第10話 其は人形のクッキーなり

 メルゲニア侯爵家のお嬢様は、我が儘な方だと言われている。

 使用人で気に入った者がいれば専属として世話を任せ、気に入らない者がいれば自分から遠ざけるか解雇してしまうのだ。知り合いの紹介でメルゲニア侯爵家のオッド・ジョブ・マンとして働いているケイは、それを噂程度のものとして気にすることなく過ごしていた。

 ――つい、先日までは。


「ケイ、これを食料庫まで運ぶのを手伝ってくれ」

「分かりました」


 ケイがお嬢様――メルゲニア公爵令嬢、ケートヒェンと出会ったのは今と同じく荷物運びをしていた時のことだった。その時はケートヒェンの家庭教師が持ってきた大判の事典十冊を運んでおり、運び込んだ部屋にケートヒェンがいたというわけだ。

 本来、臨時で雇われているケイがケートヒェンと顔を合わせることはない。だからこそ、ケイは油断していたのだ。上司から雇い主の一家に出会うことはないだろうが、万が一顔を合わせてしまった際は声をかけられるまで一言も話さないように言われていたことも忘れ、ケートヒェンの家庭教師に話しかけるまでは。


「ケイ!」

「あっ……。す、すみません」

「あら? 誰かしら」

「ケートヒェンお嬢様。こちらはオッド・ジョブ・マンのケイと申します。この度はフラウ・ケラーの荷物運びを手伝いここまで来たのでしょう」

「ふうん? なるほどね」


 ケートヒェン付きのメイドに名前を呼ばれて、やっと自身が上司の言いつけを破ったことに気づいたケイの顔色は一瞬にして真っ青に染まったという。ケートヒェンの家庭教師、フラウ・ケラーも同様に顔色を青ざめさせており、メイドたちの焦ったような表情でケートヒェンを見つめている。自身が起こした失態ではあるが、ケイとしては臨時で雇われているだけなので自身が解雇されればいい話なのではないかと内心では考えていた。

 だからこそ、フラウ・ケラーやメイドたちまでもが顔色を変えている様子を見て、おかしいということに気づいたのだ。


「いいわ、面白そうじゃない」


 そう言って、ケートヒェンはにんまりと笑う。


「貴方、お名前は? 自分で名のりなさいな」

「ケートヒェンお嬢様!」

「貴方たちは少し黙っていなさい。私が尋ねているのよ。さあ、名のりなさい」

「は、はい。私はケイと申します」

「ケイ……ね。どこの出身かしら?」

「セレモンド王国、です」

「まあ! セレモンド王国から。お引っ越しかしら? それとも旅? はたまた留学や就職?」

「留学です。義姉の紹介で、ベイリーウス王国に来ました。こちらのお屋敷には、下宿先でお世話になっている方に紹介されて」

「なるほど、そういうことね。それならこの屋敷での決まり事にも不慣れでしょう。今回のことは不問に処すわ」

「よ、よろしいのですかケートヒェンお嬢様」

「いいのです! この部屋の主は私なのだから、お父様たちに伝えるまでもありませんわ!」


 その時はこれ以降ケートヒェンと会うこともなく、雑用として働きながら生活費を稼ぐことができるのだろうとケイは考えていた。しかし、翌日からケートヒェンに呼び出されるようになり、セレモンド王国やケイ自身のことについて質問を受けるようになったとか。

 ただのオッド・ジョブ・マンであるケイにとって、雇い主の娘であるケートヒェンに逆らうことなどできるはずがない。鬱陶しいと思いつつも、自身が我慢すれば町中の飲食店などで働くよりも良い給料が貰えるのだ。だからこそ、ケイはケートヒェンからの無茶振りにもできるだけ対応していた。


「ケイ」

「はい。お嬢様がお呼びでしょうか?」

「ええ、はい。二十分後にいつもの場所でお茶会をなさるようです。遅れぬように」

「分かりました」


 ケイがケートヒェン付きのメイドから伝えられたのは、出会った翌日から参加しているお茶会の始まる時間についてだった。ちなみにお茶会と言っているだけで、実際はケートヒェンが日々受けている授業の合間、休憩時間のことである。いつもの場所というのは、ケイとケートヒェンが初めて出会った部屋のことで、ケートヒェンが主にフラウ・ケラーを含めた家庭教師たちから様々な授業を受けるためにと用意された部屋だ。

 ホール・ポーターの手伝いを終え、身だしなみを整えてお茶会の会場へ向かうと、すでにケートヒェンがソファに座って待っていた。


「遅れてしまい申し訳ありません」

「予定は一分後よ。気にせず座りなさい」

「はい、お嬢様」


 ケートヒェンに促され、向かい側のソファへ腰を下ろす。ケイが目の前のテーブルに視線を落とすと、すでに紅茶を淹れたとクッキーが用意されていた。これが今日のお茶会の品なのだろう。

 それから間もなくお茶会が始まり、ケイはいつものようにケートヒェンからの質問に答えながら紅茶やクッキーで舌鼓を打つ。紅茶は梅廉国産の茶葉を使用しており、昨日手に入ったばかりの品だとか。さっぱりとした飲み口で、ほんのりと香る花の名はケートヒェンの誕生花と同じらしい。

 花についても紅茶についても詳しくないケイだが、お茶会の度にケートヒェンと様々な産地の紅茶を飲むことで少しずつ知識をつけている。


「この紅茶には、何か良い作用などはあるのですか?」

「ええ、もちろん。これと共に口へ含んだ薬草などの効果を倍増させる効果を持っているの」

「へえ……。それは、風邪をひいた際に飲むと良さそうですね」

「そうね。現に――」


 ――ケイの手から紅茶の入ったカップが落ちた。

 何が起こったのか、ケイには分からない。体の自由は利かず、手足どころか首も回らず視線も固定されている。視線の先にあるケートヒェンの頭は、何故か自身の視線よりも上にあり……不気味な笑みを浮かべていた。


「ああ、ああ! なんて可愛らしいのでしょう。思った通りだわ!」

「いつもより早く効果が出ましたね」

「うふふっ、そう。そうなの! やっぱり店主にお願いするのが一番ね。いつもより早くお人形さんを手に入れることができるようになったんだもの」


 そして、ケイはケートヒェンに――自身より小さく、幼い少女であるケートヒェンに体を持ち上げられた。

 何が起きているのだろうか。視線は低くなり、成人男性の平均的な体重を持つ体が目の前の少女に軽々と持ち上げられている。思考は動くが声は発せず、呼吸をしようにも鼻や口から風を感じることはない。

 ケイは自身が文字通りお人形さんになってしまったということに気がついた。

 ありえないことだが、目の前に広がるケートヒェンの不気味な笑みを見る限り現実なのだろう。自衛のための魔法や魔術を使おうにも、自身に流れている魔力を感じることができない。――どうすれば元に戻るのだろうか。


「これでまたコレクションが増えますね」

「ええ。ケイは記念すべき百体目になるのよ! 本当はフラウ・ケラーにしようかと思ったのだけれど、彼女の授業は分かりやすくて面白いわ。だから彼女をお人形さんにするのは後回し。ケイを百体目に選んだのはたまたまなのだけれど、私とのお茶会を面倒くさそうにしながらも毎回ちゃんと現れて、質問にもしっかりと答えてくれるから気に入ったの。無茶なことを頼んだこともあるけれど、自分の実力をちゃんと見極めていて、できないものはしっかり断るところも良かったわね」

「これまでのコレクション候補の中には、できないこともできると言って体を壊した方もいらっしゃいますからね」

「そうなの。せっかくお人形さんにしようと思ったのに、ダメな人たちよね」

「ええ、はい。ケートヒェンお嬢様の仰る通りです」

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