第19話 魂を糧に響く箏なり

 つづみの目の前には新品のそうが置いてある。手触りの良い布の真ん中に、ぽつんと一つ――美しい装飾の施された箏が……。


つばささん。これ、本当にわたくしが貰ってもよろしいのですか?」

「ええ、もちろん」

「お高いのではありませんか? でしたらわたくしが」

「いえいえ。知人から格安で譲ってもらったモノなので、鼓さんが気にすることはありませんよ」

「ですが……」

「いいのです。知人も鼓さんならば譲っても良いと言っていましたので」


 ここは梅廉国立楽団が拠点を置くとある劇場。幾人もの団員が集う場所に、翼と鼓はいた。

 翼は三味線奏者、鼓は箏の奏者として梅廉国立楽団に所属しており、比較的よく話す間柄だ。そんな二人が誰もいない部屋で顔を合わせているのには理由があった。

 きっかけは数日前に鼓の愛用する箏が盗まれたことだ。劇場外での公演終了後、打ち上げから戻ると楽屋に置いていたはずの箏が他の団員の楽器も含めて消え去っていたのだ。翼を含めて半数以上の団員は盗難の被害を受けてはいなかったのだが、その場は騒然となったという。

 団員の使用する楽器はそれぞれ個人で管理しているものが多く、万が一のことを考えて傷がついたり破壊、盗難されないように守護の魔術式がきざまれている。もしものことがあれば、楽器の持ち主である団員それぞれに何かしらの連絡がいくようになっているのだが、今回はそれがなかった。

 楽器にきざまれた守護の魔術式は国の魔術師が直々にきざみこんだものであり、悪意を持つ者が触れようとすれば逆に危害が加えられることもあるほどの強力なモノだ。

 実際、梅廉国立楽団でも気に入らない団員の楽器を壊そうとした結果、生涯楽器を演奏することが叶わなくなった者が数人いる。自身の楽器を狙われた者は、団員全員がそろって持つネックレス型の魔術道具が突然熱を持ったため、驚いて楽器を置いている場所へ向かうとその場に目にはするのもおぞましい姿となった同僚がいたという。

 ――それが、今回はなかった。

 楽器を盗まれた者たちは、楽器を盗まれていない翼たち他の団員が犯人ではないかと詰め寄ったという。しかし直前まで全員が打ち上げに参加しており、全員が全員の姿を確認していたためアリバイはある。

 全員が容疑者というせんを考えた団員もいたが、結局誰が犯人なのか分からず、盗まれた楽器は姿を消したままだとなっていた。


「とても、良い箏ですね」

「ええ。特注で作られたものの、買い手が受け渡しの前日に不慮の事故で亡くなってしまったために引き取り手を探していたようなのです」

「それはまた……」

「その方のご家族は誰も箏を弾く者はおらず、どうせならば箏を弾く方に使ってもらいたいということで知人から素晴らしい奏者はいないかと相談を持ちかけられたのです」

「まあ。ですがわたくしの実力はまだまだですわ」

「いいえ。鼓さんの奏でる音は誰をも魅了する素晴らしいものです。それに、この楽団に所属していながら自身の実力を謙遜するのはよくありませんよ」

「ええ、ええ。そうですね。確かにそうですわ。だって、わたくしはこの楽団に選ばれし奏者。入団することができなかった者たちに失礼ですわね」

「その通りです」


 一つ深呼吸をした鼓は、箏へと視線を向ける。六尺三寸、桐の胴に十三本の絹の絃。鼓が愛用していた箏よりもきらびやかな装飾が施されているが、派手すぎることはなく桐の胴によく似合う。亀甲、扇に牡丹、菊。全体に揺らめく波がそれらを繋ぐ。


「弾いてみても、よろしいですか?」

「ええ、もちろん。そのための箏です。鼓さんならば、良き音色を響かせてくれることでしょう」

「……それでは」


 箏の下に広がる布を引き抜き、手早く畳むと翼がそれを受け取る。

 次に箏と同じく蒔絵を施された小箱から箏柱を取りだし、鼓から見て奥側からそれを立てていく。そして調弦を始めると、鼓は箏が奏でる音に驚いた。

 それはこれまで耳にしたことのない音色で、愛用していた箏が奏でられる音ではなかったのだ。

 愛用の箏が安価なものだったというわけではなく、この箏が奏でる音は次元が違うということである。

 鼓が驚きのあまり思わず箏から顔をあげて翼と視線を合わせると、翼はにこりと笑って「素晴らしい箏でしょう」と言う。

 ――その通りだと、鼓は頷いた。


「このような箏を作るとは、素晴らしい職人がいるものですね」

「趣味程度のものだそうですけどね」

「趣味? これが趣味の枠で収まる程度の出来でしょうか」

「私の三味線もその方が製作したモノですが、やはり趣味なのだとおっしゃっていました」

「あの三味線も、ですか」

「はい」


 鼓の新たな箏と、翼が愛用する三味線の製作者は同一人物だ。そのヒトの本業は雑貨店の店主で、アクセサリーから実用的なモノまで様々なモノを作ることを趣味としているという。

 客から依頼を受けると早ければ当日、遅くても十日以内に商品を用意してしまえるヒトで、いつ寝ているのか分からないが体を壊したことは一度もないとかなんとか。それ故に翼は、そのヒトが早々死ぬこともないだろうと翼は考えていた。もちろん、常連客は全員そう思っているだろう。

 雑貨店――ルメイ堂の店主が死ぬことはない、と。


「それはまた不思議な方なのですね」

「ええ、ええ。あの方ほど不思議なヒトはこの世にいないでしょう」

「一度、お会いしていたいものだわ」

「実は何度か演奏会には足を運んでいるそうですよ。忙しい方なので、演奏が終わるとすぐに帰ってしまうと言っていましたが」

「そうなのですね。残念ですが、演奏会にいらしてくださるのなら、この箏の音色をその方に届けることができますわね」

「次の演奏会には足を運ぶと言っていたので、すぐに届けることができますよ」

「あら。では、直接お礼を伝えることができない代わりに心を込めて演奏しなければいけませんね」

「共に精進いたしましょう」

「ええ」


 その日から鼓は、一層力を入れて箏と向き合った。

 同僚たちは、鼓と鼓が新しく手に入れたという箏が奏でる音色に驚いたという。これまでの鼓や同じく箏の奏者である者たちの演奏とは比べものにならないほどに、すさまじい音。魂の宿る壮絶な音だと言ったのは、誰であっただろうか。そう言ってしまうほど、新たな箏の音色は変わっていた。

 日々、鼓が爪で絃を弾くごとに凄みを増す音色は、梅廉国立楽団の団員だけではなく、拠点をおく劇場の職員たちの耳や心を侵食する。この音色こそが箏の奏でる最高峰のモノだと言わんばかりに。

 ――その様子を見ながら、翼は面白そうに笑っていた。


「そう、それでいいのです。貴女が心を込めて弾けば弾くほどに、その箏は素晴らしい音を奏でます。貴女の魂を糧に、私たちへ魂の宿る音色を世界に届ける。なんと、なんと素晴らしいモノなのでしょうか。店長に無理を言って一日で作ってもらった甲斐がありますね」


 それから数日後。歴代最高とも言われた演奏会を終えた鼓は、箏にもたれかかるようにして息を引き取ったという。

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