第14話 騎士の告白

 とはいえ、逃がしてもらえるわけがなかったのであった。


 

 ルャールが目覚めるまで待つ間、私の傍らには今回も地獄の特急便で隣町から連行されてきたグレイソン先生(下手したら私より顔色が悪かった)が付き添っていたし、ルシャールが森へと戻っていくのを見送った後は、わらわらと駆け寄ってきた村の人たちにグレイソン先生と共にあっという間に馬車に乗せられてしまうという厳戒態勢だ。

 間違いなく私の行動パターンを読まれている。

 口を挟む隙を一切与えない完璧な連携プレイだった。

 何かそういう訓練でも受けていたのかと聞きたくなってしまったほどだ。

 

 そして。

 運びこまれたのは何の因果かエリオット・スターレットの自宅だった。

 

 繰り返す。

 ここにきてまさかのエリオット・スターレットの自宅だ。

 心情としてはドラゴンの巣穴に運び込まれた生贄が一番近い。

 私が一体どんな悪いことをしたからこんな目に合うというのか。

 もう少しだけ、日ごろの行いを顧みようと思う。

 とりあえず、魔眼が使えるからと調子に乗らず、取り返しのつかないことをその場の勢いでやらかすのはやめよう、と決意した。

 うっかりぽろりと告白したり。

 どうせ忘れさせるのだから、と魔眼の効きを良くする下地作りとして相手の意表を突くためキスしたりするのはやめよう。うん。うん。


「――……我ながら自業自得感がそれなりに」


 思わず小さくぼやく。

 私にとっての救いとしては、ここが正真正銘の『彼の部屋』ではないことだろうか。

 彼はアセルリア王国から派遣されてきた騎士団長であるため、ここはあくまで彼の仮住まいだ。アセルリア王国が森の騎士団長を務める騎士のために用意した邸宅なのだ。

 騎士の詰め所のすぐ隣に建てられた宿舎のようなものだ。

 現在は騎士団長である彼しかいないが、王都から客人が訪れた時などもここの部屋を提供することになる。

 

 ジオドール・テセラとその仲間たちも、彼らがそうと望めばここを使うことも出来たはずだ。だというのに、わざわざ村に泊まるなんて物好きな、と思っていたが、今となってはそれもそうだろうとの納得しかない。

 密猟をしにきた先で、それを取り締まる騎士団の団長と寝起きを共にするなんて肝が太いにもほどがある。


 と、いうわけで現在私が寝かされているのは、そんな宿舎の客室の一つなのである。

 私が運び込まれるまでに部屋を整えておいてくれたのか、しばらく使うものがいなかったはずなのに黴や埃の匂いはない。

 シーツからは、ほのかの石鹸の香りが漂っている。

 

 この部屋に運び込まれた先で私はグレイソン先生に看てもらい、これでもかというほどに怪我という怪我に軟膏を塗りこまれ、包帯を巻かれ、鎮痛効果のある薬湯を飲まされ寝かしつけられ、今に至る。


「……まだ少し、頭がぼんやりする」


 ベッドの上に身体を起こして、緩く頭を振る。

 飲まされたのは、エゾルデ草を煎じてハチミツで甘みをつけた薬湯だ。

 鎮痛効果も高いが、人によっては眠気を誘われることもある。

 私は眠くなる体質なもので、薬湯を飲んだ後はあっという間に寝落ちでしまった。

 窓の外は、既に薄暗い。

 私は一体どれくらい眠っていたのだろう。

 彼はもう戻っているだろうか。

 それとも、詰め所の方にまだいるのだろうか。

 現状どうなっているのかを知りたい。

 私はそろりとベッドを抜け出そうとして――そのタイミングで、こんこん、と抑えた調子でドアが鳴った。


「起きているわ」


 返事を返すと、ゆっくりとドアが開いて彼が顔を出した。


「具合は如何です?」

「……身体のあちこちが、とんでもなく痛い」


 正直に答えると、彼は同情と呆れが半々に混じるような複雑な表情を浮かべた。


「無茶をなさるからです。少し、入れていただいても?」

「……駄目だと言ったら?」

「時を改めてまた伺います」


 少し意地悪がしたくて言った言葉に、即答で返されてぐぬ、と小さく唸る。

 彼が有言実行なのは十分に思い知っている。

 ここで彼を追い返したとしても、それはただの時間稼ぎにしかならない。

 そのままなかったことにしてほしいところだが、彼にそうするつもりはないだろう。

 多少時間を稼いだところで迎える結果が変わらないのであれば、悩み、悶える時間は少ない方が良い。

 私は深々と息を吐き、覚悟を決めてから彼へと入室を促した。

 

「いいわ、入って」

「では、失礼致します」


 ほんの少し隙間を残してドアを閉めた彼が、ベッドサイドにやってくる。

 今が夜だとしたのなら、ほんの半日前に魔獣相手に大立ち回りを演じたはずなのに、彼の様子に疲れは見当たらない。

 一体どんな体力をしているというのか。

 逆に、ベッドの中にいる私を改めて見やった彼は痛ましそうに眉尻を下げた。

 なんだかそんな顔に、私の方が悪いことをしたような気がしてきてしまう。


「…………見た目ほど、酷くはないの」


 言い訳めいて、ごにょりと口にする。

 グレイソン先生は若い女の子の身体に傷が残ってはいけない、とちょっと大袈裟なほどに私を包帯でぐるぐる巻きにしていったのだ。


「基本的には、擦り傷や切り傷、あと打撲といったところよ。手首と足首は、ちょっと痛めちゃったのだけど」


 そろり、と左の手で右の手首を撫でる。

 馬から蹴り落とされた際に、数瞬とはいえ全体重をかけて宙吊りにされた右の手首は脱臼してしまっていた。右の足首は、どうやらその後地面に落ちた際に捻ったらしい。

 興奮状態にあった時にはちっとも痛みを感じなかったせいで気付いていなかったが、今となってはとんでもなく痛む。

 

 ちなみに痛みのピークはグレイソン先生による治療時だった。


 特に手首。

 正しい位置に戻すためとはいえ、力ずくで動かされた時にはゴリッと厭な音が体の中に響いたし、ぶわッと全身から変な汗が噴き出したような気すらした。

 泣くほど痛かったし、実際泣いた。

 実際に怪我をした時よりも、治療の方が痛いのはなんだか納得がいかない。

 だが、そのおかげで腫れは引き始めている。


「ありがたいことに、どこも骨は折っていなかったわ」

「それは良かった」


 引き寄せた椅子に、彼が腰を下ろす。

 ぎしり、と軋む音が静かに響く。


「魔女殿」


 その呼びかけは、別段声を荒げられたわけでもなかった。

 だというのに、なんだか出来の悪い子どもにでもなったような気がして、「はい」と神妙な声を返す。


「……どうして、私を呼ばなかったのですか」

「呼んだわ。ちゃんと」

「ですがあなたは私を待たなかった」

「……………」


 そうだ。

 私は村人たちに騎士を呼ぶように指示を出したが、騎士の到着を待たずに一人で森に入った。

 一人で、追ってしまった。

 

「意地の張りどころを間違えてはいけない、と言ったでしょう」

「…………」


 私は、視線を落とす。

 手首に巻かれた白い包帯。

 同じものが、全身の至るところを覆っている。

 私が彼の立場なら、きっともっと取り乱してしまっていただろうし、どうしてそんな馬鹿なことをしたのかと問い詰めてしまっていただろう。

 こうして、穏やかに諭そうとしてくれている彼は驚くほどに人間が出来ている。

 だからこそ、私はそのままそういうことにしてしまいたくなった。

 私が愚かな意地を張ったのだと。

 でも、そうじゃないのを誰よりも私がよく知っている。


「……意地をね、張ったわけじゃ、なかったの」


 小さく、呟いた言葉は自分でも驚くほどに情けなく揺れていた。


「では、どうして」

「私が、馬鹿だったの」


 私は。


「…………………魔女が」


 喉に詰まりそうになる言葉を、無理に押し出す。

 誰にも打ち明けたくはなかった。

 けれど、彼には話しておかなければいけないと思った。

 だから、小さく呟いた。


「害されるなんて、思ってもなかったの」


 なんという、思い上がりだろう。

 私は、悪事を見つかった連中が魔女に危害を加えるかもしれない、なんていうとてつもなく簡単なことに思い至らなかった。

 自分が危害を加えられる可能性など、私はカケラも考えてもいなかった。


「――それは」


 さすがの彼も、驚いたように僅かに目を瞠っている。

 その言葉に続くのは、何だろう。

 一番相応しいのは「なんと愚かな」辺りだ。

 今となっては、自分でもそう思うのだ。

 

 私には、魔女に危害を加える、という発想がなかった。

 

 魔女は、森と人との境界を守るために存在するものだ。

 境界が守らなければ、森と人との共存は叶わない。

 森の王の声を聴き、人と森の狭間に立つ『魔女』がいなければ、両者の均衡は呆気なく崩れてしまう。

 

 だから、人々は『魔女』に対して敬意を払う。

 『魔女』がいなければ自らの生活が危険に晒されることを承知しているからだ。

 『魔女』を害すことが、自らの首を絞める行為に繋がることを知っている。

 実際にこれまで、私は養母が先代を務めていた頃から森にいるが、魔女に危害を加えようとした者などいなかった。

 だから私は、勘違いしていた。

 

 

 

 森の中で行われる犯罪は魔女の目を盗んで行われるもの、なのだと。

 

 

 

 見つかってもしぶとく逃げようとした者たちならこれまで多く見てきた。

 密猟のつもりなどなかったのだと言い逃れようとした者も見てきた。

 だが、魔女に危害を加えてまで事を達成しようという者には、今まで出会ったことがなかった。


「……、」


 彼が、小さく息を吐く。

 そして。


「怖かったでしょう」


 柔らかな低い声音が囁くように告げたその言葉の意味を理解すると同時に、気付いたらぽたりと目元から滴が零れ落ちていた。

 彼の言葉がすとんと胸に落ちる。

 そうだ。

 私は、怖かった。

 私を馬から蹴り落としたあの男は、私がそれで死んでも別に構わないと思っていた。

 私に対しても『魔女』に対しても無関心で、ただその場における邪魔者がいなくなればいいと言うような感覚であの男は私を馬から蹴り落とした。

 あれは、殺意ですらなかった。

 ただ、どうでも良かった。

 魔女も、人と森の未来も、彼が密猟で手に入れようとしている利益のこと以外はなにもかもがどうでも良いと言わんばかりの振る舞いだった。


「……そう、ね。私は、怖かったし、今も、怖いんだと思う」


 あの男たちの愚かさが。

 目先の欲に目を晦ませ、恐ろしいことを成してしまえる身勝手さが。

 そして――…私という存在のちっぽけさが。


 私にとって大事なものが、他の誰かにとっては大したものではないというのは人生においてよくあることだ。

 

 けれど、私は無自覚に『魔女の役割』だけを例外にしてしまっていた。

 

 私自身には、価値はないかもしれない。

 私という人間を必要としてくれる人は、ついぞ現れないかもしれない。

 けれど、『魔女』だけは違うと私はそう思っていた。

 私が魔女であることを気に入らない人間はそのうち出てくるかもしれないとは思っていたし、より魔女として優秀な誰かが、いつか自分から『魔女』の座を奪っていく日が来るのかもしれない、とも考えたことはある。

 もしくは、お前など魔女には相応しくない、と弾劾される未来であったのなら。


 けれど、『魔女』そのものの存在を否定されるなんていうことは、これまで考えたこともなかった。


「『魔女』を、殺そうとするなんて」


 盤石だと思っていた自分の足場が、急にぼろぼろと崩れ落ちてしまったような気がした。


「魔女殿」

「………」


 呼ばれて、顔を上げる。

 真っ直ぐに私を見つめる空の蒼は随分と力強く。


「大丈夫ですよ」


 そう、短く言い切った。


「…………」


 何が一体大丈夫だというのか。

 全くもって具体的ではないのに、何故だか不思議と本当に大丈夫なのだと信じさせる力が彼の言葉にはあった。


「…………」


 なんなのだろう。

 この、安心感、というか。

 信頼できてしまう感じ。

 私が彼のことが好き、だからなのだろうか。

 それとも、彼の人柄故だろうか。

 

「あなたは、魔女だ。森と人の間に立つ尊い存在だ。あなたが日々どれだけ努力しているのかも、あなたが皆のために尽力していることも、私たちはちゃんと知っています。だから、あなたは魔女として皆から敬意を示されて当然だ。ですが……、どんなに美しい芸術品もその価値を知らぬものにとってはただの塵でしかないように、世の中にはあなたの価値を計ることすらできない愚か者もいる」

「……、褒めすぎだわ」


 思わず小さな笑みが零れた。

 彼はおや、と言うように片眉を跳ね上げる。


「魔女殿が納得しかねるようでしたら、一つ一つ実例をあげてご説明した方がよろしいですか? 私一人の意見では信用ならないと仰るのでしたら、村の人々にも声をかけ、魔女殿がいかに素晴らしいかを実証していただくのもやぶさかではありませんが」

「やぶさかよ。すごくやぶさかだからやめて」


 全力で阻止する。

 やぶさか、という言葉の使い方を大いに誤っているような気がしないでもないが、ここで阻止しておかなければ私があまりのいたたまれなさにしんでしまう。


「では、納得していただけますね?」

「貴方、強引って言われない?」


 ふ、と笑って誤魔化された。

 これはあちこちで言われていると見た。


 そんなやりとりを交わしていたら、なんだかこれ以上自己憐憫にも似た不安に取り憑かれているのが馬鹿らしくなってきてしまった。


 はー、と深々と息を吐く。

 私は、まだまだ魔女として未熟だ。

 そしてその未熟さ故に、密猟者に殺されかけたりだとかもした。

 密猟者たちは私に魔女としての価値を見出さなかったし、それどころか彼らはきっと私が何よりも大事にする『魔女』という存在に対してですら価値を感じてはいない。

 彼らにとって、私は路傍の石も同然だ。

 彼らの妨げとなる分、それ以下かもしれない。

 その事実は、なんだか私の気持ちを塞いだものにさせるし、殺されかけたという事実は何よりもシンプルに不安を煽りもする。

 

 けれど。

 

 私の周りには、未熟な私の努力を買ってくれる人たちがたくさんいる。

 私に優しくしてくれる人たちがいる。

 ならば私がするべきなのは、私を殺そうとした連中の価値観を信じてへこむことではなく、私の努力を認めてくれる人々のためにより良い魔女になるべく努力を続けることなのではないだろうか。


「――はあ」


 深々と、息を吐く。

 それから、私は左の手の甲でぐいと目元を拭って顔を上げた。

 めそめそしてなんかいられない。

 私は魔女だ。

 ならば、魔女としての職務をしっかりと果たそう。


「……ありがとう」

 

 スン、と小さく鼻を鳴らして彼を見る。


「それで、あの連中はどうしているの?」

「………………」


 スッ、と。

 露骨に彼が視線を彷徨わせた。


「…………」

「…………」

「……もう一度聞くわよ。あの連中は、今度は、何を、しやがったの」


 少しばかり声にドスが利いてしまったのは仕方がない。

 彼の反応からして、あいつらがまたロクでもないことをしたのは自明の理だ。

 彼は少しだけ言いにくそうに口ごもって、それから渋々と口を開いた。


「おそらく、事前に捕まる可能性も念頭において打ち合わせをしていたのでしょう。現状、全ての罪を魔術師一人に負わせるつもりのようです」

「あの魔術師に……?」

「ええ。あの魔眼石に操られて協力させられていただけだ、と他の連中は口裏を合わせて主張しています」

「なッ……、どう考えても主犯はあの男でしょう!」


 私を、馬から蹴り落とした男。

 魔術師にボスと呼ばれていた男だ。

 森を出たルシャールに対して殺すように指示を出していたのもあの男だ。

 だというのに、操られていただけだと言い張っている???


「そんな話が通るはずがないわ、私が証人よ」

「ええ、あなたを疑うつもりはありません。ですが、それもひっくるめて操られていた上での出来事だと主張しているのです。相手は魔物ですら操るほどの魔術師、人間の身では逆らえたはずもない、と」

「そんなの……ッ!」


 ぎゅ、と手を握り締める。

 あの男は、決して操られてなどいなかった。

 自らの意思で計画を立て、仲間を揃え、実行に移したのだ。

 だが、それを証明する手立てがないのは確かだった。

  

「あいつらは、どうなるの」

「王都に護送されることになります。早くて明日、遅くても明後日には王都より迎えが来ることになるかと。『森』における密猟は死罪にもなりうる重罪ですが、魔術師はともかく他の男たちは魔眼石により操られていたことを考慮されることを考えたならば数年の禁固刑、もしくは労役で済む可能性があります」

「軽すぎるわ」


 彼らは、森の奥から引きずりだした魔獣を暴走させ、村人を襲わせ、それを討伐する騎士の構図を利用して魔獣を狩ろうとした。

 森の王との約定を悪用しようとした。

 これは森の王に対する許されざる裏切り行為だ。

 人が森に足を踏み入れることを許し、森の傍に人が生きることを許した王の温情を踏み躙るような所業だ。

 私たちは、『ひと』としてそんな裏切りを許してはいけない。

 森の王にとって信頼にたる隣人であり続けなければいけないのだ。


「……『ひと』の犯した罪を『ひと』の側が罰しないのであれば、『ひと』はその罪を『森』に裁かれることになるわよ」


 その罰が、罪を犯した彼らにだけ・・及ぶものであったのなら私だって止めはしない。彼らが生きたまま獣に食われるぐらいで済むのなら、それはそれで彼らに相応しい罰だと納得も出来る。

 だが、そうじゃない。

 

 かつてレデシリア王が森を襲い、獣を狩り殺した時、森の王はレデシリアという国そのものに怒りの矛先を向けた。

 森に足を踏み入れた兵士だけでなく、狩りを命じた王だけでなく。

 森の王率いる獣たちは、王都に雪崩れ込むまでにあった村や人、全てを蹂躙し、殺し、喰らい尽くした。

 

 彼らの怒りは『ひと』という種族そのものに向けられた。

 

 今回の行為が彼の王の怒りに触れないとどうして言えるだろう。

 『ひと』の不始末は『ひと』がつけなければならない。

 森の王を動かしてはいけない。


「密猟者の一味の中に貴族であるジオドール・テセラが含まれることもあり、多少王都の方でも対応が手緩くなる可能性がありますので、迎えが来たならば私も一緒に王都に向かうつもりでいます」

「そうね、そうして頂戴。必要があれば、私も王都に赴くと王に伝えてくれる?」

「承知致しました」


 直に口添えがかなえば、彼らに厳罰を与えることもできるかもしれない。

 はー…と溜息を吐き出しつつ、私はぼふりと背を預けていた枕に身体を沈めた。


「なかなか、ハッピーエンド、という風にはいかないわね」


 悪者を捕まえました、めでたしめでたし、で済めば話は単純で良かったのだが。

 彼もまた、柔い苦笑を口元に浮かべている。

 そして。


「さて」


 さて?


「仕事の話を終えたところで、私的な話と参りましょうか」

「え」


 これはここで話が終わるところじゃなかったのか。

 やーこれからもお互い忙しそうですなー、それでは英気を養うためにも休みましょうか、といって解散する流れだったのでは。

 

「何を意外そうな顔をなさっているのですか。一人の男として話をしたい、とお伝えしたはずではありませんか」

「……いや、ちょっと、その。このタイミングでその追い打ちが来るとは思ってなかったの」

「おいうち」


 心外です、という顔をされた。

 じり、と思わず身構えて後方へと身をいざる。

 彼がますます不本意そうな顔をした。

 

「何故、そのように身構えられなければいけないのですか」

「正当防衛よ」

「解せません」


 壁に背を押し付けるようにして、枕を腹の前に抱える。

 いざとなったら枕で窒息して果てたい。


「まずは、先日のあなたの言葉に対して応えさせてほしいのですが」


 あれか。

 あれのことか。


『私ね』

『ずっと、貴方なんて好きになるものか、て思ってたの』

『だって、貴方はいつか王都に帰る人だもの。そんな人を好きになっても苦しむだけだって。また置いていかれるだけだ、って』

『でもね、それでもいいかな、って思ったの』

『今、この時、貴方を好きだと思う気持ちを楽しむことにするわ。いつか、貴方が王都に帰ったとしても、私は貴方を恨んだりはしない。最初からわかっていたことだから。貴方がこの森を去っても、私は貴方のことを忘れない。貴方のくれた言葉を、大事にしたい。変な意地を張って大事な言葉を受け取り損ねてしまうよりも』


 思い出すだけで、変な汗が出てくる。

 やばい。

 もうすでにしにたみが限界点に達しつつある。


「………忘れたふりなんて、悪趣味だと思うわ」


 彼が悪いわけではないと分かってはいても、口から零れる言葉にはつい恨めし気が籠ってしまう。

 それに対して彼は気にした様子もなく、首を傾げて見せた。


「あなたが忘れろと仰ったからそうしたのですが」

「忘れたふりをしろって意味じゃなかったの!!!!!」


 本気で忘れさせるつもりだったし、そうしたつもりだった。


「それに魔女殿」

「……何よ」

「私を悪趣味だというのなら、言い逃げというのも多少卑怯では?」

「そんなこと、言われなくてもわかってるわよ!!!」


 もはや逆ギレである。

 べふ、と抱えた枕をつい右手で叩いてしまい、とたんにビキーンと響いた激痛に息が詰まった。無言で暫し悶える。いっそそのまま気を失ってしまいたかった。


「無理をなさると怪我に障ります」


 諭すような声音に、無理をさせているのはお前だ、と言い返したくなった。

 が、それを言えばきっとまた完膚なきまでに正論で応戦されるに違いないし、より劣勢に追いやられるのがわかっていたのでぐっと堪える。

 私は学ぶ女なのだ。


「魔女殿。いえ、アデリード」


 名前を呼ばれただけで、びくりと小さく肩が跳ねてしまった。

 低く柔らかな声音が名前を呼ぶだけで、なんだこの破壊力。

 心臓が、ばくばくと熱を吐いて騒ぎ出す。

 そっと伸ばされた彼の手が、白い包帯に包まれた私の右の手を取る。

 労わるように、親指の腹がそろりと布越しに手首を撫でる。


「私は、あなたがそうと望まぬ限りお傍を離れません。あなたを独りにはしない。あなたを置いていくことも、しない」

「―――」

「だからどうか、私をあなた一人の思い出に閉じ込めるようなことはしないで欲しい」


 どんな結末が待っているにしても。

 彼と過ごす時間は素敵な思い出になるに違いないから、この気持ちを大事にしたいと一方的に告げた私に対する彼の応えがそれだった。

 は、と震える息を吐く。

 彼の言葉は、何よりも私が望んだものだった。

 けれど、私はそう都合よくいかない現実を知っている。


「でも、任期が終わったら、あなた、王都に戻らないといけないじゃない」


 彼は、アセルリア王国に仕える騎士だ。

 森にいるのはあくまで、『森の騎士』としての任務を与えられたからに過ぎない。

 彼ほど優秀な騎士であれば、すぐにでも王都に呼び戻されたっておかしくはないのだ。


「確かに、任期の問題はあります。ですがアデリード、お忘れですか?」

「……?」

「何のために私が森の騎士ではなく、魔女の騎士になったと思っているのです。私は、森のための騎士でなく、あなたの騎士だ」

「―――え」


 私の、騎士。

 魔女の、騎士。

 そう、いえば。

 嗚呼、そういえば。

 この人は初日から、『森の騎士』ではなく『魔女の騎士』になんていうよくわからないことをやらかしてくれていたのだ。


「ま、ま、まって。まって、お願い、まって」

「ええ、待ちますとも」


 彼はおとなしくマテの態で唇を閉ざす。

 本当に、いろいろ待ってほしい。

 それではまるで、最初から彼はそのつもりで森に来たようではないか。

 私の騎士に、なるために。


「え、えええええ……」


 困惑しきった声が零れる。

 そもそも、最初からいろいろおかしいのだ。

 森の騎士団団長、というのは若手の騎士が箔をつけるために与えられるようなポストだ。次の王都の守護騎士団団長に選出されるだろうと噂されるような彼が今更任命されるような役職ではない。


「あなた、どうしてここに来たの」

「もしや、と思っていたのですが」

 

 彼はそこで一度言葉を切った。

 それから、少し恨めし気を宿した蒼がちらりと私を見上げる。

 その上目遣いはなかなかにズルい。

 謎の罪悪感がちくちくと騒ぐ。


「覚えていらっしゃらないのですか」

「何を!?」

「王都で、私と会ったことを」

「?????」


 王都で。

 彼と。

 会った?????

 

「会ってないわよ、貴方みたいな人に会ったなら、覚えていないはずがないもの。貴方、別の誰かと勘違いしているんじゃ?」

「いいえ、あなたですよ。雪のように白い髪に、紅玉のような赤い瞳を持つ『魔女』があなた以外にいらっしゃるなら話は別ですが」


 私だな???

 特徴的な外見と肩書が合わさると特定しやすくて助かる。

 もしかしたら誰かが幻惑の術でも使って私を騙ったのかとも思うが、彼にはそういった類の術は一切通用しないのだった。


 ―――って。

 

 何か。

 ちょっと、ひっかかるものが、あった、ような。


 『王都』

 『幻術』


 そういった言葉から、多少思い当る節がないことも、ない。

 王都にを訊ねていった後。

 そして華麗なる玉砕を果たした後。

 私は確か、自分のやたら目立つ外見を幻術で誤魔化して、その辺の酒場で飲んだくれたのではなかったのか。

 普段は呑まない強い酒をかっくらい、翌日とんでもない頭痛とともにに宿屋で目覚めたのを覚えている。

 記憶はふわっふわしていたものの、自分の取った宿屋の一室できちんと目覚めたことから特に何もなかった、と思っていたのだが――……まさか。

 まさか。


「……それって、もしかして、王都の中心地近くにあるお魚の看板を掲げた酒場だったりするんじゃ」

「ああ、覚えてらっしゃいましたか」

 

 あっさりと肯定された。

 この辺りでは川魚しが食べられないから、せっかく王都にまで赴いたのだから海の魚を死ぬほど食ってやろうと店を選んだのは覚えている。

 本当なら、と一緒にいくつもりで、王都からやってくる商人たちを相手にリサーチした店だった。

 窓側から見られる夜景や、生花を多く飾った内装がとてもロマンチックな店だった。

 そこで、私は一人で、魚料理を食べて、普段は呑まないような強い酒を、ガンガン注文して、自棄酒をキメたのだ。

 今思い出しても悲しくなる。

 

「あなたは、泣きじゃくりながら一人でひたすらお酒を召してらっしゃって。だというのに、周囲はまるであなたがそこにいることにも気づいていないかのようだった。それで気になって、声をかけたのです」

「そういうのはそっとしておいてあげて本当。お願いだから」


 親切心からなのはわかるが、そっとしておいてほしい。

 そのための術まで私は使っていたのだ。

 外見を誤魔化すだけでなく、こちらから声をかけたり、何か行動に出ない限り自分の存在感を限りなく落とすような、周囲の認識に働きかけるささやかな幻術だ。

 透明人間になる、というほど画期的な術ではないが、雑踏に溶け込みやすくなる、というかなんというか。人々の記憶に限りなくとどまりにくくなる術、といったところだ。

 当然、そんな術も彼には通用しなかったわけだが。


「あなたは、私を見るなりぽかんと目を丸くして――それから大号泣です」

「……そうね、そうなるわね……」


 騎士を相手に手酷い失恋をした直後に、騎士の中の騎士、みたいな顔をした彼に声をかけられたりなんかしたのなら、そりゃあ泣く。傷を抉られたどころではない。


「その時に、あなたが仰ったのです」

「……なんて」

「私だけの騎士になって、ずっと傍にいて、と」


 ひ、と思わず喉が鳴った。

 あの時に戻れるものなら、情けない弱音と泣き言を吐いた自分自身を絞殺しに行きたいが、それよりも何よりも。


「あ、あ……、あなた、そんな酔っぱらいの戯言を真に受けたの!?!?」


 悲鳴みたいな声が出た。

 彼は何でもないことのようにあっさりと頷く。


「酔っ払いの戯言ではあったかもしれませんが――あれは間違いなく、あなたの本音でしょう」


 言葉に詰まる。

 確かに、それは本音だった。

 ずっと、傍にいてほしかった。

 守ってくれる誰かに傍にいてほしかった。

 誰か、どん底まで落ち込んだ気持ちと、傷ついた心を掬いあげてくれるような誰かが。


「それに、あなたが私を知っていたように――私も、あなたを知っていたのです」

「え……」

「子どもの頃は身体が弱かった、という話をしたでしょう?」

「ええ」

「流行り病にかかり、死にかけていた私を救ってくれたのは先代の魔女、あなたのお養母かあさまだ」

「……!」

「療養を兼ねて、何度かあの小屋を訊ねたこともあるのですよ。その時に、私はまだ赤ん坊だったあなたに会っていたのです。鮮やかな赤の瞳がとても可愛らしい、ふくふくと幸せそうに笑う可愛らしい子だった」


 手首から持ち上がった彼の指先が、そっと私の銀の髪を絡め取る。

 まだ髪は生えそろっていませんでしたね、なんて懐かしむ声に気恥ずかしさがこみ上げる。こんなの、反則だ。私の知らない私を知っているなんて。


「だから、一目であなたが誰なのかがわかった。そのあなたに騎士として求められたのです。それが例え酔った勢いの戯言だったとしても、応じない道理がなかった」

「――、」


 好きな人が、傍にいてくれる。

 それはとても幸せなことだ。

 密猟者がらみのトラブルがあったばかりだ。

 これからも、彼が傍にいてくれるというのはとても心強い。

 だが。

 でも。

 それは。

 彼の、養母への恩義を果たしたいという気持ちを利用していることにならないだろうか。


「……貴方は、それで、良いの?」

「あなたが何を考えているのかは大体わかるような気がします。あなたのことだ。どうせ、私が先代の魔女への恩を返すためにこの道を選んだのでは、と考えているのでしょう」


 図星である。


「だって……」


 そうでもなければ、出会ったばかりの酔っ払いの戯言を真に受けて『魔女の騎士』なんてものになったりしないと思ってしまうのだ。

 実際、私は彼と王都で話したことすら覚えていない。

 彼だけが律儀に私の願いを叶えてくれようとしなくたって、良いのだ。


「だから、言ったでしょう。騎士ではなく、一人の男として話がある、と。そもそもあなたは少々私のことを美化して考えすぎている。私は恩義だけで自分の人生を擲てるほどの聖人君子ではありません。あなたの傍にいたいというのは――私自身の欲だ」


 指先に絡めとった私の髪を口元に引き寄せて、彼がちゅ、と口づけた。

 びしりと全身が石にでもなったかのように硬直する。


「あの幸せそうに笑っていたあなたが、一人で泣いていることが我慢ならなかったのです。私が、守りたいと思った。その気持ちはきっと、恩義、などという綺麗な言葉では収まらない」

 

 す、と持ち上がった蒼の双眸に息が止まりそうになる。

 あの目だ。

 空のように明るく澄んでいるのに、その底には不穏な熱が潜んでいる。

 見据えられると、目が逸らせなくなる。

 心臓がうるさいほどに鳴って、顔に熱が昇る。

 きっと私の頬は真っ赤だ。


「私を、傍においてくださいますね?」

「ひゃい」


 声が掠れて不明瞭な鳴き声のようになった。

 

「あの夜の言葉も忘れなくとも?」

「……それは、忘れて」

「では、なかったことにしたいと?」

「あれは、その…………、さすがに言い逃げはズルかったと思うのよ」

「そうですね」

「だから……」

「だから?」


 そのうちやりなおすわ、と小さく小声で言うと同時に、彼の腕が腰裏に差し込まれる。

 ぐっと引き寄せられて、距離が近くなった。

 もはや懐に抱えた枕で自決するには遅すぎた。

 大した防御にもなりそうにない。 

 傷に障らぬ程度に、それでもしっかりと抱きしめる腕から伝わる体温に、堪らない気恥ずかしさと羞恥と同時に身体の芯から溶けるような安堵を覚えてほうと息を吐く。

 視線が、重なる。

 自然と、近くなっていく距離。

 吐息が互いの唇を掠める辺りで、そ、と私は瞼を下ろす。

 そして唇が重なろうとしたところで―――


「ぎゃぁああああああああ!!!!」


 微かな悲鳴が夜の静寂しじまに響き渡った。

 実際の音として考えたのならば気のせいかな、と無視してしまえるほどに細やかな声だ。だが、それがおそらく隣の詰め所で牢に捕らえられた密猟者たちのものだと思えば、そうも言っていられない。ここまで響くだけの大声ともなれば、ただ事ではないからだ。


「……聞こえなかったことにしても?」


 半眼で彼が呻いた言葉に、小さく笑う。


「……そうもいかないと思うわよ」


 悲鳴は一度ではすまなかった。

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が断続的に、微かに響いてくる。

 これは様子を見に行かざるを得ないだろう。

 というか、私だって何が起きているのか気になる。

 彼は深いため息をついて、それからわかりやすく渋々と身体を離した。


「私は様子を見にいって参ります。あなたは――」

「一緒に連れていってくれる?」

「――そう言うだろうと思っていました」


 諦めたような顔で、彼はふっと視線を遠くにやった。

 本当なら、あなたは休んでいてください、と続けたかったのだろうな、とわかってはいてもおとなしく部屋で待っていることなど出来そうにない。

 軽く身だしなみを整えて、私は彼と共に隣の詰所へと向かうことにした。

 

 

 

 

 その際。

 一緒に連れていってくれる、というのには足を痛めているので手を貸してほしい、との意味合いを込めていたつもりだったのだが。

 当然のように抱き上げられて運ばれ、そのまま詰所に集まっていた村人たちや他の騎士たちの前に姿を現すことになってしまったのは言うまでもない。

 騎士に抱いて運ばれるぐらい魔女としては当然のことですけど???みたいな顔をして乗り切ることにした。


 もはや大事なのは開き直りだ。

 うん。

 そういうことにしておこう。

 うん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る