初夜・2

 ムテは滅びゆく純血魔族である。

 かつては千年生きたという神代の種族も、今はせいぜい三百年生きれば長生きといえた。そして大いなる魔の力も、徐々に失われつつある。

 五年に一度しか子をなすことの出来ないムテでは、神官となって力を発する者の出現すらまれなのだ。

 ムテの霊山に篭り、自らの寿命を魔力にかえてムテを守り続けることが出来る最高神官は、ムテでは失われてはならない貴重で高貴な存在だった。

 最高神官の優れた血を残す手段として、巫女制度は三百年以上続いている。

 濃い血をあらわし、かつ子供を産める状態にある者を、巫女として神官に捧げて、子供を作るという制度だった。

 神官の子供を産んだ者は、その後、癒しの巫女として将来を過ごすことが出来る。神官の子供が五歳になって学び舎に上がれば、その後は一般人として結婚することも可能だった。

 巫女に選ばれることは、女性としては名誉なことだ。

 ましてや最高神官に選ばれたとなると、一族すべてが良血を示したことになり、大変すばらしいことだった。



 エリザはあの日を思い出す。

 候補には上がった。だが、おそらく偏った一族からの選択を避けるために、とりあえずの候補に名を連ねただけであろう。

 確かに過去に神官クラスの魔力を持った者が一族にいたらしい。が、それ以降は、たいした血の濃さをあらわす者は出なかった。それに、エリザはやっと月病が始まったばかりの少女なのだ。選ばれるには若すぎる。

 それでもエリザは、片田舎の村から人々の期待を一心に受け、霊山のふもとの村までやってきた。

 巫女選びの儀式は、祈り所と呼ばれる薄暗い建物の中で行われる。

 神官たちは、人前に姿をあらわすことを嫌うのだ。半地下の祈り所は、どこか土臭く陰気な場所だった。

 うきうきした少女の気分は、一気に吹き飛んだ。

 ムテ人は暗闇をあまり好まない。光を信奉し、太陽に月に星に祈る、そのような種族である。祈りを捧げる神聖な場所が、なぜ暗く作られるのか、エリザにはわからなかった。

 祈り所が暗いだけで、エリザの気分はふさいだのだが、さらに気が重くなるような現実があった。

 自分はやっと大人の仲間入りしたばかりの少女である。しかしここには、充分大人で、もっとふさわしい血の濃そうな女性が集まっていたのだ。薄闇の中、銀の光をまとっている女すらいて、エリザは圧倒された。

 彼女はすっかり恥ずかしくなって、選ばれた女性たちの中でいる場所もなく、暗い祈り所の隅で小さくなっていただけだった。


 この日のために、霊山から下りてくるという最高神官は、百歳をすでに越えているという。先代最高神官マサ・メルの孫にあたる血筋の者だと聞いている。

 暗闇の中に、銀色に輝く人影が見えて、エリザはその人をはじめて見た。そして驚いて目を丸くした。

 少年だった。

 百歳を過ぎてもなお、成長過程にあるというのは、普通では考えられない。

 彼は、どう見ても十五、六歳にしか見えない。知らない種族の人が見たら、エリザとさほどかわらないと思うだろう。

 しかし、充分に年齢を重ねただけの空気を持っている。長い銀髪に、ムテの結界の粒子がちりばめられていて、彼がどれだけ純血をあらわした力ある存在であるかを物語っていた。

「この人にしましょう」

 エリザが驚く中、ムテの最高神官は彼女の手を取った。

 人々も皆、どよめいた。

 これは何かの間違いではないだろうか? それとも、最高神官にのみ感じる力を、彼女が持っているのだろうか?

 誰もが意外に思う選択だった。

 確かに候補に上がるだけのものは持っているのだろうが、なぜ、今年この少女を選ぶ必要があるのだろう?

 五年後、十年後であってもかまわないのではなかろうか? 

「子供を作るにはまだ若すぎるかも知れません」

 誰かがささやくような声で最高神官に進言したが、彼はその無礼をまったく無視した。



 仕え人たちが用意した湯船に、エリザは華奢な細い足を入れた。

 透き通る肌が、お湯に温められてすぐに桃色に染まる。しかし、まるで棒切れのような足だ。成長というものがまだまだ足りない。

 全身をお湯に浸からせ、銀色の髪をかきあげて湯船の外に出してしまうと、エリザは大きなため息をついた。

 薬湯の中で、自分の体が揺らめいて見える。

 今夜、この肌に触れる人の顔を、エリザは思い浮かべてみた。

 最高神官は、誰かが美を追求して彫り上げたのではないか? と思われるほど、美しい顔立ちをしていた。まるで生きている人ではないように感じた。しかし、握られた手は、ほんのりと温かかったような気がする。

 人形師が細心の注意を払って切り込んだとも思える銀色の目は、凍りついた霊山のように輝いていたが、優しそうに見えた。

 とはいえ、選ばれた瞬間、エリザはすっかり舞い上がってしまって、あまりよくおぼえていない。あれほど直視していたにもかかわらず、ムテらしい顔・人形のような顔としか記憶がないのだ。それは、仕え人たちの顔とも共通したものだった。

 その後、エリザの凱旋に、村全体もすっかり舞い上がった。お祭りのような盛大な送別の儀が執り行われて、エリザは誇らしかった。

 実家に送られてくる祝いの品々。何年も食べるに困らないだけの穀物、それと最高級品の蜂蜜、絹の織物など、贅沢な物ばかりだ。

 家は村一番の大家となるだろう。見たこともないようなすばらしい衣装に袖を通して、エリザはうっとりした。

 巫女として立派に務めて、立派な神官の子供を産んで、またここに戻ってこよう。そう夢を膨らませた。


 しかし……。

 たった湯浴みをするということだけで、エリザは夢と現実の隔たりに、呆然としてしまったのだ。

 今、エリザは憂鬱と不安でいっぱいだった。

 巫女としての使命は、もちろん知っている。どのような行為が行われるのかも知っている。だが、知っていることと、平気なことは別問題だった。

 覚悟もついていたはずだった。でも、少女の感覚での覚悟というものは、たいしたものではなかったらしい。薬湯の癒し効果もまったく効かない。

 巫女のおつとめ……と、きれいなことをいったところで、男に体を許す行為にかわりはない。

 ムテのような生殖能力の低い種族にとって、それはあまりありふれた行為ではない。根本的な知識が不足している。不足しているのは、行為そのものの知識だけではない。

 エリザは、まるで人形のように整った顔の相手のことを、まるで知らない。

 最高神官と会ったのは、あの巫女選びの瞬間、わずかな時間だけなのだ。

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