へと両手をかざした。そしてなにやら意味不明な言葉をぶつぶつと唱え始めた。

 それはバラバラな言葉を唱えているようで、同時にみなで一つの言葉を紡いでいるような響きでもあった。

 そして一つの言葉が紡ぎ終わるごとに、輪になった神官たちの体からは、目に見えない一つの大きな円形状の波紋が放たれた。それは電流のように神官たちの足元から台の上を伝わり、中央の瑠璃色の石へと送られた。波紋が石へと送られるたびに、部屋の空気がわずかに振動する。

 その過程が何度も繰り返され、石の周囲には徐々に薄い膜が見え始めた。それは石を中心に、テーブル台から上は天井まで、縦長の筒状に石を囲っていた。

 やがて結界が完成すると、神官たちは石の前にかざしていた手を下ろし、息をついた。

「ふぅ……。我々七人の力をもってしても、石の周囲に結界を張るのがせいぜいというもの。石の内部にその力を封じ込めたという巫女の力は、やはり恐るべきものじゃ」

「まさしく。封印を解いたという者も、ただ者ではあるまい。しかも、相手はナイルの王族。もしそれが事実であれば、見つけたら生かしてはおけぬな」

 神官が、低く唸って言った。

 その時、突然部屋の扉が外側から激しくノックされた。

「伝令です。開けてください」

 神官たちの間に、さっと緊張が走った。

 みなが戸口に注目するなか、長老の神官は、扉から最も近い位置にいた若い神官に扉を開けるよううながした。

 若い神官が扉を開けると、そこにはまだ二十代半ばくらいの男性が、紺色の服に身を包んで立っていた。塔の外側の長いらせん階段を急いで上がってきたのだろう、肩がわずかに上下している。

「クレイ隊長より報告です。今追っている者についてですが……取り逃がしたそうです」

 最悪の通達に、その場の空気が冷えた。

 予想はしていたものの、神官たちは落胆を隠せなかった。ある者は首を横に振り、ある者は深くため息をついた。大神官は、厳しい表情のまま「そうか」とだけ言った。

 伝令は言葉を続けた。

「光の発現地と思われる小屋には、部屋の様子からして、大人一名と子ども一名が住んでいたと考えられるもようです。実際に目撃できたのは大男一人ですが、こちらは二人の護衛か何かでしょう。子どもを一人で先に行かせるとは考えにくい。……ところで、そこの光っているものは一体何なんですか?」

 伝令は一通り報告を終えると、机の中心で薄く光を発している石の結界を見て、気がそれたように言った。

 大神官はたいしたことのないような口調で答えた。

「気にするでない。そなたには関係のないことじゃ。……それから、今出兵されている兵も言われておることじゃろうが、今夜のことは一切、誰にも、他言せぬよう。ここで見たこともな。これは王からの命令じゃ」

 王、という言葉に、伝令は「はっ」と直立して返事をした。

 それから大神官は、納得いかぬような様子であごに手を当てつぶやいた。

「しかし『子ども』とな……? ナイル王家には、現在子どもはいなかったはずじゃが……」

 一人の神官が、戸口から見える空に気が引かれたように一歩外へと足を踏み出した。

 雲ひとつない空には、星々が天空を飾る宝石のように幻想的に広がっている。しかし、その中でもひと際強く光を発している星があった。それは、不吉な予兆を示すかのように、ぎらぎらと真っ赤に輝いている。こんなにこの星が近づくことは、非常にまれであった。

「大きな戦が近づいている」

 外へ出た神官は、夜空を見上げて言った。

 他の神官たちも、扉から見える空を見上げた。戸口に立っている伝令も、その動きにつられるように空をあおいだ。

「歴史が再び、繰り返されようとしている……」

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