4

ちなみにこの状態にも結構波があって、かなり「2次元的な感覚」に近付いていることがある。記憶が正確な気はしないが多分経過的に言うとヤバさは50→100→50→20→50くらいで推移している。この変化の間に何があったか。

まず50→100のとき。わたしはこのことを全く人に話そうとしなかった。前にも述べた通り学校で話すには時間が足りなすぎるし、あと人前でわっと泣いてしまうと変な人だと思われないかって心配があった。ネットを介して繋がっている友達は忙しい時もあるだろうし、声をかけにくかった。それから、周りの人たちは「2次元的な感覚」で死と接しているのに、わたしがこれを話したことで相手が「3次元的な感覚」で死と接するようになってしまったら申し訳ない、という気持ちがあった。自分が3次元的な感覚がいかに困ったものであるかを知っているからだ。ただ、誰かに吐き出したいという気持ちはあった。そこで一度カウンセラーに相談とかも考えたけど、わたしは自分のことを見知らぬ人に話すっていうのがなんか嫌だなぁと思ったので行っていない。親に言っても面倒な事になるともっと気分が沈む。そうやって我慢していたらだんだん話したくても話せない状況に過呼吸でも起こしそうな辛さが膨れ上がってきた。いつ泣き出してしまうか分からないような、胸から喉元に涙がつまっているような感覚で毎日を過ごしていた。このときは一日一日が本当に長く感じられ、苦痛だった。

さて、その後100→50への変化。これは、切羽詰まった状況を見て授業を受けず保健室に行くことを勧めてくれた友人の力が大きい。わたしは保健室の先生が優しいことは知っていたけど、高校に入ってから一度も保健室を利用したことがないし、できるだけ授業には出席したいと思っていた。あと周りにそういう人が多いから、保健室でサボりのレッテルがつけられるのが嫌だった。けれど友人達は「最近のラヴィは本当に具合が悪く見える」と言ってくれたし、保健室まで付き添ってくれた。そこでひとしきり泣いて、保健室の先生にも少し話をした。保健室にいるっていう非日常感と先生に話したっていう事実が少しだけ私を楽にさせた。そこを皮切りに、色んな人に話をした。担任とか、ネットの友達とか。そうしたら、話したっていう事実に目が向いて少し軽くなった。

50→20のときは単純に好きなブランドの新作を買ってしまった喜びで気分が上がってそれどころじゃなかった。それを毎日続けられればいいが服を毎日買うわけにもいかないのでできない。

今、20→50に変わった理由は正直わからない。でも大きいのは先輩の卒業じゃないかなぁと思う。

今に意識を向ければこの状態から抜け出せるかもしれない。けどこのわたしが今に意識を向けると「今この瞬間も死に近づいている」ってなる。そんなの先のことだ、って考えようとしても、振り返る時はいつも一瞬だ。そうして全てが一瞬になってしまう感覚があると、先のことだと思えない。

そんなことを考えながら今日もわたしの一日が始まる。近いうちにまた保健室にお世話になる予感がする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る