29杯目 ポーションとどぶろく

「驚け、イコイ。俺の貯蓄がほぼなくなったぞ。だっはっは!」

 口を尖らせて笑うリンに、憩は冷静に答える。

「リンさん、それは笑いごとじゃないですよ」

「分かってるよバカ野郎!」


 カウンタ―に寄りかかっている彼女の腕に、全力でしがみつく。

 すっかり着慣れている赤茶色の服の袖を、小さく爪で引っ掻いた。



 老婆は満足気に酒を持って帰り、道具屋の店内にいるのは店主と呑み助2人に。


 古酒に大騒ぎしている間に外の日は少し沈み、空の青にはオレンジが溶け混ざってきた。ポツンと浮いた雲が、帰り道を探すようにゆらゆらと流れていく。



「ったく、お前が来てから金が瞬く間にポーションに変わっていったぞ」

「ふふっ、ごめんなさいね」


 楽しげに笑う憩に「怒る気無くすぜ……」と首を垂れた。


「で、お前まだ飲むだろ?」

「もちろんです! 次はどのポーションにしようかな……」


 また冷蔵棚をちらちらと見る憩。やがて、店主に視線を向ける。


「とっておきのとっておき、ありますか?」

「……んん……」

 答えに詰まる店主に、彼女がぐいっと顔を寄せる。


「……ありますよね? ぜひ飲ませて下さい! 私、明日以降はこの町に来れないんです!」

「…………ううん……仕方ない! 貰いものだから1人で頂いちゃおうかと思ってたんだけど、お姉ちゃんなら美味しく飲んでくれるだろう!」


 悪いことは出来ないもんだね、と苦笑いしながら、彼は棚の奥の奥から緑色の瓶を取り出した。

 ペンで「試作」と書かれており、明らかに売り物でないことが分かる。



「知り合いの造り手さんから貰ったんだ」


 瓶の中身をじっと見ていたリンは、突然「ひょえっ」と悲鳴をあげる。


「おい、なんだこれ! 白く濁ってるし、シャーリの粒が残ってやがんぞ!」


 途端、憩が「わっ!」と歓呼し、そのポーションの名を口にする。


「どぶろく、ですね!」

 店主は正解した彼女に拍手を送り、「とっておきだろ?」とにんまり笑った。




「イコイ、どぶろくって何だ? 失敗作か?」

 リンが訊くと、憩は「いいえ」と首を振った。


「これまで飲んできたポーションの原型というか、一番簡易な形態ですね。シャーリを発酵させて、濾過ろかせずにそのまま飲むんです」

「濾過しない……なるほど、だから粒がそのまま残ってるんだな」


「ええ。で、目の粗い道具ですと、シャーリの粒はなくなりますが、白く濁る成分は少し残るので、粒のない白濁したお酒になります。これが『にごり酒』ですね」

「ちょっと濾すとにごり酒、越さないとどぶろくか」


 興味津々で瓶を睨むリンを横目に、憩は日本の居酒屋で店員さんに聞いたことを思い出す。



 清酒、いわゆる日本酒は、「発酵させて濾したもの」と定義されている。そのため、


 でも、これはこれで美味しいのよね、と期待に胸を膨らませながら、彼女はグラスをスッと前に出した。



「じゃあ早速、頂きましょう」

「よし、じゃあ俺も一口もらおう」


 店主がゆっくりを瓶を傾ける。

 純な液体のポーションと違い、シャーリの粒がグラスに雪崩れ込んでいく。

 時折、ゴポッと落下音が響いた。


「……なんか飲むのに勇気がいる酒だな」

「大丈夫ですよ、リンさん。素敵なお酒です」


「それじゃ、珍しいお酒に巡り合えた幸運に、乾杯!」

「乾杯!」


 グラスを持ちあげた店主の掛け声で、憩はいつもより少し重いグラスをぶつけた。



 表面にシャーリの半粒が見えるグラス、まずは香りから愛でる。


 薄いヨーグルトのような、鼻の中で膨らむ匂い。見た目も相まって、本当にヨーグルトベースのデザートのような印象。


 とろみのあるポーションを、スッと一口。普通のポーションより甘め、そこに酸味が加わって、クドさのない味にまとまっている。


 シャーリの粒を噛む、というのも新鮮な体験。噛んだ瞬間に甘味が強まり、酸味は引き立て役に徹する。


 どっしりした見た目とは全く違う、飲み込んだ後の爽快感が、幸せなギャップとなって喉を喜ばせた。



「ううん、こりゃホントに珍しいポーションだ……噛み応えがある……」


 口を縦に動かしながら、リンは「腹持ちも良さそうだ」とお腹をポンポン叩いてみせた。


「確かに。これなら肴は要りませんね。いや、ひょっとしたら、どぶろくを肴に別のポーションを飲めるかも……」

「お前、とんでもないこと考えるな……」


 首を傾げる憩。何がおかしいのかよく分かっていない彼女に、リンはむしろ感心して鼻を膨らませた。


「つっても、俺も少し酔いが回ってきたから、つまみが欲しいな。さっきからレーズンしか食べてないし」


 ほんのり赤ら顔で猫が催促すると、道具屋の店主が「おっ、じゃあちょっと待ってて!」と奥に引っ込んだ。どうやら部屋になっているらしい。


「お待たせ」

 戻ってきた彼が持っていたのは、炊きたてのシャーリ。


「シャーラックで一番良いシャーリだよ。おかずが何もなくても美味いんだ」

「わあ! おじさん、ありがとうございます!」


 握手して喜ぶ憩の横で、そのシャーリを一口食べたリンが、どぶろくのグラスを傾ける。


「ううん……なんかシャーリ食ってシャーリ飲んでる感じだ……口に入ってるシャーリがつまみかポーションか分かんねえ……」


 すっかり利きシャーリが始まったのを見て、店主と憩は2人で顔を綻ばせた。






「今日も結構飲んだな」

「ええ、古酒もどぶろくも飲めて、満足です」


 宿屋へ向かう夜道。リンに合わせて、ゆっくり歩く憩。


 途中、遥か遠くへ続く長い道路を見つけた。


「この道、西に真っ直ぐ続いてんだ。丸1日馬車で走れば、コクリュに着く」

「リンさんと会った町ですね」

「ああ。あそこからぐるっと王国1周。よくやったもんだよ」


 別の猫が「みゃおっ」と近づいてきて、会話を遮った。リンが「お前とは違うんだよ、シッシッ」と追い払う。



「まあ、そのおかげで高い勉強代になったけどな、うはは」

「ふふっ、私が戻ったらまた貯めて下さい。アイノさんとの結婚資金」

「おいこら! 違うっての!」

「えー? お似合いですよう!」



 宿に着くまで、2人のおしゃべりは止まらない。

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