第13話 其は暗闇を照らす灯籠なり

「やーい! できそこない~」

「下層に行けないとか、本当に父様の血を引いてるの~?」

「キャハハハハハッ!」

「こら、お前たち! シュヴァリエに失礼だろう」

「えぇ~? だって、兄様や姉様や私たちと違って、下層に行けないのよ?」

「そうそう。暗いところが苦手だなんて言ってるけど、そんなの言い訳でしょ~」

「シュゾン! シルヴィ!」

「姉様こわーい!」

「こわーい姉様!」


 セレモンド王国のとある湖で少年少女の声が響く。

 彼らはこの湖を治める水の妖精の血を引く者。長男、長女、次男、次女、三女の五人兄妹で、それぞれ母親が違う異母兄妹であった。

 その中で唯一人間の母から生まれた次男、シュヴァリエは他の兄妹と同じように水中を自由に泳ぎ回ることができるのだが、下層と呼ばれる薄暗い湖の底に潜ることができないという欠点を持っている。

 それは幼いころに兄と姉、シュヴァリエの三人で下層へ遊びに行こうとした際に大型の魔物に襲われ、食べられかけたことがきっかけだった。兄と姉は素早く下層へ潜ることで魔物から逃げることができたのだが、恐怖でその場から動くことのできなかったシュヴァリエは父に助けられるまでのほんの少しの間、湖の上層と下層の中間地点で呆然と迫り来る魔物を正面から見つめていたらしい。

 目の前に広がっていた魔物の口内は闇のように暗く、それ以来シュヴァリエは薄暗い湖の中層と、下層へ向かう間の暗闇を怖がるようになった。父や義母、兄や姉に友人たちが隣にいようと、目隠しをしていようと下層へ向かうことができない。

 湖の下層には父の住む宮殿や、父の眷属である妖精たちやその家族の住む家が建ち並んでいる。湖の中層が薄暗く、下層が暗いのはこれらを隠すためだとシュヴァリエは教えられていた。

 兄と姉、双子の妹たちはそれぞれ母が水の妖精であるため幼いころから下層に住んでいるのだが、人間の母を持つシュヴァリエは湖の近くにある小屋で母と二人で過ごしている。そのこともあって、純粋な水の妖精である妹たちに馬鹿にされているのだが、魔物に襲われ死を覚悟したことのない妹たちに何を言われても、シュヴァリエは興味がなかった。


「お帰り、シュヴァリエ」

「ただいま、母さん」

「今日もあの子たちに何か言われたの?」

「言われたけど、いい加減聞き飽きた」

「ふぅ……。シャルロットに相談してみようかしら」

「シャルロット義母様に言ったところで、あの子たちの嫌がらせは止まらないと思うよ。きっと、表だって言わなくなるだけで、陰口を叩くさ」

「そう、そうよね。あの人ももう少し自分の子どもに興味を持ってくれるといいのだけれど……」

「父さんは忙しいからね」

「それでも、よ」


 シュヴァリエの母は人間だ。水の妖精にである父に気に入られようと、母は人間であることをやめなかった。湖の下層には水の妖精の眷属になることで共に生活している人間もいるが、シュヴァリエの母はあくまでも人間という立場を崩さずにいる。

 結婚前や結婚後は、シュヴァリエの父や義母たちに湖の下層へ住まないかと何度も誘われたという。しかし、シュヴァリエの母は後に生まれてくるだろう子どもが水の妖精寄りに生まれてくるか、人間寄りに生まれてくるか分からなかったため、湖の近くの小屋で過ごすことを決めたのだ。

 結局生まれて来た子ども――シュヴァリエは水の妖精寄りだったのだが、半分は人間なのだからシュヴァリエの母の判断は間違っていなかったのだろう。


「ああ、そうそう。シュヴァリエ」

「何? 母さん」

「シンシアが来ているわよ」

「シー姉さんが? えっ、どこにいるの?」

「ここだよー」


 そういってシュヴァリエを背後から抱きしめたのは、シュヴァリエのイトコであるシンシアだった。


「シー姉さん! 久しぶり」

「久しぶり、シュヴァリエ。また身長が伸びたね」

「そろそろシー姉さんの身長も超せるんじゃないかな?」

「ちっちゃくて可愛いシュヴァリエがいなくなっちゃうのかあ。寂しいなあ」

「可愛いはやめろよ。俺、もう十四歳なんだぞ?」

「それでも私より三歳年下なのは変わりませーん!」


 立ち上がったシュヴァリエは体を反転させ、自身を抱きつくシンシアを同じように抱きしめる。

 シンシアはシュヴァリエの母の姉、つまり伯母の子だ。シュヴァリエと違って純粋な人間で、シュヴァリエの母を心配した伯母と共に幼いころからよくこの小屋にやってきてはシュヴァリエの遊び相手となっていた。

 湖の中で魔物に襲われ、一時は水そのものに恐怖を覚えていたシュヴァリエの生活をサポートしてくれたのも、シンシアだ。

 今でこそ湖の中に入ることはできるが、水を目にすることも、触れることも、体に取り入れることさえ恐ろしく感じていたシュヴァリエにとって、純粋な人間であるシンシアの隣は特に安心できる場所だったとかなんとか。


「今日はどうしたの?」

「うん? ああ、あのね! シュヴァリエにいいモノを持ってきたんだよ」


 そういってシンシアがカバンの中から取りだしたのは、手持ちの灯籠だった。銀で縁取られたガラス張りの灯籠は水晶のような六角柱をしており、その中に赤くきらめく石のようなものが入っている。


「灯籠……でいいの?」

「うん、灯籠であってるよ」

「なんか、真ん中に石みたいなのが入ってるし、どこにも火を入れる扉がないよ?」

「そりゃそうだよ。これは火の魔石を使った灯籠だからね。火を入れるための扉なんか必要ないんだ」

「へえ……。凄いね」

「明るさは魔石が自動で調整してくれるようになっているから、シュヴァリエはただ持っているだけでいいんだよ。それと、水の中に入っても壊れない作りになっているから、これを持っていればシュヴァリエも下層に行くことができる」

「え……?」


 シンシアの言葉は、シュヴァリエにとって信じられないものだった。

 ただの灯籠が水の圧力に勝てるはずがない。湖を潜るうちに薄っぺらいガラスは割れてしまうだろう。

 火の魔石が水の中で灯るはずがない。水の妖精が治める湖の中で、水属性の力に火属性は負けてしまうだろう。

 けれど、シンシアは笑っている。「疑うのなら、試しておいで」という。

 シュヴァリエの母も同じように笑みを浮かべながら、シュヴァリエの背中を押す。


「挑戦は大事よ」

「……分かった。試してくるね」

「うん、行ってらっしゃい」

「今日の夕飯はグラタンだから、しばらく遊んできていいわよ」

「はーい」


 シンシアから灯籠を受け取り、シュヴァリエは湖を目指す。

 ――目の前に広がる湖の中で、はたして灯籠に灯は灯るのだろうか?

 しかし、シュヴァリエの母もシンシアがシュヴァリエに対して嘘をつくことはない。いや、全く嘘をつかないというわけではないが、それでもシュヴァリエが悲しむことを二人は言わないのだ。

 一歩ずつ湖の中へと足を進める。近くに来ていた妹たちがまた何か言っているようだが、シュヴァリエは気にせず湖の中に体を沈めた。

 灯籠に視線を移すと、分かりにくいが火の魔石がほんのりと赤く色付いている。その様子を見つめながら湖の中層へ向かうと、灯籠の灯りはシュヴァリエを包み込むほどの大きさになっていた。

 ギャアギャアと騒ぐ妹たちの声が聞こえてくるが、シュヴァリエには関係ない。少しずつ下層へと近づいていくと、灯籠の灯りは段々と大きくなり、シュヴァリエを苦しめる暗闇はすでに手が触れられないほど遠くにあった。


「シュヴァリエ! どうしたんだい、それ」

「兄さん」

「凄いわ、シュヴァリエ! なんて綺麗なのでしょう」

「姉さん」


 気づけば兄と姉がそばに来ていた。

 二人はシュヴァリエの持つ灯籠に目を奪われているようだ。その気持ちはシュヴァリエもよく分かる。


「シー姉さんが、俺のために持ってきてくれたんだ」

「あら、上にはシンシアが来ているのね。後で挨拶に行かなきゃ」

「シンシアさんからの贈り物なのか。それは素晴らしいモノを貰ったね」

「うん」


 下層に踏み込むと、そこは光に包まれた空間が存在していた。シュヴァリエの父が住まう宮殿と、周囲に広がる大小様々な建物。

 妖精は一般的に自然界にとけ込んでいるモノで、基本的には家というものを持つものは少ないと言われている。しかし、この湖に住まう水の妖精は昔から人間と交流を持ち、人間と結婚するものが多かったとかなんとか。それ故に恋人、夫婦、家族で過ごすための家を下層に作っていたらしい。


「シュヴァリエ、シュヴァリエ。シンシアさんにお礼は言ったかい?」


 シュヴァリエがぼんやりと下層の建物を見つめていると、兄が話しかけてきた。


「え? ……あっ、言ってない!」

「それなら早く言っておいで」

「うん!」

「その灯籠、明日見せてね」

「分かったよ、姉さん!」


 シュヴァリエは急いで湖の上層へと上がり、地上へと飛び出していく。手に持つ灯籠は上層へ向かううちに灯りを小さくしていき、地上に出るころにはただの赤い石に戻っていた。

 小道を駆けて小屋に近づくにつれて、良い香りが漂ってくる。夕飯はグラタンだと言っていたが、シュヴァリエが先程帰宅した際にはすでにオーブンで焼き始めていたのだろう。

 玄関の扉を開けて中に入ると、シュヴァリエの母とシンシアはキッチンに立っていた。


「あら? お帰りなさい、シュヴァリエ。早かったわね」

「お帰りー。そんなに急いでどうしたの?」

「た、ただいま! じゃなくて、シー姉さん!」

「え、何?」

「これっ、この灯籠。ありがとう!」

「あらあら、ふふっ」


 小屋の中にシュヴァリエの声が響く。

 頬を赤く染め、笑顔を見せるシュヴァリエの姿を見て、シンシアは嬉しそうに笑った。


「どういたしまして!」

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