15杯目 ポーションと薫酒
「いらっしゃい! お姉ちゃん、1人かい?」
酒場の入口で威勢よく出迎えてくれた若い男性の店員に、その足元から叫ぶ猫。
「おいこら、ここにもいるぞ」
「おっと、猫も一緒かい。ハムの切りカスとかならあるけど――」
「ご挨拶だな!」
憩の足を這うように上り、太ももを蹴って店員の顔を覆うようにぶわっと貼りつく。
「もごごご……」
「俺は元の姿も今の味覚も人間だ! 酒も飲めんだぞ! 国王直轄モンスター討伐局、リンクウィンプスをなめんな!」
「もごごごごごご……」
じたばたしながら両手でリンを引き剥がす店員。
「まいったまいった、わかったよ。じゃあ2人でご案内ね」
苦笑いしながら、席へ案内される。
居酒屋なら何度も行っている憩は、生まれて初めての「酒場」を興味津々にキョロキョロと見回していた。
木造の店内、厨房に近い位置にはカウンターが設けられ、朝からこの夕方まで飲んでいるのか、すっかりデキあがった客が数人、大笑いしている。
席は60席ほどだろうか。ほぼ満席で、BGM代わりに1人の男性が飲みながら弦楽器を奏でてていた。
テーブルは大きな樽を利用して作られたもので、立って飲んでいる人もいれば、脚の高いスツールに座っている人もいる。
壁のところどころに誰かが趣味で描いたらしいワインボトルや果物の絵が飾られており、ここににいるだけで楽しさを吸い込めそうな空間だった。
「ご注文、お飲み物から」
通された席で早速聞かれ、憩はすかさず答える。
「えっと、今回ポーションを仕入れた担当の方、いらっしゃいますか?」
「え? ああ、いるよ。ちょっと待ってて」
足早に戻っていく店員。しばらくしてゆっくりと歩いてきたのは、60歳くらいの女性だった。
「……アンタかい、ポーションのことで呼んだのは」
ぶっきらぼうに話す。柄の綺麗なオレンジのスカーフを頭に巻き、顔はしわくちゃ。老婆と言ってもいいくらいの見た目。
「企画して仕入れたのはアタシだよ。周りからは、誰も飲まないだ物好きだ、笑われたがね」
しかし、憩はそんな彼女にニコニコと話す。
「あの、味が淡くて香りの高いポーション、ありますか?」
その問いに、老婆は一瞬目を丸くし、やがて口角を吊り上げた。
「……若いくせに、
「わあ! ここでもその呼び名なんですね! ぜひお願いします! あと、ぴったりのおつまみも」
「あいよ、任せときな」
気のせいかさっきより軽快な足取りで厨房の方に戻る老婆。
「あんなばあさんが仕入れとはな……」
「あら、お酒好きに老いも若きも男も女もないですよ? かなり詳しそうな方で安心しました」
リンと一緒にスツールに座りながら、憩が続ける。
「薫酒は、華やかな香りで淡い味のお酒です。吟醸酒、つまり、シャーリをしっかり磨いて、香りが強く出るように低温で発酵させたお酒とかがこのタイプですね」
「ふうん……ま、飲んでみようじゃねえの」
さっきの老婆が紫の瓶とグラスを持ってきたのを見て、リンは舌なめずりする。
「ほい、これだ。爽快さが映えるように、少し冷やしてあるよ」
「わっ、ありがとうございます!」
感心しながら、コルクを開けてもらったポーションをグラスに注ぐ憩。
確かに、10℃から15℃、
「じゃあリンさん、乾杯」
「おう。今日何度目かわかんねえけどな」
2人で笑って、その薫酒を飲んでみる。
香りが魅力だけあって、鼻をくすぐるのは上品なマスカットの匂い。口の中で温度が上がるにつれ、蜜のような甘味が溶け出してくる。
更に舌で転がして探してみると徐々に感じられる、苦味や酸味。五味が一体になりバランスの良いコクとなって攻めてきて、飲み込んだ後も蜜の余韻が残る。
花に囲まれた陽気な春に味わいたいような、綺麗な爽やかさのお酒。
「これ、いいな。あのばあさんの言う通り、冷やしたおかげで香りが引き立ってる」
「そうなんです。あの方、相当好きですよ、ポーション」
お替りを注いでいると、案内してくれたのとは別の男性店員が料理を運んできた。
「お待たせ! ハーブのサラダ、山菜の
店員が去った後、フォークを右手に持ちながらじーっと料理を眺めるリン。
「なんか……シンプルな料理だな」
「リンさん、鋭いですねえ」
憩はサラダを小皿に取り分ける。日本でも最近一人飲みが多かったので、こうして料理を分けるのも何だか久しぶりで楽しかった。
「華やかで爽やかなので、そもそも薫酒は食前酒にぴったりのお酒なんです。逆に言えば、香りがはっきりと前に出るので、合わせる料理は割と選びます」
「なるほどな、ピッタリ合うものは多くないのか」
「ですね。ここにあるような、清涼な味わいだったり、素材を活かした味付けのものが合うと思います」
ふむふむと頷きながら、リンはハーブのサラダを食べ、キュッと薫酒のポーションを干す。
しばらく上を向きながら味わった後、「合うな!」と感服したような声をあげた。
「イコイの言う通りだな。これは料理を引き立たせる酒じゃない。むしろこういうシンプルな料理で、この香りの良いポーションを引き立たせるのがいいってことだ」
「そうなんですよ!」
憩がリンの右手を掴み、半ば無理やりに握手する。
「薫酒に関しては、お酒の方を主役にするのが良いです。こういう味も結構合いますよ」
言いながら彼女は、白身魚の酒蒸しに添えられているレモンをギュッと絞る。
ぐにゃりと曲がったレモンから汁が溢れ、酒蒸しの尻尾に透明な果汁がかけられた。
「ふうん、柑橘系ねえ…………おおおっ!」
食べてすぐに飲んだリンが、スツールから飛び跳ね、樽のテーブルに見事に着地する。
「これはこれでいいな! レモンの酸味のおかげで、薫酒の華やかな味が余計に引き立ってやがる!」
彼の興奮に、いつの間にか近くに来ていた老婆が「へへっ」と声を漏らす。
「ポーションは、一緒に食べる物も込みで相性を見なきゃいけないからねえ」
「おばあさん、ありがとうございます! 料理もとても良いチョイスですよ!」
憩が握手すると、彼女は満足気にしわくちゃの顔を綻ばせた。
「また用があったら呼んでおくれ」
そのまま、地面を滑っているのではと思うほどの動きで厨房に戻る老婆に、憩は感激の溜息をつく。
「すごいですねえ! 私もああいう風に、好きなものを皆に薦めて暮らしたいです!」
「ま、ヒーレでポーションだと難しいだろうけどな」
苦笑いして尻を掻きながら、リンは山菜の出汁浸しを頬張り「こいつは城の近くの酒場でも出してほしい」と深く頷いた。
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