チャンネル19 悪意





「すごいわね、スパイダーって。昨日から問い合わせの電話が鳴りやまないわ」

 日本霊障探求協会を束ねる芦屋会長は、呆然と言った。

 JEA本部、といっても小さなビルの慎ましやかな一室は、今やフル稼働だった。

 動画にフリーダイヤルを紹介したところ、公開直後から電話が鳴りやまなくなったらしく、急きょ全国にある支部に助けを求めてなんとか対応をとっているという。


 とはいえ本部だけでもかかってくる電話は数限りなく、途中からは録音に切り替えてスタッフたちは休憩をとっていた。

「にしてもイタズラ多すぎ。呪うって言ってんのに、勇気があるんだかバカなんだか」

 女性スタッフの犬居いぬいさんが、コーヒーを注ぎながら愚痴ぐちを吐いた。

「信じていないだけでしょう。うちの常識は、世間の非常識ですよ」

 コーヒーを受け取って言ったのは青田さん。眼鏡がよく似合う、男性スタッフだ。


「手越さん、早く帰ってこないかなあ。あの人、呪うの大好きでしょ。嬉々ききとして呪いをばらまくと思うんだけど」

「帰ってきたら悔しがるでしょうね。まあ生きてたら、ですが」

 青田さんの本気とも冗談ともつかないセリフに、スタッフ一同が笑った。

 ねえこれ笑っていいの? 反応に困った私は微妙な表情を浮かべつつ、コーヒーにたっぷりと砂糖を入れた。


「イタズラといえば、ユータンって名乗るヤツから電話がかかってきてさあ。めっちゃテンション高いわ、慣れ慣れしいわで、うっとうしいのなんの。会話の内容も相談じゃなくて、うちの情報を根掘り葉掘り聞いてくんのよ。んで合間合間に『パネーパネー』って。なんなのあの生き物は」

「ユータン!? めちゃくちゃ有名なスパイダーですよそれ!」

 私が動画投稿の世界に入るきっかけを作った人物と言っても過言ではない。電車と競争したり、最新の家電をレビューしたりと、やってることは大したことないが、噂によると年収はなんと一億。

 スパイダーといえばこの人の名前が真っ先に上がるくらいの有名人だ。まったく尊敬してないけど。


「そうなの? イタズラだと思って、一日一回は小指をぶつける呪いを送っちゃったんだけど」

「一日一回って、それはもう骨折しますよ」

「一週間だけだし大丈夫でしょ。青田さんの、砂糖と塩を必ず間違える呪いもどうかと思うけど」

 

 休憩スペースでぽんぽんと交わされる会話を聞きつつ、私は今ここにいない直君のことを考えていた。

 游さんの話では、家の用事でどうしても今日は来られないらしいけど、嘘だということは分かっていた。私に会いたくないのか、それともここに来たくないのか。たぶん両方だろう。

 せっかく名前を呼び合えるようになったのに、また距離が開いてしまった。まあ私の、自業自得なんだけど。


「ヒロちゃん、お菓子食べてないじゃない。遠慮しなくていいのよ」

「あ、はい、いただきます」

「帰りは大神君が迎えに来てくれるの?」

 游さんは本部まで私を送ると、すぐに病院に戻っていった。本業はあくまで医者なので、あまりJEA本部にはいないらしい。

 帰りは最寄りの駅から電車で帰るつもりだ。交通費も支給されるみたいだし、スポンサー様様である。


「あの、游さんってお医者さんですよね。なのに会員としての仕事もやってるんですか?」

 病院だし、心霊現象には山ほど遭遇するだろう。でも医者ってハードワークだと聞くから、JEAの仕事までやってたら体も時間も足りないと思うんだけど。

「彼の仕事は営業と情報収集が中心よ。うちはね、除霊や術のスキルがない会員のほうが圧倒的に多いの」

 意外な事実に驚いた私に、会長はJEAの内情を教えてくれた。


「簡単に言えば、視える、聞こえる、感じるって人たちね。でもそういう人たちの協力って必要不可欠なのよ。私たちの活動は一歩間違えば違法だし、詐欺師呼ばわりをされることもある。でも大神君みたいなお医者さんが便宜を図ってくれたりかばってくれたら、動きやすいし周りからも怪しまれないのよ」

 特に医者という肩書を前にしたら、人は無条件で偉い、信頼できると思うだろう。会長の話では、会員の中には警察やいわゆる士業につく人間もいるという。


「だから、ヒロちゃんみたいな会員って久しぶりなのよ。いや~よく来てくれた!」

 犬居さんは親指をぐっと立てて歓迎してくれた。そういう彼女も、そして青田さんも除霊関係には明るい。彼女らの言い方だと『実働部隊』というものに私は属することになるらしい。


「ヒロちゃんが宣伝をしてくれたから、これから忙しくなるわよ。会長、臨時ボーナスくださいね!」

 鷹揚おうように頷いてみせた会長に、スタッフ二人が歓声を上げる。私はバイト扱いとなり、成果に応じた給料が出るらしい。

 レストランのバイトとの掛け持ちは、無理だよなあ。

 会員になることで何かを失うことがあることに、今になってようやく気が付いた。


***


「清見さん、ちょっといい?」

 学校の女子トイレを出てすぐのところに植草君がいた。いつも一緒の男子二人はいない。ひとりきりなんて珍しいと思っていると、手招きされたのでついていった。

 廊下の端っこで立ち止まるなり、植草君は言った。


「あのさ、直と喧嘩でもした?」

「……してないけど。なんでそう思うの?」

 植草君は一瞬びっくりした顔をして、けれどすぐにいつものへらりとした笑みを浮かべた。

「いやあ、なんかさ、直の元気がないから。清見さんとまた何かあったのかなと思って」


 初めてJEA本部を訪れたあの日から、直君は妙によそよそしい。挨拶とか、いつものグループにいるときは普通に話しているけど、普段の直君じゃないってことくらいとっくに気付いている。

 まず最初に目が泳いで、これじゃいけないみたいに無理して笑って、たまにボーッとしている。

 私にだって分かるほどだ、ずっと友だちだった植草君には一目瞭然いちもくりょうぜんだろう。


「何かは、あったけど」

「やっぱり」

「私も直君もどっちも譲らないんだよね。引いたら負けみたいな状態になってる、かも」

 私としてはどうして直君がここまで意固地になっているのか理解できない。私は私の責任で、危険を伴うJEAの会員になった。心配してくれているのは分かるけど、私がいいって言ってるんだから、それでいいじゃん。


「直って頑固だからなあ。一度こうって決めたら、ちょっとやそっとじゃ引かないんだよ。俺も中学のとき、直の頑固っぷりには手を焼かされたし」

 彼が言うには、高校受験のとき、直君たち三人は同じ高校に行くことを約束していた。しかし植草君は成績面の問題から、藤ノ宮高校の受験を断念。ランクを落として別の高校に行くと告げたところ、直君の頑固スイッチが入っちゃったらしい。


「地獄の受験勉強スタートだよ。木和田なんて、あっそーで終わったのに。俺の成績を引き上げるために、ノートを作るわ、予想問題作るわで、これで不合格だったら俺は殺されると思ったね」

「友情が重い……」

「そうなんだよ。あいつは重い男なの。清見さんもさ、直と付き合うならその辺覚悟しといたほうがいいよ」


「付き合うって、はは、ないない」

 まったく高校生ってやつは、すぐに惚れた腫れたの話に持っていくんだから。そういうのは中学で卒業しとけよな。

 軽く流した私だったが、植草君の表情は硬い。え、なに、なんなの。あ、ため息つかれた。

 植草君は廊下の壁に寄りかかると、いつものキャラらしからぬ渋い顔をした。そして聞いてもいないのに語りだした。


「こっちは明らかに好意を示してんのに、ないないって何? 本気じゃないでしょってなんでだよ。意味が分からねえ」

「ごめん、なんの話?」

「多田の話。俺たちまた付き合おうぜって言ったら、ないないって笑って言われた」

 おいこら植草、何を言っとんじゃ。

 猫かぶりを忘れて、素の私が出そうになった。いや待って、ちょっと待って、この子は一体何を言ってるの?


「俺ら、前にも付き合ってたんだよね。あのときはなんか違うなーって思って別れたけど、今は違わないんだよ。多田も俺のこと、嫌いじゃないと思うんだよね。なのになんで付き合ってくれないんだろ」

 なんだこの身勝手な発言は。フライングクロスチョップをかましてやりたい。昨日テレビで見たからできる気がする。


「植草君は勝手すぎる」

「ええ?」

「一度突き放された人間の気持ち、全然分かってないよ」

 相手の気持ちが自分にないと知って、潔く身を引いた芙美の気持ち。もう傷つきたくないから、笑ってなかったことにしようとした気持ちを、まったくもって理解していない。


「なのに芙美が悪いみたいな言い方して、バッカじゃないの? 呪うぞコラ」

 あっけにとられている植草君を残し、私は踵を返して教室に戻った。

 バカ植草。今更遅いんだよ。


***


 会長に呼び出されたのは、ちょうど学校の授業が終わったころだった。見計らったように電話がかかってきたので慌てて出ると、さっそく仕事だと告げられた。

 犬居さんが車で迎えに来てくれるというので、直君にも伝えると、

「行かない」

 まさか断られるとは思っていなかった私は、変な半笑いをしてしまった。

 なんで、とも聞けずに黙っていると、直君はそっけなく言った。


「俺が行っても仕方ないでしょ。何の役にも立てないんだから」

「で、でも、一応ロコとして会うんだよ?」

「だから? 俺なんて、いつも隣に立ってるだけじゃん」

 そんなことない。いつも一緒にいてくれて、私がどれだけ心強かったか。

 そう言いたかったのに、声が出なかった。ショックで硬直していると、直君は怒りを押し殺すようにぎゅっと唇を引き結んだ。

「じゃあ、そういうことだから」

 無理やり会話を終わらせると、直君は走って教室を出て行った。


 その背中を追いかけようとしたけれど、できなかった。

 植草君に放った言葉が、不意に脳裏をよぎる。


「一度突き放された人間の気持ち、全然分かってないよ」


 私もじゃん。

 私も直君のこと、突き放したじゃん。

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